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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板
896
:
ももんが
:2012/01/26(木) 22:55:55 ID:XXCuaQns
>>892
トキ様
追伸
先程、いい忘れてしまいまて、すいません。合掌、拝。
<<生長の家の聖書解釈は、伝統的な基督教の聖書解釈とは異なります。
しかし、心あるクリスチャンの中には、谷口雅春先生のお話を拝聴して、初めて聖書がわかった、と喜んでいる人も多数おられます。
現実に、ブラジルなどは、クリスチャンの方が生長の家の信仰を持たれていて、何の矛盾もありません。>>
トキ様が、ハマナス様の引用文より、クリスチャンの方が生長の家の信仰持っても何の矛盾も無いといいましたが、確かに、その通りです。
私も、他の信仰を持っても、何の矛盾も無いです。
矛盾が、あるのは?
生長の家だけしか、信仰してない方や、生長の家一途の方に矛盾が生じるのでは、ないでしょうか?
私は、今回強く、それを、感じさせられました。
トキ様、どうでしょか?
私の言葉に、反響するは、その方々、御一人、御一人の心に、“生長の家絶対説”みたいな、凝り固まった、信仰心が、心の底に有るのでは、ないですかね?
その矛盾が強い程、心に共鳴して、反発するように、思えました。
こないだ、深層意識習った時に、これに近いお話習いましたよ。
私のお話が、矛盾したのでは無く、反発した、人、御一人、御一人の心の、凝り固まった心が、反響したと、私は、理解した思いです。
トキ様や、ハマナス様と、お話していて、その様に、思いました。
すいません、あとから、お話して。今日は、大変、ありがとうございました。
感謝、感謝です。合掌、拝。
897
:
ハマナス
:2012/01/26(木) 23:01:43 ID:u5mC.eb2
ももんが様へ
ご丁寧なお返事をありがとうございました。
大先輩のももんが様からお褒めの言葉を頂き恐縮しております。
>私は、宗教体験が、多く、皆様と違う認識で、物を観る事が、たくさん、あると
思います。
ももんが様のご文章を拝見し、実に優秀な方で、仏教、キリスト教のみなら
色々な宗教をお勉強されておられ、心眼が開かれ、すでに悟られていらっしゃる方
だと、思いました。
>例えは、高野山の曼荼羅は、いったい、なんの為に、あるのか?
あれは、言葉や文字の違いを超えて、多くの人々に、仏の世界、仏教の世界を
理解させる為に、ある事を、ハマナス様は、ご存じでしたか?
一度だけ高野山には、行ったことがありますが、曼荼羅の意味は存じません
でした。確か二通りの曼荼羅があったと、記憶しています。
ご親切にお教え下さりありがとうございます。
私は、一白鳩会員にすぎませんが、この掲示板のお陰で、ももんが様や皆様のよう
な素晴らしい方々のご意見や、聖典の引用を拝見し、共にお勉強出来ますのと、
誠にありがたく感謝申し上げます。
感謝合掌
898
:
ハマナス
:2012/01/26(木) 23:20:26 ID:u5mC.eb2
トキ様へ
ももんが様への素晴らしいご投稿を読ませて頂きました。
全く、同意見です。私の代わりに、お返事していただき
ありがとうございました。
いつもこの掲示板の管理者として、お忙しい中、お心を配って下さいます事に
感謝申しあげます。ありがとうございます。
899
:
元職員
:2012/01/27(金) 00:54:27 ID:???
『曹源の一滴水!』ですか 「!」がよけいですね(笑)
さて、お答えする前に申し上げます。貴殿の対応は極めて誠実さを欠いています。
自分で論議のタネを撒いておいて、それに対して「あなたの好み通りには?」
まあ、このあたりの評価は皆さんにお任せします。
「曹源の一滴水」について。
生長の家信徒行事要目のなかに
「一切の人と物と事とに行き届くべし」とあったと思います。
このコトバを想起します。本来は水一滴も無駄にしてはならないというお示しと
思いますが、同じ事を示されていると感じます。
さて、ももんがさん。貴殿の一連の対応は・・・いかがでしょうか。
禅寺で修行?したり、練成に行ってみたりしておられるようですが・・聞いて
知ったと思っているようですがそれが生活には現れていないようですね。
貴方の学んでいることには間違いはありませんが、あなた自身知っているつもりだけで
それを現実の今に生かしていませんね。
人の疑問や質問に誠実に答えない。
人の質問に自分の都合で答えずに、逆に質問をしてくる。
・・・・
これは、私だけではなく第三者から見ても「誠実さ」に欠けていると思われます。
トキさんの掲示板は「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板 とあります。
禅宗の問答は、他の場所ですべきではありませんか。
貴方は、トキさんの優しさに甘えていませんか。
貴方の書き込みからは、浅く広く宗教をカジッテ物知りになったと思っている人と同じ
「傲慢」さが感じられます。
さて、貴方の示した「曹源の一滴水」に、貴方は適った生き方や行動をしていると思われますか。
それから・・・
やめておきましょう。自分の正体は自分が一番知っていますから・・・(笑)
900
:
役行者
:2012/01/27(金) 07:47:48 ID:qF94Uk/s
>ももんが様
>高野山と言うところは、高野山その物が、仏の世界(曼荼羅)に成ってるらしいです。
曼荼羅や仏像は、儀式に使うのですが、それを、信 徒にするだけで、仏の世界をバーチャルリアリ ティーに体験出来る仕組みに成っているのです 。
生長の家で言う『深層意識』に、仏の世界を植え付 ける仕組みなんです 。
御坊さんが、御説教したり、御経読ませるより、目 で見て、心で捉えるやり方は、現代の映像主義的発 想ですね。
こうした、方法が、日本の宗教の中に、有ること は、素晴らしいのです 。ただ、余り生かされては、いないとは、残念に思う しだいです。
雅春先生は、こうした、事は、余り書いておられな いのも、また、残念な、事です 。<
確かに、そのとおりですね!
真理を実感するための手段・方法論も大切ですね。
より多くの方に、いろいろな手段・方法によって、真理に至っていただきたい!との思いが、たとえば京都の東寺の立体曼荼羅の世界にも表現されてますね。いま、多くの方が東寺に参って信仰を深めています。
ですから、衆生が真理に至っていただくために、如何に伝道していくか、その手段・方法論を皆共に話し合うことも、大切なことと存じます。
ただ、それは卵で例えると、黄身でなく、白身の周辺部分にあたるのではないかと存じます。
その白身の周辺部分である!という自覚のもと、我々の世代で是非、真理に至るためのより良い手段・方法も充実させていくことができれば、それは生長の家が万民に尚一層、お役に立てることができるのではないか!と存じる次第です。
追伸;高野山は千二百年余りのあいだ、地元の方にはもちろん、衆生に愛されてきました!
それは、真言宗を守ってくれた先達の方々、釈迦をはじめ、三国を伝来途中、求道と伝道に励まれた師、三国伝来途上における神々にたいして、日本の神々、高野山の地元の神々に対して、また、御皇室をはじめ日本を守ってきてくださった方々への篤い報恩感謝の祈りが悠久の昔から、絶え間なく捧げられてきたからと存じる次第でございます。
このことは私、平成の役行者は実感しております。
901
:
ももんが
:2012/01/27(金) 09:16:03 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日も、素晴らしい、朝が、やって参りました。さあ、お日様の様に、明るい心で、本日も神の子の生活を楽しみましょう!ありがとうございます。合掌、拝。
〜正法眼蔵・仏性〜
世尊道の『一切衆生、悉有仏性』は、その宗旨いかん。是什麼物恁麼来(是れ、什麼物<なにもの>か恁麼<いも>に来る)の道転法輪なり。あるいは衆生といひ、有情といひ、群生といひ、群類といふ。
悉有の言は衆生なり、郡有也。すなわち悉有は仏性なり。悉有の一悉を衆生なりといふ。正当恁麼時は、衆生の内外すなわち仏性の悉有なり。単伝する皮肉骨髄のみにあらず、如得吾皮肉骨髄なるがゆえに。
〜以下つづく
さて、『一切衆生、悉有仏性(いっさいしゅじょう、しつうぶつしょう)』
『全ての生きとし生けるものには、完全円満な仏性が宿ている』
是が、釈尊の御言葉なんですね。
生長の家でも、同じ、講師の先生方皆様、同じ様な御言葉を繰り返し、繰り返し、教えて下さいます。
それから、『悉有仏性』とは、『仏性である中の一つの完全な仏性』と言うことです。
私が、良く、『ルック・イン・トッウー』と雅春先生の言葉を、繰り返し、語るのも、御理解いただけたかと、思います。
では、皆様、今日も寒いですが、元気を出して、がんばんて下さい!ありがとうございます。合掌、拝。
902
:
うのはな
:2012/01/27(金) 11:26:12 ID:El6gIMAw
身近に肺結核で入院した人がいて、法定に従ってレントゲン検査をしにいくと、
医師から何の問題もないけどこのあと血液検査を受けるようにといわれて驚いています。
それは毎年恒例のインフルエンザ予防注射も受けていなかったし、去年胃痛が激しくクリニックで
レントゲンを撮った時、肺に影があるから大きな病院でCT検査を受けなさいといわれていたからです。
保健所の検査が終ってからにしようと思っていました。
けれど去年の暮れからネットなどで言いがかりをつけられたり、いろいろあるなかで、
感謝誦行など再開し、いろいろやっていく中で神様と波長があうときもあったんだと思って
久し振りにさわやかな気分になりました。
部外者が浄心行の説明すすめだとか、信者の心を害することを平気で執り行ってるネットの世界ですが、
わたしのように短気をおこすこともなく、みなさんにはこれからも生長の家の信者らしい生活を送っていただけたらと
思います。
903
:
a hope
:2012/01/27(金) 13:10:04 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
仕事や勉強に骨折損(ほねおりぞん)はない
勉強に骨折損というのがないと同じく、仕事にも骨折損はありません。
仕事はしたけれども、金がもうからなかったので、
損をしたという人もなかにはありますが、仕事は金を儲けるためにするのではなく、
金が儲かるのは副産物(おまけ)のお添え物なのです。
仕事や勉強で本当に儲かるのは、自分の生命が練れたということです。
自分の生命がいっそうよくなったということです。
十分練れなければ、餅米はどんなに好い質でも好いお餅にはなりません。
餅米は搗(つ)かれれば搗かれるほど、よく練れて好いお餅になるのです。
餅はよく練れて好いお餅になるのが目的であって、金を儲けるためではありません。
人間もよく練れて好い人間になるのが目的であって、金を儲けることが目的ではありません。
餅米がよいお餅になってよい値段でうれることはお添え物です。
人間もよい人間になるのが目的で、よい値段で売れることは付け足しです。
人間は仕事を余計して損だということは決してありません。
(つづく)
みなさま こんにちは
毎日、この板で、ももんがさまが「正法眼蔵」を紹介してくださっています。
わたしは、仏教に興味があって、以前、数年間、近所のお寺に坐禅に通い、その後、
90歳を超えられた住職さまのされる「正法眼蔵随聞記」の法話を毎回、拝聴していました。
とてもわかりやすくお話してくださっていたので、わたしのような仏教の知識もないものにも興味深くて、
ノートも何冊もとったのですが...どうしても見つかりません。
ももんがさま
いつも「正法眼蔵」を紹介してくださり、ありがとうございます。
ですが、原文は難しすぎて、アホのa hope には、あまり理解できないのが残念です。
できれば、ももんがさまの解説を、もう少し詳しくしていただけるとありがたいですし、
勉強にもなり、コメントもできると思うのですが...
他の板で、復興Gさまが雅春先生の「日常生活の中の真理・仏典編」を紹介してくださっていますが、
こちらの方は、とてもわかりやすいです。
どんな難しい仏教の極意でも、雅春先生は、一般大衆にもわかるようにお話くださるっているのですね。
あらためて、雅春先生の偉大さを実感しています。
904
:
ももんが
:2012/01/27(金) 13:40:37 ID:XXCuaQns
>>899
元職員様
元職員様、大変素晴らしい、ご鞭撻、真に、ありがとうございます。合掌、拝。
元職員様の『御言葉』大変心に染み渡りました。本当に、感謝、感謝いたします。ありがとうございます。合掌、拝。
(元職員様の言葉)
<<『曹源の一滴水!』ですか 「!」がよけいですね(笑)>>
そうですか。上の様な表現を、元職員様は、良くお使い成りますね。良く、元職員様の御気持ちが、現れてますので、私なりに、勉強させて、頂きました。真に深切に教えて頂き、ありがとうございます。感謝いたします。
それから
(元職員様の言葉)
<<さて、お答えする前に申し上げます。貴殿の対応は極めて誠実さを欠いています。
自分で論議のタネを撒いておいて、それに対して「あなたの好み通りには?」
まあ、このあたりの評価は皆さんにお任せします。>>
上の御言葉も、大変、私の心に響きました。御教授真に、ありがとうございます。
得に、元職員様のこの言葉『…この当たりの、評価は皆さんにお任せします。…』
この言葉は、大変参考に成りました。私には、『誰に助けを求める』言葉に、聞こえました。
いや、この御言葉は、真言の様な、素晴らしい、言葉ですね。真に、ありがとうございます。
それから
(元職員様の言葉)
<<「曹源の一滴水」について。
生長の家信徒行事要目のなかに
「一切の人と物と事とに行き届くべし」とあったと思います。
このコトバを想起します。本来は水一滴も無駄にしてはならないというお示しと
思いますが、同じ事を示されていると感じます。>>
元職員様の『曹源の一滴水』の解答、実に、生長の家の方らしい、素晴らしい、解答です。
しかし、元職員様に、大変も仕分けありませんが、『室内』(独参)したら、老師の振鈴が鳴って、問答無しに、追いかえされてしまうでしょ。
残念でした。元職員様は、大変素晴らしい、眼力をお持ちだが、本当には、観えていないと、言われてしまうでしょ。
この、公案のポイントは、法眼禅師が、おうむ返し、したところに、真の真実が隠されているのです。
確かに、『本来は水一滴も無駄にしてはならないというお示しと…』意味にも、取れますが、それは、大分ずれた、解答と言うことです。(すみません生意気言いまして)
『曹源の一滴水』に関しては、また、別の機会に、お話します。実は、先日、少し解答したんですが、わかって貰えなかったのは、残念てす。
それから、
(元職員様の言葉)
<<さて、ももんがさん。貴殿の一連の対応は・・・いかがでしょうか。
禅寺で修行?したり、練成に行ってみたりしておられるようですが・・聞いて
知ったと思っているようですがそれが生活には現れていないようですね。>>
元職員様の、御言葉、ごもっともと、私、敬服しております。御教授、感謝いたします。
『生活に現れていない…』との御教授、ありがとうございます。
私は、完璧な人間でないので、この通り、“在りまま自分”を恥ずかしくも無く、皿けだしとているのです。生長の家の勉強も、皆様と成るべく、同じ目線に成る様に、努力して、勉強しているのです。
“バカに成ってる”と呼ばれた方が、いいですね。
元職員様は、完璧な人間なのですね、失敗は無いと言う方なんですね。大変素晴らしいですね。
私には、とても、真似出来ません。御教授宜しくお願いがします。
〜長いので、つづきます。
905
:
ももんが
:2012/01/27(金) 13:45:55 ID:XXCuaQns
>>899
元職員様〜つづき
それから
(元職員様の言葉)
<<貴方の学んでいることには間違いはありませんが、あなた自身知っているつもりだけで
それを現実の今に生かしていませんね。
人の疑問や質問に誠実に答えない。
人の質問に自分の都合で答えずに、逆に質問をしてくる。
・・・・
これは、私だけではなく第三者から見ても「誠実さ」に欠けていると思われます。>>
そうですか、『現実に今に生かしていない…』ですか。有り難い、御教授、真にありがとうございます。
もっと、現実に生かせるように、努力いたして行きます。大変素晴らしい言葉、ありがとうございます。
『人の疑問、質問に、誠実に答えていない。』成るほど、言葉や文字に頼る生き方をすると、良く学べと言う事ですね。
以前、生命の実相、輪読で、『窮通の悟り』なる物を習いました。元職員様は、全真逆な事を言われるので、困惑しますが、私には、バカなので、努力して学ばせて頂きます。ありがとうございます。
『第三者から見て、誠実さに欠けてる』そうですか、真に、また、有り難い、御言葉を賜りまして、ありがとうございます。私、完璧では無いので、欠けてるところは、たくさん有ると、思いますよ。良く、見付けて頂きまして、ありがとうございます。
(元職員様の言葉)
<<トキさんの掲示板は「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板 とあります。
禅宗の問答は、他の場所ですべきではありませんか。
貴方は、トキさんの優しさに甘えていませんか。
貴方の書き込みからは、浅く広く宗教をカジッテ物知りになったと思っている人と同じ
「傲慢」さが感じられます。>>
『禅問答は他の場所で…』と言われましたが、それは、少々違うと、私は思います。昔は、良く、宗論なんてことを、やってたようです。同じ宗派宗教の中だけでなく、他宗や国別でも、行われた。
生長の家は、調和を協調する素晴らしい、宗教ですが、他宗と論の比較研究を、もっと、すべきだと思います。
これは、バチカンのお話ですが、バチカンの図書館にはたくさんの宗教書が有り、バチカンの方は、他宗の方の中に入り、自分達に無い物や共通点や色々勉強されている。私は、そう言う意味おいては、バチカンを尊敬してます。
生長の家も、私は、いつか、バチカンの様な存在になれるのではと、希望する一人です。かつて、大蔵教を為に、托鉢した、和尚さまのお話を聞いた事が有りますが、私も、バカはバカ成りに、万教帰一する、生長の家を請い願う一人です。
元職員様も、もっと、広い視野で、物事を見て頂きく思います。真に、言葉下手で、申し訳ありません。
『傲慢』を感じるのは、元職員様のお心の内ですね。
『傲慢』に感じるのも仕方ないですね。努力して、がんばって、いきます。御教授、ありがとうございます。
それから、
(元職員様の言葉)
<<さて、貴方の示した「曹源の一滴水」に、貴方は適った生き方や行動をしていると思われますか。
それから・・・
やめておきましょう。自分の正体は自分が一番知っていますから・・・(笑)>>
さて、上の表現も、元職員様が、良く、使われる、表現で、元職員様の心の中を良く表現されていて、おります。
先程も、もうしましたが、元職員様は?『曹源の一滴水』の解答を勘違いされています。
私は、確り『曹源の一滴水』を完全とは言えませんが、実感しながら、生きています。
しかし、元職員様の御言葉は、良い所もあるので、有りがたく、受け賜ります。ありがとうございます。
『やめておきましょう、自分の正体は自分が一番知ってるのですから…』
これも、元職員様が、良く使う、表現です。この表現も、『誰か仲間に呼び掛け』てるように取れる、表現に私には、思えますが、余り、他人を疑う事は、しませんので、この御言葉も、元職員様の有りがたい、御言葉として受けさせてもらいす。ありがとうございます。合掌。
以上、私なり、今回、誠実に、元職員様に御返事いたしました。まだまだ、誠実さは、足りないと思いますが、それは、日進月歩、がんばって、行きますので、宜しくお願いがします。
あと、たぶん、辛口の解答や御返事あるでしょが、それは、元職員様とお仲間でお話していただくで、大変感謝いたしましす。
御返事出来る時は、いたしますので、これからも、宜しく、御教授下さい。
感謝敬白、合掌、拝。
906
:
ももんが
:2012/01/27(金) 14:51:55 ID:XXCuaQns
>>900
役行者様
役行者様、御投稿文読ませていただきました。真に、役行者様の御言葉に、同感です。
<< 確かに、そのとおりですね!
真理を実感するための手段・方法論も大切ですね。
より多くの方に、いろいろな手段・方法によって、真理に至っていただきたい!との思いが、たとえば京都の東寺の立体曼荼羅の世界にも表現されてますね。いま、多くの方が東寺に参って信仰を深めています。
ですから、衆生が真理に至っていただくために、如何に伝道していくか、その手段・方法論を皆共に話し合うことも、大切なことと存じます。
ただ、それは卵で例えると、黄身でなく、白身の周辺部分にあたるのではないかと存じます。
その白身の周辺部分である!という自覚のもと、我々の世代で是非、真理に至るためのより良い手段・方法も充実させていくことができれば、それは生長の家が万民に尚一層、お役に立てることができるのではないか!と存じる次第です。>>
そうですね。役行者様の言われてる事は、私と良く似てます。
それと、役行者様の“追伸”の御言葉が、私の思いと共感する思いです。
<< 追伸;高野山は千二百年余りのあいだ、地元の方にはもちろん、衆生に愛されてきました!
それは、真言宗を守ってくれた先達の方々、釈迦をはじめ、三国を伝来途中、求道と伝道に励まれた師、三国伝来途上における神々にたいして、日本の神々、高野山の地元の神々に対して、また、御皇室をはじめ日本を守ってきてくださった方々への篤い報恩感謝の祈りが悠久の昔から、絶え間なく捧げられてきたからと存じる次第でございます。
このことは私、平成の役行者は実感しております。>>
その通りです。いま、『普及誌』を購入すると、植林活動に寄付できるようです。また、こんな、事を書くと、御叱りを受けそうですが、役行者様も御存じと思いますが、高野山の植林は、弘法大師様が、始めらたと聞いております。
今は、世界遺産にも成ってる熊野参道までの、豊か森は、日本の素晴らしい、財産ですね。
現在の教団の行動は、良くない部分も有るのでしょが、弘法大師様のその昔された、事に、照らすなら、良く似た事をされてると、思います。
客観的に、そう思えます。
役行者様、素晴らしい、高野山のお話や、山伏などの、民間信仰のお話、たくさん、出来たら、私も、勉強に成ります。以前、誌友会で、講師の先生が、金光教などのお話をしてくれて、勉強になりました。
是からも、宜しく、お願いがします。
感謝敬白、合掌、拝。
907
:
ももんが
:2012/01/27(金) 15:23:59 ID:XXCuaQns
>>903
a hope様
a hope様、私への御投稿文、ありがとうございました。合掌、拝。
『正法眼蔵』の解説が、行きどどかい無い点は、改めて、感謝申し上げます。
現在は、成るべく、原文の素のままに、拝読して頂いて、例え、意味が、わからなくても、自分の心境と、スーと、入って来る事があるので、良いなと思っておりました。。
a hope様の、御言葉も、心に止めて、解説、出来る所は、解説を行き届くように、勉めたいです。
全て、日々勉強ですので、真に良い御指摘、ありがとうございました。
感謝、敬白、合掌。
908
:
志恩
:2012/01/27(金) 18:38:46 ID:.QY5jUA6
元職員様
「曹源の一滴水」で、ネット検索しましたら、
かなり詳しいことが、いくつもいくつも載ってますね。
一応、それらを全部プリントアウトしてあります。
元職員様の回答は正解だと思いました。
「一切の人と物と事に行く届くべし。」その言葉には、多くの事柄が含まれています。
ももんが様は、この回答に、すばらしいと言われながらも、及第点ではないと言われて、ご不満のようですね。
禅の修行者に
伝えるように、仏教的な、もっと噛んで含めるような仏教用語の諭し言語で、
回答せよということでしょうかしら。ここは、生長の家の掲示板ですのに。
たとえば「小の水には小の用(働)きがあり、大の水には大の用きがある。
用に応じて使うを知恵という」みたいな仏教方言で。
なんでだろう〜、なんでだろう〜、なんでだか、わからない〜〜♬
909
:
ももんが
:2012/01/27(金) 19:20:01 ID:XXCuaQns
トキ様へ
昨晩は、大変ありがとうございました。合掌、拝。
本日は、たくさん、噂話して、くださり、ありがとうございます。
本日は、小用で、○○署に、行きました。
と言っても、警察署では、ありません。
○○署の知り会いと、帰りに、お茶を飲みながら、この掲示板を見せてみました。
○○○メントされてんじゃんと、笑われて、しまいましましました。
そうです。職場なら、○○メントらしいです。
私も、確かに、滑稽な状況であると思います。
差し詰、柳生一族の陰謀とまでは、行きませんが、そうは、取ってまらえる事が分かりました。
昨日の、用なお話は、大変、有意義に感じてます。
私は、昨晩の様に、色々な、お話をして行きたいだけです。
色々、ありがとうございます。
合掌、拝。
910
:
トキ
:2012/01/27(金) 21:17:09 ID:A3Pq4Dgo
>>909
ももんが様
私は無学なので、お役に立ったかどうかは自信はないです。大先達と拝察しますから
お手柔らかにお願いします。
>>本日は、小用で、○○署に、行きました。
一瞬、小便しに警察によったのかと思ってしまいましたよ。(笑)
いろいろとご多忙みたいですね。
個人的な考えですが、生長の家一本で行く人もいれば、禅やカソリックと同時に生長の家
もする人がいて、どちらも素晴らしいと思っています。大事な事は、その人が、どれだけ、
その人生を神様のご意思の通りに生きる事ができるかと思います。ただ、宗教をする人はとも
すれば視野が狭くなる場合が、まれに散見されますから、同時に見聞を広めて、夜郎自大になら
ないように気をつける事も必要かと思います。これは、私の自戒ですから、気にされないでくだ
さい。
しかし、気がつかないうちに、偽物の我が本物であると誤解する時もあるので、その点も
注意したいです。
では、また、宜しくお願いします。今日は所用があるので、先に失礼をします。
合掌 ありがとうございます
911
:
ももんが
:2012/01/28(土) 06:57:22 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日も、素晴らしい朝がやって参りました。さあ、今朝も、寒いですが、嬉しく、楽しく、明るく、感謝、感謝で、生きていきましょ!ありがとうございます。合掌、拝。
〜正法眼蔵・仏性〜
しるべし、いま仏性に悉有せらるる有は、有無の有にあらず。悉有は仏語なり、仏舌なり。仏祖眼晴なり、衲僧鼻孔<なつそうびくう>なり。悉有の言、さらに始有にあらず、本有にあらず、妙有等にあらず。いはんや縁有・妄有ならんや。心・境、性・相等にかかはれず。しかあればすなはち、衆生悉有の依正、しかしながら業増上力にあらず、妄縁起にあらず、法爾にあらず、神通修証にあらず。衆生の悉有それ業増上及び縁起法爾等ならんには、諸聖の証道および諸仏の菩提、仏祖の眼晴も業増上力および縁起法爾なるべし。しかあらざるなり。
〜以下つづく
今日特に、心に響くのは、ここです。
<<しるべし、いま仏性に悉有せらるる有は、有無の有にあらず。悉有は仏語なり、仏舌なり。仏祖眼晴なり、衲僧鼻孔<なつそうびくう>なり。>>
これと、良く似た言葉が、『甘露の法雨』に有りますね。
『物質の奥に、肉体の奥に霊妙きわまりなく完全なる存在あり。これこそ神に造られたる儘の完全なる「汝そのもの』にして、常住健康永遠不滅なる『生命』なり。汝ら今こそ物質を超越して汝自身の『生命』の実相を自覚せよ。』
『悉有』とは、完全なる仏性を表す言葉ですから、
特、『霊妙きわまりなく完全なる存在あり』と言う言い方は、この『悉有』と良く似た表現に思えるしだいです。
良く、上手に説明出来ていないようであるところは、お許し下さい。
皆様も良く、原文を味わって、見てくださりませ。では、本日も、善き日でありますよに。ありがとうございます。合掌、拝。
912
:
ももんが
:2012/01/28(土) 07:09:32 ID:XXCuaQns
>>910
トキ様へ
トキ様、おはようございます。丁寧な御言葉、ありがとうございます。改めて、感謝いたします。合掌、拝。
昨晩のトキ様の御言葉と同じ事を、私も先日述べておりました。
<<すれば視野が狭くなる場合が、まれに散見されますから、同時に見聞を広めて、夜郎自大になら
ないように気をつける事も必要かと思います。これは、私の自戒ですから、気にされないでくだ>>
この事は、見方は、大切であると思います。
色々、心尽くし、ありがとうございます。
感謝敬白、合掌、拝。
913
:
役行者
:2012/01/28(土) 09:39:14 ID:qF94Uk/s
ももんが様
>いま、『普及誌』を購入すると、植 林活動に寄付できるようです。<
知ると知らずと、寄付されているのでしょうね。
それは有意義な企画ですね。
普及誌の愛行がそのまま、植林をとおして環境保全に貢献していることになるわけですから・・・
>役行者様も御存 じと思いますが、高野山の植林は、弘法大師様が 始めらたと聞いております 今は、世界遺産にも成ってる熊野参道までの、豊か 森は、日本の素晴らしい、財産ですね 。
現在の教団の行動は、良くない部分も有るのでしょ が、弘法大師様のその昔された、事に、照らすな ら、良く似た事をされてると、思います 。客観的に、そう思えます。
役行者様、素晴らしい、高野山のお話や、山伏など の、民間信仰のお話、たくさん、出来たら、私も 勉強に成ります。<
今の教団は世間からみると、環境保全活動をされているわけで、何の悪いイメージもないでしょう。特に、信徒から法外な寄付金を強いているわけでもなし、世間からみると教団として悪徳を積むようなことはされてないと思います。
ただ、教団内において初代の教えが不透明になってきたことが問題視されているのは確かでしょう。
もっともそこから、すべての問題が浮上してきていると思いますが・・・
環境団体なら良いのですが、宗教団体なのに宗教的要素がみえなくなってきてるということを問題としているのでしょう。
それは、先達の方々にとっては何とも、口惜しく、寂しいことであろうかと存じます。
つまり、そういうことで、端から見たら、カルト的要素はまるで感じない、健全な団体に映っていると思われます。
できれば、その上にカルト色ない伝統・文化に根ざした荘厳な宗教的な要素も加わればこのうえないのですが・・・
弘法大師のこと、山伏のこと、機会ある毎に、お話できればなあ!と思ってます。
合掌
914
:
a hope
:2012/01/28(土) 10:42:44 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
人間の目的は「神の子」の値打を出すこと
人間は成功が目的ではない、立派な人間になることが目的なのです。
神様は人間の中に、「立派な人間」(神の子)を生みつけておいたのです。
「立派な人間」がこの身体の中に、私達の生まれたときから生みつけられているのです。
それは朝顔の黒っぽい種のうちに、赤や紫の美しい花が、はじめから生みつけられていたのも同じことです。
朝顔の黒っぽい種が地上に植えつけられたのは、黒っぽい種のままでいることではなく、
赤や紫の美しい花を咲かさんがためなのです。
人間がこの地上に生まれたのも、ただゴロゴロと石塊(いしころ)のように懶(なま)けているためではなく、
自分の中に生みつけられている「立派な人間」の値打ちを、人生(このよ)の花として咲かさんがためなのです。
金ばかり造って「立派な人間」になれないのは、葉ばかり繁って美しい花の咲けない朝顔と同じことです。
肉体ばかり達者で、「立派な人間」になれないのは、茎ばかり伸びて美しい花の咲けない朝顔と同じことです。
せっかく、朝顔の種を植えたのに美しい花が咲かなかったら、その朝顔を植えたあなたは失望するでしょう。
せっかく、神様が「神の子」の美しい値打ちを咲かすような人間を地上に生み出されたのに、
その人間が「神の子」の美しい値打ちを咲きださなかったら、神様は失望なさるでしょう。
人間は地上に「神の子」の値打ちを出すために生まれたのですから、しっかり勉強し、仕事をし、
誰にでも深切になり、仲よくなり、「神の子」お値打を出して、この世に人間が出た目的を果たすようにいたしましょう。
(つづく)
みなさま おはようございます。
ここのところ、学校でインフルエンザによる学級閉鎖が相次いでいます。
この時期は、毎年のことなのですが、わが家の子どもたちも、
少し熱があったり調子が悪かったりすると、すぐに学校から連絡があり、引き取りにいきます。
そして、病院でインフルエンザの検査をして、結果を学校に報告しなければいけないのです。
子どもが多いとなかなか、大変です。
今朝は、家族そろって、いつもより遅く起きました。
この週末、体を十分休ませて、来週も元気に学校に行ってもらいたいです。
みなさまも、この週末、あまり無理をせす十分に体を休ませて下さいね。
915
:
復興G
:2012/01/28(土) 11:48:31 ID:ojEbkDH2
ももんが様。
あなたは、<869>で
>私の実家にある、雅春先生在世時の講習の録音テープで、雅春先生は
『時代がかわり、生長の家の総裁が、替わり、教えが、変わったと言って、教団を離れるような人は、例え、幹部や講師であっても、その方は、現象を信じてる人で、実相を信じてる方ではない…』と雅春先生は言われます。<
と書かれました。私は「──このお言葉、とても重いですね。よくよくかみしめさせて頂きます」とレスしました。
そのあと、「元職員」様が<871>で
>この録音はいつの講習会でしょう。録音は関係者しか出来ません。確認が不可能な事は書き込まないでください。<
と疑問を呈されています。
ももんが様。私も、この元職員様の疑問にお答えいただきたく、切望いたします。
なぜなら、上記谷口雅春先生のお言葉が真実なら、私も今、現総裁に対する不信感がありましたから、考えを改めねばならぬと思ったからです。
谷口雅春先生の講習会御講話は、世界聖典普及協会から正式に発売頒布されたものがたくさんあります。私も5本ほど持っています。
「人生必勝の真理」
「真・善・美の生活」
「「一即多」の真理」
「創造者への道」
「日本建国の理想を成就するには」
の5本です。
谷口雅春先生の講習会でこっそり私的に録音したものがあるとは聞いたことがありませんから、ももんが様のご実家にある録音テープというのも、普及協会から頒布されたものであろうと思われます。ぜひ、どのテープにありましたか、お教えいただきたく切望いたします。
916
:
復興G
:2012/01/28(土) 12:03:07 ID:ojEbkDH2
<915>の追伸です。
上記5本の御講話テープは、すべて
「谷口雅春先生講習会御講話シリーズ」と銘打たれてあるものです。
なお、私は「現総裁に対する不信感がありました」と申しましても、だから教団を離れようと思ったわけではないことを付け加えさせていただきます。
917
:
復興G
:2012/01/28(土) 13:04:13 ID:ojEbkDH2
a hope さま。
谷口雅春先生の『人生読本』を筆写してくださいまして、ありがとうございます。
『人生読本』は、本当に子供でもわかるようにやさしく書かれていて、しかも大人の魂にも新鮮に響くものがある、すばらしい名著ですね。
私の家には、『人生読本』が6冊ありました。今は3冊になっていますが……
なぜ6冊もあったかというと、子供が小さかった頃に、6冊買い求めて家族6人で毎日『人生読本』の輪読会をやっていたからです。もう四十数年前のことです。『人生読本』には全部ふりがなが振ってありますから、末の娘はまだ小学校にも上がらない幼稚園生の頃から、かなを覚えふりがなを頼りに一所懸命読んでいました。その末娘も今は40台。小学校の教員もしながら子育てをしてきました。『人生読本』の真理がしっかりと深層意識に植え込まれたので、子どもたち4人、孫たち4人も、みなたくましく立派に育っています。涙が出るくらい、ありがたく、うれしいことです。
その、『人生読本』をいまa hope さまがまた筆写してくださっているのは、本当にうれしい思いです。
ありがとうございます。
918
:
a hope
:2012/01/28(土) 17:01:34 ID:kcv2QXTk
復興Gさま
あたたかいコメントをありがとうございます。
復興Gさまには、以前、トーキングスティックボードで大変お世話になりました。
ひとりで勉強していたのでは、とてもあのような大きな「気付き」には至らなかったと思います。
本当に、この掲示板のみなさまには、いつも感謝の気持ちでいっぱいなのです。
「人生読本」の筆写も、この掲示板の投稿者の方々や、閲覧して下さっている「生長の家」の方々と、
心を通わせたい一心でしているのです。
復興Gさまのお宅でも、40年以上前に「人生読本」の輪読をされていたのですね。
良い本と言うのは、何年たっても、内容が色あせず、魂に響くものなのですね。
これからも、子どもたちへの読み聞かせ(輪読もいいですね!)と、この掲示板への筆写、
楽しみながら続けていきたいです。
これからの発言は、復興Gさまへのコメントではないのですが、どこの板で発言していいのか、
わからないのでついでにこの板でさせていただきます。
わたしは、教団にいた期間がとても短いので、みなさまのお話にあまり参加できませんが、
そんな、わたしが今とても番気になっていることがあります。
それは、今回発売された、「新編生命の實相」を読んだどなたかが、「生長の家」に興味をもった場合、
いったい、どこの団体に入信するのだろうかということです。
わたし自身、偶然、「頭中版 生命の實相」を読んで、魂を震わせて、現教団に入信しました。
その結果が、精神不安と体調不良でした。
本屋さんで、「新編 生命の實相」を手にしたどなたかの、せっかくの「生長の家の真理」に目覚めかけた魂を、
今のこの「生長の家」の状態では、傷つけることになってしまうのではないかということです。
ですから、わたし自身は「新編 生命の實相」の発売を、なぜそのように急がれたのか、そこのところがよくわかりません。
すべての生長の家の問題が解決してから、生長の家の和解が成立してから、発売した方がよかったのではないかと思っています。
しかし、現実には、もう発売されました。
あとは、一日も早い和解を願うだけです。
先輩方、どうぞよろしくお願いいたします。
919
:
a hope
:2012/01/28(土) 17:10:21 ID:kcv2QXTk
訂正
上から21行目
わたしが今とても番気になっていることがあります。→
わたしが今とても気になっていることがあります。
上から26行目
「頭中版 生命の實相」 → 「頭注版 生命の實相」
920
:
SAKURA
:2012/01/28(土) 18:00:44 ID:zrpEHTE.
トキ様 へ
日本は古代から「仏教国…」です〜〜ネ!
しかし、歴史的には…既に!!!壊れています…。
それは、「明治時代…」からでしょうか?
以前は…「神社・寺院…」これは、同じ敷地内にあった記憶があります…。
江戸時代に入りまして、徳川???(詳しく忘れてしましましたが?)
当時…此の事をかなり長期にわたり調べまして…
明治時代…此処にいたりましてから、現時点の様な体制…!!
つまり「神社・寺院…」各々“独立したモノ…敷地も…含めまして”
になった様な記憶があります…。
■>893 「ももんが様 投稿」文章の中にて…
>生命の実相に出てこない、宗教者もいるし、宗教上の儀式や修行なども、存在してます。
例えは、高野山の曼荼羅は、いったい、なんの為に、あるのか?
あれは、言葉や文字の違いを超えて、多くの人々に、仏の世界、仏教の世界を理解させる為に、ある事を、ハマナス様は、ご存じでしたか?
私も、昔、高野山に行きまして、儀式も体験してきました。
高野山と言うところは、高野山その物が、仏の世界(曼荼羅)に成ってるらしいです。
曼荼羅や仏像は、儀式に使うのですが、それを、信徒にするだけで、仏の世界をバーチャルリアリティーに体験出来る仕組みに成っているのです。
生長の家で言う『深層意識』に、仏の世界を植え付ける仕組みなんです。
御坊さんが、御説教したり、御経読ませるより、目で見て、心で捉えるやり方は、現代の映像主義的発想ですね。
こうした、方法が、日本の宗教の中に、有ることは、素晴らしいのです。
ただ、余り生かされては、いないとは、残念に思うしだいです。
雅春先生は、こうした、事は、余り書いておられないのも、また、残念な、事です。<
<続き> No.1
921
:
SAKURA
:2012/01/28(土) 18:01:52 ID:zrpEHTE.
<続き> No.2
この解釈は…???
お亡くなりになられましたが…「河口湖の故!鹿沼先生…」のお言葉(解釈論)も含めまして…?
■この【曼荼羅…】は、(ある書物抜粋…)
二次元の単なる仏尊の配置図ではない…。
そこには、地・水・火・風・空 の五大世界の上に仏の楼閣がそびえ、
宇宙の根源によって“プログラミング”されました「物質と精神の構造」が、
示されています…。…云々
曼荼羅の世界に没入する事…それは微細と無限を凝縮しました四次元宇宙を旅する事に
他ならない…。
此の文章からも…人間は「霊的人間…」つまり何処にでも自由自在に〜〜動けます…。
従って「肉体人間…」ではないという事です…。
自由自在…という事は?更に申しますと…無限!!そうです!広大無辺!!
広がりますよ〜〜ネ!つまりは…【無限力…】になるのでしょうかしら〜〜ン!!
【霊的人間…】という事に、解釈してよろしいのでしょうか…?
■更に…「生命の実相…」の中で…(一部抜粋)
理としての神のみを見、神の義の正しさだけを高潮すれば、50の罪に対しては、
50の報いと償いが要求されて【因果の法則】の内に縛られてしまう事になるのであります。
しかし愛としての神は、動きのとれない因縁を自由に曲げる事ができ、
それは人情深いところがあり、寛容であり、…云々…
神はこの様に一方では曲げられないところの義であると同時に、
自由自在に、曲がるところの愛でもあるのです…。そして、義の神、または、
理に神は哲学的存在です…。
ところが、愛としての神は自由自在に曲げる事ができ、観世音菩薩のごとく三十三身に現れて、どんな罪でも慈愛の力で無に化してしまうのです。
罪悪深重、小慈小悲もなき五濁の凡夫も念仏すれば救われると真宗でも説くのも、此処から出発するのです。
此処の文章の中で…今・疑問点は…自由自在に「三十三身…」現れる事が出来ても…?
解釈として「悪業…」これは刈り取らなければならないのではないのでしょうか?
その人の、潜在意識の深層部を変えない限りは…時間空間により必ず再現するものと、
私は思うのですが…??
■トキ様…この点は「曼荼羅…」の解釈も含めましてどのようにお考えでしょうか??
■最終的には…雅春先生の【甘露の法雨…】に記述されていますが…
【久遠生命の神示…】
当に!!此の「曼荼羅…」解釈と共通するものが記載されていると思います…。
話は変わりますが…
【現!!高野山…】真言宗は…本来の「弘法大師・空海時代…」よりも、
かなり変わっていますし…どうかしますと…
「高野山より??」とかいろいろな問題があるようです…。
一 番は…【真言密教…】でしょうか?更に!!【天台真言密教…】…etc
但し、これは…法律上規定がなされていたかしら〜〜ン??
歴史的には…隠されました部分が???かなりあるようです…ネ
再合掌
922
:
復興G
:2012/01/28(土) 19:54:12 ID:ojEbkDH2
>>918
:a hope さま。
>わたしが今とても番気になっていることがあります。
それは、今回発売された、「新編生命の實相」を読んだどなたかが、「生長の家」に興味をもった場合、いったい、どこの団体に入信するのだろうかということです。・・・・・・本屋さんで、「新編 生命の實相」を手にしたどなたかの、せっかくの「生長の家の真理」に目覚めかけた魂を、今のこの「生長の家」の状態では、傷つけることになってしまうのではないかということです。
ですから、わたし自身は「新編 生命の實相」の発売を、なぜそのように急がれたのか、そこのところがよくわかりません。すべての生長の家の問題が解決してから、生長の家の和解が成立してから、発売した方がよかったのではないかと思っています。
しかし、現実には、もう発売されました。あとは、一日も早い和解を願うだけです。
先輩方、どうぞよろしくお願いいたします。 <
──そうですね。「大調和」を説く生長の家ですから・・・・・・
しかし谷口雅春先生は、『生活と人間の再建』というご本の「第11章 信仰生活の種々相」というところに、次のようにお書きくださっています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
吾々は直に小さな「現象の善さ」を求める。然し、神はもっと立派な「魂の善さ」を与えようと欲していられるのである。吾々が神の前にさし出す盃が余りにも小さいのである。吾々はもっと大きな盃をださなければ神の愛と恵みを完全に受けることはできないのである。神は吾々が形ある小さきものの成就を求めたのを契機に、形なき宇宙に拡がる魂の喜びを与えようとしておられるのであるということに気がつかなければならないのである。
解決を神の方法に委せ切れ
もし吾々があらゆる方面に行きつまって何事も思うように行かないというような状態が信仰を得た後に、毎日祈っているにも拘らず現れたとしたならば、吾々は喜ばなければならないのである。それは大地がわれる程の大きなものが下から芽をふきつつあるのである。地面が動きだしたからといって、その地面の動きを征服しようと戦ってはならないのである。またその地面を平かにしようと鍬や鋤を加えてはならない。吾々は驚いたり騒いだりしてはならないのである。吾々は神に全托しなければならない。神は「神の方法によって」吾が祈りにこたえ給うのである。・・・・・・(後略)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
この第11章はとても素晴らしく、今の私たちにぴったりのことではないかと想われますので、全章を謹写させていただこうと思います。
<つづく>
923
:
復興G
:2012/01/28(土) 19:55:08 ID:ojEbkDH2
●谷口雅春先生著『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より謹写(1)
第十一章 信仰生活の種々相
信仰の満潮期と干潮期
吾々が真理にふれる時、そして神との接触が行われたと自覚された時、凡ゆる方面に吾々の生活が輝いて来て、病は癒やされ、家庭は調和し、事業は繁盛におもむき、「行く所可ならざるなし」というような状態になるのが普通である。そういう時にその人は信仰に熱がのっていて、所謂る「感激中」というような状態になるのである。所がその感激中は、そう長くは続かないのであって所謂信仰の「干潮期」がやってくるのである。最初に自分を感激せしめたその同じ真理が、今では一向自分を感激せしめないし、それに伴って自分をとり囲んでいる物質的環境も順調に行かなくなって色々の悩みやいらいらしさが現れて来るのである。
ある場合には、自分自身又は家族の中に突然の病気が現れて来たり、愛する者との間に何か紛争が捲き起って来て耐えがたいような状態を演出することもある。暗黒が自分の周囲をとじこめて、迷宮はますます迷宮に入り、再び真理の光を見る望みは失われ去ったようであり、ともすれば、自暴自棄になろうとする。病気や周囲の不調和そのものの苦しみよりも、一度はあんなにも奇蹟を現して、自分に輝く世界を見せてくれていた真理が、今は何の効果もなく、この悩みを解決する力を失ったという事の打撃の方が、尚一そう痛切に感じられるのである。もう拠り所がない、もう掴むべき一筋もないというような時が往々にして訪れる。淋しい信仰の頽廃期である。
真理の種子は暗黒の中にも生長する
かかる時吾々の魂は叫ぶ。真理は無力なのか? 信仰は無駄なのか? 祈りはきかれないのか? 否、否、祈りはきかれているのである。真理は有力に働いているのである。吾々はそれに対して信仰をもたなければならない。ただぐらつきかけているのは自分の信仰だけである。暗闇の中でも心臓は鼓動し、肺臓は呼吸して吾々を生かしている。かように、真理は吾々の暗黒期の中でも有力に働いていてくれるのである。祈りはきかれてすべてが順調に進んでいるのである。暗黒に見え、逆境に見えている時にさえも、真理の種子はそこに生長し、祈りはそこに実現すべく働いているのである。祈りによって蒔かれたる真理の種子は潜在意識の暗黒の大地の中に蒔かれていて、そこには日光が射さないけれども、種子は次第にふくらみかけているのである。そして、緑の小さい芽がその胚芽から生長し出でつつあるのである。吾々は一旦自分の潜在意識に蒔かれたる真理の種子が、もう芽をふかないかと思って、掘りかえしてみるような愚かな事をしてはならないのである。吾々が種子を目に見えない地面の中に植えつけて、その発芽するのを大地の力に任せてしまうかのように、吾々は祈りの結果を、祈りによって蒔かれたる真理の種子の生長を、神のみ手に完全に委ねて、神が神の方法によってそれを適当な時期に適当な形で、芽を出し茎をのばし、葉を広げ、蕾をつけさせてくれるまで待たなければならないのである。神に任せてこの待つ心のないものは遂に美しき花を見ずに終るかも知れないのである。
<つづく>
924
:
復興G
:2012/01/28(土) 19:56:13 ID:ojEbkDH2
●谷口雅春先生著『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より謹写(2)
「現象の善さ」よりも「魂の善さ」を
一たん蒔かれたる真理の種子は、吾々阿が信念の欠乏から、掘り返してみない限りは必ず膨脹し、必ず根を拡げ、必ず芽を出し、頭をもたげ、土を破るのである。その結果は破壊と振動とがその周囲に起るのである。それが起らないようでは、その祈りが効果があったというに足りないのである。新しい大きな芽が頭をもたげる時には大地の周囲が破壊するのである。かくて古きものは破壊し新しきものが現れるのである。周囲に起る不調和と見えたものは吾々が祈りを求めた新しき状態に移るために古き状態が真理によって爆撃されつつある光景にすぎないのである。これを吾々は「迷いの自壊作用」といって来たのである。この自壊作用そのものの中に神が吾々の祈りに応じ給うた解答があるのである。吾々はその変化の中に、擾乱の中に、不調和の中に、病気の中に、周囲の反抗の中に、祈りの実現しつつある過程を見て、感謝し得るだけの智慧をもたなければならない。吾々に必要なのは形の世界がすぐに調和してしまうということではないのである。神の求め給うのは吾々の生命の進化であり、魂の発達である。そんな擾乱の中に於いてすらも、その奥に神の智慧と愛との導きのあることを見得る所の魂の発達こそ、神が吾らに課し給うた所のものであるのである。吾々は直に小さな「現象の善さ」を求める。然し、神はもっと立派な「魂の善さ」を与えようと欲していられるのである。吾々が神の前にさし出す盃が余りにも小さいのである。吾々はもっと大きな盃をださなければ神の愛と恵みを完全に受けることはできないのである。神は吾々が形ある小さきものの成就を求めたのを契機に、形なき宇宙に拡がる魂の喜びを与えようとしておられるのであるということに気がつかなければならないのである。
解決を神の方法に委せ切れ
もし吾々があらゆる方面に行きつまって何事も思うように行かないというような状態が信仰を得た後に、毎日祈っているにも拘らず現れたとしたならば、吾々は喜ばなければならないのである。それは大地がわれる程の大きなものが下から芽をふきつつあるのである。地面が動きだしたからといって、その地面の動きを征服しようと戦ってはならないのである。またその地面を平かにしようと鍬や鋤を加えてはならない。吾々は驚いたり騒いだりしてはならないのである。吾々は神に全托しなければならない。神は「神の方法によって」吾が祈りにこたえ給うのである。自分の我の心で「神の方法」を批判してはならない。かかる時に於いて我らの祈るべき言葉は、
「神よ、あなたの無限の智慧を以って吾を導き給え。神よ、この解決を貴方の方法にお任せ致します。今起っている事件の意義を知り得る智慧を与え給え、そしてこの試みに耐えてわが魂の発達致しますように」というようでなければならないのである。
もし吾々が、祈りにも拘らずそこに現れた不完全な状態と見えるものに対して、恐れ戦き、或は周章狼狽し、我の心でその状態を変化しようと努力するならば、折角「神よあなたの方法にお任せ致します」と祈ったその祈りを、取消してしまうことになり、神の智慧に逆いて我の智慧を行使することになり、結局、祈った事物の実現をおくらしてしまうことになるのである。
祈りは我々が神のみ心に対して完全に任せきり、「神の方法」に逆わなくなった時に、もっともなめらかに実現するのである。然しこれは時としては甚だ難しいことがあるかも知れない。ある場合には、今迄かくも愛し、かくも恩恵を与えてきた相手が自分に反抗して立ち、自分に矛を向けて、小さな欠点を鵜の目鷹の目で探しだし、恩を仇で返すような仕打をしてくることがあるかも知れない。そのような時に、普通ならば吾々は彼を憎み、自己を弁護するために、彼と同じように彼の欠点を数えあげて相手を傷つけたくなるであろう。然しそれでは決して神のみ心にかなうやり方ではないのである。かかる状態が自分の目の前に現れたということは、自分の魂がそれによって磨かれて、かかる敵をすらも愛する力を、わが魂に実現せんがための、神の摂理であるのである。
<つづく>
925
:
復興G
:2012/01/28(土) 19:57:05 ID:ojEbkDH2
●谷口雅春先生著『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より謹写(3)
彼の反抗は業の自壊作用
更にそれはあなた自身の魂を磨かんがための課題として現れた状態であるばかりでなく、恩を仇で返そうとしているようなその人の誤れる「精神傾向」が自壊せんがために一遍に爆発しつつあるのである。我々の祈りが彼の誤れる「精神傾向」の火薬庫に焼夷弾を投げこんだのである。焼夷弾は小さくとも、彼の潜在意識の蔵の中に貯えられている業の爆弾は大量であるのである。だから彼は自分に対してはげしく反抗して立つかの如く見えるのである。それをただの「反抗」であると思ったり、「状態の悪化」であると思ってはならないのである。それはただ真理の焼夷弾が彼の「精神傾向」の悪さを爆破せしめつつあるのである。彼自身も何故そんなに反抗したくなるのか、意地悪をしたくなるのか、その意味がわからないのである。ただ内部から大きな力で揺り動かされるような感じである。とめようと思っても内部から爆発してくるその力がとまらない。もしあなたが、彼のその内部的な業の自壊作用を理解することができるならば、あなたは彼の反抗や、意地悪に対して同情することができるのである。そしてその彼の感情の爆発の奥に目覚めつつある実相の善さを拝むことができるのである。そして一そう彼を愛し、平和の心を以て彼に対し「祈りはきかれつつある」と自覚して感謝することができるのである。
祈りの反応としての不調和
祈りの反応として現れて来る不調和な状態の中には、時として自分自身が病気になり、時として自分の愛する家族が病気に罹ることがあるのである。そんな時に祈りの効果を疑ってはならないのである。それはむしろ祈りの効果が現れつつあるのである。すべて古きものの破壊は新しきものの実現の場所を造りつつあるのである。発熱の中に、発疹の中に、下痢の中に、古きものが燃焼しつくされ、排泄され、新しき組織ができつつあるのである。これは祈りの応答として、神があなたに病気を課しつつあるのではないのである。肉体は魂の「機関」であり、精神の「座」であるから、発達せる魂が、尚一そう自由なる精神をその機関を使って働かせんがために、必要なる所の改造が行われつつあるのである。それは肉体の不調和の状態の如く見えているかも知れぬけれども、それは病気でもなければ不調和でもないのである。魂の機関が、精神の座が、それによって浄められつつあるのである。祈りの応答としてのかくの如き肉体の状態の意味を吾々が本当に知ることができるならば、吾々はその肉体の状態に対して、否、その奥に動いている所の浄化作用に対して「ありがとうございます」と感謝しなければならないのである。
「無抵抗」の有つ不可思議力
環境や周囲の擾乱に対して、それと戦うことを止め、それを「迷いの自壊作用」と認めて尚一そう相手を赦し愛する気持になった時に、速かに周囲に光明輝く状態が現れてくるのと同じように、かくの如くにして起った病気に対して、その病気の意味を理解し、それに感謝するようになった時、自分の病気が、或は自分の家族の病気が奇蹟的な迅速さを以て回復することがあるものである。
「悪に抗すること勿れ」「汝をなやめ責むるところの敵のために祈れ」とキリストがいった言葉の真理が又ここにもあてはまるのである。
吾々は他を赦すことによってのみ自分が赦されるのである。旧約の救いは「目にて目をつぐない、歯にて歯をつぐなう」自力の行によって行われたのであるが、新約の救いは、キリストの愛と恵みによって行われるのである。吾々は「キリスト」を通じて、過去に如何に多くの罪業があろうとも救われるのである。私のいう「キリスト」とは二千年前に生まれた肉体イエスのことではないのである。キリストとは「自己の内に宿る無限の赦す心」であるのである。キリストは「七度を七十倍度赦せ」といったのである。「赦す心」がキリストである。我々が「赦す心」を自分の内に起した時に、キリストは自分の内に宿っているのである。キリストは「我は道なり、真理なり、生命なり」といい、又「我は扉なり、もし誰にてもあれ吾より入るものは救わるべし」といったのである。吾々が人を赦す時我が内に真理が生き、生命が生き、キリストが生き、そのキリストの扉を通して、常楽の世界なる天国に入ることができるのである。
<つづく>
926
:
復興G
:2012/01/28(土) 19:59:59 ID:ojEbkDH2
●谷口雅春先生著『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より謹写(4)
祈りを一層効果あらしめるには
吾々が、もし祈りを効果あらしめんと欲するならば、人を赦さなければならないのである。もし吾々が一つの罪に対して必ず一つの報いを受けるという法則の世界に於いて生活するならば、吾々は決して赦される時は来ないのである。吾々は今迄自分が生活する為に無数の生きものを殺して来たのである。もし一つの殺生を以て一つの殺生に報いられるというのであるならば、吾々は幾度死刑の執行をうけても赦されようがないのである。かくの如く現象面から見るならば罪の深い深い人間なのである。それが赦されるためには神の無限の大慈悲の中にとびこまなければならないのである。然し神の無限の大慈悲の中にとびこんだ所が自分自身が「赦さない」固い心をもっている限りに於いて神の大慈悲の波長と、波長が合わないのであるから依然として赦されないでいる外はないのである。
吾々が心の中に「赦し」の念を起す時「赦し」の法則が自分の心の中に行われ、そこに自分に宿っている「赦し」(キリストの救い)が実現するのである。我々が深い信仰を以て赦しの言葉を心の中で唱える時、一切の罪の報いは消滅してしまうのである。原因結果の法則を超えて救いの世界へ超入する道は、自分自身が「赦し」の心を起して、「赦し」なる神の愛と一体になる必要があるのである。もし吾々が如何なる罪を犯しておろうとも、真に自分があらゆるものを救すことができる心境に達すれば、神の赦しの波長はそこに実現し來って、自分自身が赦される事になり、自分自身が完全なる自由を獲得することができるのである。
他の悪を認めてはならない
吾々が神の救いにあずかろうと思うならば、神と同じ心境にならなければならない。神は完全なる善であるから、神は悪を感ずることができないのである。それは恰度光は暗を感ずることができないのと同じことである。吾々が悪を感じ得るのは、少なくともわが心の中に悪の波動が起るからである。我々が、「赤い色」を感じ得るのは自分の心の中に「赤い色」の波動が起るからである。赤色色盲に於いては、心の中に「赤色」の波動が起らないが故に、「赤色」を見る事ができないのである。神に於いては、一瞬間といえども、「悪」の波動が起らないが故に、神は吾々の「悪」を認め給うことは決してなく、従って吾々の悪を罰し給うこともないのである。吾々が神の救いと完全に波長を合わせようと欲するならば、吾々自身が神と等しく、一切の悪を認めない心境にならなければならないのである。神は吾々の愛深き父であり、神の子たる人間の唯「善」のみを見給うのである。その如く吾々人間も、すべての人間の内にある「神なるもの」「完全なるもの」「人間の実相」「内に宿るキリスト」を見て礼拝しなければならないのである。そこに如何なる悪と見えるものの前にも、それも見ない所の無限の赦しが生ずるのである。
法華経に於ける常不軽菩薩はすべての人間を、「仏なるもの」として礼拝し、石で打たれてさえも、更に相手を仏なるものとして礼拝したのである。キリストは十字架につけられながら、一緒に磔にかかっている盗賊に対して「次の日、汝は我と共に天国にてあらん」といって悪を見ないで天国にいる神の子人間を見たのである。
<つづく>
927
:
復興G
:2012/01/28(土) 20:01:49 ID:ojEbkDH2
●谷口雅春先生著『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より謹写(5)
光に対して眼をひらけ
人は罪を犯したが故にとて、神に跪いてその赦しを求めるのであるが、罪とは果たして何であるか。罪とは実相に対して目をつぶっていることであって、それは眼をつぶった目に光の存在しないと云うことにすぎないのである。それは罪という実物が存在するのではなくして、光に対して目をとじていることだけの消極的状態にすぎないのである。吾々は唯目を開けばよいのである。ただ赦せばよいのである。余りに赦す心なく、心のレンズを絞るから光が入らないのである。自分自身の心を小さく絞ることをやめよ。
祈りは、結局心の思いであって、心の中に想い浮べた相の通りが形に現れてくるのである。人に対して憎みながら、「幸福が来ますように」と祈ることは雑草を蒔きながら「米を刈りとらせて下さい」と祈るのと同じことである。吾々が人を憎めばその憎みが自分に戻って来て刈りとられるのである。吾々が肉体を大切にしないならば、肉体は吾々を大切にしないであろう。吾々が金銭を大切にしないならば、金銭は吾々を大切にしないであろう。吾々が人間を大切にしないならば人間は吾々を大切にしないであろう。吾々は、与えた所のものが与え返されるのであるということを知らなければならない。吾々がある人を傷つけるならば、その報いはその人からかえって来ないことがあるかも知れないが、他の人から同じような害を自分に与えるようにかえってくるのである。吾々が甲に対して出し借みをするならば、乙は私に対して出し惜みをするであろう。
原因結果の法則の世界
このようにこの世界は原因結果の法則に支配されているのである。憎みや、怒りや、復讐のパイプを造って置いて、そこから平和や喜びや、幸福が流れこんでくると考えてはならないのである。他から奪うような方法によって、富んで見ても、その富は又他から奪われるか、そうでなければ他の方法でその人の幸福は奪われるのである。
多くの富める人の生活につきまとうものが、家族の病気や、家庭の不調和や、団体と団体との面白くない葛藤等によって起る不幸であるということは、その富が他から幸福を奪った結果得られたような部分があるからである。人の幸福を奪うものは、又自分の幸福が奪われるのである。
<つづく>
928
:
復興G
:2012/01/28(土) 20:02:38 ID:ojEbkDH2
●谷口雅春先生著『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より謹写(6)
光は影を見ない
吾々が真に幸福になろうと思うならば、「悔い改め」が必要なのである。「悔い改めよ、天国は実現せん」とキリストは教えているのである。吾々はすべての罪の穢れから脱却して幸福になろうと思うならば、人の罪を赦さなければならないのである。如何なる人が、いつどこで、如何なる罪を犯しておろうとも、そんなことは問う必要はないのである。如何なる罪も、罪を見給わない神の前にひきだされた時、それは「雪よりも白く」浄められてしまうのである。光は影を見ず、神は罪を見給わないからである。吾々は自分勝手に人の罪にひっかかって、自分の心を苦しめる必要はないのである。吾々が人の罪を赦した時自分の心の重荷はとりさられてしまうのである。
吾々に「悔い改め」は必要であるが、常に罪の記憶で悩んでいてはならないのである。罪は光に反して立った時の影のようなものであるから、「悔い改め」即ち光に面して立った時にはすでに過去の罪はないのである。吾々は他の人を赦すと共に、自分自身も赦さなければならない。過去の一切を投げ出して光の方に直面すればいいのである。その時たちまち諸々の罪は消えて「雪よりも白く」吾々は浄められるのである。
マグダラのマリヤが過去の罪を悔いてただひたすらキリストの足の前に全身を投げ出した時、その刹那、彼女は救われたのである。多くの罪の為に「石にて打ち殺されんとする女」に対してキリストは、「吾も汝を罪せじ、行きて再び罪を犯すな」といっているのである。しかし再び光の反対をふりむく時、暗が現れるかの如く罪も再び現れるのである。だから「再び罪を犯すな」である。この真理を知らなければならない。人の罪に対して吾々が心をふりむけた時自分自身の心が罪で汚されてしまうのである。だから吾々は、他の人の悪と不正に対して心をふりむけることをやめなければならない。吾々が罪から解放される所の道は、吾も亦他の罪を釈放する所にあるのである。吾々がもし真に愛深きものであるならば、その人の善き所を探すのに忙しくて「悪」を心に記録して数えあげるような暇はない筈である。
キリストは、自分をとらえに来た者をも赦して、ペテロがそれに対して剣を抜いて戦おうとしたのを押しとどめ、ペテロに耳を斬られて倒れている兵隊を愛の心によって癒してさえいるのである。キリストは形の上では磔になったけれども、心の世界では世界を征服し給うたのである。愛と赦しとはもっとも大いなる力であって、それのみが全世界を救うのである。
多くの人達は人の罪に対して長くぐずぐず思い患い、放さないために夜の目も眠れず色々の肉体的故障を起している人も随分沢山あるのである。かかる原因で起っている病気はただ赦すことによってのみ、神の「癒す力」を自己の中に解放することができるのである。
吾々はすべて、(特に病める人々は)眠りしなに神想観を行い、昼の中に色々の問題に対して起した所の怒り、憎み、争い、嫉妬等の感情を心から拭い去るようにしなければならないのである。それは次のように心の中で思念するのがいいのである。
「吾は神の子である。神の霊が宿っているのである。神の無限の愛が今全ての人の罪を赦し給うのである。そして自分の罪をも赦し給うたのである。自分は今神に赦されて全ての罪は消えたのである。自分は自由である。ありがとうございます。」
かく念じて神の愛を深く自己の内に実感し他をも赦すのである。この習慣をつける時信仰の暗黒時代は速かにすぎさって光明に面することができるのである。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ありがとうございました。合掌
929
:
トキ
:2012/01/28(土) 20:12:56 ID:EOJvaMrw
復興G様
すばらしいご投稿、ありがとうございました。
ご多忙の中、聖典をご紹介下さり、深く感謝申し上げます。
今後とも、ご指導のほど、宜しくお願いします。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
930
:
復興G
:2012/01/28(土) 20:14:41 ID:ojEbkDH2
誤字訂正お願いします。
<924>のはじめの方で
× 一たん蒔かれたる真理の種子は、吾々阿が信念の欠乏から・・・・・・
¡ 一たん蒔かれたる真理の種子は、吾々が信念の欠乏から・・・・・・
失礼致しました。
931
:
トキ
:2012/01/28(土) 20:33:21 ID:EOJvaMrw
>>912
ももんが様
信仰のあり方というのは、難しいです。
やはり、毎日、脚下照顧の姿勢が必要だと思う次第です。
合掌 ありがとうございます
932
:
かぴばら
:2012/01/28(土) 21:05:20 ID:3ZrLMqr6
復興G様
素晴らしいお話有難うございます。本物の匂いがいたしました。(涙・涙・・・)
毎日毎日、自分が今ここに生きているのは宇宙の造り主が自分にすばらしき指名を果たさしめんがためである。神が自分の見方であるからなんらの恐怖も心配もないのである。神は決して恐怖または心配すべき何事をも造り給わなかったのである。神使命を与えたれば、吾は神の力と共に行くのである。自分の行くところ遮るものは何一つないのであるーーーーかく信じて一切の恐怖不安を駆逐すべきである。再び言う自己を支配するもののみが真の勇者である。そして環境は自己の心の影であるから自己を支配し得た者のみが環境の支配者となるのである。
(谷口 雅春先生著 青年の書より)
合掌 有難うございます。
933
:
かぴばら
:2012/01/28(土) 21:07:12 ID:3ZrLMqr6
すみません 訂正一行目×指名→○使命
934
:
かぴばら
:2012/01/28(土) 21:09:16 ID:3ZrLMqr6
もうひとつ訂正一行目 ×見方→○味方
935
:
「訊け」管理人
:2012/01/28(土) 21:54:32 ID:Oo2SdDkA
>復興Gさま
『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」
チェスト!!!!
ちょ――――――っどここ最近、同本の同章を拝読しておりました。
先日はブログ記事にもしたくらい感動していたのが、この章でありました。
ブログ記事
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65625580.html
いやー、閣下と関心の所在が一致し「うれしい」です。ああ本当に同章は
良いですね!!
追伸
・・・閣下ご謹写の労に敬意を表しつつ、ブログ記事に「使用させて」ください
(ませんでしょうか?)よろしくお願い致します。
936
:
ももんが
:2012/01/28(土) 23:00:38 ID:XXCuaQns
>>916
復興G様
復興G様、御投稿文、読ませて、頂きました。丁寧な御投稿文で、ありがとうございます。合掌、拝。
御質問の事。
<<>私の実家にある、雅春先生在世時の講習の録音テープで、雅春先生は
『時代がかわり、生長の家の総裁が、替わり、教えが、変わったと言って、教団を離れるような人は、例え、幹部や講師であっても、その方は、現象を信じてる人で、実相を信じてる方ではない…』と雅春先生は言われます。<>>
上記の内容の、テープの件で、ございますね。
実は、復興G様が、示された。下記の一般普及されてるものでは無いようです。
<<谷口雅春先生の講習会御講話は、世界聖典普及協会から正式に発売頒布されたものがたくさんあります。私も5本ほど持っています。
「人生必勝の真理」
「真・善・美の生活」
「「一即多」の真理」
「創造者への道」
「日本建国の理想を成就するには」
の5本です。>>
実は、祖母の遺品の中の一品でして、祖母は付き合いが広かったのでの、その方から頂いたと、言う話は聞いてますが、詳しくいきさつは、わかりません。
年代が何時も、はっきりしません。
もう少し、お話しても、良いのですが、本流側の人を信用出来ない心境に、今有るので、復興G様には、誠意は、感じますが、本流側の人を、私は、信用出来ない状態を解消してくれたら、お話します。
すいません、我が儘、言いまして。
話が、中途半端で、本当に、申し訳ありませんが、そういうことです。
御返事、大変遅く成って、申し訳ありませんでした。たくさん、噂話されると思いますが、お手柔らかに、お願いします。
感謝敬白、合掌。拝。
937
:
ももんが
:2012/01/28(土) 23:34:06 ID:XXCuaQns
>>931
トキ様へ
トキ様、御返事ありがとう、ございます。合掌、拝。
今日は、仕事の後、人の相談に乗っていて、復興G様へ返事等、遅れた事は、御詫びします。
あと、今日のトキ様の御言葉
<< 信仰のあり方というのは、難しいです。
やはり、毎日、脚下照顧の姿勢が必要だと思う次第です。>>
大変、素晴らしい、御言葉、ありがとうございます。
あと、安谷老師の『無門関』見つかりましたから、雅春先生を批評されてる箇所、今度、掲載いたしますので、楽しみに、お待ちください。
それから、『佛の聲を彫る』著作:松久朋琳さん(日本教文社)の本も紹介したいと思います。この本は、古本屋で数年前に見つけて、感動した本です。
それでは、おやすみなさい。
いつも、お心使い、ありがとうございます。
感謝敬白、合掌、拝。
938
:
ももんが
:2012/01/28(土) 23:58:44 ID:XXCuaQns
SAKURA様
SAKURA様、こんばわ。合掌、拝。
トキ様宛の文に、私の名前、見つけたから、書きますね。
いつものように、SAKURA様の表現、私には、難しから、読み間違えてら、ゴメネン。
SAKURA様は、どっからか、引用文使って、『仏教はダメ』『仏教は古臭い』言いたいんでしょ?違うかな?
SAKURA様は、文章から『曼陀羅』を理解しようとしてるけど?
私や役行者さんが、言ってのは、違うよ。
例えばこいうこと。
『テレピを見るのに、テレビの取扱い書を読んで、満足してるが、SAKURAさん』
私達が言ってるは?
『テレビに電気を入れて、実際に使って、見てること』
だから、曼陀羅や仏像は、実際に、使い方を知ると、『成る程』と思うよ。
私も、それまでは、知らなかったんですよ。
SAKURA様は、たぶん、勘違いしてる。実際に、自分で体験して見てくればいいんじゃないのかな?
下手に、本は、読まない方が、いいよ。先入観で台無しになる。
じゃ、おやすみなさい。SAKURA様、今、少し、梅咲き始めたよ。合掌、拝。
939
:
ももんが
:2012/01/29(日) 07:01:33 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日も、素晴らしい朝がやって参りました。寒いですが、元気だして、明るく、楽しく、生活していきましょう!ありがとうございます。合掌、拝。
〜正法眼蔵・仏性〜
尽界はすべて客塵なし、直下さらに第二人あらず、直截根源人未知識、忙々業識時休なるがゆえに。妄縁起の有に有らず。偏界不曾蔵といふは、かならずしも満開是有といふにあらざるなり。偏界我有は外道の邪見なり。本有の有にあらず、亘古亘今のゆえに。始起有の有にあらず、不受一塵のゆえに。条々の有にあらず、合取のゆえに。是什麼物恁麼来のゆえに。始起有の有にあらず、吾常心是道のゆえに。まさにしるべし、悉有中に衆生快便難逢なり。悉有を会取することかくのごとくなれば、悉有それ透体脱落なり。
〜以下つづく
<<直截根源人未知識、忙々業識時休>>
とは
『直に根源を截るも人未だ識らず、忙々たる業識幾時か休せん』
と読みます。
今日、心に止まる箇所は、ここです。
『まさにしるべし、悉有中に衆生快便難逢なり。悉有を会取することかくのごとくなれば、悉有それ透体脱落なり。』
『完全な覚りに、出逢うことは、大変であるが、完全な覚りと出逢うのは、身心脱落する事である。』
余り、上手く、表現できていないかもしれませんが、私には、今日心に残る一言でありました。
皆様、今日も、お寒いですから、手足暖かくして、お健やかに、お過ごし下さい。ありがとうございます。合掌、拝。
940
:
役行者
:2012/01/29(日) 08:10:34 ID:w8hNmueg
ももんが様
>>938
>曼陀羅や仏像は、実際に、使い方を知る と、『成る程』と思うよ <
まったく、そのとおりだと思います。
もっとも現象世界そのものが方便で曼荼羅の世界なのですけど、なかなか、この現象世界を観世音菩薩の三十三身の現れと見づらいところがあるので、より佛の世界に近いバーチャルな空間を創作して、衆生の悟りの一因となればという愛行が、たとえば立体曼荼羅として表現されているのです。
つまり、われわれ衆生が悟りに導かれるための助因の役割も兼ねていると思われます。
人を悟りに導くための太古からの智慧ですね!ありがたいことです。
合掌
941
:
「訊け」管理人
:2012/01/29(日) 10:58:18 ID:u7vht8yY
●宮崎西 一般枠で初甲子園、文武両道で挑む (2012年1月28日 読売新聞)
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20110324-988889/news/20120128-OYS1T00263.htm
いやー、嬉しいニュースを(超・個人的に)紹介します。宮崎西高校が甲
子園初出場を決めました。
この学校ですが超進学校です。「東大に10数名合格」なんて年もありま
して、ちなみにですが、現在の東大野球部四番の子(高山くん)も同校の出
身だったりします。しかしまあ、ここの野球部ですがこれ、甲子園出場は「
31世紀頃(笑)」と予想されていた程の、最弱校でもありました。
スポーツ専攻科があるわけでもなく、「中学時代の補欠」が続々入学して
くるようなチームであります。私が高校時代はここと当たれば、「ラッキー
」てな感じの学校だったのですが、それが・・・・なんと一般枠で九州代表
(!)になりまして。「これを奇蹟と呼ばずしてなにを奇蹟と!?」な現在。
・・・ああ、本県野球事情に詳しくない方には不明でしょうけども、これは
偽らざる本音です。
・・・同校野球部の奇蹟っぷりをつづけます。いやあの、県予選はクジ運
勝ちでした。難敵回避で、スルスルと決勝まで行ったわけです。ですんで「
ニシコー、ラッキーだな」だったんですよ。「日南学園や延岡学園、それに
高鍋や都城が〝コロッと〟こけてくれて、対戦せずに済んでよかったなあ」
だったわけです。案の定、決勝では都城商に負け(3−1)ましたんで、関
係者は皆、心配しておりました。「・・・アノ九州大会(全国最高レベル)
に、行くわけダロ?・・・これは、初戦コールド負けでは?」てな予想が大
半だったのですが、いやいやどうして。
・・・・もう、なーんか知らんが自由ケ丘(福岡1位代表・プロ注投手あ
りのTHE野球学校)と対戦し、延長戦にもちこんでの「たなぼた」勝利をしや
がりまして、野球関係者が仰天という(笑)そして次は、あの 九 州 学 院
(熊本1位代表・個人的見立てでは九州最強打線)を相手に善戦しまして、
まあ、負けはしましたが2−0という・・・他試合では圧勝してた九学です
が結局、九州大会準優勝でした。ですんでこの善戦ぶりが光りまして「オイ
オイ、ニシコー!こんなことがあるのか!?」てな感じです。
再度強調しておきます。同校野球部ですが中学時代の有名選手、「一名も
おりません」(笑)そしてエースの直球速度ですが、なんと120km台と
いう(笑)平日練習時間なんて「一時間半」ですし、宿題を忘れた部員は練
習参加が許可されません。しかも九州大会前には校内実力テストがあったと
かで・・・そんな状況だったのに「もう、なーんで勝ったんだよ!?ニシコ
ー!?」なチームです。
九州勢〝らしからぬ〟な感じですが、まあ魅力溢れるチームです。「これ
ぞ、ザ・高校野球!!」てなチームでもあります。3月からの春センバツで
すかこの宮崎西高校、皆さんもぜひご注目ください。よろしくお願い致しま
す。
942
:
志恩
:2012/01/29(日) 11:41:47 ID:.QY5jUA6
訊け君
宮崎西高校、すごいですね。初甲子園を決めたそうで。文武両道校。
ありえないことが、起こったおめでたいニュースなんですね。
訊け君が添付された読売新聞掲載の高校野球選手たちの
写真も見ました。爽やかないい顔した少年ばかり。
私は、このところ、眼が薄くなったせいか、若い子は、全員、イケメンに見えてしまう。
よろこぶべきか。
訊け君も、かっては、このような初々しい高校野球選手だったんですね。
出身校は別だけれど(笑)
宮崎西校、覚えておきましょう。
943
:
a hope
:2012/01/29(日) 11:59:46 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
神の子の値打(ねうち)を出すのは易しい
誰でもみんな「神の子」なのです。仏教の人なら「仏の子」だといっても同じことです。
人間が地上に生まれた目的は、「神の子」の値打を出し、「仏の子」の値打を出すためなのです。
学問的な言葉で言えば、人間の生活は神の生命の自己実現だということです。
しかし、そんな値打を出すことは難しいとお考えになりますか。
ちっとも難しいことはないのです。誰にも「神の子の値打」は生みつけられているのです。
既に「神の子の値打」が自分の中にあるのです。
自分の中にある値打ちを出すことは、蟇口(がまぐち)の中にあるお金を出すのと同じで、
易しい易しいことなのです。
この自分の中にある値打を「天才」と言い「天分」と申します。
「人格」と言うこともあります。「良心」と言うこともあります。
「神の子の値打」が智慧や才能のほうにあらわれたのが天才であり、天分であります。
「神の子の値打」が、人柄や心の善さの上にあらわれたのが、人格であり、良心であります。
自分の中に生みつけられている「神の子の値打」は、出そうと思えば楽に出るのです。
「神の子の値打」は出すように生みつけられているのですから、出さなければかえって苦しいのです。
たとえば、人間が善いことをするように、「神の子の値打」を生みつけられていますが、
その「神の子の値打」を出さないで悪い事をすれば、良心が苦しむのです。
「神の子の値打」は出すほど楽しく、出さぬほど苦しいのです。
だから善人はいつも楽しく、悪人はいつも苦しいのです。
「神の子の値打」が、智慧や才能の方にあらわれたら、学問がよくできます。
仕事がよくできます。
「神の子の値打」を出すように人間は造られているのですから、その値打が出た時には楽しいのです。
楽しいほかはないのです。
学問がよくできて出世した人にきいてごらんなさい、学問は楽しいと答えます。
仕事のよくできるお友だちに尋ねてごらんなさい、仕事は楽しいと答えます。
力は出すほど熱心になればなるほど楽しいのです。
勉強したがらない人、仕事をしたがらない人、そんな人は「神の子の値打」を出さないのですから楽しくないのです。
楽しくないから、なんとかして気を紛らわそうとして、いろいろ善くない遊びをするのです。
いろいろ善くない遊びをしても、それでは「神の子の値打」が出ないのですから、本心からは楽しくなれないのです。
遊んでいる間は気が紛れていますが、あとから良心が淋しくなって来て、またそれをごまかすために悪いことをするのです。
人間は「神の子の値打」を出さない限りは、いつまでも淋しくて、本心からは楽しくなれないのです。
こうして熱心に「神の子の値打」を出すことは、勉強をすることでも、仕事をすることでも、世の中のためになることでも、
人に深切にすることでも、少しも苦しいことではない、非常に楽しいことになるのです。
私達が、ただお金を得(う)るために、食べものを得るために、雨に濡れぬ住家(すみか)を得るために、
学校の点をとるために、勉強し、仕事をし、人に深切にするのであれば、勉強も、仕事も、深切も、面白くなくなります。
それは、その「ために」が間違っているからなのです。
私達は、自身の中に生みつけられている「神の子の値打」を出すこと、そのことが喜びであるから、
私達は仕事をし、勉強をし、深切をするのです。
「神の子の値打」を出すように生みつけられている私達は、「神の子の値打」を出すときだけが本当に楽しいのです。
どんなに貧しくとも、お金がなくとも、常に「神の子の値打」を出している人は楽しいけれども、どんなに金持ちでも、
位が高くとも自分の中に生みつけられている「神の子の値打」を出さないでいる人は楽しくないものです。
それでは、自分の中に生みつけられている「神の子の値打」を出すにはどうすれば好いか、その秘訣を次にお話しいたしましょう。
(つづく)
944
:
a hope
:2012/01/29(日) 12:18:33 ID:kcv2QXTk
復興Gさま
昨晩は、谷口雅春先生の 『生活と人間の再建』の「第11章 信仰生活の種々相」を、
前章紹介してくださり、本当にありがとうございました。
昨晩、就寝前に拝読し、今朝また拝読し、その真理の深さに感動しています。
これは、何度も読み返したいと思って、プリントアウトしてあります。
わたしは、拝読後に、神さまからこう言われているように感じました。
「神に任せよ。すべてはうまくいっているのだ。
たとえ、周囲の出来事がうまくいっていないようにみえても、動揺するな。
神を信じ、祈りつづけ、自分の魂を磨け。
自分の魂を磨くとは、すべてを赦すことだよ。」
マグダラのマリアのお話の所に来ると、涙があふれてきました。
谷口雅春先生は、キリストの大きな愛ですらも、本当に理解されていたのですね。
わたしは、この掲示板のみなさまに出会えたこと、
そして「生長の家」の教えに出会えたことに、心から感謝しています。
945
:
a hope
:2012/01/29(日) 12:24:12 ID:kcv2QXTk
訂正
上から4行目
前章→全章
946
:
SAKURA
:2012/01/29(日) 13:41:57 ID:zrpEHTE.
皆様
こんにちは…
今日は、此処九州は晴天です…。(詳しく申しますと?今のところは?でしょうか)
■神の導きを得る言葉
吾はいま吾を通じてはたらき給う内なる神の力に信頼する。
吾は内なる叡智に信頼する。
此の叡智は吾がものではない。
しかし又吾れを離れたる叡智でもない。
吾に宿り給うかみである。吾が霊魂は神と一体となって照り輝いている。
吾れは光り輝く自分である。
吾れはなお現在意識に於いてしらないが、
既に全智なる者は吾がうちに宿っているのである。
吾れ、此の問題に関して切に導かれんことを希う。
吾れは導かれる。
吾れは如何なる方法をとるが最善であるかを教えられるのである。
吾れはいま宇宙の叡智の創造的活動が、
此の問題に対して活動しつつあることを自覚する。
吾が求むる如くならしめたまうたことを感謝いたします。
神は適当な時期を選んで、吾れが何を為すべきか最も善きかを必ず
知らして下さるのである。吾れは吾が内に宿りて常に吾を導きたまう神に対して感謝いたします。
いよいよ…明日は「裁決…」1月30日……
上記の言葉は「28日の経言ですが〜〜♫」今の私に取りましては…
“ピッタリ”とも言えますでしょうかしら〜〜ン…?
再合掌
947
:
ももんが
:2012/01/30(月) 08:14:06 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日も、寒いですですね。手足冷たい事、有ると思いますが、今日も、元気に明るく、楽しく、感謝、感謝で参りましょう!ありがとうございます。合掌、拝。
〜正法眼蔵・仏性〜
仏性の言ききて、学者おほく先尼外道の我のごとく邪計せり。それ、ひとにあはず、自己にあはず、師をみざるゆえなり。いたづらに風火の動著する心意識を仏性の覚知覚了とおもへり。たれかいふし、仏性に覚知覚了ありと。覚者知者はたとひ諸仏なりとも、仏性は覚知覚了にあらざるなり。いはんや諸仏を覚者覚知といふ覚知は、なんだちが云云の邪解を覚知とせず、風火の動静を覚知とするにあらず。ただ一両の仏面祖面、これ覚知なり。
〜以下つづく
今日、私の心に残る部分は、ここ。
<<仏性の言ききて、学者おほく先尼外道の我のごとく邪計せり。それ、ひとにあはず、自己にあはず、師をみざるゆえなり。いたづらに風火の動著する心意識を仏性の覚知覚了とおもへり。>>
『学者や仏教を良く知らない人々は、お釈迦や老師、祖師方と、同じ心目(完全な悟り)で、物事や心をみていないで、現象の姿に心を働かせて仏の教え、意識(心)と思っている』
と言うような、内容と、思われます。
さて、皆様、今日も寒いですから、暖かかくして、嬉しく、楽しく、明るく、元気に、お過ごし下さい。ありがとうございます。感謝、合掌、拝。
948
:
a hope
:2012/01/30(月) 12:25:12 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
自分の茶碗は自分で洗え
むかし趙州和尚(じょうしゅうおしょう)のもとで修行をしていた一人のお坊さんが、
ある日、和尚の前へ出て申しました。
「和尚さま、どうそこの私に、修行のことで何かためになるお言葉をお聞かせくださいませ。
私は、そのお言葉を守って、今後いっそう、勉強してまいりたいのでございます。」
趙州和尚は、じっとお坊さんの顔を見ながら、さて静かに口を開かれました。
「あなたは、今朝のお粥をいただきましたか?」
「はい、頂戴いたしました」と、お坊さんは答えながらも、少し意外の面持でした。
何か、よほど偉い立派なお教えでもいただけるかと待ちかまえていましたのに、
今朝、口にしたお粥の話なのですもの。
和尚は、しかし、頷くとこともなげに申されました。
「では、あなた、そのお茶碗を洗っていらっしゃい。」
ハッ!と、ここで、お坊さんはわかったのです。
なるほど、人間は、まずあたり前のことができるようでなければならぬ。
自分のたべた後のお茶碗ひとつ洗えないでは、本当に偉い人だとは言えないのだ。
また、本当に偉いことは、お祭りのように大げさで、花々しい、目立った事の中にあるのではない、
むしろかえって、最も目立たない、平凡な事、当り前の事の中にある。
人間はみんな神の子なのだから、当り前のことを、当り前に行っても、
その人は、それだけで、そのままで、もうちゃんと偉いのだ。
こう、そのお坊さんは、始めてわかったのです。
(つづく)
みなさま こんにちは
アマゾンで注文してした、「新編 生命の實相」が届いたので、早速拝読しています。
本当に、読みやすいですね。
「編者のはしがき」には、谷口雅春先生が、『生命の實相』を執筆されたいきさつが、詳しく説明されていて、
「生長の家」のことを、知らない人が読んでも、とてもわりやすいのではないかと思いました。
わたしは、毎日聖経で唱えているのに、この「新編 生命の實相」の『七つの燈台の点塔者』の神示を拝読すると、
感動して、魂が震えました。
「生長の家」を愛するたくさんの人々の願いと、谷口雅春先生の思いが込められた、聖典なのだと思いました。
これから、全巻そろえて行くのが本当に楽しみです。
949
:
SAKURA
:2012/01/30(月) 15:50:42 ID:a8mGNaAE
皆様こんにちは
【幸福を招く生活365章…】
■真理は人に伝える実践でよく解る
真理は、それを理解したように見えても真に完全に理解していない場合が
多いのである。真理はそれを実際に生活した場合に、
本当に深く理解されて来るのである。「人間本来病気なし」の真理も、
他人を真理によって導き、病気を本当に治して見せてはじめてその真理がわかるのである。座上の水練では駄目である。泳ぎ方を如何に書物で読んで見ても、
実際に水の中へ跳び込んで見て泳げない人は、真に泳ぎ方がわかっていないのである。
真理は人を救ける実践をして見て、真に理解出来るのである。
教えはわかったが商売に損をすると云うのでは何程をその人に真理が
わかっているかどうかあやしいものである。
( 抜粋 )
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「今日の言葉…」から、ただひたすら〜〜“実践生活”です…ネ???
更に!先に述べました「a hope様」のお話も似たような“モノ”でしょうか…?
当たり前の事??でしょうか…?
「独身族の私…」ほど“料理…”は、当たり前のように〜〜♫〜〜
【日々交信!!】しながら…
“料理をエンジョイ”するのも当然“生活密着”ですものネ!
仕事の合間に…“頭の切り替えモ−ド”と致しまして…
“料理”は非常にいいものです。
気分転換に〜〜切り替えができますし、
何か「アイデア」とか「インスプレ−ション」もあり…やはり【日々更新…】
いつか「星の王子様」にも…と…
昨日は、夜遅く帰宅…「事務所にて簡単料理…」で済ませていましたから?
夜遅くの食事は…ストップ!!帰ってきてから〜〜♫〜〜
いろんな方の“メ−ルの返信”で…遅くなりましたが?
ある知人は、「姉妹の写真を見て、映画のシ−ンみた〜〜〜い?」
「亡き母の葬式」は、地味に済ませましたが…意外と荘厳な感じです〜〜♫
私もいつか〜何処からか〜「里子…」をもらいたい〜〜なぁと言います…と!
姉・妹は??“ブ−イング…”
更に!「葬儀屋の人…」も、反対でしたが……?
住職さんは、いいじゃない?と…うなずいて下さいましたが…。
■「雅春先生の言葉」から〜〜実践です〜〜ネ! 「実践組…突入」
再合掌
>「a hope 様」の言葉… 賛同で〜〜す。いつも楽しみに〜♫〜拝読させております…。
950
:
トキ
:2012/01/30(月) 19:29:24 ID:eJZeXtyk
>>947
ももんが様
お返事が遅れて申し訳ありません。暖かいお言葉、深く感謝申し上げます。
ももんが様のお言葉のおかげで、心温かな日を過ごせました。
さすがは先達だけあって、すばらしい文章を抜粋されますね。そう言えば、「嘆異抄」にも
似たような言葉がありました。(うろ覚えですが) これは、なかなか知ってはいても、実行は
難しい言葉だと思います。我々は、情報量で言えば、かってないほどの情報の海に住んでいますから
どうしても、現象に左右されてしまいます。
脚下照顧、脚下照顧です。
ありがとうございました。
951
:
トキ
:2012/01/30(月) 19:33:37 ID:eJZeXtyk
a hope 様
趙州和尚の逸話は好きな話の一つです。最近は食器洗い機のお世話になることもありますが、
この話はよく思い出します。
大切な話ですね。
すばらしい逸話を紹介して下さり、深く感謝申し上げます。
合掌 ありがとうございます
952
:
トキ
:2012/01/30(月) 19:40:27 ID:eJZeXtyk
SAKURA 様
料理は、心ですが、SAKURA様のような、心も体もきれいな方のつくる料理は
きっと食べる人に味以上のものを与えるでしょうね。
ご教示の通り、水泳は畳の上ではダメで、実践しないと上手くなりません。
私も日々の生活の中で、精進を重ねていきたいと思います。
合掌 ありがとうございます
953
:
ももんが
:2012/01/30(月) 21:22:15 ID:XXCuaQns
無門関・第七即
『趙州洗鉢』
(本則)
『趙州、因みに、僧問う、それがしさに入叢林、乞う師示せよ。州云く、喫粥了や未だしや。僧云く、喫粥了。州云く、鉢盂を洗い去れ。其の僧省有り。』
上記が、本則の『趙州洗鉢』です。
少し、わかり安くすると?
(読み下し)
趙州:『お粥を食べたか?まだか?』
僧:『お粥を食べました!』
趙州:『お粥を食べたら食器を洗っておけ!』
僧は、忽ち、見性(悟り:自己の本性観た)した。
と?こうした、お話である。
『公案』としては、どんな、働きになってるいるのか?講話文を紹介します。
〜原田祖岳老師『無門関〜より
☆『僧云く、喫粥了也』“はい”頂きました。これでもう、問答は終わっているのだ。
天地は一つものだものな。食うべき時にお粥を頂く、外に何があるか。
語るべき時に語る、笑うべき時に笑う、泣くべきときに泣く、その他に何が残る。まだ気がつかぬかい。
『州云く、鉢盂を洗い去れ』お粥を頂いたら、鉢を洗って、しまうと所にチャンとしまいなさい。『其の僧省あり』なるほどと、その僧が廓然として眼がさめた。大悟大徹したのだ。〜
さて、つぎに、松原泰道先生の『公案夜話』から
☆〜趙州は、いとも親切に『粥をたべたか、それともまだかね?』と聞くのです。形は問いですが、実はこの趙州の問いの言葉が、教えの答えになっているのですが、この修行者の雲水には、いまだ、それが、わからないのです。〜
上記の松原先生の言葉が、本来の『公案』の言葉の真を知る、ポイントになっています。
先程、a hope様の掲載してくれた、『人生読本』と比較させてもらいます。
人生読本 谷口雅春先生著
自分の茶碗は自分で洗え
むかし趙州和尚(じょうしゅうおしょう)のもとで修行をしていた一人のお坊さんが、
ある日、和尚の前へ出て申しました。
「和尚さま、どうそこの私に、修行のことで何かためになるお言葉をお聞かせくださいませ。
私は、そのお言葉を守って、今後いっそう、勉強してまいりたいのでございます。」
<<趙州和尚は、じっとお坊さんの顔を見ながら、さて静かに口を開かれました。
「あなたは、今朝のお粥をいただきましたか?」
「はい、頂戴いたしました」と、お坊さんは答えながらも、少し意外の面持でした。
何か、よほど偉い立派なお教えでもいただけるかと待ちかまえていましたのに、
今朝、口にしたお粥の話なのですもの。
和尚は、しかし、頷くとこともなげに申されました。
「では、あなた、そのお茶碗を洗っていらっしゃい。」
ハッ!と、ここで、お坊さんはわかったのです。
なるほど、人間は、まずあたり前のことができるようでなければならぬ。
自分のたべた後のお茶碗ひとつ洗えないでは、本当に偉い人だとは言えないのだ。
また、本当に偉いことは、お祭りのように大げさで、花々しい、目立った事の中にあるのではない、
むしろかえって、最も目立たない、平凡な事、当り前の事の中にある。
人間はみんな神の子なのだから、当り前のことを、当り前に行っても、
その人は、それだけで、そのままで、もうちゃんと偉いのだ。
こう、そのお坊さんは、始めてわかったのです。>>
上の、谷口雅春先生の解釈は、大変素晴らしい解釈なのですが、松原先生や、原田祖岳老師が、言われてる、事とは、ニアンスが、ずれてしまってると言うことです。
趙州洗鉢の、真の狙いは、原田祖岳老師の示してる、『仏性を悟る』事を意味してる。生長の家なら、実相を悟る事に等しい。
『お粥を食べました』とは、自分の迷いや、曇りが、心に無い状態ですと、言う意味なんですよ。本当は、それが、解らないと、この公案は、さっぱり、解らないでしょ。
先日の『曹源の一滴水』も、全く、どうようです。
確かに、臨済宗のホームページには滴水老師の逸話が載っましたが、あれは、法話として、『曹源の一滴水』です。
少しだけ、解説すれば、曹源とは、六祖慧能大師から続く、禅の法脈の事。
そして、その法脈の一滴が、自己の本性にまで、貫いて、連面と変わらず、続いている事。
従って、六祖慧能大師の一滴は我であり、我は六祖慧能大師である。
その事実わ悟った、喜びが、『通玄峯頂、これ人間にあらず。心外無法、満目青山』
と言う詩になっている。
解って、いただけだであろか?
トキ様の言われた
『脚下照己』も、『脚元を見よ』と、普通、思われているが?実は、本来、もう少し、深い意味で、捉えている。
『脚下照己』=『自己の本性を見つめる』と言う意味で、使われる。
生長の家なら、『実相を観る』である。
トキ様、どうでありますか。
954
:
ももんが
:2012/01/30(月) 21:29:45 ID:XXCuaQns
>>953
訂正
◎→脚下照顧
×→脚下照己
955
:
トキ
:2012/01/30(月) 21:52:07 ID:eJZeXtyk
ももんが様
ご投稿、ありがとうございました。
禅宗の伝統的な解釈を御教示下さり、ありがとうございました。
私は禅の事は詳しくないので、たいへん勉強になります。
確かに、禅宗の正当派の解釈と、生長の家の解釈では、違いは出る場合があると思います。しかし、それは
それで良いかと思います。
例えば、浄土真宗での伝統的な考えでは、念仏を唱えたら人間は死んだら西方浄土に行って阿弥陀様に
救ってもらえる、という解釈をしております。生長の家では、違う考え方をしております。どちらが正しいか
どうかと解釈で喧嘩をするのではなくて、要はどちらが自分にフィットするか、どうか、という考え方
を持っています。
もともと、仏教という教え自体が、釈尊の死後、上座部と大衆部に分裂し、いわゆる大乗仏教、小乗仏教
に分かれて伝わったという経過があります。日本に伝わった仏教のかなりの部分は釈尊の教えとは違う部分
があると言われています。が、それが現代まで残っているのは、やはりそれなりの必然性があっての事だと
思っています。
余談ですが、少林寺拳法をしている有段者の友人から、部外者が読んでは行けないという「教本」を内緒
で見せてもらった事があります。少林寺拳法は、武道ですが、同時に金剛禅総本山少林寺という宗教で、禅宗
の一派らしいです。少林寺拳法の開祖は、戦争中、軍の特務機関に所属してて少林寺で修行した人ですが、
彼に言わせると、現代の禅などはおかしい点がある、と断言しています。
が、私はこれも偏った考え方だと思います。
つまり、同じ聖典を読んでも、基督教だとカソリックとプロテスタントでは解釈が違うし、イスラム教でも
宗派が異なります。伝統仏教でもそういう現象が起こっております。ただ、それは、その人の内在の神様が
その人に適する様にご指導をされた結果だと思います。伝統的な禅宗の解釈も尊敬しなければいけませんが、
同じ聖典を生長の家という観点から解釈をしたら、どうなるか、という意味でとらえております。
その意味では、伝統的な解釈は尊敬し、理解する事は大事ですが、その上で、自分達はどう考えるか、
生活に生かすか、という考え方が大切だと思っております。
貴重なご提示を頂戴した事をあらためて御礼を申し上げます。ありがとうございました。
合掌 ありがとうございます
956
:
ももんが
:2012/01/30(月) 21:58:26 ID:XXCuaQns
>>950
トキ様へ
トキ様、御投稿、有り難うございます。合掌、拝。
お褒め賜り、有り難うございます。
清超先生のような、読み下しに出来た良いのですが、中々無理ですね。
私として、正法眼蔵は、生がいいですね。
あと、先日、たのサイトを読んでました。『清超先生、雅宣先生は、雅春先生の行き過ぎた、憲法解釈や愛国運動を改革するのに、たいへだ』見たな、生長の家関係者のサイトが、ありました。
ここは、本流系的ですが、教団系サイトも存在する事が、わかりました。なんで、同じ土俵には、立たないでしょ?仲間内だけで、どうちらも、騒いでるのですね。私は、訳が解らなくなりそうです?
上の話は、どうでも、良くてですね。
先日『トマスの福音書』、トキ様紹介してくれましたね?
あれは、キリスト教系グノシス教団の福音書らしいですね?
トキ様は、グノシス主義てしってますか?『光』と『闇』の良法を信仰の教義の中に入れてる教団です。
トキ様が、生長の家に似てると思ったのは、グノシス教団の『光』の部分でしょ?
グノシス教団には、『闇』が存在するらしいですね?
イメージ的に言うと、スターウォーズの、ジェダイとシスの関係に似てます。
光明思想も以前は、カトリックから、再生したグノシス教団と思われていて、カトリックは、撲滅を考えていたと、ある本で、読みました。
カトリックは、グノシスを邪教と見てます。
生長の家?グノシスに認定されないといいですね。怖い話です。
明日は、裁判ですね。どちらに、しても、吉報お待ちしてます。ありがとうございます。
感謝敬白、合掌、拝。
957
:
トキ
:2012/01/30(月) 22:15:13 ID:eJZeXtyk
>>956
ももんが様
グノーシス教団の話は、興味深いですね。カソリックは「あまねく広まった」という
意味だと高校時代に習いましたが、独占ではなかったのですね。フランスのある教会に
グノーシスの遺跡があり、バチカンも神経質になっていた、と本で読んだ事があります。
明日、判決ですね。どちらが勝つにしろ、争いは寂しいです。円満な解決になることを
祈っております。
合掌 ありがとうございます
959
:
SAKURA
:2012/01/30(月) 22:17:12 ID:q6U452WU
トキ様 へ
“お返事” ありがとうございます…。
> ご教示の通り、水泳は畳の上ではダメで、実践しないと上手くなりません。
私も日々の生活の中で、精進を重ねていきたいと思います。<
そうなんですョ〜ネ!
私も「ダイエット」は“日々更新中…”ですが??
【頭脳中でのレッスン】??は…駄目ですね???
今日は「オフタイム…日」でしたので…^^
【ダイエットおからリンゴケーキ…】を作りました…。
しかも〜〜〜♫
ノンオイル・ノンフラワ−…です“モノ”…糖分も控えめなのですが〜〜><
これも料理ブックを参考にしても…実際“肥満”では意味ないです〜ネ!!
しかと……【反省】!!(ケーキ投稿!!)
どうして〜このよう〜になるのかしら〜〜ン??
そうなのです…!
「実践…不足」なのです…ネ。
只今より!!「ウォ−キング…」ゴ−!!ゴ−!!
私の…同伴は…「ナンシ−」と一緒に??? ルン〜ルン〜♫
再合掌
960
:
SAKURA
:2012/01/30(月) 22:22:30 ID:q6U452WU
トキ様 へ
958>の投稿…
【 SAKURA】の名前で投稿しましたのに…
また!!また!!「神の子…」さんの“ネーム”での投稿にされてますので…
変!変!〜〜〜〜〜〜〜〜変!!
■デリ−ト!!!!!お願い致します…。 再合掌
961
:
ももんが
:2012/01/31(火) 07:14:29 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日も、寒いですが、素晴らしい朝が、やって参りました。今日も、元気に、明るく、楽しく、感謝感謝で、参りましょう!ありがとうございます。合掌、拝。
〜正法眼蔵・仏性〜
往々に古老先徳、あるいは西天に往還し、あるいは人天を化道する、漢唐より宋朝にいたるまたで、稲麻竹葦のごくなる、おほく風火の動著を仏性知覚とおもへる、あはれむべし、学道転疎なるによりて、いま失誤あり。いま仏道の晩学初心、しかあるべからず。
〜以下つづく。
今日、私の心に残る文章は
<<稲麻竹葦のごくなる、おほく風火の動著を仏性知覚とおもへる、あはれむべし、学道転疎なるによりて、いま失誤あり。>>
(私的意訳)
『多くの大衆の姿や世の中の動きや社会現象、また、物質現象の世界の動きを、仏性(心)の動きであり、仏の悟りであると、思うのは、哀れむことである。それは、過って仏教を捉えている為であり、今の仏教の誤りがある。』
最後の部分が、少し、難しかったです。
皆様、御寒いです。手足冷たいので、暖かかくして、お出かけ下さい。ありがとうございます。合掌、拝。
962
:
a hope
:2012/01/31(火) 10:21:58 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
どんな仕事も神の仕事
皆さん、この世のことは、みんな心の所現(あらわれ)です。
食後のお茶碗ばかりのことではありません。
茶碗は女中さんがいて洗ってくれる家(うち)では、
茶碗を主人や坊ちゃんが洗わねばならぬことはない。
しかし机の抽(ひ)き出しの始末も、履物のぬぎ方にも、
みんな私たち自身の心のあらわれるものなのです。
その一々のお始末は、そのままに私たち自身の「心のお始末」なのです。
ですから、そのお始末は、決しておろそかにはできない、決して他人まかせにはできないのです。
ひとつひとつ、みんな立派な、自分の内にやどっている神様の力を生かすお仕事なのです。
これが、ほんとうにわかった人こそ、ほんとうに偉い人だといえるのですよ。
皆さん、「自分のお茶碗は自分で洗え」と言った趙州(じょうしゅう)和尚も偉ければ、
ハッ!とわかって、すぐにお茶碗を洗いにもどったお坊さんも偉い方でした。
むかしキリストは、お弟子の足を洗ってあげたという話です。
外国でも日本でも、ほんとうに偉い人達は、いつも一見、こんなに卑しい、
つまらない、小さい、目だたないように見える仕事を喜んでして、
自分を、自分の「心」を琢(みが)き磨いて行かれたのです。
何もかも、みんな神さまのお仕事なのです。
神さまのお仕事には、小さいも卑しいもない。
どれもこれもみんな大きい、輝かな、偉いお仕事なのです。
さあ、「今」から自分の身の廻りの仕事は自分でいたしましょう。
家庭で、学校で、工場で、田畑で、「今」の仕事、「今」の身の廻りのこと、
「今」の自分にできる小さな仕事、「今」の最も当り前のことから、
これを愛して、一心に努め励んで行きましょうね。
これだけで、わずかにそれだけのことで、自分の気持がどんなに好いことでしょう。
また皆さんの御両親が、家族が、神様が、どんなにおよろこびになることでしょう。
どんなに家庭(おうち)が、田畑が、工場が、この日本の国が、美しく明るくなることでしょう。
――― いいえ、何よりも「今」皆さん御自身がどんなに明るく強く楽しくおなりになることでしょう。
(つづく)
みなさま おはようございます。
今朝もウォーキングに行ってきましたよ!
梅のつぼみが日に日に膨らんでいくのを見るのが楽しみな a hope です。
今朝は、小学校のグランドで、子どもたちがリレーをしていました。
「がんばれ〜!がんばれ〜!」とインフルエンザ菌も逃げて行きそうな、元気な声が響いていました。
子どもって、やっぱりかわいいですね。
963
:
SAKURA
:2012/01/31(火) 13:34:39 ID:7GELNOHk
皆様へ
こんにちは・・・・・
幸福を招く365章
■神に祈る心が神である
自分の心で、自分のイライラする心を
放逐しようと思っても駄目の皮だ。
イライラしている自分の心でイライラしている
自分の心を放逐しようとすることは、
火のついた巻き煙草を握っている手で、
煙草の煙を払うようなもので、
益々激しく煙草の煙が渦巻くだけである。
イライラする心を無くするには、本来イライラしない心を
出して来なければならないのである。
それでは本来イライラしない心を
どうしたら出して来ることが出来るか。
それは自分の中の「仏性」を出して来ることであり、
自分の「神性」を出して来ることである。
その自分の中の「仏性」「神性」を出して来るには、
仏を念ずるか、神に祈るかするのが好いのである。
「神に祈る心」そのものが神があらわれているのであり、
「念仏する心」そのものが仏があらわれているのである。
そして神があらわれ、仏があらわればあなたは自然に健康になるのである。
谷口雅春著
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
私は、煙草は吸いませんが……されている方は、このような心境なのでしょうか?
まぁ〜〜“一つの例”を、いろいろな言葉で表現されていますから……
私の場合は【黒幕デザイナ−・吸血鬼・ゾンビ達…】の執拗な嫌がらせがあり、
現在もですが…それが“原因”で仕事にも影響が起きるたびに
“イライラ〜♫”しまして…“心”が、なかなか“神”に振り向ける事が…
先延ばしになる事も?その様な時は、
やはり!「祈る」…軽く「イメ−ジトレ−ニング…」しまして、
【神想観=瞑想】に入ります…。
“心が平安”になりますから…「不思議なアリス…」
さて!今日の 「a hope様の言葉」から…やはり“心が平安”なら…
部屋もきれいな事と、当にその通りだと思います…。
東京在中のさなか、千葉の行徳に居住致しておりました頃の事…
近くの日曜大工のお店に、行く途中…
いろんな“マンション”がありまして…
“マンションのベランダ”・“部屋の中”が、見えます…。
そこには各家庭の状況が、如実に浮かび上がります〜ネ!
ある家庭は??ごちゃごちゃして…更にベランダは“ゴミベランダ”でした…。
現在の居住マンションは「4LDKマンション…中古」ですが…それなりに…
当時の私は、「木造2LDKのアパ−ト」でしたから“羨望感“かも〜〜〜♫
でも何故??“きちんと整理”しないのかしら〜〜ン?
と思って見ていましたが…?
今思いますと…豊かになりますと、それなりに“悩み”も増えるのでしょう?
彼らは、更に身の回りに、目が行き届かないのでしょうか…?
でも、このような時にこそ「精神統一」されますと、部屋もきれいにクリ−ン!
私も“部屋の中”は、他人にいつでも見せても恥ずかしくない様に…
身の回りの“整理整頓”はしておりますが……?
そぅ〜〜ですネ〜♫ 確かに…当たり前が一番素晴らしいです〜ネ!
「イライラ〜♫ 」…生活状態も“崩壊”します〜〜ネ!
アブナイ〜〜アブナイ〜〜アブナイ〜〜!!!
この様に、「心はいつも…スカイ ブル−!!」 スィツチ オン 〜♫
昨日は、久しぶりに…【ダイエットおから・リンゴケーキ】を、クッキング!!
毎日!!毎日!!〜〜〜〜日々更新の「SAKURA」で〜〜〜〜す。
再合掌
PS:「谷口雅春先生のお言葉…」生活に何らかの困難が起きました時…
先生の言葉から、解決の“ヒント…”が、いつも得られます〜〜☆
やはり「真理の言葉…」だからですよ〜〜ネ!
■ 真理は汝を自由ならしめん!!!!!!
そして、今日の「裁決…結果」が…
■ 「大調和の神示」生長の家…の根本理念が反映されます事を…“祈り”ます。
964
:
恥の上塗り
:2012/01/31(火) 16:45:42 ID:Hv3JI8.6
2012年1月31日
生長の家社会事業団等との訴訟の判決について
宗教法人「生長の家」
代表役員 磯部 和男
当法人及び谷口恵美子先生は、財団法人生長の家社会事業団並びに株式会社光明思想社に対して、①『生命の實相』黒布表紙版の著作権が当法人に帰属することを前提とする『古事記と日本国の世界的使命』の出版の差し止め等、②『古事記と日本国の世界的使命』の出版は、谷口雅春先生が存命であればその著作者人格権(同一性保持権)の侵害となるべき行為に該当し、谷口雅春先生の意を害するものであるから、著作権法第60条に違反する、③当法人と生長の家社会事業団との間には、生長の家社会事業団に著作権名義が帰属する書籍について、当法人が著作権を管理することの合意がある、という主張、請求をし、訴訟を提起しています。
これについて、2012年1月31日、知的財産高等裁判所において判決がありましたが、残念ながら、当方の控訴はいずれも棄却されました。当法人としては、最高裁判所への上告を検討しています。
以上
965
:
トキ
:2012/01/31(火) 21:10:22 ID:A/De9yn6
ももんが様
なかなか難しい部分を引用されますね。感心します。ももんが様のような先達
を目標にして精進を重ねたいです。
こういう信仰は、学問は大事ですが、学問だけでは本当に”分かる”というところ
までいかないのでしょうね。寒い日が続きますが、ももんが様のお言葉を励みに
素晴らしい日を送りたいと思います。
すばらしいお言葉に感謝申し上げます。ありがとうございます。
合掌 ありがとうございます
966
:
a hope
:2012/02/01(水) 09:23:56 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
葉が落ちるのは根を養うため
冬になって葉が落ちるのは、根を養うためです。
根が養われれば、次の春には、前よりいっそう枝葉が栄えます。
枝葉ばかりが栄えようと思って、根を培う心がなくなれば枝葉そのものも枯れてしまいます。
根があって枝葉があるのです。
親があって、子があるのです。
親は根で、子孫は枝葉ですから、栄えようと思うものは親を大切にせねばなりません。
親を大切に思う心は根を培い、ひいては自分の生命を延ばす本(もと)になるのです。どんな子が親を思うよりも以上に、親は子を愛しているのです。
(次回、第三章へ)
みなさま おはようございます。
a hopeは、また、急用がはいりました。
数日間、書き込みをお休みさせていただきます。
それでは、わたしの大切な「生長の家」のみなさま、和解へ向けて有意義なお話合いを、どうぞ、よろしくお願いいたします。
967
:
ももんが
:2012/02/01(水) 12:55:24 ID:XXCuaQns
皆様、こんにちは。今日は、休みの為、のんびりと、時を過ごして降ります。今日は、日が暖かかく、初春を思わせる日の光です。大分、梅などの花も膨らみ始めました。
さあ、今日も、一日、日の光を浴びて、明るく、元気に、がんばっていきましょ!ありがとうございます。合掌、拝。
〜正法眼蔵・仏性〜
たとひ覚知を学習すとも、覚知は動著にあらざるなり。たとひ動著を学習すとも、動著は恁麼にあらざるなり。もし真箇の動著を会取することあらば、真箇の覚知覚了を会取すべきなり。仏之与性、達彼達此《仏と性と、彼に達し、此に達す》なり。仏性かならず悉有なり、悉有は仏性なるがゆえに。悉有は百雑砕にあらず、一条鉄にあらず。拈拳頭なるがゆえに大小にあらず。すでに仏性と斉肩すべからず。
〜以下つづく。
私の今日心残る言葉
《たとひ覚知を学習すとも、覚知は動著にあらざるなり。たとひ動著を学習すとも、動著は恁麼にあらざるなり。もし真箇の動著を会取することあらば、真箇の覚知覚了を会取すべきなり》
(私の意訳)
『例え、仏性、仏の智恵(人間神の子、内在の実相、神の智恵)の働きを、文書や本で学問的に学んでも、現象(心意識の働き)を学なんでいるのであって、現象(心意識の働き)の働き、仏の智恵の働きではない。もし、真の現象(心意識の働き)を手にいれたくば、仏の智恵、仏性(人間神の子、内在の実相、神の智恵)を直に手に入れることである。』
今日も、大変難しかったです。
特に、最後の『私の意訳』で『直に手に入れる事』=『坐禅したり、神想観したり、黙想したりて、《自己の本性、霊性》に出会う』事を意味してると、思われたので、書きました。
解釈ではなく、誰でも出来る体験です。
文書にするのには、なかなか、難しかったです。
私的意訳ですから、余り気になさらないでください。
其れでは、皆様、今日も、一日、元気に、明るく、楽しく、がんばって、いきましょ!ありがとうございます。合掌、拝。
968
:
ももんが
:2012/02/01(水) 14:34:28 ID:XXCuaQns
トキ様
トキ様、何時も『正法眼蔵』読んで下さりありがとうございます。合掌、拝。
トキ様に、先達などとは呼ばれて、恐縮しております。
昨日は、掲示板では、『裁判のお話』で皆様、やはり、『何時も意見でしたね』私が、一番嫌気が、さしてるが、前回の様に、“勝った宣伝”して、“月刊誌”を、今の信徒に、送り付ける行為をしてくるところです。
私としては”負けた“教団も、勝った“事業団”も、その辺の事も含めて、話合うべきと思います。
あの様な、行為をされると、本当に、嫌な気持ちにさせられます。
一個人としては、教団と事業団が、同じテーブルに付き、双方が、話し合うことが、大切だとは、思います。
トキ様は、グーノシス教団と、現在の光明思想の教団と、似てると、思いますか?
私が、読んだ、本では、悪魔の儀式のような事を、グーノシス教団は、していたと、書いてありました。
グーノシスは、ゾロアスター教の流れにあるようですね。
仏典に、阿修羅が、出てきますが、あの、阿修羅が、ゾロアスター教の神様の変形だと、本で読みました。
阿修羅は、正義感を振りかざす神で、戦いの神です。正義と正義が、ぶつかるから、戦いが、生まれるのですね。
では、トキ様、掲示板の事、本部の事、裁判の事、色々、心労大変と思いますが、体調にきおつけて、がんばって下さい。合掌、拝
969
:
ももんが
:2012/02/01(水) 14:48:44 ID:XXCuaQns
>>966
a hope様
a hope様の、人生読本何時も、拝読させてもらっております。ありがとうございます。合掌、拝。
人生読本は、私も持っておりますが、できますなら、a hope様御自身の『実相の眼』を持って、『実相を現した言葉』を教えて頂きたく、思います。
余談でしたが、これからも、人生読本、楽しみに拝読いたします。
ありがとうございます。合掌、拝。
971
:
トキ
:2012/02/01(水) 16:20:24 ID:gsg6uw32
ももんが様
ご丁寧なご意見、恐縮いたします。グノーシス教団の件は宗教のあり方を考えさせられます。また、
基督教の本当に教えについての話ですから、歴史的にも興味を持っています。本当の事がどんどんと
分かって来るのは面白いです。
紀元前に成立したグーノシス教団と生長の家との間に大きな差があるのは当然ですが、ドグマチックな
解釈ではなくて、信仰についてリベラルな解釈をしたという点は両者に共通した点だと思っています。
ただ、トマスによる福音書が、伝統的な基督教の間では、未だ異端とされている現状では、安易にグーノシス教団
に言及するのは、生長の家という教団の立場では、慎重になる必要はあると思っています。
判決については、予想通りでしたから、それ自体は驚いていません。ただ、ここまで争いになった事は
とても残念です。
和解は、信仰面の理由から推進をしておりましたが、もはや、この場面に至っては、教団側が生き残る唯一の
手段であると思います。社会事業団が要求する事は基本的に受け入れ、かつ教団の方針の修正も含めて譲歩しても
和解は必要です。そうでなければ、確実に教団は破綻するでしょう。
具体的には、謝罪を総裁の名前ではなく、理事長の磯部和男氏の名前で行うとか、生命の実相を教団の最重要
経典と改めて発表し、大きな行事での使用を義務化するなどの内容が考えられます。社会事業団側が理事のイスを
要求したら,1名程度なら受け入れてもよいと思います。光明思想社については、販売権の借用をする代わりに売り上げの相当分
を支払うという条件が考えられます
以上の条件をつめて、とりあえずは争いを止め、その上で両者の和解について、話し合いを始める必要はあると
思います。なお、その時点で、参議、理事は更迭の必要があると思います。その際、新しい人材は、本流復活派と
話し合いができる人達であることが大事だと思います。
私個人は総裁の追放を叫ぶ人間ではないですが、和解を考えるなら、本部の従来の方針を修正する必要はあると
思います。また、副総裁人事も、本流復活派も教団側も納得する人を選ぶ方法があります。場合によっては、複数
の人を選んでもよいと思います。この面での話し合いは時間をかけて行う必要はあると思います。
大事な事は、和解に際して、外部の人間が容喙するような事がないようにしなければなりません。
かなりいかがわしい人物が、利己的な動機で動いているとも聞いております。そういう人達に信徒の浄財が流れ
ないよう、注意する必要はあると思います。
以上、簡単な感想でした。
今後とも、ももんが様のご指導を期待しております。
合掌 ありがとうございます
972
:
SAKURA
:2012/02/01(水) 16:37:13 ID:FEa/NNlc
皆様へ
こんにちは……
【栄える生活365章】
■あなたは宇宙に対して絶対価値をもつ
神は “無限”であるが、神は “あなた”一個を自己から欠くことが起これば、
最早 “無限”よりも “あなた”という一個を不足したものとなるのである。
あなたは、それゆえ、神にとって欠くべからざる
“絶対価値”としての存在であるのである。
あなたは、あなた自身の絶対価値を信じなければならない。
あなたは全宇宙に於いて、かけがえない存在なのである。
唯一人、あなたと同じ個性をもった存在もなければ、
唯一人あなたの代用となる存在もないのである。
あなたが全宇宙に於いて為し得る “生き方”を誰も代行することは出来ないし、
また宇宙に於てあなたの貢献し得る仕事を誰も同じように
貢献することはできないのである。
あなたはこの点に於て、宇宙に対して絶対価値である。あなたは神に対して
唯一の絶対価値者である。この事を自覚して、あなたは自己を信じ、
自己という存在に生き甲斐を感じなければならぬ。
谷口雅春著
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
今回の「裁判…」は、“現象”として見つめますと……
【絶対!一元の世界は、不足した事になりますから〜♫〜
“無限”ではなく“現象”としての結果…!
どんな時にも〜どんな時にも〜♫〜【神一元】…振り向けること!!
その思いが…「宇宙」に伝わりまして“形”として現れる…。
「三界は唯心所現…」なのです〜〜〜ョネ!!
今!行動している事の“目標設定”を信じて「絶対価値!!」
一元の世界へ展開できるように…繰り返し〜〜繰り返し〜〜【想念】です〜ネ!!
一元の世界ですから…「勝敗…」は、ないのです〜〜〜ョネ!
再合掌
973
:
ももんが
:2012/02/02(木) 10:37:29 ID:XXCuaQns
皆様、こんにちわ。暖かい日が、続きますね。日時計日記の日時計の様なお日様のもと、今日も、明るく、楽しく、笑顔で、感謝感謝で、参りましょう!ありがとうございます。合掌、拝。(^_^)
〜正法眼蔵・仏性〜
ある一類おもはく、仏性は草木の種子のごとし。法雨のうるひしきりにうるほすとき、芽茎生長し、枝葉花菓もすことあり。果実さらに種子をはらめり。かくのことく見解する、凡夫の情量なり。たとひかくのごとく見解すとも、種子および花菓、ともに条々の赤心なり参究すべし。果裏に種子あり、種子みえざれども根茎等を生ず。あつめざれどもそこばくの枝条大因となれる、内外の輪にあらず、古今の時に不空なり。しかあれば、たとひ凡夫の見解に一任すとも、根茎枝葉みな同生し同死し、同悉有なる仏性なるべし。
今日、心に残る部分は…
<<果裏に種子あり、種子みえざれども根茎等を生ず。あつめざれどもそこばくの枝条大因となれる、内外の輪にあらず、古今の時に不空なり。しかあれば、たとひ凡夫の見解に一任すとも、根茎枝葉みな同生し同死し、同悉有なる仏性なるべし。>>
《私的意訳》
『果実の裏に、種が残ってる《張り付いてる》ことがある。種は、見えないが、茎枝葉が、やがて、生えてくることがある。人的に集め無くても、自然に枝葉の生えてくる基になるのである。心の外、心の内に有る、無しにあるのでは、無い。過去と現在に何か、有るわけわけでは無い。例え、誰の見解に、云わせてみても、茎枝葉の同生《生因果》も、同死《死因果》も、同じ、完全な仏性の現れである。《完全な生命の実相の現れである。》
今日も、大変、難しかったのですが、私なりの、印象で書きました。
さあ、今日も、暖かいですから。明るく、楽しく、お過ごしください。ありがとうございます。合掌、拝。
974
:
ももんが
:2012/02/02(木) 11:55:56 ID:XXCuaQns
>>971
トキ様
トキ様、本部のこと、掲示板の事、色々と多忙で、大変な事と、御察しもうしあげます。ありがとうございます。合掌、拝。
しかし、グーノシス教団と現代光明思想の関係は、良く似た面もあるし、カトリックは現在も邪教探しみたなことしてるとしたら?怖いお話ですね。
トキさまの『事業団』あての、『和解メッセージ』読みました。
昨日、チョト身内と話すことがあり、この話題もしたら、逆に、トキさまのメッセージとは、反対の内容の意外な、回答が、来ました。
ここで、発表するのは、控えますが、私は『成る程』と思いました。
手品には、シカケが、ありますが、これも、手品の一種と観てる方は、可なりいるようです。
花は、日一日と、膨らみをまします。来ない春は無いと言う言葉が、私は、大変好きです。
トキさま、御心労増す、一句に成ったら、御許し下さり。単なる、戯れ言です。
ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。
975
:
元職員
:2012/02/02(木) 13:31:24 ID:???
ももんがさんへ
トキ様と会話中ですが、ここは誰もが参加できる(見ている)掲示板なので
申し上げます。
>>昨日、チョト身内と話すことがあり、この話題もしたら、逆に、トキさまのメッセージとは、反対の内容の意外な、回答が、来ました。
ここで、発表するのは、控えますが、私は『成る程』と思いました。
手品には、シカケが、ありますが、これも、手品の一種と観てる方は、可なりいるようです。>>
貴殿のお身内さんとお話になられた内容を書かないのはどうしてですか
トキさんの意見に反対の立場に『成る程』と思ったと言うならば書かなければ話になりませんよ
今、皆さん大真面目に「生長の家」の現実を心配して意見を書き込んでいるのです。
貴殿の書き込みは、いかにも思わせぶりの不誠実な書き込みに思えます。
折角匿名なのだから、お身内さんの意見を是非発表してください。
そうしないと何一つ説得力がありませんよ。
976
:
うのはな
:2012/02/02(木) 14:09:22 ID:El6gIMAw
ももんがさんへ。 ももんがさんの人格内面などを批判するために書いてるのではありません。
上の元職員さんのそれでは説得力がないといわれるとおりだと思います。
もっとつっこんで話してみてください。
ももんがさんは、外野から「こうしたほうが御得では?」「こうしたことを検討されてみては?と
他のレスを引用しながらやいやい小理屈を言ってるだけの人とちがって、
実際現場で行もすれば研鑽もされてきた方だと思うので。ぜひそういう人の意見を
お聞かせ願えればと思います。
977
:
ももんが
:2012/02/02(木) 15:51:06 ID:XXCuaQns
元職員様
元職員様、トキ様への御返事文を、お読み下さり、ありがとうございます。合掌、拝。
そして、また、得意の言葉使いで、気にいらない人間を追求していく。下記の文面が、元職員様の心を如実に表現しております。
《元職員様の言葉》
《 貴殿のお身内さんとお話になられた内容を書かないのはどうしてですか
トキさんの意見に反対の立場に『成る程』と思ったと言うならば書かなければ話になりませんよ
今、皆さん大真面目に「生長の家」の現実を心配して意見を書き込んでいるのです。
貴殿の書き込みは、いかにも思わせぶりの不誠実な書き込みに思えます。
折角匿名なのだから、お身内さんの意見を是非発表してください。
そうしないと何一つ説得力がありませんよ。》
上の言葉を、『トキ様』が云われたとしても、(トキ様はモット丁寧語で、云われます。)
私として、プライバシーを確保出来ないので、さけます。
確かに、違う見方は、存在しますが、そんな事をここで、お話は、しません。
どう、とられても、私は、今まで、この中で、された、出来事が、色々な、勉強に成ってますから、卑怯と云われようと、詰られようと、それは、仕方のない事だと、思います。
次元の違う話と、云われるでありましょうが?
以前、元職員様?
『自己の退職理由を明確に、お話にはならなかった?』ですね?
それから、
『ID:???』を使い続けてますね?
『ID:???』は、登録制だと、以前聞いた事があります。大変、規制・規則にやかましように、聞きました。
別に、上記の事は、どうでも、良い事です。
元職員様は、大変な先達なのですから、『全てに間違いの無い』御自分を我々に、手本として、示してください。
私は、指摘されるよりも、元職員様の、全ての行いに注目し見習いながら、学ばせていただきます。私にも、納得できる、行いをされますように、お願いします。
では、では、辛口のコメントありがとうございました。また、よろしくお願いたします。感謝敬白、合掌。
978
:
ももんが
:2012/02/02(木) 16:05:56 ID:XXCuaQns
>>976
うのはなさん
うのはなさん、有難う。合掌、拝。
でも、話はしません。本流思考でないと、納得できない人には、話しはしません。
私の中では、本流派へ疑惑は強いです。
だって、現実と違うことばからり、掲示板で見る度に、変だなと、思うよ。
うのちゃん、ありがとう、感謝敬白、合掌、拝。
979
:
トキ
:2012/02/02(木) 16:23:57 ID:o3pB3qgY
ももんが様
ご丁寧なお返事に御礼を申し上げます。コウモリと改名しようかと考えている、トキでございます。
手品のネタは興味がありますが、あえて質問はしません。だって、教えてもらえそうにないですから(笑)
まあ、考えたら、私の1年間の契約の話も手品みたいなものです。
御教示の手品が、裁判の事か、それとももっと大きな和解の枠組みの事か、私は知りません。ただ、今回の騒動は
広く信徒に知れ渡ってしまいました。また、インターネットがありますから、教団が内緒にしようとしても、情報
は漏洩し、信徒に知れ渡ってしまう状態になりました。
また、手品の内容が、あまりにも酷いものだと、これが逆に火に油を注ぐ話になりかねません。
仮に、正しい手品を使って小康状態になっても、信徒も見ていますから、本筋で下手な事をすると、事態を悪化させる
危険性もあります。手品を使ってもいいですが、正々堂々の和解をしないと、根本的な解決にはならないのではないか、と
いう印象を持っています。
ただ、肝心の教団上層部の考え方が見えてきません。ももんが様は、大先達のようですから、機会がありましたら、
彼らに手品を教えて差し上げるのもよいかもしれません。また、時期が来たら、私達にもネタを教えて下さい。
合掌 ありがとうございます
980
:
ももんが
:2012/02/02(木) 18:09:01 ID:XXCuaQns
>>979
トキ様
トキ様、丁寧お言葉、ありがとうございました。合掌、拝。
<< ただ、肝心の教団上層部の考え方が見えてきません。ももんが様は、大先達のようですから、機会がありましたら、
彼らに手品を教えて差し上げるのもよいかもしれません。また、時期が来たら、私達にもネタを教えて下さい。>>
また、また、”大先達“等と、勿体ない、お言葉、皆様に、頭が下がる思いで、ございますから、余り使われませんように、お願いいたします。
恥ずかしいです。
”手品のネタ“は、トキ様と直に、本部の受付のお姉様の前ででも、お話できたら、楽しいですね。
無理でしょうね。
聞いたら、笑われてしまうかもしれませんね。
あと、トキ様?
『法燈継承の真義』の御文章は、トキ様的に、どの様に、解釈していられますか?
あれは、清超大聖師の御文章で、雅春大聖師も公認と、私は、思ってるですか?
間違いでしょか?
宜しく、御至難下さい。
感謝敬白、合掌、拝
981
:
志恩
:2012/02/02(木) 18:47:56 ID:.QY5jUA6
元職員さま、うのはなさま
ももんがさまに、疑問点を質問したら、またいつもの調子で、はぐらかされてしまいましたね(笑)
疑問点は、放っとかないで、質問することが、ここをご覧の皆様に対するしんせつな
行いだと思います。私も、知りたかったので、
よく質問してくださったと感謝しております。
とにかく、ももんがさまは、昨日、”身内の方”と、話したのでした。。
話した際、話題になった内容は、トキさまの「事業団」宛の、【和解メッセージ】,,,それとは,反対の内容の以外な
回答があった。
ヒント=手品には、仕掛けがあるように、いま、教団がしている行いには、手品と同じく、実は、裏に仕掛けが、
仕組まれているのだ。
手品の一種と観ている(たぶん、教団上層部でしょう)人は、かなり居る。
それの種明かしは、ここでは,言えないよ。
ということでしょうか。
思うに、このような裏のうちうちの話は、一般信徒相手では、しませんから、ももんがさまが、昨日、話した相手は、
いつも公園管理をされているというお仲間の人ではなく、生長の家教団内部の事情に精通したお方だと察しられます。
あとは、手品の仕掛けが、私達の眼の前にも見えるように展開されるであろう日を、たのしみに、
皆様とともに、お待ちしていましょう。
私も、仏教の大先達の、ももんがさまに、教えていただきたいことが、ございますので、後ほど別に書かせて頂きます。
そのせつには、よろしくご指導のほど、おねがいします。
982
:
ももんが
:2012/02/02(木) 19:26:01 ID:XXCuaQns
志恩女史
志恩様、休戦中にも関わらず、デシャバていたただき、ありがとうございます。合掌、拝。
私は、志恩様と、今のところ、一言も話そうとは、思いませでしたが、志恩様の、何時もような、づうづうしい下記のコメント、只、恐れ入る、ばかりです。
《志恩様の言葉》
<<元職員さま、うのはなさま
ももんがさまに、疑問点を質問したら、またいつもの調子で、はぐらかされてしまいましたね(笑)
疑問点は、放っとかないで、質問することが、ここをご覧の皆様に対するしんせつな
行いだと思います。私も、知りたかったので、
よく質問してくださったと感謝しております。
とにかく、ももんがさまは、昨日、”身内の方”と、話したのでした。。
話した際、話題になった内容は、トキさまの「事業団」宛の、【和解メッセージ】,,,それとは,反対の内容の以外な
回答があった。
ヒント=手品には、仕掛けがあるように、いま、教団がしている行いには、手品と同じく、実は、裏に仕掛けが、
仕組まれているのだ。
手品の一種と観ている(たぶん、教団上層部でしょう)人は、かなり居る。
それの種明かしは、ここでは,言えないよ。
ということでしょうか。
思うに、このような裏のうちうちの話は、一般信徒相手では、しませんから、ももんがさまが、昨日、話した相手は、
いつも公園管理をされているというお仲間の人ではなく、生長の家教団内部の事情に精通したお方だと察しられます。
あとは、手品の仕掛けが、私達の眼の前にも見えるように展開されるであろう日を、たのしみに、
皆様とともに、お待ちしていましょう。
私も、仏教の大先達の、ももんがさまに、教えていただきたいことが、ございますので、後ほど別に書かせて頂きます。
そのせつには、よろしくご指導のほど、おねがいします。⊿>>
上の表現は、志恩様とお話して無いのに、話てくるんですね?
誰かと、”連絡“でもとって、出て来たんですかね?
志恩様とは話をして無いのですね。
解ってもらえましたか?
上の言葉や、私の表現は、多少品格に、かきました点は、御容赦下さい。
しかし、志恩様は、本流大好き人間であるゆえに、現在、休戦中です。
少しは、考えて、私と接して下さい。
貴女様も、本部職員さまだったわけですから、宜しくお願いいたします。感謝敬白、合掌、拝。
983
:
トキ
:2012/02/02(木) 20:16:22 ID:o3pB3qgY
ももんが様
ご丁寧にお返事、ありがとうございます。
すみません、折角、一つバトルが収まったのですから、これ以上バトルが勃発しないようにご協力を
お願いします。
『法燈継承の真義』でしたら、たぶん、本流掲示板に投稿されている方々が大好きなテーマだと思います。
私みたいな若輩者に訊いても時間の無駄ですよ(笑)。だいたい、私は正当派の生長の家とはお世辞にも
言えません。だから、本流掲示板の方々からあんなにお叱りを頂戴するのです。
『法燈継承の真義』は、谷口雅春先生がご了承されたのですから、その通りなのでしょう。
ただ、その解釈は少し分かれる点があると思っています。
私は戦前の生長の家が理想だと思っていますから、現在、流行している「中心帰一」論の信奉者ではありません。
今の中心帰一の考え方は、主従の関係になってしまっていますが、私に言わせれば、本当は親子のような関係だと
思っています。
具体的に言えば、戦前、谷口雅春先生はご講演などの場所では、謹厳実直な方でしたが、ひとたびご講演が終われば
冗談が好きで、明るくて、人間味のある、暖かい方だったと聞いております。ですから、みんな、谷口雅春先生を尊敬
していましたが、それ以上に大好きだったみたいです。地方でのご巡杖でも、講演が終わった後、場所を移してみんな
で食事を取ったり、冗談を言い合ったりしました。ご講習会でも、幹部は仕事があったら、平気で出迎えを別の人に
頼んだみたいです。
それが、戦後、軍隊から返って来た人達が信徒として活動をするようになると、軍隊の内務班のような雰囲気が
出てきたみたいです。その後、組織が大きくなると、谷口雅春先生をあがめ奉るような雰囲気が増大し、ついには
現代のように、総裁に関する事は冗談のネタにもできないようになったのです。私は、戦前の信徒の方々が、こういう
空気を憂いていたのを、この耳で聞いております。
「こういうのは中心帰一ではない。支那式の服従だ」と。
こういう背景を考えたら、『法燈継承の真義』を承認する事が、そのまま、現在の総裁の言動を無条件で支持する
理由にならないし、同時に、本流復活派の言動も無条件で支持する理由にもならないと思っています。
すなわち、『法燈継承』がなされた以上、総裁は総裁ですから、それを追放するのは筋は違います。
しかし、総裁と言えども、その権限は「生長の家」の信仰という範疇でのみ認められるべきですし、その権限も
生長の家の信仰と運動という目的でのみ認められるべきです。自分の好き勝手が出来る訳ではないと解しており
ます。『法燈継承』とは、あくまでも「谷口雅春先生の説かれた教え」を継承する意味であり、その指導は理念に
従い、手続も公明正大に行われるべきだという解釈をしております。
こういう考え方をしているから、私は、「コウモリ」だと言われるのですね。
と、いうふざけた考え方をしています。失礼をお許し下さい。
合掌 ありがとうございます
984
:
トキ
:2012/02/02(木) 20:22:21 ID:o3pB3qgY
訂正をします。
しかし、総裁と言えども、その権限は「生長の家」の信仰という範疇でのみ認められるべきですし、その権限も
生長の家の信仰と運動という目的でのみ認められるべきです。
というのを
しかし、総裁と言えども、その権威は「生長の家」の信仰に由来する以上、その権限も
生長の家の信仰と運動という目的でのみ認められるべきです。
と変更します。ごめんなさい。
985
:
ももんが
:2012/02/02(木) 20:27:11 ID:XXCuaQns
>>983
トキ様
トキ様、『法燈継承の真義 』の解釈に、御回答下さり、ありがとう、ございます。感謝敬白、合掌、拝。
私も、完全とは、いきませんが、トキ様の解釈に近い心情ですので、『法燈継承の真義』に関しては、同意に近い賛成です!
真、御回答、ありがとうございました。感謝敬白、合掌、拝。
986
:
ももんが
:2012/02/02(木) 20:43:28 ID:XXCuaQns
>>981
志恩女史
志恩様、別版への、私の投稿、ありがとうございます。合掌、拝。
下記の様に、『本流思考のお仲間』と“ハラスメト的投稿楽しく、自分達のお仲間で、お楽しみ下さい。
<<1614:志恩
12/02/02(木) 20:12:17 ID:.QY5jUA6
ももんがさま
質問は、「安谷白雲」老師に関係することです。
本流掲示板で,山ちゃん1952様が、「掲示板である人の付和雷同に驚く(6341)」2012,01,26:というテーマで、
ももんがさまの発言に、疑問符を投げられたことの1つに、私の質問が、一致しますので、ここへ書かせていただきます。
ももんがさまは、
「白雲会の安谷白雲老師は、著書の「無門関」の中で、谷口雅春先生の「無門関解釈」の誤りを、手厳しく、指摘されてます。
雅春先生といえども、過ちは、あるのです。」
と、ここのトキ様の掲示板に、ももんが様が、書き込まれた文章。それを
山ちゃん1952様が、あちら(6341)に添付されてますが、
それについて、
山ちゃん1952様は、
「雅春先生が、まちがっているという。何ら,間違いの箇所を指摘しないで、こういうことを言い切るのは、「沢山の信徒様に
誤解を与えます」私も反論出来ない。と、危惧の念をコメントされてます。
このとき、ももんがさまは、山ちゃん1952様の、ももんがさま発言の、疑念に対しては、なに1つ回答されておられませんでしたね。
ところが、2012,01,28:
ももんがさまは、トキさま宛に、大事なコメントをここの掲示板の信仰/体験板に、再度書き込まれました。
「あと、安谷老師の「無門関」見つかりましたから、雅春先生を批判されてる箇所、今度、掲載いたしますので、
楽しみに、お待ちください」
まずですね、ここは、生長の家掲示板ですのに、創始者の雅春先生を、安谷老師が、批判されてる箇所が、見つかったから、今度、
それを書くので,楽しみに待っててくれ!という、ももんがさまの、いつもながらの、いやみったらしい、言葉に、私は、正直言って、毒矢が刺さった様な心持ちになりましたが。
気を取り直して、質問させて頂きます。
ももんがさま、判決もでましたので、2月になりましたので、ももんがさまが、見つけられたという安谷老師の「無門関」の。
第00の、何ページに、なんという言葉で、批判の言葉が,書いてあるのか、ご指摘いただきたいのです。 ~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
安谷白雲老師というお方は、すごい立派なお方で、三宝教団(さんぽうきょうだん)という禅仏教の宗教法人の初祖です。
こういう仏教界の大御所の大老師が、多くの著書の中から,雅春先生が出版された「無門関解釈」を、選んで読んで下さり、手厳しく批判も
して下さったというのは、見方を変えれば、それだけ、雅春先生のことを注目してくださったという証でもありますから,信徒として、誇りに思えることなのです。
〜つづく〜>>
わたざわたざ、また、載せて、楽しそうですね、志恩様。
今のとここ、本流派とは、話す気になりません。私で良ければ、どうぞ、玩具の一品として、お楽しみ下さい。
安谷老師のお話は、ゆっくりさせてもいます。
では、お仲間で、お楽しみ下さい。志恩様。聞こえましたね。ありがとうございます。
感謝敬白、合掌、拝。
987
:
志恩
:2012/02/02(木) 23:26:16 ID:.QY5jUA6
トキさま
「折角、一つのバトルが収まったのですから、これ以上、バトルが、勃発しないように
ご協力をお願いします。」
ということですが、私だって、こういう時期ですから、発言したくなかったのですけれど、
ももんがさまは、こういう時期でも、生長の家のこと、いろいろとおっしゃってるおられるでは、ないですか、
疑問におもうことも、黙っていたら,世界中のここをご覧のみなさまが、そうでないことも、
「そうなんだ」と、勘違いして、思い込まれてしまいます。
自分のことではなく、雅春先生、清超先生のことです。
例えば、ここの板の956:に、ももんがさまは、トキさま宛に、下記のこと書き込まれています。
「先日、たのサイトを読んでいました。
「清超先生、雅宣先生は、雅春先生の行き過ぎた、憲法解釈や愛国運動を改革するのに、たいへんだ』見たな、生長の家関係者のサイトがありました。
ここは、本流系的ですが、教団系サイトも存在することがわかりました」
という書き込み。私は、これを読み、教団系サイト?それは、どこのサイトだろうと、あちこち探したのですが,見つかりませんでした。
これって、雅宣先生だけでなく、清超先生まで、雅春先生の運動方針に対して,改革することに腐心していたというメッセージを世界に向かって、
発信していることになります。真偽を確かめたいと,信徒として、思われないのですか?
私でしたら、それは、どこのサイトですか?と、やわらかくお聞きします。
トキさまは、いつも、素晴らしいご投稿、ありがとうございますで、おしまいにされますが、
生長の家教団にとって、真偽を確かめる事も、大事なことではないでしょうか?
管理人様のお言葉ですから、重くうけとめさせていただきますが、疑問に思った時は、そのときは、今後も、意見は述べさせていただきます。
988
:
SAKURA
:2012/02/03(金) 00:15:16 ID:FEa/NNlc
皆様へ
【幸福を招く365章…】
■人間は霊であると云う意味
霊と云う語は、広い意味をもっている。
一般にそれは「非物質であって霊妙なはたらきあるもの」と云う意味である。
宇宙霊すなわち【天地の本源神】と云うような場合もあれば、
肉体を抜け出た個別霊、すなわち「霊魂」を意味する場合もある。
「人間は霊である」と云うような場合は、「人間は霊魂である」と云う意味でなく、
人間は「非物質にして霊妙なはたらきを有する神霊である」と云う意味である。
「霊妙なはたらき」と云う意味には「神通自在」と云う意味もあれば、
「生命力を有する」すなわち「霊活者」であると云う意味もある。
即ち「人間は霊である」と云う、意味は「人間は非物質にして神通自在の生命
そのものであり霊知者である」と云う意味である。
< 谷口雅春著 >
母の“御霊様”を見てからの私は…
“肉体はない!”と思いました…。そして人間は「霊的人間…」と
一人なりの……【悟り】……それからの私は全ての物事の考え方が、変わりまして、
今回の裁判の捉え方も、当然!変わってきているのです。
一方的に「現総裁の悪口」を、言っておられる方達の“言葉…”の使い方に、
正直…ビックリします。
更に思いますが…そんなに、向こうの言い分は100%正しいのならば…
何故?どうして?今まで「生長の家…会員数」が増えないのでしょうか…?
私なりに思いますが、現在“出て行かれた幹部の方達“は、
ある面!非常に“傲慢な部分”が必ずあったのではないのでしょうか…?
その様な方達が…「谷口雅春先生の御教え」を、
何処まで“理解”されているのかしら〜〜ン
「霊的人間…」ならば、モット!【調和の世界】に入って躯てほしいです〜ネ!
母の“御霊様”から本当に【人生観…】が覆されてしまいました…。
【平家物語…】ではありませんが…【無常…無常…】
まだ!まだ!…ふとした時に「母の思い出」が脳裏に蘇って参ります…。
「人の悪口…」は、絶対!!云わない人でした…。
「親子の会話…」は殆どないのに、不思議?変な処で思い出してしまいす。
そして、やはり母が亡くなったと云う…事は【事実】なのです…。
日に日に、実感しながら、“仏壇…”に向かって話をしたりしています…。
本当に【霊的人間との自覚】が、出来つつある“私”です。
明日、「法要」で自宅に住職さんが来られる予定でしたが…
朝から、粉雪が舞い落ち…
「元・政令都市{100万都市}」から、現在の100万都市に来るのは遠いのですが?
所要時間…1時間半?かかりますが…。
気持ちよく来て下さるとの事!これだけでも…「感謝!」
今日は、朝から夕方まで…その準備でバタバタしていました。
部屋の掃除から・・・仏壇・・・お花・・・おとき(おもてなし料理)…
その時…リ〜〜ン ♫来るのが「延期…」に?
雪も振りまして、かなり九州は、冷え込んでくるようです〜〜ネ!
次回まで…又!変更ですかしら〜〜ン?予定は未定??
更に!晩年の先生の本を、皆様も読まれたでしょうけれども、
晩年の先生は“神霊”が少し弱くなっていたとか記していらっしゃいましたが…
これは「環境の変化」からかしら〜〜ン?
現総裁先生は、講演の最後に「神想観…」をされますよ〜〜〜ネ!
私、去年…初めて「強い〜〜霊力感」が伝わりましたが…
その時!やはり!「谷口雅春先生のお孫さん?」
必ず!いつか!「現総裁先生」も…神霊が〜〜芽生えだす事でしょう…?
唯今…【カオス世界…】どっぷり浸っていらっしゃるとお聞きしてますが…?
その後は…必ず「春が来る〜♫〜」そして、信者も…神霊〜〜♫〜〜芽生え?
そこには…素晴らしい「霊的人間集団…生長の家…再出現!」
此処は〜〜一人で「夢見がち…」
再合掌
989
:
ももんが
:2012/02/03(金) 10:29:45 ID:XXCuaQns
皆様、こんにちは。今日も、良い、天気ですね。さあ、今日も、元気に、明るく、楽しく、感謝、感謝で、生活して参りましょ!ありがとうございます。合掌、拝。
〜正法眼蔵・仏性〜
仏言、『浴知仏性義、当観時節因縁。時節若至、仏性現前』。《仏の言く、『仏性の義知らんと欲はば、まさに時節因縁を観ずべし。時節若し至れば、仏性現前す』》
いま『仏性義をしらんとおもはば』といふは、たた知のみにあらず、行ぜんとおもはば、証せんとおもはば、とかんとおもはばとも、わすれんとおもはばともいふなり。かの説・行・証・亡・錯・不錯等も、しかしながら時節の因縁なり。時節の因縁を観ずるには、時節の因縁をもて観ずるなり。払子・柱杖等をもて相観するなり。さらに有漏智・無漏智、本覚・始覚、無覚・正覚等の智をもちいるには観ぜられざるなり。
〜以下つづく
今日、私の心に残るところは、この部分です。
《仏言、『浴知仏性義、当観時節因縁。時節若至、仏性現前』。《仏の言く、『仏性の義知らんと欲はば、まさに時節因縁を観ずべし。時節若し至れば、仏性現前す』》
(私的意訳)
(お釈迦様は、言われました。『自己の完全な仏性の真を知ろうと、心の底から願うなら。時の流れ、心意識の流れ観じる心を養い観じる事である。そういう、時節因縁を観じる心を養ううちに、何時しか、仏性が自己の姿となって現れてくる。』
今日も、大変難しかったですが、坐禅の冥想としての特色が出た、一説でした。『坐禅は、すべからく、つねに、目を開くべし』と言われますから、この辺は、神想観の瞑目してまう、冥想とは、多少異なる事も、あると、思われます。
今日も、暖かいですね。ここで、雀の囀ずりに、耳を傾けているだけでも、季節の変化を心で、楽しめる日が、続きます。
それでは、皆様、今日も、明るく、楽しく、笑顔で、生活していきましょ!ありがとうございます。合掌、拝。
990
:
a hope
:2012/02/03(金) 10:38:10 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
第三章 信念による幸運の生かし方
信ずることのみ輝く
私はこの『人生読本』を読んでも、『生命の実相』を読むのと同じように病気が治ったり、
成績がよくなったり、皆さんの性質がよくなり、家庭が明るくなると信じています。
もしそうならないのなら、それは疑いという迷いに捉われているからです。
こんな人達は疑いの心を捨てて、ただ「なるほどそうだ、そうだ」
と理屈なしに受けいれながらお読みになるようにおすすめしたいのです。
疑いを捨てて、ひたすら読んでいる内には、御本の中にある貴い真理が、ひとりでに悟れるのです。
ですから、まず疑いの念(こころ)を捨てなければなりません。
いつまでも疑いの迷いに引っかかっていては、ご自身の生長ということがありません。
(つづく)
みなさま おはようございます。
今朝も寒かったですね。 昨晩、わたしは、寒さで何度も目をさましました。
子どもたちも、布団をはいだりして、寒いのではないだろうかと心配して、
各部屋を確認しましたが、みな、シッカリと布団をかけて、熟睡していました。
子どもって、赤ちゃんじゃなければ、親がそんなに心配しなくても、
寒ければ自分でちゃんと布団をかけるものなのですね!
たくましいな〜と、いつも感心しています。
それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま、今日も、充実した一日をお過ごしください!
991
:
a hope
:2012/02/03(金) 10:39:10 ID:kcv2QXTk
ももんがさま
>>969
>人生読本は、私も持っておりますが、できますなら、a hope様御自身の『実相の眼』を持って、『実相を現した言葉』を教えて頂きたく、思います。
余談でしたが、これからも、人生読本、楽しみに拝読いたします。<
いつも、わたしの人生読本の筆写、読んでいただきありがとございます。
>できますなら、a hope様御自身の『実相の眼』を持って、『実相を現した言葉』を教えて頂きたく、思います。<
とありますが、わたしは、「実相=内在する神」のことだと思っていますから、
ももんがさまの、上の御言葉は、わたしに「神の言葉」を話すようにと、ご要求されていると感じてしまいます。
・・・・無理です(笑)
今のところは、現象人間のわたしの言葉しか話せませんが、
ですが、毎日、神想観して、聖経読誦して、聖典を拝読して、少しでも、実相を表現できるように努力したと思います。
最近、ももんがさまが、「正法眼蔵」の意訳をしてくださるようになったので、
わたしにも、「正法眼蔵」の原文の意味がだいぶ分かりやすくなりました。
ありがとうございます。
お寺で拝聴していた、「正法眼蔵随聞記」のノートや資料が見つかったので、
そちらの方も、あらためて読みなおしてみたいです。
ももんがさまの投稿、いつも楽しみにしています。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。
992
:
ももんが
:2012/02/03(金) 17:37:41 ID:XXCuaQns
>>991
hope様
a hope様、私への御返事文、ありがとうございます。合掌、拝。
『随門記』の拝聴のノートまた、宜しくご紹介お願いします。
私も『随門記』毎回、拝聴し、自分でも拝読したので、特に心に残る箇所を数ヶ所持っています。
是非よろしく、お願いします。
では、何時も、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。
993
:
ももんが《泣き》
:2012/02/03(金) 17:48:58 ID:XXCuaQns
志恩女史の楽しいハラスメト遊び《状況》
志恩様を、観察してると、昨晩の様な、行動パータンを取ります。
何故か?『復興G様』登場?志恩さん、連絡してないて、ホントかい?て、疑問付つきました? 別に探偵ゴッコしてません。
《復興G様何故か?現れる》
1617:復興Gの妄想独り言
12/02/03(金) 05:19:11 ID:ojEbkDH2
もしかして、ももんがさんは、
生長の家総裁、なのかしら。
もし、そうだとしたら、大変、なことだわ。
あの方は、小説だって、お書きになる、
創作力、をお持ちの方だものね。
(これは、全然根拠のない、妄想、
独り言、ですから、
無視、して下さいね。)
次に、志恩様が、現れました。
《志恩さま登場!》
1618:志恩
12/02/03(金) 06:14:21 ID:.QY5jUA6
復興Gの妄想独り言 様
あぁ、確かにそうでした。総裁は、小説の創作もされるお方でしたね。
先日、ここの板に、私は、初心者さまと、ももんがさまは、別人だと
以前から捉えてきた、と書き、類似点と相違点を、箇条書きしました。
しかし、総裁が、小説家のように、別の人格を演じて、書いていたら、それは、わかりませんとも書きました。
そういえば、まえに、さくらちゃんが、来ていたとき、初心者さまは、別の人格になるのが、すごく、うまい人だと
言ってたのを、思い出しました。それは、意味不明のコメントでしたが、何か、彼女は、知っていたのかな。
最初のころ、初心者様は、ご自分のことを「あたし、あたし」と言っておられました。
それを「おいら、おいら」に 変えて?(笑)わ か ら な く なりました。(笑)
復興G閣下は、今日の早朝神想観のとき、インスピレーションで感じられたのですか?(笑)
と?言う、感じです。
志恩様のハラスメト遊びの実態です。
志恩様は、大変楽しいようです。空想力も満点ですね。拍手しちゃいます!流石、本部長老です。
もっと、がんばって、こき下ろして、下さい。
嬉しい!楽しい!楽しい、アッハ、ハッハ!
志恩様の、脳訓練の為なら!私、ボランティア活動させてもらいます。
がんばって下さい!志恩様!ありがとうございます。
感謝敬白、合掌、拝。
《玩具とされてる体験談》
994
:
うのはな
:2012/02/03(金) 18:07:08 ID:El6gIMAw
ももんがさんの苦悩が軽減されるように、隠しだまの神想観をするときに、
ささやかながらお祈りさせてもらいます。
でも、すぐに横から首を突っ込んでくる騒がしい男が、志恩さんなどに、
ももんがさんを攻撃するのはけしからん、デマを流すのは許さん、ってかんじで
口出ししてこないのが不思議ですね。
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