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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 3
1123
:
義春
:2011/09/17(土) 18:53:58 ID:iu5Ar./Q
山下一臣様
下記の御文章について少し色々かかさせて頂きます。
虚説「今の教え」とは絶対に“和解”できない<その三>NEW (4482)
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=921
山下様の仰るところの「迷い、本等無し」は「本来」即ち「実相世界」での
事を指しているのであるのであって、「現象世界」の事をさしているのでありまっすん。
例えば、「病、本来なし」でありますが、現象的には風邪を引く事もあれば
癌になったりもする。
しかし山下様の仰るところを現象世界でのことをさすのであれば、
風邪を引くことは有り得ない…と、なります。
それだと、どうなりますか?どう見てもおかしな話ですよね?
まず、現象と実相の混同が見うけられるように思いますが如何でしょうか?
>“迷い”は自由から来る!?(雅宣先生)
>開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』
だからここで、貴方の比較している雅春先生と雅宣先生の御文章は、
「迷い」の中身について、全く違うのであって、
それを混同して論を進めるのは、かなりナンセンスだと思います。
以下、御説明申し上げます。
>これに反して、開祖・谷口雅春先生の「迷い本来なし!」の一喝によって、
ある人は瞬時に大悟徹底の悟境に入り、ある人は病悩苦から救われたのであります。
霊的機縁の熟した人にとっては、開祖・谷口雅春先生の「迷い本来なし!」の一喝は、
“維摩の一喝、雷の如し”なのであります。
貴方の論での雅春先生の「迷い」は「物事のとらえかた」についての「迷い」ですが、
ここで雅宣先生が仰っているのは日常的な日々の「選択時の迷い」を
指しているのであって、ここで比較するのはおかしいといえます。
>自分流の唯物論的価値観で「今の教え」を説いているところにあります。
ここでの唯物論的価値観とはなにですか?
今まで、迷いの中身についてかかさせて頂きましたが、人の日常生活での
「迷い」が「唯物的価値観」というのであるとするならば、
この考え方の結果を申しますと人間には自由が許されない様に感じます。
それは「人間神の子」の真理から完全に矛盾し、外れてしまう様にも思います。
…と、感じましたが、如何でしょうか?
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