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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板
830
:
うのはな
:2012/01/21(土) 17:55:03 ID:El6gIMAw
管理人さん、了解しました。でも上記は、私や訊けさんの議論ではなく、
他の掲示板で「うそはよくない」という見地にたった、コメントの一部掲載です。
ここで議論しようとかの意見ではありません。
また別の機会にでも、全文部室版ででも掲載しようと思います。
それに訊けさんが昨日から私の記事の一部を取りざたして騒いでいた流れでの
ことですから、迷惑なら「訊け」管理人さんに先に注意するようにお願いします。
「殺伐」な雰囲気の元である「訊け」さんへの注意を忘れないようにしてください。
831
:
うのはな
:2012/01/21(土) 18:00:47 ID:El6gIMAw
>> 828
貴女への投稿へも、ここで「訊け」さんが出てきた流れでのことですから
ご了承願います。返事は部室版などでお願いします。もし、苦言があるなら
「訊け」管理人さんに言ってください。
832
:
役行者
:2012/01/21(土) 19:22:51 ID:1kPyAi3c
SAKURA様
雅春先生の書かれた、生命の実相、霊界編は、なぜか心にいやらしい気持ちが残らないのです☆彡
読み終えたあと、ほのぼの暖かいもの、しみじみ透き通る美しきものが何とも云えぬ情愛とともに、心に染み渡るのです。
霊というものを捉えるのに、私にとっての最高の教科書です。
ありがたいことです。
しかし、その生命の実相のことですが、
>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜* 生命の実相」今回の新刊の感想を…皆様の投稿文 により把握させて頂きながら… 愛蔵版…ベ−ス」との事…参考にしたく思いま す…(まだ、私自身の手元には、今回の事がありまし て…“注文”したものの〜〜〜〜><)<
新編、生命の実相を注文したものの・・・何かあったのですか・・・
私は今のところ、まだ手元にもありません。
何はトモアレ、生命の実相について私も含め一人一人が真剣に考えるようになり、ありがたきことと思っております。
こんなことでもなければ、きっと皆さん、空気や水のように当然存在するものとして、ウヤムヤにしていたところかもしれません。
今一度、真っ向から生命の実相について考える良き機会を与えられ、感謝合掌としましょう! それどころか、人類救済の書として、世に打って出る絶好のチャンスかもしれません。
この判決の延長が決まった11月22日(聞くところによると)、雅春先生の御生誕日・・・生命の実相、霊界編ではないですが、何か見えない力が動いたのでしょう!
きっと、良い方に向かうと信じてます。
833
:
SAKURA
:2012/01/21(土) 21:05:00 ID:zrpEHTE.
トキ様へ
合掌ありがとうございます。
>816 トキ様 の“投稿文章”からの一部感想…を申し上げます…。
今回“母の御霊様”件で「肉体無し…」と改めて思います…。
人間の本体は“御霊…肉体は借りモノ…霊−>自由自在に心の状態で…
どうにでもなれると申しますか、
人間として【実相=現象としてのかたち】全ては“心”で動くものなのでしょう…?
“亡き母の御霊様”を見まして「霊の世界…」では…?
現象世界では、私自身の五感では“まぁる〜〜イ♫まぁる〜〜イ♫御霊”に見えるけれども“実相世界”では自由自在の姿なのでしょう…?
だんだん…母が見守ってくれているように思います…。
まだ、いろいろな事がたくさんありますが…後程記載してみたいと思いますが…。
今は「お聖経」を、読んでおりますと、
【肉体人間ではなく霊的人間】の意味もわかり〜楽しく母と交信しているような気持!
そのような感じで…「霊界通信…」のような感じが…
今回の件…本当にありがとうございました…。正直申しまして“落ち込み”は…
冷静さをたもとうと思う反面…感情のコントロ−ルが…先にどうしても
悲しみに打ちひしがれ…
要約「母を老人ホ−ム」から引き取る準備で、やっと…20日以降に母を向かいに
行くようにしていました矢先であり、母もそれは、楽しみにしておりましたが…
予期しない“アクシデント”も多々あり〜その事は事実なのですが…
急に“容態悪化”となりまして…私なりに、現在調べているところなのですが…?
その様な時“亡き母の御霊様”を見まして、泣くという感情よりも…“母の生命は永遠”と…「生命の実相…霊界編」通りなのです〜〜ネ!その思いが強くなりまして…
涙が止まりました…。
更に!沈んだ気持ち(ネガティブ感)を、いつまでも私自身が引きずり込んでおりますと、母が霊界で…足を引っ張ってしまう事になるのではないでしょうかしら〜〜ン??
ふと!それはよくない事?と…ある書物に書いていましたし…
私が、光明面を見ましての“ポジティブ感”になる事により…更に行動しますと、
母も喜び、福音”を頂けますでしょうと思えるようになりました。
これは、きっと〜「母からのプレゼント」と、思います…。
<続く> No.1
834
:
SAKURA
:2012/01/21(土) 21:05:54 ID:zrpEHTE.
<続く> No.2
【本部と教区の関係】は、確かに、複雑です〜〜〜ネ!
そして、これは地域性・教化部長の方針・考え方…etcによりまして相違点があるものと…
一例で申しますと…当時TYO在中の頃、まだ本部敷地内に第一教区がありました頃は…
確かに、地方から初めて訪れた頃…「何処に教区が???」と探したモノです…。
しかも当時は「本部職員の顔の表情…暗い方?」でしたでしょうか?
かと申しまして、第三者的に見まして“教区信者のマナ−”もひどいものがありましたし、属に“変わり者”も結構いたように思えますが…
その後、南館に元第一教区ができました当時……正直【献金…】は、すごいものでしたネ?本部に行きましても、当時の私は“祈る部屋”が狭い様に感じました面もありましたが…まだ“心の未熟さ”がありましたので、自宅よりも本部に行く…もしかしますと…
その本部にお参り??その様な気持ちが心の片隅に存在していたのかも知れません。
よく“お祈り”に行っておりましたが、当時は「現象…としての祈り」が多かったのでは?その様に思えます。
冷静に判断しますと…【鉄の壁】遮断により、天上人?下界人?全くもちまして…
人間性も卑下して見られていたように思いますが…?
その様なさなか…“萩窪”に居住します頃「亡き清超先生」が…
貧しい方には“モノ”より“真理”と…お話をされていましたので…当時!
「新宿駅周辺」に浮浪者が…うよ〜うよ〜?数えきれない位の人がいました〜〜ネ!
そして、失礼ですが…かなりの悪臭〜〜〜
その時!「亡き清超先生の言葉」が、今でも頭から離れないのです…。【真理…】
萩窪駅に降りますと、改札口に必ずといっていい程座っています“60〜70歳の老人”…
当時の私は…30代後半でしたが…。
その人の近くを通る度に、気になり…“先生の言葉…真理”が、脳裏から離れず…、
ある日!思い切って近くの弁当を買って渡しまして、同時に“普及紙”を手渡しました…。
この老人??不思議な人なのです…?“地べた”に座って、本を読んでいたり〜新聞を〜?
■その後…この老人は…“本”を読まれたのでしょうか…??
実は!!それなりの“身なり”になりまして、いつの間にか〜〜〜?
私の“眼中”からは、いなくなりました…。きっと〜きっと〜⋆ ☆
“神様”から…きっと導かれた事と…思います…。
この事が…私が“浮浪者の方”との…最初の…なのです???
835
:
SAKURA
:2012/01/21(土) 21:06:54 ID:zrpEHTE.
<続く> No.3
【肉体人間ではなく…霊的人間】と悟りますと…自由自在に動けるのですョ〜〜〜ネ!
やはり「貧しいのは”心“が…貧しいワケ”であり“物欲”にとらわれた事なのでしょうか…?それが、この方々にとりまして…現象界に現れているのでしょうかしら〜〜ン?
「生長の家…」この“御教え…”
雅春先生の書物を拝読する事は、「精神の高揚…」をならしめるものでは…??
「現象から実相にイメ−ジ」を…訓練する事は“かたち”として現れる事と思います。
【心から〜姿かたちに〜変化しまして…環境問題が完成する】のではと、思いますが…
【大草原の小さな家〜〜♫】みたいにはなれない時代…私も若いころは“夢”見ましたが…
きっと〜きっと〜♫ 今の時代…現実を見ますと…どうしても〜><
“心の変化”が…あるのではないのでは??と思いましたが…??
このネットを通じて“信者とのコミュニケ−ションパイプ”は、必要ではないでしょうか?
この“メリット”は…顔が〜声が〜♫ “秘密?”従って自由に投稿ができますでしょう??
(反面…文章力?難し〜〜いです〜〜ネ!
そして…PC操作を、ご年配に教えます機会が必要ではないのでしょうか??)
この事は…色々な面で…プラスメリット!!に成る事と思います…。
私も…販売の時!消費者のニ−ズが…見えなくなってしまった頃がありましたが…?
それでも購買される方が…います“モノ”…という事は?
【時代の変化をつかむ事!!】も大事で…今までの方針・対応策が…通用しないと分かり、
私は、それに応じて「研究・思考しながらイメ−ジ=神想観!」
それによりまして…直観!!解決策!!
徒然なるままに〜〜〜♫ ですが…
「TYO教区の方達…」正直申しますと…
ある方は「もう〜〜トップの方達の世界観は、おかしい〜〜」と異口同音いってますし、
ほとんどの方は、あちらで勝手に“山梨”に行って…こちらもこちらで勝手に“教区”
として独立宣言??自分達には、まったく〜〜〜関係ない!といったような感じですネ!
更に!本部が無くなったら?その時に“教区”で…何とかなるのでは?と言っている人も…おりましたが…???現状を、把握していないように思いましたが…
この事は、今の私の九州でも“お偉様が…”とか“私の代で…?終わり〜〜〜ョ”とか…
それでも【奇蹟…】ほとんどの方達が、小さな〜小さな〜♫“奇蹟”だけはある様ですが?
(一般信者の方々ですが…)
現教区も…私のTYO在中の頃よりは、オカシク?なっているのではないでしょうか??
私もいずれにしましても…TYOに戻りますが【生長の家…】
その時?果たしてどのようになっていますか?不安にはなりますが…
「裁決…」を待つよりも〜〜事前に〜〜事前に〜〜歩み寄ります“対話”
そのためにも…本当に“対話による和解”のみです〜ネ!
その事を…切に願います…。
どんな時にも〜どんな時にも〜「皆さんは…元々!生長の家…家族」でしたでしょ〜〜う!
再合掌
836
:
ハマナス
:2012/01/21(土) 21:41:11 ID:u5mC.eb2
SAKURA様
お母様のご冥福を心からお祈り申し上げます。
また、お母様の素晴らしいお話しをありがとうございました。
私も昨年父を亡くしましたのでお気持ちがよくわかります。
身近な人の死を経験しますと、いのちが生き通しであることが実感されます。
お父様とお母様から受け継がれた生長の家を、きちんと継がれていらっしゃる事
それが一番の親孝行ではないでしょうか。
お母様も喜んでいらして、これからも、霊界から愛し、見守って下さると思います。
837
:
ハマナス
:2012/01/21(土) 21:45:18 ID:u5mC.eb2
訊け管理人様
>自分の利き腕で、もうガンガンに、それこそ「感謝」しながら、そして時折、
「そうそう!」と言いながら、合間に「同意!」「チェスト!」とか叫びなが
ら、ただ淡々と入力する・・・・・・・これがもっとも楽な方法でごあす(笑)
アドバイスありがとうございます。
やはり、心を込めての手作業なのですね。
大聖師谷口雅春先生のお言葉、
「それでは、「左様なら!!」とニッコリ笑って、皆様とお別れ致しましょう。
しかし今別れても次の境涯で皆様と再会する時期が屹度来ると信じます。」
私も雅春先生に再会できるように精進し続けて行きたいと思っています。
838
:
ももんが
:2012/01/22(日) 00:17:16 ID:XXCuaQns
皆様、御寒いですね。お疲れ様です。合掌、拝。
今日は、この寒空の中、お勤めしておりました。水鳥も、カラスも、この寒空で、弱肉強食の世界を目の当たりに、観てしまいますと、神の神秘を身に内震える気持ちです。
さて、お話変わりまして、掲示板内の他の版で、『新編 生命の実相』を、誤って、『新版 生命の実相』と表記したことについて、私も、誤って、『新版 生命の実相』と表記してしてしてまいました。
間違えを、教えいただいた、復興Gさん、山ちゃんさん、ありがとうございます。
私も、『訊け』さんのブログでも、書いたようなので、『訊け』さんにも、皆様にも、間違えて、表記したことは、お詫びします。
あと、私が、『訊け』さんのブログに書いた『平仮名』の件は、底本が愛蔵版である事は、知ってますし、復興Gさんの、雅春先生のお話も知ってますが、もう少し、深く観ていただけたら、私の言う事も、御理解あるかと、思うしだいです。現在は、討論をする事は、差し控えたいので、私、勝ってと思わるでしょうが、御許し下さい。
皆様へ、合掌、拝。
つづく〜
839
:
ももんが
:2012/01/22(日) 00:20:21 ID:XXCuaQns
トキさま
トキさま、御寒いですね。お勤めと、何時も、暖かい心使い、ありがとうございます。合掌、拝。
先程、皆様に、間違いに関しては、教えて頂き、感謝の意を唱えました。
昨今は、掲示板内外共に、『生命の実相』で、賑やかですね。
さて、今日は、二つ、戯れ言をお話したいと、思います。一つは、先日、トキさまが、『公案』を持つ事を言われてましたので、一つ簡単な、お話型の公案を一つと、それから、『観音さま』に関するお話を一つしたいと、思います。
まず、公案のお話からします。
妙心寺の開山、関山慧玄大師は、大徳寺開山、大燈国師の法嗣であります。
その関山大師が、自室は雨漏りが酷く、何時も雨漏りの準備をしなければいけませんでした。そんな、ある日、また、何時ものように、関山大師の自室で雨漏りし始めたのか、関山大師
は、自室から、大声で!
『誰か、何ぞ!持ってこい!』と
叫びました。
すると、御寺で一番年下の小僧さんが、“穴の空いた桶”を持って、一番に関山大師に持って行くと、関山大師は?
『あった、あった、此れだ、此れだ、良く持って来たな』と
小僧さんの頭を撫でながら、笑顔で誉めていました。
すると、次に、年配の雲水さんが、“穴空いてない手桶”を持って、関山大師に持って行くと?
『バカ者!こんな物が、使えるか!持って帰れ!』
と、怒鳴り帰してしまいました。
さて?トキさま?(皆様も考えてください)
関山大師は、何故?『穴の空いた桶』を持って来た小僧さんを誉めて?『空いてない手桶』を持って来た雲水さんを怒鳴り飛ばした?のでしょか?
関山大師は、語録が無い事で、有名で、江戸時代に来た、明国から来た、隠元禅師は、関山大師のある、『柏樹子の話に賊機あり。』と言葉に、身震いしてたそうです。
各、私も、この話を聞き、冷や汗を流した、覚えがあります。
さて、トキさま、皆さまの中に、この話を聞いて、身震いされた方は?おられますか?
真の真理は、言葉を使わないで、示す事ができます。関山大師は、それをされた方です。
それと、『観音さま』のお話をしましょう。
昨日、『般若心経』のお話をしましたが、『観音さま』も、また、大乗仏教と供に日本に来た、仏さまです。
観音さまの、正式名称を、ご存知の方も、いると思いますが、観音さまの正式名称は、『アウ゛ァローキテーシュヴァラー・ボディーサトゥーバー』と呼びます。
生長の家でも、そうですが、日本でも、観音さまは、慈母的雰囲気を醸しだしています。
確かに、日本では、女性的に表現される、観音さまですが、観音さま発祥地付近の国々の観音像は、男性型をした物が多いです。
私も髭をはやし、撫で肩ではあるが、男性スタイルの観音像を見た事があります。
正式、正確さを求めると、観音さまも、観音さまと、呼べなくなりそうで、怖いですね。
日本式の呼び方は、日本式で、それで良いわけであり、他国には他国の良さが、ある様に、人間にも、各個人、各個人、の良さも、悪さもあるのだから、全て認めて、一つ物として、観る、力量が、必要だと、何時も、思ってます。
トキさまは、どうですか?
では、では、夜分遅く、失礼、御休みなさいませ。合掌、拝。
840
:
志恩
:2012/01/22(日) 03:08:15 ID:.QY5jUA6
SAKURAさま
コメント、ありがとうございます。
お母様のお七夜も、済まされたのですね。ハマナスさまが、おっしゃるとおり、
お母様は、SAKURAさまのこと、より身近なところで、生涯見守られて、すべてに応援して
下さると思います。
先日の死後の話しの続きですが、
生前、1つの宗教に凝っていた場合、、というのが、心霊秘話に書かれてありました。
。。。
霊界の野原へ来ると、迎えに集まった類魂の連中が、その者を取り巻いて自分達の広場に連れて行き、
その宗教の戒律に従って、その幽体が完全に形成されるようにするのである。宗教というものは、よくできている。
そこでその者が、完全な幽体として立派に独り立ちができるようになるまで見守ってから、自分達の城郭に連れて行き、
そこで霊団の一員としての新しい使命を授けて、その道に従い修行させることになるのである。
これらが、簡単ではあるが、宗教を信じている者に対する措置と思えばよい。
ところが、同じ正常死でも、その人間が、神とか霊とか、全然信じて来なかったり、知らない場合は、その者自身は
死んだとは考えない。自分というものがハッキリ分かっているし、その霊界の野原も、見えないのである。
そのうえ、自分のこれまでの生活で頭に染み込んでいる過去の幻影によって、しの住んでいた町や、そこの人達の間を
動き回っているから、中々死を自覚しない。。。。。。
この引用している「心霊秘話。。」は、竹内満朋氏、と、寺見文夫氏の共著。竹内氏は、日本屈指の物理霊能者。永年、弁理士としても活動され、
藍綬褒章を授けられている故人。
(いい宗教に触れたということは、あの世に行っても、大きいメリットがあるのですね。
お母様は、類魂の方たちに、あたたかく歓迎されており、お独りではないですから、寂しくされておられません。
貴女のところと、あちらと、行ったり来たりして、いらっしゃるのかもしれません)
841
:
志恩
:2012/01/22(日) 03:54:28 ID:.QY5jUA6
×お七夜
○初七日
夜中に,モウロウとした頭で書き、失礼な間違いをしてすみません。
842
:
ももんが
:2012/01/22(日) 06:47:37 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日も、寒いですね。朝の水が、冷たいく、シャキとした気分に、私はなりました。さあ、浄められた、身心で、元気良く、今日も1日神の子としての生き生き生活してまいりましょう!ありがとうございます。合掌、拝。
〜正法眼蔵・現成公案〜〜
うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。只用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。かくのごとくして、頭々に辺際をつくさずといふ事なく、処々に踏飜せずといふことなしといふへども、鳥もしそらをいづればたちまちに死す、魚もし水をいづればたちまちに死す。以水為命しりぬべし、以空為命しりぬべし。以鳥為命あり、以魚為命あり。以命為鳥なるべし、以命為魚なるべし。このほかさらに進歩あるべし。修証あり、その寿者命者あること、かくのごとし。
〜以下つづく
さあ、この、御文章は、実に、味わい深い御文章です。
皆様は、どのように、読まれましたか?
差別即平等、平等即差別と、いう、事を言いますが、両者は、二つに見えて、一つの存在。
と、言葉のうえでは、そうなのですが、もっと、奥深い意味が、隠されているようです…
では、では、本日も、寒いので、暖かくして、お過ごしください。ありがとうございます。合掌、拝。
843
:
a hope
:2012/01/22(日) 10:32:52 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
人生(ひとのよ)は旅、旅は道づれ
だけれども、ただ自分ひとり伸びるだけではつまらない、とお考えになったことがありませんか。
誰ひとり、自分が伸びることを賞(ほ)めてくれないのはつまらない、とお考えになったことはありませんか。
「他(ひと)が賞めたり貶したりすることなどには頓着なしに、自分だけで伸びよ」と言う人もあります。
しかし旅行しても一人ではつまらないものです。
「あの景色はいいね」「本当にあの山の緑は素晴らしいじゃないか」「あそこに河が流れている」
「真白(まっしろ)な帯のように見えますわ、とても美しいのね」などと、旅の道づれになった人たちと互いに話し合ってこそ、
旅行も楽しくなり、足の疲れも忘れて、知らぬ間にこんなにも長距離を歩いて来たかということになるのでしょう。
疲れないで、ひとりでに長距離を進んでいる ――― 人生もそんなものです。
道づれがあるときには、楽にたのしくいつの間にか長距離の進歩ができるのです。
生長の家の誌友会や青年会を、地方地方で催して、互いに円く坐って、
この『人生読本』や『理想世界ジュニア版』やそのほかの「生長の家」のいろいろな書物を、
順々に読んで輪読会をなさるようにおすすめするのはその為です。
輪読会(まるくすわってよむかい)のやり方は、一冊ずつテキストになる本を持ち寄って、
その集まっている人が一節ずつ順番に読んでひとわたり順々に読んでから、
「その本の何ページのここは、私はこう思って感心しました」などと言って自分の感想を述べるのです。
そうすると、ひとりで読んだら見逃しているようなところでも気がついて深く考え感じられます。
そして自分の生命(いのち)が伸びるのです。
ひとりでは見のがすような景色でも、「君、あそこにあんな美しい景色があるよ、絵にでもなりそうじゃないか」と言われると、
今まで見逃していた景色の良さがわかるように、いっしょに集まって読んだ感想を述べ合うと、
今まで見逃していた人生の味というものが、わかってくるのです。
カルタや将棋の味というものでも、そうとう面白いものなのですのに、
この人生ゲームというものは、広さがちがう、深さがちがう、とても大きく深いものですから、
その味わい方さえ知れば、人生くらい楽しいものはないのです。
ですからこのような会は、人生の味というものを、しみじみ味わわせて、この世を楽しくさせてくれるものなのです。
「読んだ、もう解った」で、捨てておけないのはその為です。
同じ景色のところでも、自分の大好きな人と話しながら歩くのは愉快なものです。
順々にひとりずつ輪読(よむ)ために、この『人生読本』はちょうど好い加減のところで区切りが切ってあります。
一人が小標題(こみだし)から、その次の小標題まで読めば、ちょうど好い加減です。
「さあ、お次はそこにいらっしゃるあなたお読みください。」こう中心になる人が言って、順に読んでいただくのです。
読む人は、ハッキリ区切りを切って、皆さんによくわかるように読んでください。
近所の子供さんたちを集めて、教育に興味のある青年が、読み方を手つだってあげる会を作るのも面白いでしょう。
知らぬ間に子供の学力が上がり、心が善くなり、天才があらわれて来ます。
組織板に新しく登場された、ゆずさまという方は、「組織を退会されて、ご自分一人でお勉強されている」、
とおっしゃっていますね。わたしもまったく同じです!
ゆずさま
はじめまして。
でも、わたしたちにはこの掲示板がありますよ!
ゆずさまも、この掲示板にご自分の好きな「聖典」などを投稿されてみてはいかがでしょうか?
また、今は活用されていませんが、この掲示板には、トーキングスティックボードという、
自分の意見や考えを、とことん主張できる(本来の使い方をすればですが...)素晴らしい板もありますよ。
この掲示板には、「生長の家の教え」の大先輩が何人もいらっしゃいます。
わたしは、本当に、とてもお勉強させていただいているのです。
でも、本当は、わたしも掲示板の上ではなくて、顔と顔を見合わせて、心を通じ合わせて、
みなさんとお話ができたらいいなと、いつも思っています。
一日も早く、「生長の家」の和解が成立して「真正 生長の家」で行われる「輪読会」に参加できる日が来ることを、
わたしは楽しみに待っています。
今日は、また、子どもたちと図書館に行きます。
忙しい用事がひと段落したので、今日は「生命の實相」じっくり拝読してきます。
あ〜、幸せだ!
みなさまも、素晴らしい休日をお過ごしください!
844
:
かぴばら
:2012/01/22(日) 13:23:04 ID:3ZrLMqr6
a hopeさま
いつもよいお話を有難うございます。本当に奇跡など起きなくとも、当たり前が素晴らしいのですよね。いつもいつも勉強ばかりの私です。少しずつ輪読を進めたいと思います。
伸びゆく日々の言葉 谷口 清超先生著
五月二十六日 みな味方ばかり
この世の中から全ての抵抗がなくなれば、さぞやよかろうと思うかも知れないが、それでは体力がつかない。歩こうと思っても、大地との摩擦がなく、無重力中を浮遊するように、何らかのジェット推力を必要とするのである。摩擦力があるからこそ前進する。抵抗に打ち克つところに、進歩向上がある。しっかり汗を流すから、体力がつき、休息の時間がたのしいのだ。全ての抵抗力を憎んではならない。その力が、わが内在の無限力を開発してくれると思い、勇気百倍せよ。敵はない。みな味方ばかりである。
毎日ほんの少しの進歩でも、ちっとも目に見えないけれど三歩進んで二歩下がっていても(いや2.9999歩くらい下がっているかも)とにかく前進していることを信じて前を向いて歩こうと思います。
845
:
「訊け」管理人
:2012/01/22(日) 16:39:42 ID:???
>a hopeさま
>かぴばらさま
チェスト!!!
(訳;いい文章をありがとうございました。ブログで使わせて頂いてもよいで
しょうか。ありがとうございます!)
846
:
「訊け」管理人
:2012/01/22(日) 16:54:04 ID:???
>元職員さま
●あたたかき御手のうちに
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65624677.html
#more
合掌、ありがとうございます。
さて、弊ブログのウイルス除去に成功し、早速本日から更新を再開しまし
た。この、ブログ再開にあたりまして「すみません」と言わねばならぬ話
がございます。ご了解をいただけましたら幸いであります。
以前、著作権の関連云々で「使用はいかがなものか」との疑問を頂戴したこ
とがございました。今回ですがその画像・・・・これをどうしても使わざるを
得なかったことを報告致します。
文章はうのはなさまご投稿文なのですが、文の流れであの画像・・・これを
使用するとなかなか良い仕上がりになるのでございます。
それでも貴康先生の御許可なき(連絡の取り様もなく)状況です。なにか
ございましたらその際に対応致しますが、それまではこのままでの文章掲載を
お赦し願えないでしょうか。
以上報告でありました。
再拝
847
:
ももんが
:2012/01/22(日) 19:46:34 ID:XXCuaQns
トキさま、皆様、こんばんわ。本日も、寒かったですね。如何、お過ごしで、ございましょうか。合掌、拝。
私は、昨晩は、自宅にて、納豆汁を作りて、所望しました。
いま、先月、練成会へ行きましたが、教団の練成は、以前お話したように、“電子化”が進んで行くような、雰囲気です。
“電子BOOK”で、教団の本を読めるように成ったら?
今回、光明思想社さんの、リニューアルは、いったい、何の為にされているのか、疑問が、沸いてきてしまうのです?
“電子BOOK”なら、拡大も縮小も自由自在だし、例えば、生命の実相なら?愛蔵版も、頭注版も、もし、教団が許可したら、絶版にした、昔の本も、読める可能性もあるのではと、私の、個人的な、希望であり、思いです。
世界同時の講習会や、行事なんて、凄いなと、思います。
先日、映画を観に行きましたら、『観測衛星 はやぶさ』の実話を映画にするようです。
私は、宇宙ステーションの開発をしてみたいなと、思い描いた事があります。
宇宙ステーションは、いま、現実に開発は進んでるようですが、我々が、宇宙で生活できるには、どんな、試練が、待ってるのでしょか?
また、アメリカの学校では、電子BOOKを使った授業をテレビで、見ました。
最早、黒板で講習したり、する時代は、古い文化になりつつあるようです。
昔を懐かしのは、私の用な、年寄だと、思います。合掌、拝。
848
:
トキ
:2012/01/22(日) 21:22:19 ID:WWHC3H0U
>>847
ももんが様
今日は原宿教団の用事で1日、潰れていました。お返事が遅れて、たいへん申し訳ありませんでした。
これは雑感ですが、原宿教団のような時代に即応する態度と、本流復活派のような真理に対する忠実さ
は、両方とも大事だと思っています。例えば、飛行機に重力と揚力の両方があって、空中に浮かんでいられ
るのと同じ事だと思っています。
要するに、両方とも、美点を認めて、合掌、礼拝する姿勢が大事かと思う次第です。
合掌 ありがとうございます
849
:
ももんが
:2012/01/22(日) 23:07:02 ID:XXCuaQns
>>848
トキ様
トキ様、忙しい中、御返事、ありがとうございます。合掌、拝。
トキ様は、バランスに寄る調和ですね。
私は、『一刀一段』に、合一による、調和です。
お互いが対面して、成りきる事でしか、一つに成ります。
お湯と水を混ぜると、ぬるま湯に成るように、こうする事が、本当の和解であり、調和と、思うしだいです。
異なる物が、混じる事で、一つになる。
一つ成れば、食い違いなんて、無くなるし、バランスなんて、関係なくなります。
これ、この前の練成会で、教わりました。
トキ様、大変、失礼な事、もうしまして、すいませんでした。いつも、お心使い感謝してるしだいです。では、おつかれ様で、ございました。合掌、拝。おやすみなさい。
850
:
a hope
:2012/01/23(月) 08:10:37 ID:kcv2QXTk
おはようございます。
かぴばらさま
いつも温かいお言葉ありがとうございます。
そういえば、わたしは清超先生の執筆された本を1冊も持っていないということに、
気が付きました。
かぴばらさまの、紹介して下さった「みな味方ばかり」を拝読すると、
清超先生がご自分に言い聞かせるように書かれているように感じました。
とても説得力がありますね。
良い文章を紹介してくださり、ありがとうございます。
「全ての抵抗力を憎んではならない。その力が、わが内在の無限力を開発してくれると思い、勇気百倍せよ。
敵はない。みな味方ばかりである。」
この言葉から、勇気をいただきました!
かぴぱらさま、これからも無理のないように、「書き込み」よろしくお願い致します。
「訊け」管理人さま
先日は、わたしの投稿した「人生読本」わたしの大好きな「谷口雅春に訊け」ブログの記事に
してくださり、ありがとうございました。
とても素敵になっていて、感動しました。
また、昨日の「あたたかき御手のうちに」も素晴らしいですね!
いつも、ありがとうございます。
こんな風に連携しながら、ネットからでも「生長の家の光」が多くの方々に届けられるのですよね。
わたしたちは、やっぱり「生長の家の仲間」なんだな〜と、一人で喜んでおります。
これからも、世界一のブログを、どうぞよろしくお願い致します。
人生読本 谷口雅春先生著
絶えず伸びれば天を摩(ま)す
生命は日に日に伸びている。生きているものは、
ジッとしているように見えている植物ですらも、一瞬一瞬伸びているのです。
天にとどくほどの大木でも、いっぺんに伸びたのではありません。
見ていると眼に見えるほどに少しずつ伸びて、あれほどの高さにまでなったのです。
眼に見えぬほどの伸び方でも、一瞬一瞬少しでも怠らずに伸びて行く者は、
天にとどくほどの大木になるのです。
一瞬一瞬伸びないでいて、何か素晴らしい機会(おり)があったら、
伸びてやろうと思っている者は、結局いつまでも伸びることができないものです。
一等すばらしい機会(きかい)は「今」だ、ということを知らねばなりません。
「今」が一等すばらしい機会なのです。
今伸びないでいて、花咲く時期が来たときに、いっぺんに素晴らしく伸びてやろうと思っても、
そういうわけにはゆかないのです。
花は、花咲くときに咲くのではありません。花は蕾の中にあるのです。
まず、蕾を用意しなければなりません。蕾は、蕾のできたときに初めてできるのではありません。
梅の蕾を見てごらんなさい、まだ葉も出ないうちに、点のような小さな芽の中にその蕾はあるのです。
しかしその点のような小さい芽は、その芽ができたときに初めて造られたものではありません。
その栄養は土地の中にあったのです。また日光の中にあったのです。
それを絶えず植物の生命が吸い込んで、小さい芽の形に造り上げ、蕾の形に作り上げ、
やがて花の形に造りあげたのです。
どんな大きな仕事でも、でき上がったときにできたのでありません。
不断に、一瞬一瞬を、自分の伸びる素晴らしい機会としてでき上がったのです。
世の中の偉い人という偉い人、真に偉い人といわれるような人は、皆こういうようにして自分を伸ばした人なのです。
これから、ウォーキングに行ってきます!
そして、梅や、寒桜のつぼみを見つけたいと思います。
それでは、わたしの大切な生長の家のみなさま、今日もお仕事がんばってくださいね!
851
:
ももんが
:2012/01/23(月) 08:12:03 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日も素敵な、朝が、やって参りました。さあ、嬉しく、楽しく、明るく、神の子の生活をしていきましょう!ありがとうございます。合掌、拝。
〜正法眼蔵・現成公案〜
しかあるを、水をきはめ、そらをきはめてのち、水そらをゆかんと擬する鳥魚あらんは、水にもそらにもみちをうべからず、ところをうべからず。このところをうれば、この行李したがひて現成公案す。このみちをうれば、この行李したがひて現成公案なり。このみち、このところ、大にあらず小にあらず、自にあらず他にあらず、さきよりあるにあらず、いま現ずるにあらざるがゆえにかくのごとくあるなり。
〜以下つづく。
今、『四無量心を行ずる神想観』をしています。
ここの、文言は、そう言う事では、ありませんが、常に、良く、自己参究して、自己の本性を悟る事が、大切であると、思われます。
さて、皆様、本日も寒いですが、朝の探究して、一層素晴らしい、神の子として生活を楽しみましょう!ありがとうございます。合掌、拝。
852
:
復興G
:2012/01/23(月) 21:58:47 ID:ojEbkDH2
>>847
:ももんが様
>“電子BOOK”で、教団の本を読めるように成ったら?
今回、光明思想社さんの、リニューアルは、いったい、何の為にされているのか、疑問が、沸いてきてしまうのです? “電子BOOK”なら、拡大も縮小も自由自在だし、例えば、生命の実相なら?愛蔵版も、頭注版も、もし、教団が許可したら、絶版にした、昔の本も、読める可能性もあるのではと、私の、個人的な、希望であり、思いです。<
──そうですね。大賛成です。
既刊の書籍をスキャンした画像をPDFファイルにしたものなら、すぐにでもできるはずですし、今はOCRソフトというのも精度がよくなってきていると言うことで、テキストファイルにするのも比較的楽になってきているはずですから、電子書籍も待望したいですね。そのうちきっとできるとは思いますが。
『生命の實相』を電子書籍に──という話は、もう20年も前に論議され、その時は画像ファイルではなくキーボードで文章を打ち込んでテキストファイルにして・・・・・ということで、有志がボランティアでその入力をしましょうという話まで出たことがあったのを思い出します。そして日本教文社でも、電子書籍出版を検討する担当係が置かれたとも洩れ伺ったことがありましたが・・・・その話はどうなっているのでしょうね。
日本教文社と光明思想社の和解が成立し、協力し合って電子書籍ができたら最高に素晴らしいことになるでしょうね。
853
:
ハマナス
:2012/01/24(火) 01:36:18 ID:u5mC.eb2
訊けさま、
ブログを拝見致しました。素晴らしいですね!
美しい絵とBGM (You have a wonderful sense.)
そして雅春先生の「永遠不滅の生命」の映像にも感動しました。
ありがとうございました。
854
:
ももんが
:2012/01/24(火) 06:42:03 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。今朝は、雪が降って、寒さ、一段と厳しと、思われますが、明る、楽しく、嬉しく、感謝行、していきましょう!ありがとうございます。合掌、拝。
〜正法眼蔵・現成公案〜
しかあるがごとく、人もし仏道を修証するに、得一法、通一法なり、遇一行、修一行なり。
これにところあり、みち通達せるによりて、しらるるきはのしるからざりは、このしるとことの、仏法の究尽と同生し、同参するゆえにしかあるなり。得処かならず自己の知見となりて、慮知にしられんずるとならふことなかれ。証究すみなかに現成すといへども密有かならずしも現成にあらず、見成これ何必なり。
〜以下つづく
さあ、得一法、通一法…
と、道元禅師は、示されております。
得一法、通一法とは、この場合は、坐禅に専一して行くことを述べてるようです。
いわゆる、”只菅打坐“と言うことでしょう。
只菅神想観することが、今日のお話に、一番合うでしょ。
では、雪の影響で、普段より、忙しないようです。怪我や、事故など、ないように、きおつけ、元気に明るく、楽しく、生活していきましょう!ありがとうございます。合掌、拝。
855
:
a hope
:2012/01/24(火) 08:23:16 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
春の新芽は冬できる
うまくズンズン伸びる時には、楽しそうで元気が出て、愉快に勉強したり、
仕事をしたりしますけれども、一つ好い具合に行かなくなるとしょげてしまって、
いじけてしまって、ふさぎ込んで何もできなくなる人がありますが、
そんなことでは本当に伸びることはできません。
うまくズンズン伸びる時には、その伸び方がしっかりしていないものです。
植物でも、暖かい楽な季節に伸びたところは、柔らかく伸びていてしっかりしていません。
冬の寒い季節に伸びたところは、堅くシッカリとしているのです。
人間も楽に伸びたところと、困難と闘ってシッカリと伸びたところとが、
互いに入れちがいに波のようになっているので、いろいろの美しさが生まれてくるのです。
植物でも、横に切ってみると、年輪といって、渦巻のような木目の美しさがあるのはそのためです。
樹木はそうして一様に堅くあるよりも、一様に柔らかくあるよりも、美しくて強くて弾力があるのです。
子どもの頃、雪が降るとワクワクしました。
そして、寒さも忘れて、友達と雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりして遊びました。
小学生だったとき、友達と二人で、田んぼの中に、「かまくら」を作りました。
無我夢中で作って、夕方完成して、家に帰ると、わたしは全身びしょぬれでした。
ぬれているのにも気づかす、作っていたのですね。
それで、急に寒くなって、お風呂に入ろうと、お風呂を確認すると、温かく沸いていたのです!
「やったー!」って、思って飛び込みました。
しばらくして、だんだん体が温まってくると、それが水風呂だったことに気が付きました。
水をお湯と間違えるほど、体が冷えていたのです...
そんな時代が、懐かしいです。
我が家の子どもたちも、今日は雪に大喜びしながら、張り切って学校に行きました。
それでは、わたしの大切な「生長の家」のみなさま、今日も元気にお過ごしください!
856
:
「訊け」管理人
:2012/01/24(火) 09:14:32 ID:X7LbEW86
静寂の歌
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65625253.html
#more
>教頭先生
こんにちは。野球部なのに昔、「サッカーのカズ」になったことがある「訊
け」管理人です。もう訊けさんてば、なんでもスポーツできてホント天才・・
・・てな話ではなく、いやこれ、草サッカーの〝数〟にされたっていう、そん
な話なんですが・・・(中略)・・・しかもゴールキーパーだったことは内緒
ですが、そんな話はさて置いて本題へ。
昨日ご投稿の文章が、あまりにも脳天直撃しましたので、ブログに使用させ
て頂きました。ちなみに画像の背番号4の子ですが・・・・この色気漂う高校
球児はなんと、高校時代の私、
ではありません。
いずれにしましても、よい文章をありがとうございました。
>ハマナスさま
いやー、褒められると伸びる子、「訊け」管理人です。まあ伸びるってい
っても、いつも「鼻」しか伸びないんですが、これからもよろしくお願いし
ます。
>復興G閣下
今朝「ふと」思ったことを記します・・・・お題は「最後の審判解釈」と
いう壮大(?)なものです。
キリスト教諸派で述べられるところの「最後の審判」なのでありますが、こ
れの真意とは・・・「神は宇宙最後の日まで人を裁かない」って意味ではなか
ろうかと。補足すれば「神すら最後の日まで人を裁かない」ゆえに「人間が人
間を裁くなど、もってのほか」という意味は、含まれてはいないのかと・・・
いや突然の独り言であります。特に返信の要はございませんが、なにかこれ
に付随する閣下のお話しを頂戴できましたら幸いであります。
>a hopeさま
最近、『人生読本』の価値を再認識中です。ありがとうございます。
>ももんがさあ
ブログにコメント頂戴してました。ありがとうございます。
いやーあまり、キリスト教のことは知りません。まあ、雅春先生が触れられ
た範囲では理解を促進させて頂きましたが、一般論としてのキリスト教など、
わたしにはあまり、よく分かりません。なにせわたし、スジガネ入りの無神
論者でしたんで(笑)
857
:
志恩
:2012/01/24(火) 09:29:11 ID:.QY5jUA6
a hopeさま
雅春先生の、「春の新芽は冬できる」
とっても、いい真理ですね。「生命の實相」でも、その他の生長の家の著書でも、昔の著書は、開いたページが、
自分の今に、ぴったりね。訊けブログも、同様ですけれど、、、今の自分にぴったりなので、驚かされます。
神さまの慈愛が、読む者に、そそがれている。
ahopeさまの幼いころの、雪にまつわる微笑ましいエピソード、おかしくて笑ってしまいました。
今朝は、早朝神想観後に、待望の雪かきは、少しだけやりました。
先っぽが、平らな雪かき用シャベルは、外の倉庫にしまってあったので。でも、夜中のうちに
雪のあと、すぐに雨が降り、それが凍ったので、氷のようにかちかちに凍っていて、少しだけやっただけで、ギブアップ。
雪だるまを作るほど、積もらなかったのは、残念でした。
北陸に住んでいる親戚の義兄弟は、大雪の県に住んでいるので、今年は、大雪で、
毎朝、雪かきするのが、ひと仕事になっていると、電話がありました。これも、これで
大変だと、思いました。
そういう地域にお住まいの方々は、大雪によって、辛抱つよさが、育まれるのでしょうね。
858
:
志恩
:2012/01/24(火) 10:00:28 ID:.QY5jUA6
訊け君
「静寂の歌」載せられたのね。ありがとう。とても、うれしいです。
「椰子の実」のバックミュージックも、チョイスが、ぴったりですね。
選択される写真や絵は、どうやって決めるのでしょう。直感ですか。
天才的センス! いつも、いいですよね。
私は、この詩に、若いときから何度となく励まされて来ました だいすきな詩の1つです。
ホルムス氏は、雅春先生と親交が深かった光明思想家です。
訊けブログの写真、④の背番号をつけてる子、訊け君かと思ったわ。
下のほうの「日南学園」のユニホームを着ているハンサムの子は?(笑)
アンサーは、いりませんが、とにかく、野球少年だったのですよね、
訊け君は。
859
:
「訊け」管理人
:2012/01/24(火) 11:50:13 ID:???
>教頭先生
こんにちは。突然ですが現在の部室板に関して一句。
悩み事 張本人から 励まされ
ということで本題へ。
>日南学園のハンサムの件
あーあの子ですね?あの子に目が行くとは教頭、相当お目が高いです。あ
の、私ほどではないがなかなかイケメンな選手の名前は、中崎雄太と言いま
す。現在、西武ライオンズ(ドラフト1位入団)にいまして、昨年は二軍で
ローテーションを守りました。一言でいえば「天才」です。あのスライダー
は高校時代からプロがビックリしてましたね。
その上あの中崎くんですが、彼は性格面が◎です。チー、ムの雑用を上級
生になっても、それこそ懸命にやってた子でして、試合中にも(登板してる
のに)、たとえば二塁ベースへレガース(打者が足に付けている緩衝板)回
収に走っていく子でもありました。
ちなみに弟(翔太)も現在プロ選手でして、それこそ初心者さまご贔屓の広
島カープにおります。こっちは「喧嘩上等のヤンチャ坊主」であり、顔は・・
(中略)・・・です。
来年あたりはこの中崎雄太、出て来て欲しいんですがねえ(笑)まあ、ソフ
トバンク入団の武田翔太ともども、どうぞ応援よろしくお願いします。
追伸
その武田翔太のこぼれ話をひとつ。
彼がソフトバンク寮に入寮する際、近所に挨拶まわりをしておりましたよ。
彼女らしき女性もなく、周囲には近所のくそガキとオバチャンばかりが集ま
ってきておりました。ええ、「彼らしいなあ」な感じです。
来期のソフバンは、杉内、和田が抜けましたんでこの武田翔太「そうそうに
登板があるんじゃね?」なんですが、まあ個人的には・・・・しばらく二軍で
鍛えて欲しいんですけどもね(笑)
まあ、2013年のWBCには武田翔太、「登場すんじゃね?」な予感はし
ております。前にも申したとおり彼は、野球の素質は◎(ダル級)のうえに性
格面が最高です。いつか『生命の實相』を渡してあげたいもんだと。
860
:
復興G
:2012/01/24(火) 13:53:02 ID:ojEbkDH2
>>856
:「訊け」管理人殿
「最後の審判」についての宿題を頂戴し感謝します。
「審判」は神が為し給うのであって、人が他人を審判くことは要らないのだ、とも思われます。では裁判所は要らないのかと言えば、そういうわけではありませんが、正しい審判というのは憎しみのような感情を持ってなされるものではなく、公平に人を生かす審判でなくてはならないのだと思われます。
新約聖書「マタイ伝」第24章(29〜31節)に、
「・・・・・これらの日の患難(なやみ)ののち直ちに日は暗く、月は光を発(はな)たず、星は空より隕(お)ち、天の万象、ふるい動かん。そのとき人の子(注・再臨のキリスト)の兆(しるし)、天に現われん。そのとき地上の諸族みな嘆き、かつ人の子の能力(ちから)と大いなる栄光とをもて天の雲に乗り来たるを見ん。また彼は使たちを大いなるラッパの声とともに遣わさん。使たちは天の此の極(はて)より彼の極まで四方より選民を集めん。」
とあります。
この、キリストの再臨とともにやってくる「最後の審判」の時は今である、と思います。
すなわち、キリスト再臨というのは肉体のイエスが復活して天降って来るのではなく、すべての人に内在するキリスト=真理が復活することだと、谷口雅春先生はお教えくださっているのです。だから「恐るるなかれ、虚妄(まよい)を焼かるる者は却って生き暗黒(やみ)を焼かるる者は却って光をあらわさん」(「“最後の審判”についての神示」)で、その時が今である、と思われます。
「組織板」の方で前に、トニー・ブレア英国元首相が、宗教対立で荒れるアイルランドを和平に導いたときの話を書きましたが、その後のこと──
ブレア元首相は2001年9.11テロで米国支持を鮮明にし、イラク戦争でも自由陣営は結束して全力を挙げて戦うよう積極的に主導した。しかし国際社会の亀裂は深まり、イラク国内で大量破壊兵器は見つからず、治安の悪化はつのりばかり。その責任は連合軍とイラク政府に向けられた。バグダッドの国連本部への爆弾テロが起き、戦争の余波は誰もが想像した以上に血なまぐさく恐ろしいものになった。
「後悔していますか?」と、2010年1月、首相を退いたブレアに問いかけられた。
「イエス」と答えれば「ブレア、戦争について謝罪」と新聞に書き立てられるだろう。
「ノー」と答えれば、ブレアは無情な人でなしと思われるだろう。
ブレアは、何と答えたか。
「決定は、私自身がした」と認め、「責任はとる」と述べた。・・・・・・
「首相を辞めた後も、私はイラクとアフガニスタンとその犠牲者のことを考え続けている」
と、ブレア元首相は書いています。
失敗は誰にもあります。その責任は取らなければならないでしょう。責任を他に転嫁することは、やめましょう。
今回の生長の家の混乱も、私自身に責任があると自覚いたしました。「キリスト再び臨(きた)りて審判くとは今のことである」という「懺悔の神示」をかみしめ、大懺悔して新生したいと思います。
861
:
「訊け」管理人
:2012/01/24(火) 14:26:24 ID:7952l1KA
>復興G閣下
<久遠の今>
●「久遠の今」雅春先生ご講話(動画)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65592772.html
ありがとうございます。自身の浅い解釈に恥じ入りつつ、本題へ移らせて頂
きます。
閣下がご視聴済みでしたら失礼ですが、動画を紹介致します。これは以前、
古参信徒の方から頂戴したものでありますが、非常に編集でありお勧めであり
ます。
実際、読者数名の方からも「あの動画がよかった」という声を頂戴したもの
です。
もしも未視聴の方がおられたら同動画、視聴をお勧めする次第です。久遠の
今はこれ、非常に難解な概念ですが同動画を視聴なされば「ああ」と腑に落ち
ると思います。非常に解りやすいです。
追伸
「ご先祖さまにこう謝って(浄心行)してください。『こんなに偉大な自分
でありましたのに、それを忘れておりました――ッ!』と」
(榎本先生)
●恵吾先生ご講話「よろこびの先祖供養」(動画)
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65593612.html
862
:
復興G
:2012/01/24(火) 16:15:31 ID:ojEbkDH2
>>861
:「訊け」管理人殿。
まさにこの「久遠の今」に立ち還り、いのちの大もとの先祖すなわち神に立ち還って、「わが業(わざ)はわが為すにあらず、天地(あめつち)を貫く祖神(みおや)の権能(ちから)であった」と今よろこぶことが大懺悔なのでした。「私が悪かったのです」と頭を下げるようなことは小懺悔。小懺悔を超えて、今生かされていることを喜ぶのが大懺悔なのでした。それを常に口を酸っぱくして教えてくれたのが榎本恵吾先生でした。
「反省」なら猿でもする(反省猿)。『こんなに偉大な自分でありましたのに、それを忘れておりました――ッ!』というのが、本当の大懺悔なのですね。
前述<860>ブレアの「履歴書」で、
> 「後悔していますか?」と、2010年1月、首相を退いたブレアに問いかけられた。
「イエス」と答えれば「ブレア、戦争について謝罪」と新聞に書き立てられるだろう。<
のあとに、省略してありましたが、(「イエス」と答えれば)
>戦争を支持した人々は自分たちの支持や犠牲は無駄だったのかと思うことだろう<
という文章がありました。
小懺悔(後悔、反省)して、「私が間違ってました。悪うございました」というところにとどまっていたら、かえって人をも傷つけることになってしまう。逃げるのではなくすべての責任をとるけれども、それを超えて、「現象なし」「今、神のみ、完全のみ」という実相、「久遠の今」に立ち還って喜ぶことをお教え頂いているのが生長の家の御教えなのですね。「今」よろこぶことが大懺悔なのですね。
動画「久遠の今」、谷口雅春先生の深遠なご講義をわかりやすく編集されていて、最高ですね。
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65592772.html
大感謝合掌。
863
:
トキ
:2012/01/24(火) 21:25:17 ID:A3Pq4Dgo
>>862
復興G様
大懺悔のはなし、考えさせらました。勉強になりました。
すばらしいご投稿、ありがとうございました。
週刊ポストという週刊誌に「化城の人」という連載があります。創価学会をテーマにしたものですが、
現在では悪徳カルトの代表である創価学会も、創始者である牧口常三郎さんは、真面目な教育者だった
という事がわかり、少し驚きました。
時代を経て、大きくなると、原点を見失う場合がありますが、やはり真面目な文章を拝読し、勉強する
事が大事だと感じました。
合掌 ありがとうございます
864
:
元職員
:2012/01/24(火) 21:52:03 ID:???
>816 にて訊けさんが私に問いかけているのでお返事します。
何故私に問い合わせがくるのか不思議ですが・・・
あのお写真は谷口貴康著『一寸先に光は待っていた』の冒頭にあるお写真ですので
当然のことながら著作権は貴康先生にあります。
さらに、厳密に言うと雅春先生の肖像権にも触れるかもしれません。
以前から貴殿のブログに貴殿が著作権を持っていない(ほとんどですが)雅春先生の
お写真や、おそらく本部に所有権や著作権のある動画を乗せた上で加工しているのを見て
「この人は折角能力があるのに著作権を問われたらどうするのだろうー」
とヒヤヒヤ心配していました。その私に問いかけられたら答えは
「キチンと掲載の許可をもらわなかったら、やめたほうが良いですよ」となります。
本部がもともと貴殿のような優れたブログを作れば良いのですが・・・やはり著作権や
肖像権がややこしいので誰も製作しなかったのだと思います。
しかし、本部がまだ訴えてこないところを見ると貴殿は了解をもらっているのかと思ってしまいます。
いかがですか。使用許可をもらっているのですか。
貴方は、他の出版社の編集については細かく何やら述べておられるようですが
ご自分のブログについては、著作権者から見られたらどう相手から思われると思いますか。
私は貴殿のセンスは大好きですがその点についてとても心配しています。
尚、貴康先生のホームページに行けばすぐにメールアドレスは入手できますよ。直接聞いて下さい。
takayasu taniguchiで探せばフェイスブックも見られますよ。あかり姫も
しかし・・・そこから無断で写真をパクッてはいけません。気をつけてください(笑)
865
:
a hope
:2012/01/25(水) 08:26:04 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
困難と闘えば人間の値打ちが出る
寒風は木材に美しい年輪を造り、貝殻の膜を傷つけられたアコヤ貝は、
その傷と闘うために真珠を造るのです。
薬を服んで治るのも、薬の毒素と闘うために生きる力が奮い起って、
病気もついでに治してしまうのです。
昔から「艱難(かんなん)なんじを珠(たま)にす」という諺があります。
「難儀(なんぎ)は節(ふし)じゃ、節から芽が出る」といった偉い人もあります。
生長の家の智慧の言葉には、「苦痛の火の中にあって、自分のたましいが白金か鉛か自問せよ」と書いてあります。
寒風にあって、植物は夏よりもシッカリと伸びるのです。
人間も、楽なばかりが能ではありません。
困難と闘うのは愉快なものです。暖かい平地があるのに、
ことさらに寒い山の中へスキーに行く人が多いのは、困難と闘うことが愉快だからです。
(つづく)
みなさま、おはようごいます。
志恩さま
>>857
>「生命の實相」でも、その他の生長の家の著書でも、昔の著書は、開いたページが、
自分の今に、ぴったりね。訊けブログも、同様ですけれど、、、今の自分にぴったりなので、驚かされます。
神さまの慈愛が、読む者に、そそがれている。<
わたしも、その不思議さには、いつも驚かされています。
今、思ったのですが、だから「聖典」と呼ばれるようになるのですね。
そうすると、訊けブログは、「聖ブログ」ということですね!
きっと、新しく発売された「新編 生命の實相」もからも、神さまの慈愛が読む者にそそがれますね。
だって、「敵はない。みな味方ばかりである。」の生長の家の教えですものね。
わたしも、家計節約して、「神編 生命の實相」買いそろえていこうかな...
とても読みやすいという評判ですから、本棚に並べておいたら、いつか、きっと、
主人や子どもたちが手にとって見てくれる日が来るような気がします。
そう思うと、楽しみになってきますね!
それではわたしの大切な「生長の家」のみなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしください。
866
:
a hope
:2012/01/25(水) 08:34:39 ID:kcv2QXTk
訂正
「神編 生命の實相」 → 「新編 生命の實相」
ウーン なんかこの誤字、意味がありそうですね...
867
:
ももんが
:2012/01/25(水) 14:02:39 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日は、暖かいですね。昨晩は、雪かき、大変だたのでは、ないしょうか、さあ、本日も、嬉しく、楽しく、明るく、神の子の生活を楽しみましょう!ありがとうございます。合掌、拝。
〜正法眼蔵・現成公案〜
麻浴山宝徹禅師、あふぎをつかふちみに、僧きたりとふ、
『風性常住、無処不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ』
師いはく、『なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらず』と。
僧いはく、『いかならんかこれ無処不周底の道理』。
ときに、師、あふぎをつかふのみなり。
僧、礼拝す。
仏法の証験、正伝の活路、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかうべからず、つかはぬをりもかぜをきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。風性は常住なるがゆえに、仏家の風は、大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を参熟せり。
正法眼蔵現成公案第一
是で、現成公案のお話は、終わります。
明日から、第三仏性をお話します。
皆様、本日も、神の子として、感謝、感謝で、生活していきましょう!ありがとうございます。合掌、拝。
868
:
ももんが
:2012/01/25(水) 16:16:29 ID:XXCuaQns
ハマナス様
ハマナス様、『聖典版』へ私の『碧眼録・第七即』への御投稿、ありがとうございます。合掌、拝。
私が、今回、『碧眼録・第七即』を掲載した、真意は、ハマナス様への批判や、皮肉では、ありませんので、それだけは、誤解ないように、伝えておきます。
ハマナス様の投稿記事は、大変素晴らしく、いつも、感動しております。
私が、今回『碧眼録・第七即』を示したのは、生長の家における、雅春大聖師の『無門関解釈』、『碧眼録解釈』等の、御著書は、大変申し上げ、難いのですが、禅門では、使い物に成らない、御著書です。
言い方を変えると、『生長の家だけで、使える本』と呼べます。
此は、私が、参禅会時代に、大変に、苦い体験談があります。
私が、まだ、坐禅を初めて、一年生の頃のお話です。
私達は、毎週三回は、朝、夜と御寺で、仕事帰りに、参禅するのですが、時々、夜の参禅の後、先輩参禅者と、一杯やりながら、坐禅や哲学、宗教や学問、仕事や、悩みについて、色々話を語り会いました。大変有意義で、楽しく勉強になる時でした。
そんな、ある日、一人の悪辣な先輩の方が谷口雅春先生著作の『無門関解釈』と『碧眼録解釈』を持って来ていて、こんな、お話に成りました。
『いま、俺、独参は、やっと、碧眼録に、入ったよ。だけど、昔、俺、“無字”(無字の公案)やってるころ、この本とこの本(無門関解釈と碧眼録解釈のこと)買ったけど、最初は、良いなて思って、夢中で、読んだけど、糞の役にもたたなかった(独参の役に立たないと言う事)な、俺も、菩提心が無かったので
つくづく思うよ。でも、飯田トウ隠老師の“無門関”は、深かったよ。涙がでた…』
確かに、こんな、悪辣な言葉を聞くと、気分外す事は、お許し願いたいです。
私も、この方の言葉には、最初は、良くわかりませんでしたが、私も、実際に、“無字の公案”(無門関第一即)を独参してみて、先輩の言われてる事は、真理であると思えるように成りました。
白雲会の安谷白雲老師は、著作の『無門関』の中で、谷口雅春先生の『無門関解釈』を誤りを、手厳しく、指摘されてます。
雅春先生と言えども、過ちは、あるのです。
先日、私が、『新編 生命の実相』の字の過ちを指摘された、方が、いましたが、禅仏教は、日本文化の伝統であり、体外的側面においては、いまや禅は世界宗教です。
生長の家の信徒さんで、一字一句の間違いを指摘する方が、居られましたが、そう優方方は、本当に、間違いを直すなら、全ての宗教の真理を正しく理解して、伝統にもとずく、解釈で、お示し願いたく、思うしだいですが、おそからく、出来ないと、思われます。
世界の宗教、歴史、文化、言葉、真理に至るまでの、伝統を認められるような、調和こそ、大切だと、思うしだいです。
生長の家も、足下の日本の宗教、文化、歴史、真理を、理解できて、調和出来ているとは、云えないと、思われます。
雅春先生にとって『万教帰一は、目標であった。雅春先生も、知らない事が、たくさんあった…』これは、ある、本部講師教化部長先生が、言われた、重い言葉だ。
尊敬する、ハマナス様。
今回、私が『碧眼録・第七即』を載せたは、ハマナス様の素晴らしい、掲載を非難したのではなく、誰でも、本当の『碧眼録』のことをお話しない、生長の家の方に本当の『碧眼録』は、生長の家で解くところと、多少違う事実が、あることを、しらせる為に、書きました。
『万教帰一』は、解釈は、本来、『曹源の一滴水』と良く似た意味ですが、大分本来の意味と変わって来てるようです。
余計な、お話、たくさん、して、申し訳ありませんでした。
ハマナス様、これからも、素晴らしい、投稿宜しくお願いがします。いつも、読ませて、もらってます。ありがとうございます。合掌、拝
869
:
ももんが
:2012/01/25(水) 17:57:40 ID:XXCuaQns
復興G様
復興G様、私への賛成の御投稿、遅ればせながら、ありがとうございます。合掌、拝。
<<
>>847
:ももんが様
>“電子BOOK”で、教団の本を読めるように成ったら?
今回、光明思想社さんの、リニューアルは、いったい、何の為にされているのか、疑問が、沸いてきてしまうのです? “電子BOOK”なら、拡大も縮小も自由自在だし、例えば、生命の実相なら?愛蔵版も、頭注版も、もし、教団が許可したら、絶版にした、昔の本も、読める可能性もあるのではと、私の、個人的な、希望であり、思いです。<
──そうですね。大賛成です。
既刊の書籍をスキャンした画像をPDFファイルにしたものなら、すぐにでもできるはずですし、今はOCRソフトというのも精度がよくなってきていると言うことで、テキストファイルにするのも比較的楽になってきているはずですから、電子書籍も待望したいですね。そのうちきっとできるとは思いますが。
『生命の實相』を電子書籍に──という話は、もう20年も前に論議され、その時は画像ファイルではなくキーボードで文章を打ち込んでテキストファイルにして・・・・・ということで、有志がボランティアでその入力をしましょうという話まで出たことがあったのを思い出します。そして日本教文社でも、電子書籍出版を検討する担当係が置かれたとも洩れ伺ったことがありましたが・・・・その話はどうなっているのでしょうね。
日本教文社と光明思想社の和解が成立し、協力し合って電子書籍ができたら最高に素晴らしいことになるでしょうね。>>
因み、『新編 生命の実相』の編集には、まだまだ、疑問があります。
私が、頭注版は、たくさんの外国語で翻訳本がありますから、『電子book』にしても、世界中の信徒と、共通性を保て、いま現在、教団のしてる、世界同時に、練成をしたり講習をしたりしても、現時点では、優れてますね。
光明思想社さんは、もっと、教団や日本教文社と、良く話会いをして、実際に教団の練成でも、使えるくらいの、本を作るべきただっと思われます。
復興G様は、和解推奨されていますね。大変素晴らしく、思います。
ただ、それは、私のニアンスと少し異なります。
私は、現在の総裁の『好き』か『嫌い』と言う、私的心捨てて、現総裁の基に帰一する調和こそが、本当の調和と思ってます。
話会いは、確かに、必要です。しかし、総裁の雅春先生であろと、清超先生であろと、雅宣先生であろと、生長の家の総裁なんだと、思うしだいです。
私の実家にある、雅春先生在世時の講習の録音テープで、雅春先生は
『時代がかわり、生長の家の総裁が、替わり、教えが、変わったと言って、教団を離れるような人は、例え、幹部や講師であっても、その方は、現象を信じてる人で、実相を信じてる方ではない…』と雅春先生は言われます。
この言葉の意味に、とらわれず、大調和されることを、いつも、願っているしだいです。
復興G様、ありがとうございました。合掌、拝。
870
:
復興G
:2012/01/25(水) 18:28:17 ID:ojEbkDH2
>>869
:ももんが様。
>私の実家にある、雅春先生在世時の講習の録音テープで、雅春先生は
『時代がかわり、生長の家の総裁が、替わり、教えが、変わったと言って、教団を離れるような人は、例え、幹部や講師であっても、その方は、現象を信じてる人で、実相を信じてる方ではない…』と雅春先生は言われます。
──このお言葉、とても重いですね。
よくよくかみしめさせて頂きます。
ありがとうございます。
871
:
元職員
:2012/01/25(水) 19:29:45 ID:???
>>『時代がかわり、生長の家の総裁が、替わり、教えが、変わったと言って、教団を離れるような人は、例え、幹部や講師であっても、その方は、現象を信じてる人で、
実相を信じてる方ではない…』と雅春先生は言われます。
この録音はいつの講習会でしょう。録音は関係者しか出来ません。
確認が不可能な事は書き込まないでください。
教えが変っても?? その方は???
本当に録音にそんなことがあるとは俄には信じられません。
貴方の発言にはいつも疑問が付きまといます。
あなたは「雅春先生も間違っていたのだ・・・」と発言されているももんがさんですね。
872
:
元職員
:2012/01/25(水) 19:51:00 ID:???
それから、
谷口雅宣さんという方は非常に根拠のない人の言葉に厳しい人でした。
文章の中に間違った文字すらも見落とさない人でした。
さすがに、新聞記者として鍛えられてきたのだと思います。
谷口雅宣さんを弁護する立場ならば、正確にな日本語と根拠のある発言をされたほうが
良いのではないでしょうか。
『生命の實相』頭注版は、ポルトガル語以外は、僅かしか翻訳出版されていません。
英語での翻訳はすでに終わっていますが、出版を途中で中止しているのは雅宣さんの指示です。
詳しくは、国際部翻訳課におたずねしてみて下さい。
総裁に笑われますよ。
873
:
元職員
:2012/01/25(水) 19:59:29 ID:???
正確にな→正確な の間違いを訂正します。
874
:
元職員
:2012/01/25(水) 20:19:43 ID:???
トキ様
>>雅春大聖師の『無門関解釈』、『碧眼録解釈』等の、御著書は、大変申し上げ、難いのですが、禅門では、使い物に成らない、御著書です。
このように発言されている人が現教団を擁護している人だと知り、愕然として思わず反応してしまいました。
この信仰・体験版にふさわしくない発言をしたことをお許しください。
875
:
SAKURA
:2012/01/25(水) 20:29:29 ID:zrpEHTE.
ハマナス様 へ
合掌 ありがとうございます…。
はじめまして…。
先日より、「亡き母」に際しまして“優しい言葉”ありがとうございました…。
まだ!まだ!パニック?パンク状態ですが…その前に
両親が熱心に信仰していました「生長の家…」此の行く末を…
しっかり、見守ります事が…母に対しての“供養”と思います…。
やはり【甘露の法雨】この功徳は多大な“モノ”です…。
遅くなりました事…申し訳ございません。
PS;寒さが厳しくなりそうです…。“風邪”引かれませんように気をつけて下さい…。
再合掌
876
:
トキ
:2012/01/25(水) 21:02:51 ID:R.b0FTYo
ももんが様、元職員様
すばらしいご投稿、ありがとうございました。お二人とも、信仰/体験板にふさわしいお話だと
感服しております。勉強になりました。
こういう議論が広くなされることが、遠回りですが、解決への一歩だと信じております。
重ねて御礼を申し上げます。
合掌 ありがとうございます
877
:
ももんが
:2012/01/25(水) 22:32:14 ID:XXCuaQns
>>876
トキ様
トキ様、コメントありがとうございます。合掌、拝。
トキ様へ、申し上げますが、私は、元職員様とは、議論もうしあげて、おりません。
元職員様には、コメントされたことには、お話しますが、他者へのお返事したコメントに、横から槍を入れるような、事は、慎むよう、お願いがいたします。また、元職員様には、思い込み発言が、何時も、みられますから、慎んでいただきく思います。
トキ様も、私は、元職員様と議論していませんので、このように、誘導発言するは、止めて頂きたく、思います。
発言する時は、発言しますので、そのあたりの、ご配慮、何とぞ、宜しくお願いがいたします。感謝啓白、合掌。
878
:
SAKURA
:2012/01/25(水) 23:03:14 ID:zrpEHTE.
>871 元職員様 へ
おっしゃいます“投稿内容”に賛同します…。
私の記憶では…「生命の実相」に記載されておりました文章に…
■「去るモノ…追わず…!!!」
更に注釈ですが…
例え…一度「生長の家に足を踏み入れ…」何かの理由にて去ったとしましても…
それは“種がまかれた事”であり…
ゆく〜ゆく〜は「生長の家…」その真理を把握するはずです…。
【時間空間…】必要でしょうが…
その時点から!つまり「生長の家…御教え」に触れました時から〜〜♫
「生長の家…」の家族となって行っていますでしょう???
■「生長の家…」から去るモノは、誠に遺憾である…。
確か?此の文章も所々に、記載されていました事も事実と判断しています…。
この解釈論から…「ももんが様」は解釈…されましたのでしょうか?
しかし…創立者「谷口雅春先生…」です…。あくまでも!!!!!!
私自身…その「テ−プ…講習会」がありますならば…
ホントに〜ホント〜〜なのですか??
私は…今までの雅春先生の御文章から判断しましても…考えられませんが…?変!!
そして…去られた方は、それなりの理由があるのではないのでしょうか?
「モモンガ様…」の投稿は【ヒットラ―】並みの解釈に…なりかねませんが??
そして、この「2チャンネル…」信者以外にかなりの方が…拝読されています〜〜〜ョ!
Tub にて…公開して頂きますと…幸いに思いますが…?「発言録音がありますならば…」
再合掌
PS:此処は、自由に第三者も拝読できますし…
感想を述べても宜しいのではないのでしょうか?
この事が…【言論の自由…】では無いのですかしら〜〜〜〜〜〜ン?
更に「裁決」前なのに…もう少し“言葉…神なり”ではないでしょうか??
言葉には…相手を“あおる…”発言言葉??
今はその様な時ではないのではと??判断します…。
もしかして〜もしかして〜「ももんが様…」何処から来られた方??なのでしょう!!
879
:
元職員
:2012/01/25(水) 23:45:07 ID:???
ももんがさん
私の発言に間違いがあれば、キチンとその箇所を指摘して反論してください。
議論はしていないともうされますが、充分に議論を誘発される発言を貴殿は掲示されています。
ここは自分の言いたい事(事実と違うことも含めて)を言いっぱなしの2チャンネルとは違い
明確な管理人さんの目的と方向性を提示して始められていると思います。
貴殿は思い込みと申されておられますが、どこのどの文章が思い込みとされるのか提示してください。
事実と違い、間違えやかけ離れた推測であれば謙虚に反省いたします。いかがでしょうか。
それから、人にあるコトバを投げかけた場合はね自分自身に同じ過ちが無いかも振り返ってくださいね。
880
:
トキ
:2012/01/26(木) 10:26:15 ID:5GWTRd9A
ももんが様
個人的には、ももんが様と元職員様への尊敬と感謝の気持ちを表現したつもりでしたが、
気分を害されたとしたら、申し訳なく思っています。すみませんでした。
合掌 ありがとうございます
881
:
ももんが
:2012/01/26(木) 10:39:08 ID:XXCuaQns
皆様、こんにちは、本日も、素晴らしい日が、やって参りました。さあ、今日も、感謝、感謝で、生活していきましょう!ありがとうございます。合掌、拝。
〜正法眼蔵・仏性〜
釈迦牟尼仏言、『一切衆生、悉有仏性、如来常住、無有変易』。
これ、われらが大師釈尊の獅子吼の転法輪なりといへども、一切諸仏、一切祖師の頂ニン、眼晴 なり。参学しきたること、すでに二千一九十年、正嫡わづかに五十代、西天二十八代、代々住持ちしきたり、東地二十三世、世々住持しきたる。十方の仏祖、ともに住持せり。
〜以下つづく
本日より、第三仏性をお話します。
今日は、このこの釈尊の獅子吼が、特に良い言葉であると、思われます。
<<釈迦牟尼仏言、『一切衆生、悉有仏性、如来常住、無有変易』。>>
良く、使われますまが、この、御言葉は、大変、素晴らしい、一言であります。『一切衆生、悉有仏性…』とは、全ての、生きとし生ける物に、仏性が宿っているということです。
では、では、皆様、今日も明るく、楽しく、神の子の生活を、楽しんでください。合掌、拝。
882
:
ももんが
:2012/01/26(木) 11:18:34 ID:XXCuaQns
>>880
トキ様
トキ様、おはようございます。大変、素敵な、朝ですね。お日さまが、とても素晴らしいです。合掌、拝。
私の、コメントに、御心使い頂き、ありがとうございます。
奈良の唐招提寺は、トキ様も御存じんですね。鑑真和尚は、当時として、大変な難儀な苦労をされて、我が国に、仏教を伝えました。
トキ様、仏の教の教えは、偉大ですね。
今、生命の実相35巻を読んでいますが、雅春先生も、仏教の教えが、西に東に、流れて、姿形を変えて、我が国に伝法した事が、説かれてました。
私も、そのお話と違うお話をたくさん、知ってます。
雅春先生は、大変素晴らしく、仏教を説かれてると思います。
しかし、道元禅師や、鑑真和尚、弘法大師と、我が国に、釈尊伝来の仏教を伝えんと、命をかけて、伝授してきた、ものが、我が国には、文化宗教として、実在していることは、本当に、素晴らしい事であり、正しく、深くしることは、日本人として、祖先の伝統文化を知る事だから、素晴らしい事であると、私は、思う、しだいです。
先日、お話した『般若心経』は、飛鳥、法隆寺に、有るようです。
歴史と文化と自然と宗教と、共存共栄をする考えを、私は、大切に考えています。
では、祝辞が、長くなりましたが、トキ様、ご配慮、ありがとうございます。述べるときは、述べさせて、もらいます。ありがとうございます。感謝啓白、合掌。
884
:
トキ
:2012/01/26(木) 12:13:26 ID:5GWTRd9A
>>882
ももんが様
ご投稿、ありがとうございます。
仏教的なご投稿、参考になります。
掲示版の性格上、ここは多様なご意見を歓迎する
立場ですので、今後とも宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
885
:
a hope
:2012/01/26(木) 12:39:10 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
人間は伸びるのが成功
成功というのは形ではありません。
人間の値打ちが伸びるのが本当の成功です。
形の上では、時には狡い人も、卑怯な人も、成功することがあります。
しかし、人間の値打ちが伸びるのが本当の成功だとすると、
折損(ほねおりぞん)ということが一つもないのです。
ある日、学生が私のところに来てこう申しました。
「こんなに勉強して入学できなかったら骨折損だなア。」
そこで早速、私はこう申しました。
「入学できた時も、できなかった一分前も、あなたの値打ちは少しも変わらないのです。
『何々大学生』というレッテルをつけても、レッテルをつけなくとも、中味は同じことです。
安物の化粧品に、好い名前のレッテルを貼っても、中味は上等にはなりません。
レッテルを貼らなくとも中味を十分吟味して、ていねいに造れば好いものができるのです。
勉強はレッテルを造るためではありません。
中味の値打を造るためです。
勉強の中味の値打を造るためだと分かったら、勉強に骨折損ということはありません。」
(つづく)
みなさま こんにちは
今日は暖かい良い日になりました。
わたしは、これから自分の中味を磨くお勉強をしたいと思います。
それでは、また。
886
:
a hope
:2012/01/26(木) 12:51:24 ID:kcv2QXTk
訂正
>>855
上から、10行目
折損(ほねおりぞん)→ 骨折損(ほねおりぞん)
887
:
トキ
:2012/01/26(木) 16:26:01 ID:5GWTRd9A
ももんが様
この数日、忙しくて、お返事が満足に出来ない点をお詫び申し上げます。
仏教と言えば、私が生長の家に入信して驚いたのは、仏教の方、とくに僧侶の方々が多数生長の家に
入会されている事です。私が初めて受けた練成会にも尼さんが参加されていましたし、生長の家の行事に
たくさんの僧侶の方々が参加されていました。
この方々にお尋ねすると、今の寺院では仏教が形式化しており、本当の喜びが得られないのであるが、
谷口雅春先生のご本を拝読して、初めて仏教の真髄が分かった、と喜んでおられました。しかし、伝統
的な仏教界では、生長の家への敵意は強く、隠れる様にして行事に参加している、とも訊いております。
露見したら、立場が危ういとの事で、秘密にされていました。
もちろん、今でも多くの仏教寺院では、正しい修行をされていると思いますが、なかには、そういう
寺院もあるのは事実みたいです。
余談ですが、私はあるとき、深夜、男性が暴漢に襲われたのに出くわし、すぐに警察に連絡をいれました。
その方はたいへん喜び、御礼をしたいというので、名刺を出されました。見ると僧侶の方でしたので、私
も生長の家の名前が入った名刺を差し出すと、相手の態度が変わり、その後、全く連絡なし、という事も
ありました。伝統仏教の中には、生長の家への強い偏見をもっている人は存在する様です。
しかし、中には、偉い僧侶もいて、例えば、本流掲示板に登場する白崎厳成先生は、浄土宗の大僧正
という要職にありながら、生長の家の講師会長もされておられ、たくさんの人を救われたと聞いております。
さて、禅宗の経典の解釈が、谷口雅春先生のご解釈と伝統的な禅宗の解釈では、違うのは当然だと思い
ます。これは、聖書などでも、同じような事が見られます。既存の宗教界の方から見れば、自分達の経典
を外部の人間が勝手に解釈している、というので、谷口雅春先生へ厳しい目をされるのは理解はできる
と思います。しかし、実際に多くの方々を谷口雅春先生が救済されてこられた、という視点から見るなら
ば、伝統的な経典の解釈と谷口雅春先生の解釈が違っても、それは当然であり、かつそれでこそ「七つの
灯台」に灯をともす生長の家の真理のご出現の意義があると思っております。
以上、個人的な感想ですが、お許し下さい。
では、今後とも、宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
888
:
ももんが
:2012/01/26(木) 16:36:09 ID:XXCuaQns
元職員様
元職員、色々、投稿文ありがとうございます。合掌、拝。
トキ様にも、コメントしましたが、私は、元職員様の好むような、議論は、しません。
宗教論議や哲学論議をするなら、多少しますが、今回のような、議論は、しません。
勿論、反論文は、作成しました。(ちゃんと、元職員様の投稿文載せてます。)
例えば、私が、『曹源の一滴水?』と
元職員様に、呼び掛けて?
元職員様は、どう解答くれるのでしょ?
元職員様が、解答できる?
解答できない?
私としては、宗教論議とは、こう言う事をしたいわけです。
それは、元職員様の宗教者としての考えを、知りたいからです。
それ以外には、ほとんどん、興味はありません。
あと、不思議な、事もわかりました。
色々、外側で、騒いでも良いですが、仲間内で適当にやって下さい。
では、『曹源の一滴水!』
お手柔らかに、お願いがいします。
感謝、啓白、合掌。
889
:
ももんが
:2012/01/26(木) 18:16:47 ID:XXCuaQns
>>887
トキ様
トキ様、投稿文、ありがとうございます。合掌、拝。
トキ様の、言われてる、お話、本当の事でしょう。
ただ、私は、非常に、その面から、行くと、神様の加護が強いのか、幸せな、人間だと、思います。
私達の参禅会の基本の哲学は、曹洞宗ですが、原田大雲祖岳老師の哲学を、基本的に、習うのです。
原田大雲祖岳老師は、仏教を称して『真理の太陽』と言ってました。
なんか?『生長の家』と良く似てませんか?
基本には、必ず、師と弟子の関係を結び、仏教の基本を、老師から、伝授されます。
これも、原田大雲祖岳老師の『ただしい仏教』と言う本に優しく書かれています。
原田大雲祖岳老師の著作は、最近、リニューアルされましたから、是非読まれてくれた。うれしく思います。
私の通った、参禅会の御寺では、近所の方に、講話とかもしていたので、聞いた話では、そこに、生長の家の信徒のお婆さんが居て、良く、私達の老師の話を聞きに来ていて、『老師のお話は、雅春先生と同じで、素晴らしい』といつも、言っていたと、聞いています。
これも、本当のお話です。
私は、老師のお誕生日に、甘露の法雨の御守りを上げたら、嬉しいそうに、『生長の家さんも、仏教のお話されて、非常に素晴らしいですね』と言われて、本当に、我が師で、老師の宗教への拘りの無さへ、思わず、身震いし、合掌してしまったほどです。
マザーテレサも、そうですが、真の宗教者は、心に拘りが無いから、どの宗教て、自分の心に、垣根は、造らないもんですね。
私は、自分の師の用に、拘りの無い人間に成りたいと、思いますが、大変難しいです。
さて、トキ様の個人感想文読みました。
<< さて、禅宗の経典の解釈が、谷口雅春先生のご解釈と伝統的な禅宗の解釈では、違うのは当然だと思い
ます。これは、聖書などでも、同じような事が見られます。既存の宗教界の方から見れば、自分達の経典
を外部の人間が勝手に解釈している、というので、谷口雅春先生へ厳しい目をされるのは理解はできる
と思います。しかし、実際に多くの方々を谷口雅春先生が救済されてこられた、という視点から見るなら
ば、伝統的な経典の解釈と谷口雅春先生の解釈が違っても、それは当然であり、かつそれでこそ「七つの
灯台」に灯をともす生長の家の真理のご出現の意義があると思っております。
以上、個人的な感想ですが、お許し下さい。>>
確かに、トキ様の言われてる事、私も、最もな意見と思います。
しかし、トキ様の個人の心の中には、体験としては、生長の家の信仰しか存在してませんよね?
如何ですか?
私の心の内側には、確りと、生長の家と、参禅(独参)の、両方の、体験が、心の奥底に刻まれております。
先日、練成会で、教わりました、『深層意識』に刻まれているのです。
岩波文庫から出版されてます。『霊 操』と言う本がありますが、著作は、イグナチオ神父ですが、解説が、門脇佳吉と言う、カトリックの神父さんです。
彼は、神父で、ありながら、臨済宗の大森曹玄老師の下に参禅(独参)して、霊操との、違いや真理の共通性を、書いています。
私も、共感を覚えた、宗教者の一人です。
私も、雅春先生の『無門関解釈』読んでます。生長の家的には、大変素晴らしい本だと、理解してます。
ただ、私の心の奥底に、二つの宗教は、一つに成って、存在してますから、私が、より、深いなと感じた方が、私の心に感応しやすいと思います。
それは、私的に、思うのでは無くて、神想観や坐禅をしてるときに、自然に沸き上がるのです。
それは、両方を知ってるからから、興るのでしょ。
説明が、難しくて、上手く、言葉にならないのですが、ほぼ、正確な気持ちです。色々、外野が煩いのは、世間のさざ波と申します。人は噂話が、大好きですから、色々、ありがとうございます。感謝啓白。 合掌、拝。
890
:
ハマナス
:2012/01/26(木) 18:57:14 ID:u5mC.eb2
ももんが様へ、
ご投稿ありがとうございました。お返事が遅くなりまして申し訳ありません。
いつも「正法眼蔵」等の素晴らしいご文章をありがとうございます。
ももんが様は仏教のことを大変よくお勉強され、修業もされたのですね。
素晴らしいです!
私は仏教について全く素人で専門家でありませんので、安谷白雲老師の
言われた事が正しいかどうかはわかりませんが、少なくとも言えますのは、
谷口雅春先生は生長の家の真理に基づいてお説きになられています。
トキ様が代弁をして下さっていますので、引用させて頂きます。
「禅宗の経典の解釈が、谷口雅春先生のご解釈と伝統的な禅宗の解釈では、違うのは当然だと思います。
これは、聖書などでも、同じような事が見られます。既存の宗教界の方から見れば、自分達の経典を
外部の人間が勝手に解釈している、というので、谷口雅春先生へ厳しい目をされるのは理解はできると思います。
しかし、実際に多くの方々を谷口雅春先生が救済されてこられた、という視点から見るならば、伝統的な経典の
解釈と谷口雅春先生の解釈が違っても、それは当然であり、かつそれでこそ「七つの灯台」に灯をともす生長の
家の真理のご出現の意義があると思っております。」
私も同感であります。
仏教の事が何もわからなかった私ですら、生長の家に入信して、谷口雅春先生の『生命の實相』
(第11,12巻「万教帰一篇」、第39巻「佛教篇」、35巻にもあるのですね。)や、
その他のご本を読むことにより、仏教の素晴らしさが少しずつわかってきました。
『無門関解釈』、『碧眼録解釈』は、勉強会でかじりましたが、とても難しく、
一人では、たぶん読もうともしなかった難易度の高いご本を雅春先生が少し易しく
お説き下さったお陰で触れることが出来て、感動し、とてもありがたく思います。
また、練成会や講話で講師の先生方が用いられた、『真佛教の把握』
(谷口雅春先生著作集第7巻)や『日常生活の中の真理・仏教篇』などの
ご本も仏教について詳しく書かれてありまして、とても勉強になりました。
つづく
891
:
ハマナス
:2012/01/26(木) 19:03:50 ID:u5mC.eb2
つづき
キリスト教に関しては、雅春先生は『ヨハネ伝講義』の中で、キリストが十字架に
かけられ、3日後に復活したことについて、このようにお書き下さっています。
「そして自分は永遠の金剛不壊の生命である。肉体を抹殺してしまっても、
永遠に滅びない自分であるぞと云うことを知らせんが為に磔になって肉体を十字架に
つけるのだ、その時がくるのである。」 (『ヨハネ伝講義』P.56)
私はこのご御文章を読みまして、今まで学校で習ってきた「人間は原罪があり、
罪深いものなのだ。だから、キリストがその罪を贖う為に磔にされたのだ。」との
キリスト教観が変わりました。
私たちは“罪深い子”でなく、“神の子なのだ”と言う事がわかり、とても楽になり、
また嬉しくなりました。
知り合いのキリスト教信者の方は、「『ヨハネ伝講義』を読んで、より一層キリスト教
の深さ、素晴らしさがわかりました。」と言っていました。
同ぺージからの引用です。(『ヨハネ伝講義』P.56〜57)
「人間の永遠生き通しと云うことは、そんな肉体の生き通しの事を云っているのではない。
人間の永遠生き通しの生命とは実相のことである。―――そして肉体と云うものは本来
ないと云うことを知らすために自分の肉体は死んでいるのである。しかし、私の実相は
五百塵点劫前(じんてんごうぜん)のまだそれ以前から生き通しの自分だ」と云う
意味のことを『法華経』及び『涅槃行』で言っておられる。
それが茲(ここ)にイエス・キリストが言っておられるのと同じことなんであります。」
谷口雅春先生はこれらのご本を通して、「万教帰一」を私達信徒にに教えて下さっていると
思いました。
先生のご本を読めば読むほどに本当に先生の偉大を実感しています。
長くなって申し訳ございません。
これからも、ももんが様の素晴らしいご投稿を楽しみにしております。
よろしくお願い致します。
感謝合掌
892
:
トキ
:2012/01/26(木) 19:47:13 ID:5GWTRd9A
ももんが様
ご丁寧なお返事、ありがとうございます。
ちょうど、ハマナス様が聖書のお話をされていますが、例えば、生長の家の聖書解釈は、伝統的な基督教の聖書解釈とは異なります。
しかし、心あるクリスチャンの中には、谷口雅春先生のお話を拝聴して、初めて聖書がわかった、と喜んでいる人も多数おられます。
現実に、ブラジルなどは、クリスチャンの方が生長の家の信仰を持たれていて、何の矛盾もありません。
ところで、ご存知の通り、聖書には4つの福音書がありますが、それ以外に「トマスによる福音書」があります。これは、伝統的な
基督教の世界では禁書ですが、最近の死海文書の発見などにより、「これこそが、本当のイエス=キリストが説かれた教えである」
と、研究者などがから評価を受ける様になり、急に脚光を浴びていると聞いております。そして、「トマスによる福音書」
の世界こそは、谷口雅春先生のお説き下さった聖書解釈と極めて整合性がある、と感じております。
これは、谷口雅春先生のお説き下さった聖書解釈が伝統的な解釈と異なる事に固執する必要がない事をも示していると感じております。
大事な事は、谷口雅春先生は、生長の家の信仰をお説き下さる時に、仏典も聖書も引用されましたが、それは学問的な仏典や聖書の解釈
ではなくて、もっと大いなる存在としての神様を説明するために参考にされたと考えています。(と、言っても、谷口雅春先生は釈迦や
キリストも尊敬されていたし、仏教や基督教も大切に思われていたので、決して軽んじておられたのではない事も言う必要はあります。)
要するに、生長の家も座禅も、いきつくところは同じですが、その過程が違う以上、本の解釈にも違いが出ます。
ただ、そこで、優劣を論じるのではなく、要は何が大切かを感じるのが大事だと思っています。
合掌 ありがとうございます
893
:
ももんが
:2012/01/26(木) 20:33:11 ID:XXCuaQns
>>891
ハマナス様
ハマナス様、御返事ありがとうございます。合掌、拝。
真に、ハマナス様の御投稿文の、素晴らしさに、感銘を覚えるしだいです。
雅春先生の御説き下さった、仏教のお話も、キリスト教のお話も、ハマナス様のおしゃるように、何れも、素晴らしく、真理に満ち溢れてると、私も共感致します。
ハマナス様も、『トキ様への私の投稿文』読まれたと、思われます。
私は、宗教体験が、多く、皆様と違う認識で、物を観る事が、たくさん、あると、思います。
日本には、歴史上たくさんの優れた、宗教者が、たくさんいます。
生命の実相に出てこない、宗教者もいるし、宗教上の儀式や修行なども、存在してます。
例えは、高野山の曼荼羅は、いったい、なんの為に、あるのか?
あれは、言葉や文字の違いを超えて、多くの人々に、仏の世界、仏教の世界を理解させる為に、ある事を、ハマナス様は、ご存じでしたか?
私も、昔、高野山に行きまして、儀式も体験してきました。
高野山と言うところは、高野山その物が、仏の世界(曼荼羅)に成ってるらしいです。
曼荼羅や仏像は、儀式に使うのですが、それを、信徒にするだけで、仏の世界をバーチャルリアリティーに体験出来る仕組みに成っているのです。
生長の家で言う『深層意識』に、仏の世界を植え付ける仕組みなんです。
御坊さんが、御説教したり、御経読ませるより、目で見て、心で捉えるやり方は、現代の映像主義的発想ですね。
こうした、方法が、日本の宗教の中に、有ることは、素晴らしいのです。
ただ、余り生かされては、いないとは、残念に思うしだいです。
雅春先生は、こうした、事は、余り書いておられないのも、また、残念な、事です。
ハマナス様の、お言葉、真に生長の家の人ですね。
本当に、感服いたしております。
私も、一日でも、ハマナス様の様な言葉使いが、出来る人間になれるように、がんばります!ありがとうございます。感謝敬白、合掌。
894
:
ももんが
:2012/01/26(木) 21:20:22 ID:XXCuaQns
>>892
トキ様
トキ様、真に御返事ありがとうございます。合掌、拝。
確かに、生長の家も、坐禅も、云わんとしてる所は、同じです。
ですが?空手と柔道では、ありませんが、形が、やはり、違いますね。
だから、互いの違いを良く認識しないと、喧嘩になりますね。
さて、トキ様のお話の中に、『トマトの福音書』のこと書いてありましたね。
<<「トマスによる福音書」
の世界こそは、谷口雅春先生のお説き下さった聖書解釈と極めて整合性がある、と感じております。>>
これは、二原論の本らしいんです。だから、聖書に入らなかったと聞いてます。
私は、別の福音書で、『ユダの福音書』を読みました。
これも、昔は、エジプト当たりでは、使っていたようです。
忘れましたが、確か、『トマトの福音書』や『ユダの福音書』『マリアの福音書』を使っていた、グループは、同じグループだったはずです。
解釈が難しいのですが、二言論なのと、確か、儀式にセックスを奨励するグループだと、記憶してます。
日本の仏教で言うと、真言宗立川流と言う、流派と良く似てます。
因みに、後醍醐天皇も、この立川流の信者だったらしいです。
普通のキリスト教は、独身主義ですが、彼らは違うのです。見破るのが、大変だと、私の読んだ資料には、ありました。
現代の光明思想と確かに、似てる部分は、あるのですが、基本が、二元論ですから、光と影を認めてるんですね。
見分けるのは、極めて、難しと言われてますよ。
私も、ユダの福音書と、他の福音書を読み比べて、解ったのは、星に対する信仰が、変なんです。確かに、話は面白くて、成る程て、感覚はありますが、永遠の命の解釈が、何となく、違うかな?思わされました。
光明思想と同じような、発想ですが、セックスを儀式に取り入れたりするのは、悪魔教団を思わせますから、何か、違う気が、します。
私の雑学で、申し訳ありません。
ありがとうございました。
感謝敬白、合掌、拝。
895
:
ももんが
:2012/01/26(木) 22:00:10 ID:XXCuaQns
>>894
訂正
×『トマトの福音書』
○『トマスの福音書』
896
:
ももんが
:2012/01/26(木) 22:55:55 ID:XXCuaQns
>>892
トキ様
追伸
先程、いい忘れてしまいまて、すいません。合掌、拝。
<<生長の家の聖書解釈は、伝統的な基督教の聖書解釈とは異なります。
しかし、心あるクリスチャンの中には、谷口雅春先生のお話を拝聴して、初めて聖書がわかった、と喜んでいる人も多数おられます。
現実に、ブラジルなどは、クリスチャンの方が生長の家の信仰を持たれていて、何の矛盾もありません。>>
トキ様が、ハマナス様の引用文より、クリスチャンの方が生長の家の信仰持っても何の矛盾も無いといいましたが、確かに、その通りです。
私も、他の信仰を持っても、何の矛盾も無いです。
矛盾が、あるのは?
生長の家だけしか、信仰してない方や、生長の家一途の方に矛盾が生じるのでは、ないでしょうか?
私は、今回強く、それを、感じさせられました。
トキ様、どうでしょか?
私の言葉に、反響するは、その方々、御一人、御一人の心に、“生長の家絶対説”みたいな、凝り固まった、信仰心が、心の底に有るのでは、ないですかね?
その矛盾が強い程、心に共鳴して、反発するように、思えました。
こないだ、深層意識習った時に、これに近いお話習いましたよ。
私のお話が、矛盾したのでは無く、反発した、人、御一人、御一人の心の、凝り固まった心が、反響したと、私は、理解した思いです。
トキ様や、ハマナス様と、お話していて、その様に、思いました。
すいません、あとから、お話して。今日は、大変、ありがとうございました。
感謝、感謝です。合掌、拝。
897
:
ハマナス
:2012/01/26(木) 23:01:43 ID:u5mC.eb2
ももんが様へ
ご丁寧なお返事をありがとうございました。
大先輩のももんが様からお褒めの言葉を頂き恐縮しております。
>私は、宗教体験が、多く、皆様と違う認識で、物を観る事が、たくさん、あると
思います。
ももんが様のご文章を拝見し、実に優秀な方で、仏教、キリスト教のみなら
色々な宗教をお勉強されておられ、心眼が開かれ、すでに悟られていらっしゃる方
だと、思いました。
>例えは、高野山の曼荼羅は、いったい、なんの為に、あるのか?
あれは、言葉や文字の違いを超えて、多くの人々に、仏の世界、仏教の世界を
理解させる為に、ある事を、ハマナス様は、ご存じでしたか?
一度だけ高野山には、行ったことがありますが、曼荼羅の意味は存じません
でした。確か二通りの曼荼羅があったと、記憶しています。
ご親切にお教え下さりありがとうございます。
私は、一白鳩会員にすぎませんが、この掲示板のお陰で、ももんが様や皆様のよう
な素晴らしい方々のご意見や、聖典の引用を拝見し、共にお勉強出来ますのと、
誠にありがたく感謝申し上げます。
感謝合掌
898
:
ハマナス
:2012/01/26(木) 23:20:26 ID:u5mC.eb2
トキ様へ
ももんが様への素晴らしいご投稿を読ませて頂きました。
全く、同意見です。私の代わりに、お返事していただき
ありがとうございました。
いつもこの掲示板の管理者として、お忙しい中、お心を配って下さいます事に
感謝申しあげます。ありがとうございます。
899
:
元職員
:2012/01/27(金) 00:54:27 ID:???
『曹源の一滴水!』ですか 「!」がよけいですね(笑)
さて、お答えする前に申し上げます。貴殿の対応は極めて誠実さを欠いています。
自分で論議のタネを撒いておいて、それに対して「あなたの好み通りには?」
まあ、このあたりの評価は皆さんにお任せします。
「曹源の一滴水」について。
生長の家信徒行事要目のなかに
「一切の人と物と事とに行き届くべし」とあったと思います。
このコトバを想起します。本来は水一滴も無駄にしてはならないというお示しと
思いますが、同じ事を示されていると感じます。
さて、ももんがさん。貴殿の一連の対応は・・・いかがでしょうか。
禅寺で修行?したり、練成に行ってみたりしておられるようですが・・聞いて
知ったと思っているようですがそれが生活には現れていないようですね。
貴方の学んでいることには間違いはありませんが、あなた自身知っているつもりだけで
それを現実の今に生かしていませんね。
人の疑問や質問に誠実に答えない。
人の質問に自分の都合で答えずに、逆に質問をしてくる。
・・・・
これは、私だけではなく第三者から見ても「誠実さ」に欠けていると思われます。
トキさんの掲示板は「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板 とあります。
禅宗の問答は、他の場所ですべきではありませんか。
貴方は、トキさんの優しさに甘えていませんか。
貴方の書き込みからは、浅く広く宗教をカジッテ物知りになったと思っている人と同じ
「傲慢」さが感じられます。
さて、貴方の示した「曹源の一滴水」に、貴方は適った生き方や行動をしていると思われますか。
それから・・・
やめておきましょう。自分の正体は自分が一番知っていますから・・・(笑)
900
:
役行者
:2012/01/27(金) 07:47:48 ID:qF94Uk/s
>ももんが様
>高野山と言うところは、高野山その物が、仏の世界(曼荼羅)に成ってるらしいです。
曼荼羅や仏像は、儀式に使うのですが、それを、信 徒にするだけで、仏の世界をバーチャルリアリ ティーに体験出来る仕組みに成っているのです 。
生長の家で言う『深層意識』に、仏の世界を植え付 ける仕組みなんです 。
御坊さんが、御説教したり、御経読ませるより、目 で見て、心で捉えるやり方は、現代の映像主義的発 想ですね。
こうした、方法が、日本の宗教の中に、有ること は、素晴らしいのです 。ただ、余り生かされては、いないとは、残念に思う しだいです。
雅春先生は、こうした、事は、余り書いておられな いのも、また、残念な、事です 。<
確かに、そのとおりですね!
真理を実感するための手段・方法論も大切ですね。
より多くの方に、いろいろな手段・方法によって、真理に至っていただきたい!との思いが、たとえば京都の東寺の立体曼荼羅の世界にも表現されてますね。いま、多くの方が東寺に参って信仰を深めています。
ですから、衆生が真理に至っていただくために、如何に伝道していくか、その手段・方法論を皆共に話し合うことも、大切なことと存じます。
ただ、それは卵で例えると、黄身でなく、白身の周辺部分にあたるのではないかと存じます。
その白身の周辺部分である!という自覚のもと、我々の世代で是非、真理に至るためのより良い手段・方法も充実させていくことができれば、それは生長の家が万民に尚一層、お役に立てることができるのではないか!と存じる次第です。
追伸;高野山は千二百年余りのあいだ、地元の方にはもちろん、衆生に愛されてきました!
それは、真言宗を守ってくれた先達の方々、釈迦をはじめ、三国を伝来途中、求道と伝道に励まれた師、三国伝来途上における神々にたいして、日本の神々、高野山の地元の神々に対して、また、御皇室をはじめ日本を守ってきてくださった方々への篤い報恩感謝の祈りが悠久の昔から、絶え間なく捧げられてきたからと存じる次第でございます。
このことは私、平成の役行者は実感しております。
901
:
ももんが
:2012/01/27(金) 09:16:03 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日も、素晴らしい、朝が、やって参りました。さあ、お日様の様に、明るい心で、本日も神の子の生活を楽しみましょう!ありがとうございます。合掌、拝。
〜正法眼蔵・仏性〜
世尊道の『一切衆生、悉有仏性』は、その宗旨いかん。是什麼物恁麼来(是れ、什麼物<なにもの>か恁麼<いも>に来る)の道転法輪なり。あるいは衆生といひ、有情といひ、群生といひ、群類といふ。
悉有の言は衆生なり、郡有也。すなわち悉有は仏性なり。悉有の一悉を衆生なりといふ。正当恁麼時は、衆生の内外すなわち仏性の悉有なり。単伝する皮肉骨髄のみにあらず、如得吾皮肉骨髄なるがゆえに。
〜以下つづく
さて、『一切衆生、悉有仏性(いっさいしゅじょう、しつうぶつしょう)』
『全ての生きとし生けるものには、完全円満な仏性が宿ている』
是が、釈尊の御言葉なんですね。
生長の家でも、同じ、講師の先生方皆様、同じ様な御言葉を繰り返し、繰り返し、教えて下さいます。
それから、『悉有仏性』とは、『仏性である中の一つの完全な仏性』と言うことです。
私が、良く、『ルック・イン・トッウー』と雅春先生の言葉を、繰り返し、語るのも、御理解いただけたかと、思います。
では、皆様、今日も寒いですが、元気を出して、がんばんて下さい!ありがとうございます。合掌、拝。
902
:
うのはな
:2012/01/27(金) 11:26:12 ID:El6gIMAw
身近に肺結核で入院した人がいて、法定に従ってレントゲン検査をしにいくと、
医師から何の問題もないけどこのあと血液検査を受けるようにといわれて驚いています。
それは毎年恒例のインフルエンザ予防注射も受けていなかったし、去年胃痛が激しくクリニックで
レントゲンを撮った時、肺に影があるから大きな病院でCT検査を受けなさいといわれていたからです。
保健所の検査が終ってからにしようと思っていました。
けれど去年の暮れからネットなどで言いがかりをつけられたり、いろいろあるなかで、
感謝誦行など再開し、いろいろやっていく中で神様と波長があうときもあったんだと思って
久し振りにさわやかな気分になりました。
部外者が浄心行の説明すすめだとか、信者の心を害することを平気で執り行ってるネットの世界ですが、
わたしのように短気をおこすこともなく、みなさんにはこれからも生長の家の信者らしい生活を送っていただけたらと
思います。
903
:
a hope
:2012/01/27(金) 13:10:04 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
仕事や勉強に骨折損(ほねおりぞん)はない
勉強に骨折損というのがないと同じく、仕事にも骨折損はありません。
仕事はしたけれども、金がもうからなかったので、
損をしたという人もなかにはありますが、仕事は金を儲けるためにするのではなく、
金が儲かるのは副産物(おまけ)のお添え物なのです。
仕事や勉強で本当に儲かるのは、自分の生命が練れたということです。
自分の生命がいっそうよくなったということです。
十分練れなければ、餅米はどんなに好い質でも好いお餅にはなりません。
餅米は搗(つ)かれれば搗かれるほど、よく練れて好いお餅になるのです。
餅はよく練れて好いお餅になるのが目的であって、金を儲けるためではありません。
人間もよく練れて好い人間になるのが目的であって、金を儲けることが目的ではありません。
餅米がよいお餅になってよい値段でうれることはお添え物です。
人間もよい人間になるのが目的で、よい値段で売れることは付け足しです。
人間は仕事を余計して損だということは決してありません。
(つづく)
みなさま こんにちは
毎日、この板で、ももんがさまが「正法眼蔵」を紹介してくださっています。
わたしは、仏教に興味があって、以前、数年間、近所のお寺に坐禅に通い、その後、
90歳を超えられた住職さまのされる「正法眼蔵随聞記」の法話を毎回、拝聴していました。
とてもわかりやすくお話してくださっていたので、わたしのような仏教の知識もないものにも興味深くて、
ノートも何冊もとったのですが...どうしても見つかりません。
ももんがさま
いつも「正法眼蔵」を紹介してくださり、ありがとうございます。
ですが、原文は難しすぎて、アホのa hope には、あまり理解できないのが残念です。
できれば、ももんがさまの解説を、もう少し詳しくしていただけるとありがたいですし、
勉強にもなり、コメントもできると思うのですが...
他の板で、復興Gさまが雅春先生の「日常生活の中の真理・仏典編」を紹介してくださっていますが、
こちらの方は、とてもわかりやすいです。
どんな難しい仏教の極意でも、雅春先生は、一般大衆にもわかるようにお話くださるっているのですね。
あらためて、雅春先生の偉大さを実感しています。
904
:
ももんが
:2012/01/27(金) 13:40:37 ID:XXCuaQns
>>899
元職員様
元職員様、大変素晴らしい、ご鞭撻、真に、ありがとうございます。合掌、拝。
元職員様の『御言葉』大変心に染み渡りました。本当に、感謝、感謝いたします。ありがとうございます。合掌、拝。
(元職員様の言葉)
<<『曹源の一滴水!』ですか 「!」がよけいですね(笑)>>
そうですか。上の様な表現を、元職員様は、良くお使い成りますね。良く、元職員様の御気持ちが、現れてますので、私なりに、勉強させて、頂きました。真に深切に教えて頂き、ありがとうございます。感謝いたします。
それから
(元職員様の言葉)
<<さて、お答えする前に申し上げます。貴殿の対応は極めて誠実さを欠いています。
自分で論議のタネを撒いておいて、それに対して「あなたの好み通りには?」
まあ、このあたりの評価は皆さんにお任せします。>>
上の御言葉も、大変、私の心に響きました。御教授真に、ありがとうございます。
得に、元職員様のこの言葉『…この当たりの、評価は皆さんにお任せします。…』
この言葉は、大変参考に成りました。私には、『誰に助けを求める』言葉に、聞こえました。
いや、この御言葉は、真言の様な、素晴らしい、言葉ですね。真に、ありがとうございます。
それから
(元職員様の言葉)
<<「曹源の一滴水」について。
生長の家信徒行事要目のなかに
「一切の人と物と事とに行き届くべし」とあったと思います。
このコトバを想起します。本来は水一滴も無駄にしてはならないというお示しと
思いますが、同じ事を示されていると感じます。>>
元職員様の『曹源の一滴水』の解答、実に、生長の家の方らしい、素晴らしい、解答です。
しかし、元職員様に、大変も仕分けありませんが、『室内』(独参)したら、老師の振鈴が鳴って、問答無しに、追いかえされてしまうでしょ。
残念でした。元職員様は、大変素晴らしい、眼力をお持ちだが、本当には、観えていないと、言われてしまうでしょ。
この、公案のポイントは、法眼禅師が、おうむ返し、したところに、真の真実が隠されているのです。
確かに、『本来は水一滴も無駄にしてはならないというお示しと…』意味にも、取れますが、それは、大分ずれた、解答と言うことです。(すみません生意気言いまして)
『曹源の一滴水』に関しては、また、別の機会に、お話します。実は、先日、少し解答したんですが、わかって貰えなかったのは、残念てす。
それから、
(元職員様の言葉)
<<さて、ももんがさん。貴殿の一連の対応は・・・いかがでしょうか。
禅寺で修行?したり、練成に行ってみたりしておられるようですが・・聞いて
知ったと思っているようですがそれが生活には現れていないようですね。>>
元職員様の、御言葉、ごもっともと、私、敬服しております。御教授、感謝いたします。
『生活に現れていない…』との御教授、ありがとうございます。
私は、完璧な人間でないので、この通り、“在りまま自分”を恥ずかしくも無く、皿けだしとているのです。生長の家の勉強も、皆様と成るべく、同じ目線に成る様に、努力して、勉強しているのです。
“バカに成ってる”と呼ばれた方が、いいですね。
元職員様は、完璧な人間なのですね、失敗は無いと言う方なんですね。大変素晴らしいですね。
私には、とても、真似出来ません。御教授宜しくお願いがします。
〜長いので、つづきます。
905
:
ももんが
:2012/01/27(金) 13:45:55 ID:XXCuaQns
>>899
元職員様〜つづき
それから
(元職員様の言葉)
<<貴方の学んでいることには間違いはありませんが、あなた自身知っているつもりだけで
それを現実の今に生かしていませんね。
人の疑問や質問に誠実に答えない。
人の質問に自分の都合で答えずに、逆に質問をしてくる。
・・・・
これは、私だけではなく第三者から見ても「誠実さ」に欠けていると思われます。>>
そうですか、『現実に今に生かしていない…』ですか。有り難い、御教授、真にありがとうございます。
もっと、現実に生かせるように、努力いたして行きます。大変素晴らしい言葉、ありがとうございます。
『人の疑問、質問に、誠実に答えていない。』成るほど、言葉や文字に頼る生き方をすると、良く学べと言う事ですね。
以前、生命の実相、輪読で、『窮通の悟り』なる物を習いました。元職員様は、全真逆な事を言われるので、困惑しますが、私には、バカなので、努力して学ばせて頂きます。ありがとうございます。
『第三者から見て、誠実さに欠けてる』そうですか、真に、また、有り難い、御言葉を賜りまして、ありがとうございます。私、完璧では無いので、欠けてるところは、たくさん有ると、思いますよ。良く、見付けて頂きまして、ありがとうございます。
(元職員様の言葉)
<<トキさんの掲示板は「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板 とあります。
禅宗の問答は、他の場所ですべきではありませんか。
貴方は、トキさんの優しさに甘えていませんか。
貴方の書き込みからは、浅く広く宗教をカジッテ物知りになったと思っている人と同じ
「傲慢」さが感じられます。>>
『禅問答は他の場所で…』と言われましたが、それは、少々違うと、私は思います。昔は、良く、宗論なんてことを、やってたようです。同じ宗派宗教の中だけでなく、他宗や国別でも、行われた。
生長の家は、調和を協調する素晴らしい、宗教ですが、他宗と論の比較研究を、もっと、すべきだと思います。
これは、バチカンのお話ですが、バチカンの図書館にはたくさんの宗教書が有り、バチカンの方は、他宗の方の中に入り、自分達に無い物や共通点や色々勉強されている。私は、そう言う意味おいては、バチカンを尊敬してます。
生長の家も、私は、いつか、バチカンの様な存在になれるのではと、希望する一人です。かつて、大蔵教を為に、托鉢した、和尚さまのお話を聞いた事が有りますが、私も、バカはバカ成りに、万教帰一する、生長の家を請い願う一人です。
元職員様も、もっと、広い視野で、物事を見て頂きく思います。真に、言葉下手で、申し訳ありません。
『傲慢』を感じるのは、元職員様のお心の内ですね。
『傲慢』に感じるのも仕方ないですね。努力して、がんばって、いきます。御教授、ありがとうございます。
それから、
(元職員様の言葉)
<<さて、貴方の示した「曹源の一滴水」に、貴方は適った生き方や行動をしていると思われますか。
それから・・・
やめておきましょう。自分の正体は自分が一番知っていますから・・・(笑)>>
さて、上の表現も、元職員様が、良く、使われる、表現で、元職員様の心の中を良く表現されていて、おります。
先程も、もうしましたが、元職員様は?『曹源の一滴水』の解答を勘違いされています。
私は、確り『曹源の一滴水』を完全とは言えませんが、実感しながら、生きています。
しかし、元職員様の御言葉は、良い所もあるので、有りがたく、受け賜ります。ありがとうございます。
『やめておきましょう、自分の正体は自分が一番知ってるのですから…』
これも、元職員様が、良く使う、表現です。この表現も、『誰か仲間に呼び掛け』てるように取れる、表現に私には、思えますが、余り、他人を疑う事は、しませんので、この御言葉も、元職員様の有りがたい、御言葉として受けさせてもらいす。ありがとうございます。合掌。
以上、私なり、今回、誠実に、元職員様に御返事いたしました。まだまだ、誠実さは、足りないと思いますが、それは、日進月歩、がんばって、行きますので、宜しくお願いがします。
あと、たぶん、辛口の解答や御返事あるでしょが、それは、元職員様とお仲間でお話していただくで、大変感謝いたしましす。
御返事出来る時は、いたしますので、これからも、宜しく、御教授下さい。
感謝敬白、合掌、拝。
906
:
ももんが
:2012/01/27(金) 14:51:55 ID:XXCuaQns
>>900
役行者様
役行者様、御投稿文読ませていただきました。真に、役行者様の御言葉に、同感です。
<< 確かに、そのとおりですね!
真理を実感するための手段・方法論も大切ですね。
より多くの方に、いろいろな手段・方法によって、真理に至っていただきたい!との思いが、たとえば京都の東寺の立体曼荼羅の世界にも表現されてますね。いま、多くの方が東寺に参って信仰を深めています。
ですから、衆生が真理に至っていただくために、如何に伝道していくか、その手段・方法論を皆共に話し合うことも、大切なことと存じます。
ただ、それは卵で例えると、黄身でなく、白身の周辺部分にあたるのではないかと存じます。
その白身の周辺部分である!という自覚のもと、我々の世代で是非、真理に至るためのより良い手段・方法も充実させていくことができれば、それは生長の家が万民に尚一層、お役に立てることができるのではないか!と存じる次第です。>>
そうですね。役行者様の言われてる事は、私と良く似てます。
それと、役行者様の“追伸”の御言葉が、私の思いと共感する思いです。
<< 追伸;高野山は千二百年余りのあいだ、地元の方にはもちろん、衆生に愛されてきました!
それは、真言宗を守ってくれた先達の方々、釈迦をはじめ、三国を伝来途中、求道と伝道に励まれた師、三国伝来途上における神々にたいして、日本の神々、高野山の地元の神々に対して、また、御皇室をはじめ日本を守ってきてくださった方々への篤い報恩感謝の祈りが悠久の昔から、絶え間なく捧げられてきたからと存じる次第でございます。
このことは私、平成の役行者は実感しております。>>
その通りです。いま、『普及誌』を購入すると、植林活動に寄付できるようです。また、こんな、事を書くと、御叱りを受けそうですが、役行者様も御存じと思いますが、高野山の植林は、弘法大師様が、始めらたと聞いております。
今は、世界遺産にも成ってる熊野参道までの、豊か森は、日本の素晴らしい、財産ですね。
現在の教団の行動は、良くない部分も有るのでしょが、弘法大師様のその昔された、事に、照らすなら、良く似た事をされてると、思います。
客観的に、そう思えます。
役行者様、素晴らしい、高野山のお話や、山伏などの、民間信仰のお話、たくさん、出来たら、私も、勉強に成ります。以前、誌友会で、講師の先生が、金光教などのお話をしてくれて、勉強になりました。
是からも、宜しく、お願いがします。
感謝敬白、合掌、拝。
907
:
ももんが
:2012/01/27(金) 15:23:59 ID:XXCuaQns
>>903
a hope様
a hope様、私への御投稿文、ありがとうございました。合掌、拝。
『正法眼蔵』の解説が、行きどどかい無い点は、改めて、感謝申し上げます。
現在は、成るべく、原文の素のままに、拝読して頂いて、例え、意味が、わからなくても、自分の心境と、スーと、入って来る事があるので、良いなと思っておりました。。
a hope様の、御言葉も、心に止めて、解説、出来る所は、解説を行き届くように、勉めたいです。
全て、日々勉強ですので、真に良い御指摘、ありがとうございました。
感謝、敬白、合掌。
908
:
志恩
:2012/01/27(金) 18:38:46 ID:.QY5jUA6
元職員様
「曹源の一滴水」で、ネット検索しましたら、
かなり詳しいことが、いくつもいくつも載ってますね。
一応、それらを全部プリントアウトしてあります。
元職員様の回答は正解だと思いました。
「一切の人と物と事に行く届くべし。」その言葉には、多くの事柄が含まれています。
ももんが様は、この回答に、すばらしいと言われながらも、及第点ではないと言われて、ご不満のようですね。
禅の修行者に
伝えるように、仏教的な、もっと噛んで含めるような仏教用語の諭し言語で、
回答せよということでしょうかしら。ここは、生長の家の掲示板ですのに。
たとえば「小の水には小の用(働)きがあり、大の水には大の用きがある。
用に応じて使うを知恵という」みたいな仏教方言で。
なんでだろう〜、なんでだろう〜、なんでだか、わからない〜〜♬
909
:
ももんが
:2012/01/27(金) 19:20:01 ID:XXCuaQns
トキ様へ
昨晩は、大変ありがとうございました。合掌、拝。
本日は、たくさん、噂話して、くださり、ありがとうございます。
本日は、小用で、○○署に、行きました。
と言っても、警察署では、ありません。
○○署の知り会いと、帰りに、お茶を飲みながら、この掲示板を見せてみました。
○○○メントされてんじゃんと、笑われて、しまいましましました。
そうです。職場なら、○○メントらしいです。
私も、確かに、滑稽な状況であると思います。
差し詰、柳生一族の陰謀とまでは、行きませんが、そうは、取ってまらえる事が分かりました。
昨日の、用なお話は、大変、有意義に感じてます。
私は、昨晩の様に、色々な、お話をして行きたいだけです。
色々、ありがとうございます。
合掌、拝。
910
:
トキ
:2012/01/27(金) 21:17:09 ID:A3Pq4Dgo
>>909
ももんが様
私は無学なので、お役に立ったかどうかは自信はないです。大先達と拝察しますから
お手柔らかにお願いします。
>>本日は、小用で、○○署に、行きました。
一瞬、小便しに警察によったのかと思ってしまいましたよ。(笑)
いろいろとご多忙みたいですね。
個人的な考えですが、生長の家一本で行く人もいれば、禅やカソリックと同時に生長の家
もする人がいて、どちらも素晴らしいと思っています。大事な事は、その人が、どれだけ、
その人生を神様のご意思の通りに生きる事ができるかと思います。ただ、宗教をする人はとも
すれば視野が狭くなる場合が、まれに散見されますから、同時に見聞を広めて、夜郎自大になら
ないように気をつける事も必要かと思います。これは、私の自戒ですから、気にされないでくだ
さい。
しかし、気がつかないうちに、偽物の我が本物であると誤解する時もあるので、その点も
注意したいです。
では、また、宜しくお願いします。今日は所用があるので、先に失礼をします。
合掌 ありがとうございます
911
:
ももんが
:2012/01/28(土) 06:57:22 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日も、素晴らしい朝がやって参りました。さあ、今朝も、寒いですが、嬉しく、楽しく、明るく、感謝、感謝で、生きていきましょ!ありがとうございます。合掌、拝。
〜正法眼蔵・仏性〜
しるべし、いま仏性に悉有せらるる有は、有無の有にあらず。悉有は仏語なり、仏舌なり。仏祖眼晴なり、衲僧鼻孔<なつそうびくう>なり。悉有の言、さらに始有にあらず、本有にあらず、妙有等にあらず。いはんや縁有・妄有ならんや。心・境、性・相等にかかはれず。しかあればすなはち、衆生悉有の依正、しかしながら業増上力にあらず、妄縁起にあらず、法爾にあらず、神通修証にあらず。衆生の悉有それ業増上及び縁起法爾等ならんには、諸聖の証道および諸仏の菩提、仏祖の眼晴も業増上力および縁起法爾なるべし。しかあらざるなり。
〜以下つづく
今日特に、心に響くのは、ここです。
<<しるべし、いま仏性に悉有せらるる有は、有無の有にあらず。悉有は仏語なり、仏舌なり。仏祖眼晴なり、衲僧鼻孔<なつそうびくう>なり。>>
これと、良く似た言葉が、『甘露の法雨』に有りますね。
『物質の奥に、肉体の奥に霊妙きわまりなく完全なる存在あり。これこそ神に造られたる儘の完全なる「汝そのもの』にして、常住健康永遠不滅なる『生命』なり。汝ら今こそ物質を超越して汝自身の『生命』の実相を自覚せよ。』
『悉有』とは、完全なる仏性を表す言葉ですから、
特、『霊妙きわまりなく完全なる存在あり』と言う言い方は、この『悉有』と良く似た表現に思えるしだいです。
良く、上手に説明出来ていないようであるところは、お許し下さい。
皆様も良く、原文を味わって、見てくださりませ。では、本日も、善き日でありますよに。ありがとうございます。合掌、拝。
912
:
ももんが
:2012/01/28(土) 07:09:32 ID:XXCuaQns
>>910
トキ様へ
トキ様、おはようございます。丁寧な御言葉、ありがとうございます。改めて、感謝いたします。合掌、拝。
昨晩のトキ様の御言葉と同じ事を、私も先日述べておりました。
<<すれば視野が狭くなる場合が、まれに散見されますから、同時に見聞を広めて、夜郎自大になら
ないように気をつける事も必要かと思います。これは、私の自戒ですから、気にされないでくだ>>
この事は、見方は、大切であると思います。
色々、心尽くし、ありがとうございます。
感謝敬白、合掌、拝。
913
:
役行者
:2012/01/28(土) 09:39:14 ID:qF94Uk/s
ももんが様
>いま、『普及誌』を購入すると、植 林活動に寄付できるようです。<
知ると知らずと、寄付されているのでしょうね。
それは有意義な企画ですね。
普及誌の愛行がそのまま、植林をとおして環境保全に貢献していることになるわけですから・・・
>役行者様も御存 じと思いますが、高野山の植林は、弘法大師様が 始めらたと聞いております 今は、世界遺産にも成ってる熊野参道までの、豊か 森は、日本の素晴らしい、財産ですね 。
現在の教団の行動は、良くない部分も有るのでしょ が、弘法大師様のその昔された、事に、照らすな ら、良く似た事をされてると、思います 。客観的に、そう思えます。
役行者様、素晴らしい、高野山のお話や、山伏など の、民間信仰のお話、たくさん、出来たら、私も 勉強に成ります。<
今の教団は世間からみると、環境保全活動をされているわけで、何の悪いイメージもないでしょう。特に、信徒から法外な寄付金を強いているわけでもなし、世間からみると教団として悪徳を積むようなことはされてないと思います。
ただ、教団内において初代の教えが不透明になってきたことが問題視されているのは確かでしょう。
もっともそこから、すべての問題が浮上してきていると思いますが・・・
環境団体なら良いのですが、宗教団体なのに宗教的要素がみえなくなってきてるということを問題としているのでしょう。
それは、先達の方々にとっては何とも、口惜しく、寂しいことであろうかと存じます。
つまり、そういうことで、端から見たら、カルト的要素はまるで感じない、健全な団体に映っていると思われます。
できれば、その上にカルト色ない伝統・文化に根ざした荘厳な宗教的な要素も加わればこのうえないのですが・・・
弘法大師のこと、山伏のこと、機会ある毎に、お話できればなあ!と思ってます。
合掌
914
:
a hope
:2012/01/28(土) 10:42:44 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
人間の目的は「神の子」の値打を出すこと
人間は成功が目的ではない、立派な人間になることが目的なのです。
神様は人間の中に、「立派な人間」(神の子)を生みつけておいたのです。
「立派な人間」がこの身体の中に、私達の生まれたときから生みつけられているのです。
それは朝顔の黒っぽい種のうちに、赤や紫の美しい花が、はじめから生みつけられていたのも同じことです。
朝顔の黒っぽい種が地上に植えつけられたのは、黒っぽい種のままでいることではなく、
赤や紫の美しい花を咲かさんがためなのです。
人間がこの地上に生まれたのも、ただゴロゴロと石塊(いしころ)のように懶(なま)けているためではなく、
自分の中に生みつけられている「立派な人間」の値打ちを、人生(このよ)の花として咲かさんがためなのです。
金ばかり造って「立派な人間」になれないのは、葉ばかり繁って美しい花の咲けない朝顔と同じことです。
肉体ばかり達者で、「立派な人間」になれないのは、茎ばかり伸びて美しい花の咲けない朝顔と同じことです。
せっかく、朝顔の種を植えたのに美しい花が咲かなかったら、その朝顔を植えたあなたは失望するでしょう。
せっかく、神様が「神の子」の美しい値打ちを咲かすような人間を地上に生み出されたのに、
その人間が「神の子」の美しい値打ちを咲きださなかったら、神様は失望なさるでしょう。
人間は地上に「神の子」の値打ちを出すために生まれたのですから、しっかり勉強し、仕事をし、
誰にでも深切になり、仲よくなり、「神の子」お値打を出して、この世に人間が出た目的を果たすようにいたしましょう。
(つづく)
みなさま おはようございます。
ここのところ、学校でインフルエンザによる学級閉鎖が相次いでいます。
この時期は、毎年のことなのですが、わが家の子どもたちも、
少し熱があったり調子が悪かったりすると、すぐに学校から連絡があり、引き取りにいきます。
そして、病院でインフルエンザの検査をして、結果を学校に報告しなければいけないのです。
子どもが多いとなかなか、大変です。
今朝は、家族そろって、いつもより遅く起きました。
この週末、体を十分休ませて、来週も元気に学校に行ってもらいたいです。
みなさまも、この週末、あまり無理をせす十分に体を休ませて下さいね。
915
:
復興G
:2012/01/28(土) 11:48:31 ID:ojEbkDH2
ももんが様。
あなたは、<869>で
>私の実家にある、雅春先生在世時の講習の録音テープで、雅春先生は
『時代がかわり、生長の家の総裁が、替わり、教えが、変わったと言って、教団を離れるような人は、例え、幹部や講師であっても、その方は、現象を信じてる人で、実相を信じてる方ではない…』と雅春先生は言われます。<
と書かれました。私は「──このお言葉、とても重いですね。よくよくかみしめさせて頂きます」とレスしました。
そのあと、「元職員」様が<871>で
>この録音はいつの講習会でしょう。録音は関係者しか出来ません。確認が不可能な事は書き込まないでください。<
と疑問を呈されています。
ももんが様。私も、この元職員様の疑問にお答えいただきたく、切望いたします。
なぜなら、上記谷口雅春先生のお言葉が真実なら、私も今、現総裁に対する不信感がありましたから、考えを改めねばならぬと思ったからです。
谷口雅春先生の講習会御講話は、世界聖典普及協会から正式に発売頒布されたものがたくさんあります。私も5本ほど持っています。
「人生必勝の真理」
「真・善・美の生活」
「「一即多」の真理」
「創造者への道」
「日本建国の理想を成就するには」
の5本です。
谷口雅春先生の講習会でこっそり私的に録音したものがあるとは聞いたことがありませんから、ももんが様のご実家にある録音テープというのも、普及協会から頒布されたものであろうと思われます。ぜひ、どのテープにありましたか、お教えいただきたく切望いたします。
916
:
復興G
:2012/01/28(土) 12:03:07 ID:ojEbkDH2
<915>の追伸です。
上記5本の御講話テープは、すべて
「谷口雅春先生講習会御講話シリーズ」と銘打たれてあるものです。
なお、私は「現総裁に対する不信感がありました」と申しましても、だから教団を離れようと思ったわけではないことを付け加えさせていただきます。
917
:
復興G
:2012/01/28(土) 13:04:13 ID:ojEbkDH2
a hope さま。
谷口雅春先生の『人生読本』を筆写してくださいまして、ありがとうございます。
『人生読本』は、本当に子供でもわかるようにやさしく書かれていて、しかも大人の魂にも新鮮に響くものがある、すばらしい名著ですね。
私の家には、『人生読本』が6冊ありました。今は3冊になっていますが……
なぜ6冊もあったかというと、子供が小さかった頃に、6冊買い求めて家族6人で毎日『人生読本』の輪読会をやっていたからです。もう四十数年前のことです。『人生読本』には全部ふりがなが振ってありますから、末の娘はまだ小学校にも上がらない幼稚園生の頃から、かなを覚えふりがなを頼りに一所懸命読んでいました。その末娘も今は40台。小学校の教員もしながら子育てをしてきました。『人生読本』の真理がしっかりと深層意識に植え込まれたので、子どもたち4人、孫たち4人も、みなたくましく立派に育っています。涙が出るくらい、ありがたく、うれしいことです。
その、『人生読本』をいまa hope さまがまた筆写してくださっているのは、本当にうれしい思いです。
ありがとうございます。
918
:
a hope
:2012/01/28(土) 17:01:34 ID:kcv2QXTk
復興Gさま
あたたかいコメントをありがとうございます。
復興Gさまには、以前、トーキングスティックボードで大変お世話になりました。
ひとりで勉強していたのでは、とてもあのような大きな「気付き」には至らなかったと思います。
本当に、この掲示板のみなさまには、いつも感謝の気持ちでいっぱいなのです。
「人生読本」の筆写も、この掲示板の投稿者の方々や、閲覧して下さっている「生長の家」の方々と、
心を通わせたい一心でしているのです。
復興Gさまのお宅でも、40年以上前に「人生読本」の輪読をされていたのですね。
良い本と言うのは、何年たっても、内容が色あせず、魂に響くものなのですね。
これからも、子どもたちへの読み聞かせ(輪読もいいですね!)と、この掲示板への筆写、
楽しみながら続けていきたいです。
これからの発言は、復興Gさまへのコメントではないのですが、どこの板で発言していいのか、
わからないのでついでにこの板でさせていただきます。
わたしは、教団にいた期間がとても短いので、みなさまのお話にあまり参加できませんが、
そんな、わたしが今とても番気になっていることがあります。
それは、今回発売された、「新編生命の實相」を読んだどなたかが、「生長の家」に興味をもった場合、
いったい、どこの団体に入信するのだろうかということです。
わたし自身、偶然、「頭中版 生命の實相」を読んで、魂を震わせて、現教団に入信しました。
その結果が、精神不安と体調不良でした。
本屋さんで、「新編 生命の實相」を手にしたどなたかの、せっかくの「生長の家の真理」に目覚めかけた魂を、
今のこの「生長の家」の状態では、傷つけることになってしまうのではないかということです。
ですから、わたし自身は「新編 生命の實相」の発売を、なぜそのように急がれたのか、そこのところがよくわかりません。
すべての生長の家の問題が解決してから、生長の家の和解が成立してから、発売した方がよかったのではないかと思っています。
しかし、現実には、もう発売されました。
あとは、一日も早い和解を願うだけです。
先輩方、どうぞよろしくお願いいたします。
919
:
a hope
:2012/01/28(土) 17:10:21 ID:kcv2QXTk
訂正
上から21行目
わたしが今とても番気になっていることがあります。→
わたしが今とても気になっていることがあります。
上から26行目
「頭中版 生命の實相」 → 「頭注版 生命の實相」
920
:
SAKURA
:2012/01/28(土) 18:00:44 ID:zrpEHTE.
トキ様 へ
日本は古代から「仏教国…」です〜〜ネ!
しかし、歴史的には…既に!!!壊れています…。
それは、「明治時代…」からでしょうか?
以前は…「神社・寺院…」これは、同じ敷地内にあった記憶があります…。
江戸時代に入りまして、徳川???(詳しく忘れてしましましたが?)
当時…此の事をかなり長期にわたり調べまして…
明治時代…此処にいたりましてから、現時点の様な体制…!!
つまり「神社・寺院…」各々“独立したモノ…敷地も…含めまして”
になった様な記憶があります…。
■>893 「ももんが様 投稿」文章の中にて…
>生命の実相に出てこない、宗教者もいるし、宗教上の儀式や修行なども、存在してます。
例えは、高野山の曼荼羅は、いったい、なんの為に、あるのか?
あれは、言葉や文字の違いを超えて、多くの人々に、仏の世界、仏教の世界を理解させる為に、ある事を、ハマナス様は、ご存じでしたか?
私も、昔、高野山に行きまして、儀式も体験してきました。
高野山と言うところは、高野山その物が、仏の世界(曼荼羅)に成ってるらしいです。
曼荼羅や仏像は、儀式に使うのですが、それを、信徒にするだけで、仏の世界をバーチャルリアリティーに体験出来る仕組みに成っているのです。
生長の家で言う『深層意識』に、仏の世界を植え付ける仕組みなんです。
御坊さんが、御説教したり、御経読ませるより、目で見て、心で捉えるやり方は、現代の映像主義的発想ですね。
こうした、方法が、日本の宗教の中に、有ることは、素晴らしいのです。
ただ、余り生かされては、いないとは、残念に思うしだいです。
雅春先生は、こうした、事は、余り書いておられないのも、また、残念な、事です。<
<続き> No.1
921
:
SAKURA
:2012/01/28(土) 18:01:52 ID:zrpEHTE.
<続き> No.2
この解釈は…???
お亡くなりになられましたが…「河口湖の故!鹿沼先生…」のお言葉(解釈論)も含めまして…?
■この【曼荼羅…】は、(ある書物抜粋…)
二次元の単なる仏尊の配置図ではない…。
そこには、地・水・火・風・空 の五大世界の上に仏の楼閣がそびえ、
宇宙の根源によって“プログラミング”されました「物質と精神の構造」が、
示されています…。…云々
曼荼羅の世界に没入する事…それは微細と無限を凝縮しました四次元宇宙を旅する事に
他ならない…。
此の文章からも…人間は「霊的人間…」つまり何処にでも自由自在に〜〜動けます…。
従って「肉体人間…」ではないという事です…。
自由自在…という事は?更に申しますと…無限!!そうです!広大無辺!!
広がりますよ〜〜ネ!つまりは…【無限力…】になるのでしょうかしら〜〜ン!!
【霊的人間…】という事に、解釈してよろしいのでしょうか…?
■更に…「生命の実相…」の中で…(一部抜粋)
理としての神のみを見、神の義の正しさだけを高潮すれば、50の罪に対しては、
50の報いと償いが要求されて【因果の法則】の内に縛られてしまう事になるのであります。
しかし愛としての神は、動きのとれない因縁を自由に曲げる事ができ、
それは人情深いところがあり、寛容であり、…云々…
神はこの様に一方では曲げられないところの義であると同時に、
自由自在に、曲がるところの愛でもあるのです…。そして、義の神、または、
理に神は哲学的存在です…。
ところが、愛としての神は自由自在に曲げる事ができ、観世音菩薩のごとく三十三身に現れて、どんな罪でも慈愛の力で無に化してしまうのです。
罪悪深重、小慈小悲もなき五濁の凡夫も念仏すれば救われると真宗でも説くのも、此処から出発するのです。
此処の文章の中で…今・疑問点は…自由自在に「三十三身…」現れる事が出来ても…?
解釈として「悪業…」これは刈り取らなければならないのではないのでしょうか?
その人の、潜在意識の深層部を変えない限りは…時間空間により必ず再現するものと、
私は思うのですが…??
■トキ様…この点は「曼荼羅…」の解釈も含めましてどのようにお考えでしょうか??
■最終的には…雅春先生の【甘露の法雨…】に記述されていますが…
【久遠生命の神示…】
当に!!此の「曼荼羅…」解釈と共通するものが記載されていると思います…。
話は変わりますが…
【現!!高野山…】真言宗は…本来の「弘法大師・空海時代…」よりも、
かなり変わっていますし…どうかしますと…
「高野山より??」とかいろいろな問題があるようです…。
一 番は…【真言密教…】でしょうか?更に!!【天台真言密教…】…etc
但し、これは…法律上規定がなされていたかしら〜〜ン??
歴史的には…隠されました部分が???かなりあるようです…ネ
再合掌
922
:
復興G
:2012/01/28(土) 19:54:12 ID:ojEbkDH2
>>918
:a hope さま。
>わたしが今とても番気になっていることがあります。
それは、今回発売された、「新編生命の實相」を読んだどなたかが、「生長の家」に興味をもった場合、いったい、どこの団体に入信するのだろうかということです。・・・・・・本屋さんで、「新編 生命の實相」を手にしたどなたかの、せっかくの「生長の家の真理」に目覚めかけた魂を、今のこの「生長の家」の状態では、傷つけることになってしまうのではないかということです。
ですから、わたし自身は「新編 生命の實相」の発売を、なぜそのように急がれたのか、そこのところがよくわかりません。すべての生長の家の問題が解決してから、生長の家の和解が成立してから、発売した方がよかったのではないかと思っています。
しかし、現実には、もう発売されました。あとは、一日も早い和解を願うだけです。
先輩方、どうぞよろしくお願いいたします。 <
──そうですね。「大調和」を説く生長の家ですから・・・・・・
しかし谷口雅春先生は、『生活と人間の再建』というご本の「第11章 信仰生活の種々相」というところに、次のようにお書きくださっています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
吾々は直に小さな「現象の善さ」を求める。然し、神はもっと立派な「魂の善さ」を与えようと欲していられるのである。吾々が神の前にさし出す盃が余りにも小さいのである。吾々はもっと大きな盃をださなければ神の愛と恵みを完全に受けることはできないのである。神は吾々が形ある小さきものの成就を求めたのを契機に、形なき宇宙に拡がる魂の喜びを与えようとしておられるのであるということに気がつかなければならないのである。
解決を神の方法に委せ切れ
もし吾々があらゆる方面に行きつまって何事も思うように行かないというような状態が信仰を得た後に、毎日祈っているにも拘らず現れたとしたならば、吾々は喜ばなければならないのである。それは大地がわれる程の大きなものが下から芽をふきつつあるのである。地面が動きだしたからといって、その地面の動きを征服しようと戦ってはならないのである。またその地面を平かにしようと鍬や鋤を加えてはならない。吾々は驚いたり騒いだりしてはならないのである。吾々は神に全托しなければならない。神は「神の方法によって」吾が祈りにこたえ給うのである。・・・・・・(後略)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
この第11章はとても素晴らしく、今の私たちにぴったりのことではないかと想われますので、全章を謹写させていただこうと思います。
<つづく>
923
:
復興G
:2012/01/28(土) 19:55:08 ID:ojEbkDH2
●谷口雅春先生著『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より謹写(1)
第十一章 信仰生活の種々相
信仰の満潮期と干潮期
吾々が真理にふれる時、そして神との接触が行われたと自覚された時、凡ゆる方面に吾々の生活が輝いて来て、病は癒やされ、家庭は調和し、事業は繁盛におもむき、「行く所可ならざるなし」というような状態になるのが普通である。そういう時にその人は信仰に熱がのっていて、所謂る「感激中」というような状態になるのである。所がその感激中は、そう長くは続かないのであって所謂信仰の「干潮期」がやってくるのである。最初に自分を感激せしめたその同じ真理が、今では一向自分を感激せしめないし、それに伴って自分をとり囲んでいる物質的環境も順調に行かなくなって色々の悩みやいらいらしさが現れて来るのである。
ある場合には、自分自身又は家族の中に突然の病気が現れて来たり、愛する者との間に何か紛争が捲き起って来て耐えがたいような状態を演出することもある。暗黒が自分の周囲をとじこめて、迷宮はますます迷宮に入り、再び真理の光を見る望みは失われ去ったようであり、ともすれば、自暴自棄になろうとする。病気や周囲の不調和そのものの苦しみよりも、一度はあんなにも奇蹟を現して、自分に輝く世界を見せてくれていた真理が、今は何の効果もなく、この悩みを解決する力を失ったという事の打撃の方が、尚一そう痛切に感じられるのである。もう拠り所がない、もう掴むべき一筋もないというような時が往々にして訪れる。淋しい信仰の頽廃期である。
真理の種子は暗黒の中にも生長する
かかる時吾々の魂は叫ぶ。真理は無力なのか? 信仰は無駄なのか? 祈りはきかれないのか? 否、否、祈りはきかれているのである。真理は有力に働いているのである。吾々はそれに対して信仰をもたなければならない。ただぐらつきかけているのは自分の信仰だけである。暗闇の中でも心臓は鼓動し、肺臓は呼吸して吾々を生かしている。かように、真理は吾々の暗黒期の中でも有力に働いていてくれるのである。祈りはきかれてすべてが順調に進んでいるのである。暗黒に見え、逆境に見えている時にさえも、真理の種子はそこに生長し、祈りはそこに実現すべく働いているのである。祈りによって蒔かれたる真理の種子は潜在意識の暗黒の大地の中に蒔かれていて、そこには日光が射さないけれども、種子は次第にふくらみかけているのである。そして、緑の小さい芽がその胚芽から生長し出でつつあるのである。吾々は一旦自分の潜在意識に蒔かれたる真理の種子が、もう芽をふかないかと思って、掘りかえしてみるような愚かな事をしてはならないのである。吾々が種子を目に見えない地面の中に植えつけて、その発芽するのを大地の力に任せてしまうかのように、吾々は祈りの結果を、祈りによって蒔かれたる真理の種子の生長を、神のみ手に完全に委ねて、神が神の方法によってそれを適当な時期に適当な形で、芽を出し茎をのばし、葉を広げ、蕾をつけさせてくれるまで待たなければならないのである。神に任せてこの待つ心のないものは遂に美しき花を見ずに終るかも知れないのである。
<つづく>
924
:
復興G
:2012/01/28(土) 19:56:13 ID:ojEbkDH2
●谷口雅春先生著『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より謹写(2)
「現象の善さ」よりも「魂の善さ」を
一たん蒔かれたる真理の種子は、吾々阿が信念の欠乏から、掘り返してみない限りは必ず膨脹し、必ず根を拡げ、必ず芽を出し、頭をもたげ、土を破るのである。その結果は破壊と振動とがその周囲に起るのである。それが起らないようでは、その祈りが効果があったというに足りないのである。新しい大きな芽が頭をもたげる時には大地の周囲が破壊するのである。かくて古きものは破壊し新しきものが現れるのである。周囲に起る不調和と見えたものは吾々が祈りを求めた新しき状態に移るために古き状態が真理によって爆撃されつつある光景にすぎないのである。これを吾々は「迷いの自壊作用」といって来たのである。この自壊作用そのものの中に神が吾々の祈りに応じ給うた解答があるのである。吾々はその変化の中に、擾乱の中に、不調和の中に、病気の中に、周囲の反抗の中に、祈りの実現しつつある過程を見て、感謝し得るだけの智慧をもたなければならない。吾々に必要なのは形の世界がすぐに調和してしまうということではないのである。神の求め給うのは吾々の生命の進化であり、魂の発達である。そんな擾乱の中に於いてすらも、その奥に神の智慧と愛との導きのあることを見得る所の魂の発達こそ、神が吾らに課し給うた所のものであるのである。吾々は直に小さな「現象の善さ」を求める。然し、神はもっと立派な「魂の善さ」を与えようと欲していられるのである。吾々が神の前にさし出す盃が余りにも小さいのである。吾々はもっと大きな盃をださなければ神の愛と恵みを完全に受けることはできないのである。神は吾々が形ある小さきものの成就を求めたのを契機に、形なき宇宙に拡がる魂の喜びを与えようとしておられるのであるということに気がつかなければならないのである。
解決を神の方法に委せ切れ
もし吾々があらゆる方面に行きつまって何事も思うように行かないというような状態が信仰を得た後に、毎日祈っているにも拘らず現れたとしたならば、吾々は喜ばなければならないのである。それは大地がわれる程の大きなものが下から芽をふきつつあるのである。地面が動きだしたからといって、その地面の動きを征服しようと戦ってはならないのである。またその地面を平かにしようと鍬や鋤を加えてはならない。吾々は驚いたり騒いだりしてはならないのである。吾々は神に全托しなければならない。神は「神の方法によって」吾が祈りにこたえ給うのである。自分の我の心で「神の方法」を批判してはならない。かかる時に於いて我らの祈るべき言葉は、
「神よ、あなたの無限の智慧を以って吾を導き給え。神よ、この解決を貴方の方法にお任せ致します。今起っている事件の意義を知り得る智慧を与え給え、そしてこの試みに耐えてわが魂の発達致しますように」というようでなければならないのである。
もし吾々が、祈りにも拘らずそこに現れた不完全な状態と見えるものに対して、恐れ戦き、或は周章狼狽し、我の心でその状態を変化しようと努力するならば、折角「神よあなたの方法にお任せ致します」と祈ったその祈りを、取消してしまうことになり、神の智慧に逆いて我の智慧を行使することになり、結局、祈った事物の実現をおくらしてしまうことになるのである。
祈りは我々が神のみ心に対して完全に任せきり、「神の方法」に逆わなくなった時に、もっともなめらかに実現するのである。然しこれは時としては甚だ難しいことがあるかも知れない。ある場合には、今迄かくも愛し、かくも恩恵を与えてきた相手が自分に反抗して立ち、自分に矛を向けて、小さな欠点を鵜の目鷹の目で探しだし、恩を仇で返すような仕打をしてくることがあるかも知れない。そのような時に、普通ならば吾々は彼を憎み、自己を弁護するために、彼と同じように彼の欠点を数えあげて相手を傷つけたくなるであろう。然しそれでは決して神のみ心にかなうやり方ではないのである。かかる状態が自分の目の前に現れたということは、自分の魂がそれによって磨かれて、かかる敵をすらも愛する力を、わが魂に実現せんがための、神の摂理であるのである。
<つづく>
925
:
復興G
:2012/01/28(土) 19:57:05 ID:ojEbkDH2
●谷口雅春先生著『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より謹写(3)
彼の反抗は業の自壊作用
更にそれはあなた自身の魂を磨かんがための課題として現れた状態であるばかりでなく、恩を仇で返そうとしているようなその人の誤れる「精神傾向」が自壊せんがために一遍に爆発しつつあるのである。我々の祈りが彼の誤れる「精神傾向」の火薬庫に焼夷弾を投げこんだのである。焼夷弾は小さくとも、彼の潜在意識の蔵の中に貯えられている業の爆弾は大量であるのである。だから彼は自分に対してはげしく反抗して立つかの如く見えるのである。それをただの「反抗」であると思ったり、「状態の悪化」であると思ってはならないのである。それはただ真理の焼夷弾が彼の「精神傾向」の悪さを爆破せしめつつあるのである。彼自身も何故そんなに反抗したくなるのか、意地悪をしたくなるのか、その意味がわからないのである。ただ内部から大きな力で揺り動かされるような感じである。とめようと思っても内部から爆発してくるその力がとまらない。もしあなたが、彼のその内部的な業の自壊作用を理解することができるならば、あなたは彼の反抗や、意地悪に対して同情することができるのである。そしてその彼の感情の爆発の奥に目覚めつつある実相の善さを拝むことができるのである。そして一そう彼を愛し、平和の心を以て彼に対し「祈りはきかれつつある」と自覚して感謝することができるのである。
祈りの反応としての不調和
祈りの反応として現れて来る不調和な状態の中には、時として自分自身が病気になり、時として自分の愛する家族が病気に罹ることがあるのである。そんな時に祈りの効果を疑ってはならないのである。それはむしろ祈りの効果が現れつつあるのである。すべて古きものの破壊は新しきものの実現の場所を造りつつあるのである。発熱の中に、発疹の中に、下痢の中に、古きものが燃焼しつくされ、排泄され、新しき組織ができつつあるのである。これは祈りの応答として、神があなたに病気を課しつつあるのではないのである。肉体は魂の「機関」であり、精神の「座」であるから、発達せる魂が、尚一そう自由なる精神をその機関を使って働かせんがために、必要なる所の改造が行われつつあるのである。それは肉体の不調和の状態の如く見えているかも知れぬけれども、それは病気でもなければ不調和でもないのである。魂の機関が、精神の座が、それによって浄められつつあるのである。祈りの応答としてのかくの如き肉体の状態の意味を吾々が本当に知ることができるならば、吾々はその肉体の状態に対して、否、その奥に動いている所の浄化作用に対して「ありがとうございます」と感謝しなければならないのである。
「無抵抗」の有つ不可思議力
環境や周囲の擾乱に対して、それと戦うことを止め、それを「迷いの自壊作用」と認めて尚一そう相手を赦し愛する気持になった時に、速かに周囲に光明輝く状態が現れてくるのと同じように、かくの如くにして起った病気に対して、その病気の意味を理解し、それに感謝するようになった時、自分の病気が、或は自分の家族の病気が奇蹟的な迅速さを以て回復することがあるものである。
「悪に抗すること勿れ」「汝をなやめ責むるところの敵のために祈れ」とキリストがいった言葉の真理が又ここにもあてはまるのである。
吾々は他を赦すことによってのみ自分が赦されるのである。旧約の救いは「目にて目をつぐない、歯にて歯をつぐなう」自力の行によって行われたのであるが、新約の救いは、キリストの愛と恵みによって行われるのである。吾々は「キリスト」を通じて、過去に如何に多くの罪業があろうとも救われるのである。私のいう「キリスト」とは二千年前に生まれた肉体イエスのことではないのである。キリストとは「自己の内に宿る無限の赦す心」であるのである。キリストは「七度を七十倍度赦せ」といったのである。「赦す心」がキリストである。我々が「赦す心」を自分の内に起した時に、キリストは自分の内に宿っているのである。キリストは「我は道なり、真理なり、生命なり」といい、又「我は扉なり、もし誰にてもあれ吾より入るものは救わるべし」といったのである。吾々が人を赦す時我が内に真理が生き、生命が生き、キリストが生き、そのキリストの扉を通して、常楽の世界なる天国に入ることができるのである。
<つづく>
926
:
復興G
:2012/01/28(土) 19:59:59 ID:ojEbkDH2
●谷口雅春先生著『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より謹写(4)
祈りを一層効果あらしめるには
吾々が、もし祈りを効果あらしめんと欲するならば、人を赦さなければならないのである。もし吾々が一つの罪に対して必ず一つの報いを受けるという法則の世界に於いて生活するならば、吾々は決して赦される時は来ないのである。吾々は今迄自分が生活する為に無数の生きものを殺して来たのである。もし一つの殺生を以て一つの殺生に報いられるというのであるならば、吾々は幾度死刑の執行をうけても赦されようがないのである。かくの如く現象面から見るならば罪の深い深い人間なのである。それが赦されるためには神の無限の大慈悲の中にとびこまなければならないのである。然し神の無限の大慈悲の中にとびこんだ所が自分自身が「赦さない」固い心をもっている限りに於いて神の大慈悲の波長と、波長が合わないのであるから依然として赦されないでいる外はないのである。
吾々が心の中に「赦し」の念を起す時「赦し」の法則が自分の心の中に行われ、そこに自分に宿っている「赦し」(キリストの救い)が実現するのである。我々が深い信仰を以て赦しの言葉を心の中で唱える時、一切の罪の報いは消滅してしまうのである。原因結果の法則を超えて救いの世界へ超入する道は、自分自身が「赦し」の心を起して、「赦し」なる神の愛と一体になる必要があるのである。もし吾々が如何なる罪を犯しておろうとも、真に自分があらゆるものを救すことができる心境に達すれば、神の赦しの波長はそこに実現し來って、自分自身が赦される事になり、自分自身が完全なる自由を獲得することができるのである。
他の悪を認めてはならない
吾々が神の救いにあずかろうと思うならば、神と同じ心境にならなければならない。神は完全なる善であるから、神は悪を感ずることができないのである。それは恰度光は暗を感ずることができないのと同じことである。吾々が悪を感じ得るのは、少なくともわが心の中に悪の波動が起るからである。我々が、「赤い色」を感じ得るのは自分の心の中に「赤い色」の波動が起るからである。赤色色盲に於いては、心の中に「赤色」の波動が起らないが故に、「赤色」を見る事ができないのである。神に於いては、一瞬間といえども、「悪」の波動が起らないが故に、神は吾々の「悪」を認め給うことは決してなく、従って吾々の悪を罰し給うこともないのである。吾々が神の救いと完全に波長を合わせようと欲するならば、吾々自身が神と等しく、一切の悪を認めない心境にならなければならないのである。神は吾々の愛深き父であり、神の子たる人間の唯「善」のみを見給うのである。その如く吾々人間も、すべての人間の内にある「神なるもの」「完全なるもの」「人間の実相」「内に宿るキリスト」を見て礼拝しなければならないのである。そこに如何なる悪と見えるものの前にも、それも見ない所の無限の赦しが生ずるのである。
法華経に於ける常不軽菩薩はすべての人間を、「仏なるもの」として礼拝し、石で打たれてさえも、更に相手を仏なるものとして礼拝したのである。キリストは十字架につけられながら、一緒に磔にかかっている盗賊に対して「次の日、汝は我と共に天国にてあらん」といって悪を見ないで天国にいる神の子人間を見たのである。
<つづく>
927
:
復興G
:2012/01/28(土) 20:01:49 ID:ojEbkDH2
●谷口雅春先生著『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より謹写(5)
光に対して眼をひらけ
人は罪を犯したが故にとて、神に跪いてその赦しを求めるのであるが、罪とは果たして何であるか。罪とは実相に対して目をつぶっていることであって、それは眼をつぶった目に光の存在しないと云うことにすぎないのである。それは罪という実物が存在するのではなくして、光に対して目をとじていることだけの消極的状態にすぎないのである。吾々は唯目を開けばよいのである。ただ赦せばよいのである。余りに赦す心なく、心のレンズを絞るから光が入らないのである。自分自身の心を小さく絞ることをやめよ。
祈りは、結局心の思いであって、心の中に想い浮べた相の通りが形に現れてくるのである。人に対して憎みながら、「幸福が来ますように」と祈ることは雑草を蒔きながら「米を刈りとらせて下さい」と祈るのと同じことである。吾々が人を憎めばその憎みが自分に戻って来て刈りとられるのである。吾々が肉体を大切にしないならば、肉体は吾々を大切にしないであろう。吾々が金銭を大切にしないならば、金銭は吾々を大切にしないであろう。吾々が人間を大切にしないならば人間は吾々を大切にしないであろう。吾々は、与えた所のものが与え返されるのであるということを知らなければならない。吾々がある人を傷つけるならば、その報いはその人からかえって来ないことがあるかも知れないが、他の人から同じような害を自分に与えるようにかえってくるのである。吾々が甲に対して出し借みをするならば、乙は私に対して出し惜みをするであろう。
原因結果の法則の世界
このようにこの世界は原因結果の法則に支配されているのである。憎みや、怒りや、復讐のパイプを造って置いて、そこから平和や喜びや、幸福が流れこんでくると考えてはならないのである。他から奪うような方法によって、富んで見ても、その富は又他から奪われるか、そうでなければ他の方法でその人の幸福は奪われるのである。
多くの富める人の生活につきまとうものが、家族の病気や、家庭の不調和や、団体と団体との面白くない葛藤等によって起る不幸であるということは、その富が他から幸福を奪った結果得られたような部分があるからである。人の幸福を奪うものは、又自分の幸福が奪われるのである。
<つづく>
928
:
復興G
:2012/01/28(土) 20:02:38 ID:ojEbkDH2
●谷口雅春先生著『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より謹写(6)
光は影を見ない
吾々が真に幸福になろうと思うならば、「悔い改め」が必要なのである。「悔い改めよ、天国は実現せん」とキリストは教えているのである。吾々はすべての罪の穢れから脱却して幸福になろうと思うならば、人の罪を赦さなければならないのである。如何なる人が、いつどこで、如何なる罪を犯しておろうとも、そんなことは問う必要はないのである。如何なる罪も、罪を見給わない神の前にひきだされた時、それは「雪よりも白く」浄められてしまうのである。光は影を見ず、神は罪を見給わないからである。吾々は自分勝手に人の罪にひっかかって、自分の心を苦しめる必要はないのである。吾々が人の罪を赦した時自分の心の重荷はとりさられてしまうのである。
吾々に「悔い改め」は必要であるが、常に罪の記憶で悩んでいてはならないのである。罪は光に反して立った時の影のようなものであるから、「悔い改め」即ち光に面して立った時にはすでに過去の罪はないのである。吾々は他の人を赦すと共に、自分自身も赦さなければならない。過去の一切を投げ出して光の方に直面すればいいのである。その時たちまち諸々の罪は消えて「雪よりも白く」吾々は浄められるのである。
マグダラのマリヤが過去の罪を悔いてただひたすらキリストの足の前に全身を投げ出した時、その刹那、彼女は救われたのである。多くの罪の為に「石にて打ち殺されんとする女」に対してキリストは、「吾も汝を罪せじ、行きて再び罪を犯すな」といっているのである。しかし再び光の反対をふりむく時、暗が現れるかの如く罪も再び現れるのである。だから「再び罪を犯すな」である。この真理を知らなければならない。人の罪に対して吾々が心をふりむけた時自分自身の心が罪で汚されてしまうのである。だから吾々は、他の人の悪と不正に対して心をふりむけることをやめなければならない。吾々が罪から解放される所の道は、吾も亦他の罪を釈放する所にあるのである。吾々がもし真に愛深きものであるならば、その人の善き所を探すのに忙しくて「悪」を心に記録して数えあげるような暇はない筈である。
キリストは、自分をとらえに来た者をも赦して、ペテロがそれに対して剣を抜いて戦おうとしたのを押しとどめ、ペテロに耳を斬られて倒れている兵隊を愛の心によって癒してさえいるのである。キリストは形の上では磔になったけれども、心の世界では世界を征服し給うたのである。愛と赦しとはもっとも大いなる力であって、それのみが全世界を救うのである。
多くの人達は人の罪に対して長くぐずぐず思い患い、放さないために夜の目も眠れず色々の肉体的故障を起している人も随分沢山あるのである。かかる原因で起っている病気はただ赦すことによってのみ、神の「癒す力」を自己の中に解放することができるのである。
吾々はすべて、(特に病める人々は)眠りしなに神想観を行い、昼の中に色々の問題に対して起した所の怒り、憎み、争い、嫉妬等の感情を心から拭い去るようにしなければならないのである。それは次のように心の中で思念するのがいいのである。
「吾は神の子である。神の霊が宿っているのである。神の無限の愛が今全ての人の罪を赦し給うのである。そして自分の罪をも赦し給うたのである。自分は今神に赦されて全ての罪は消えたのである。自分は自由である。ありがとうございます。」
かく念じて神の愛を深く自己の内に実感し他をも赦すのである。この習慣をつける時信仰の暗黒時代は速かにすぎさって光明に面することができるのである。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ありがとうございました。合掌
929
:
トキ
:2012/01/28(土) 20:12:56 ID:EOJvaMrw
復興G様
すばらしいご投稿、ありがとうございました。
ご多忙の中、聖典をご紹介下さり、深く感謝申し上げます。
今後とも、ご指導のほど、宜しくお願いします。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
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