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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  3

1124義春:2011/09/17(土) 19:09:59 ID:iu5Ar./Q
もう少し書かさせて頂きます。
>ここでの唯物論的価値観とはなにですか?
今まで、迷いの中身についてかかさせて頂きましたが、人の日常生活での
「迷い」が「唯物的価値観」というのであるとするならば、
この考え方の結果を申しますと人間には自由が許されない様に感じます。

この日常的な選択時の迷いを完全に無くしてしまい、貴方の言うところの
唯物的価値観が全廃された時、人間には選択する自由が生じません。
つまり、人間は自由が無くなる…それはおかしいのではないかと…。
又、そもそも唯物的価値観とは人間は肉体であるという前提からのものであると
思いますが、

この「人間は肉体=選択時の迷い」はイコールでしょうか?

否、この2つは全く違うものであり、もしイコールの関係にしようとするならば
「人間は肉体である=肉体的な選択をとる」
というものでないかと思います。

そこで、雅宣先生の仰ってきた話を色々思い出してみますが
生命倫理の分野では明確に、その考え方を元にしての研究のあり方に
否定的な説き方をされています。

例えば、小閑雑感、2007年5月19日 宗教と科学

私がここで指摘したいのは“人間の心”が技術を生み出し、
技術を使うということである。そして、“人間の心”は常に正しいとは言えないのである。
前回触れた人間至上主義的考え方の最大の欠陥は、
この事実を真正面から受け止めないことである。
人間が科学技術によって力を得て、増殖し、自然と対峙する際には、
人間は正しい判断のもとにその力を行使するから、
常によい結果が出て、人間はさらに進歩する……そんな楽観論を、
私はその背後に感じるのである。

とお書きになっています。
これは進化的な価値観、つまり唯物論は人間至上主義的な考え方であるとして
この考え方の危険性を指摘なされていると思います。
そうであるので、そもそも雅宣先生が唯物的思想なのか…となると、
それは少なくとも違うのでないかと思います。


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