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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板

1030トキ:2012/02/07(火) 21:39:22 ID:narRGotc
 「宇宙の存在に癒される生き方」(天野仁、徳間書房)という本を読みました。
これは、初心者様が読んだら気に入りそうな本です。著者は理学博士で理論物理学
を専攻している大学の先生ですが、「生気」という仮説を立てて、超常現象を説明
しています。

 あくまでも現象世界の話ですから、実相の話ではないですが、科学が真理に近づいて
きたという事だと思います。

合掌 ありがとうございます

1031トキ:2012/02/07(火) 21:43:18 ID:narRGotc
追伸

 ですから、今までは、幽霊とか神様とか言ったら、頭のおかしい人の扱いを受けましたが、
理論物理学を勉強している人達から見ても、無視できない状態になったという事でしょう。
 ようやく、普通になってきた、という印象を持っています。

1032ももんが:2012/02/07(火) 21:45:21 ID:XXCuaQns
トキ様、志恩様、役行者様

トキ様、志恩様、役行者、本日は、真に、雨が冷たく、寒かったですね。暖かくお過ごしで、ございますか。合掌、拝。
トキ様、志恩様、レス御返事、ありがとうございます。

志恩様も、トキ様も、確かに、『文字から言葉を分析』する、力は、流石、生長の家の本部の方と、関心いたします。

安谷老師の罵倒の言葉を、『苦宣』と言って、修行者への激励の意味があります。志恩様、御指摘のとうり、けして、只の悪口などでなく、心から親切心から来るものです。

私が、志恩様に、

《 勝手に、解釈しては、いけません?》

と、言うた、ことが、おわかり、いただけないようなので、再度、お話しましょ。

志恩様?トキ様?仮に、『生命の実相』の解釈本とかが、幸福の科学とかから、出て、彼らの勝手な解釈で、世の中に出たら、その解釈も、認めてあげて、良いと言う事でしょうか?《私個人は、反対です。》
ましてや、無門関は禅家では、聖典に値する書です。
雅春先生と言えども、聖典を私勝手に解釈したと、安谷老師は見られたのでしょ。親切に『私のところに、来て、独参しに来て下さい。』と言う意味で、叱った文面を書いたと私は思うしだいですのです。
もし、雅春先生が、独参して、見性してたら、『無門関解釈』も、また、変わった本に成っていたでしょ。

『公案』と言うは、修行者の“心の眼”を開く為の、道具とも言えましょ。少し、語弊がありますが、そういうものです。


そう言う観点から、言うなら、曼荼羅なんかと、良く、似た、捉えかたを世間の方は、されてるのかな?
と驚くばかりです。


それから、役行者様、仏教的観点から、ご賛同くださりまして、ありがとうございます。


あと、余り、グダダ言うわけで、ありませんが、志恩様の、私へ書き込みは、誹謗中傷的に毎度されて、いますので、志恩様のされる事は、私へハラスメト行為と認識してます。今回は、御返事しまた。余り、御返事したく、ありません。何をされるか、分からないと、言うのが、素直な感想です。
うのはな様、色々心配して、くれて、ありがとう。


御返事、大変、遅くなって、申し訳ありませんでした。雨降りで、寒むかったと、思います。暖かくして、おやすみなさ。感謝敬白 合掌、拝。

1033役行者:2012/02/08(水) 07:17:26 ID:5gBsfbHY

 >ももんが様

 ももんが様のコメントを読むと、モットモだなあと思う反面、そこまで求めるのは酷だなあ、とも思うのです。


>雅春先生と言えども、聖典を私勝手に解釈した と、安谷老師は見られたのでしょ。
 親切に『私 のところに、来て、独参しに来て下さい。』と 言う意味で、叱った文面を書いたと私は思うしだいですのです。 もし、雅春先生が、独参して、見性してたら 『無門関解釈』も、また、変わった本に成って いたでしょ。<

 ここの箇所なのですが・・・
 安谷老師の門を叩き、独参していたらというのは、どうでしょう?立場上できなかったと思います。
 これは私の考えですが・・・


 どちらかというと先ほども述べましたが、既成宗教のなかで深く真理究明に命をかけてきた安谷老師だからこその、ユーモアたっぷりの解答だったのではないかと思うのです。
 混迷した戦後日本に、一石を投じた大変大切な、新興宗教団体の創始者に対して、辛口のユーモア含めての親切心からでたコトバかと、私には受け取れました。
 
 注目すべきは、特に公案に対する下記のような雅春先生の解釈かと存じます。 

 >手が枝に触れなかつ たら、みづから能動的に手を動かして枝を握れば 好いではないか。
 枝を握つて口を離して、さてそれから祖師西来意に就て応答すれば好い。何処にも事 実上進退両難はないのである。
 『進退両難の原因は 手に枝をよぢず』と自分自身の本有の自由自在の 力を限ってしまつたところにある。<

 ここの箇所になるかと存じます。
 それに対して、安谷老師の評語は下記文章!

 > 実に面白い解釈である。ちょうど数学の問題で、題 意を勝手に変更してしまって、その変更した題意に 適合した答えをだしたようなものだから、面白いと いうのだ。<

 雅春先生は公案の題意を変更されたのち、その解答を見いだし、たぶんその時に仰りたかった、ご自分の心意を述べられておられます。その心意が雅春先生にとって最重要だったのではないかと存じます。
 ですから、公案をも駆使され、ご自分の心意を語られ、つまり、
 「多くの大衆の方々を良き方向に導き、救済運動を展開していく」ための題材だったのでしょう。

ももんが様の公案に対しての解釈は、

 >『 公案』と言うは、修行者の“心の眼”を開く為 の、道具とも言えましょ。<

 と述べられております。
 ですから、公案は心意を述べるための題材でなく、直面する人生そのものなのでしょう。

 また、云うまでもなく、安谷老師に取りましても、公案は、
  >自己暗示や、空想上の弄戯ではない。
 この 約束のもとで、立派に西来意に答えることのできる事実を発見させるのが、この公案の要点である。<
と。

 ですから、この西来意の公案に関しては、公案そのものに対する定義の違いから生じたことと思われます。
 ということから考えて、

 >雅春先生が、独参して、見性してたら 『無門関解釈』も、また、変わった本に成って いたでしょ。<

 というももんが様の夢も始めから幻だったと、私は思ってしまいます。

大変失礼な言い方をしてしまいまして申し訳ございませんでした。

 最後に申し添えておきますと、今回の公案解釈は安谷老師の仰るとおりかと私は思っておりますが、イエス然り、釈尊然りで、人類救済のために、既成宗教にメスを入れ、新しい生命をそそぎ込む方も時には必要かと存じております。

 そして、志恩さま!
 仏教の本を購入されたとのこと。志恩さまの求道心には頭が下がります。是非、内容についての建設的なお話し合いができればなあと思っております。

            合掌

1034志恩:2012/02/08(水) 08:02:39 ID:.QY5jUA6
1032:ももんがさま、と、
1033:役行者さまの、
   ご文章、拝見しました。お二人から、大変教えていただきました。
   ありがとうございました。

1035ももんが:2012/02/08(水) 10:05:53 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日は、遅めで失礼いたしたす。本日も、曇り空で、肌寒いですね。でも、臘梅もチラホラ咲き始め、春は足音を忍ばせて参ります。生命の伊吹は、絶える事は無いのであります!神の子の命を心に纏い!さあ、皆様、元気、明るく、本日も、感謝感謝で、がんばりましょう!ありがとうございます。合掌、拝。


〜正法眼蔵・仏性〜


しるべし、『時節若至』は、十二時中不空過なり。『若至』は『既至』といはんがごとし。時節若至すれば、仏性不至なり。しかあればすなわち、時節すでにいたれば、これ仏性の現前なり。あるいは其理自彰なり。おほよそ時節の若至せざる時節いまだあらず、仏性の現前せざる仏性あらざるなり。


〜以下つづく



《私的意訳》

覚えておくべきである。『時節が来て現前した仏性』は、一日中、昼も、夜も、消え去ることは無いのです。だから『時節が来て現前した仏性』と呼ぶのであって、『元から現前した仏性』とはよばないのである。『時節が来て現前した仏性』は、仏性が無くなることが無いのであります。だから、其の筋道どうりに泉の如く現れるのである。
おおよそ、まだ、時節の至らず仏性が現れなくとも、その根本の仏性は心の奥に現前し、備わっているのであります。


今日も、大変、難しかったです。仏性を実相と変え読まれたら、より一層理解しやすそうでした。

では、今日も一日神の子として、真、善、美、を大切にがんばります!皆様、いってらいしゃ!ありがとうございます!合掌、拝。

1036ももんが:2012/02/08(水) 10:35:12 ID:XXCuaQns
役行者様、志恩様

役行者様、志恩様、おはようございます。そして、御返事ありがとうございます。感謝いたします。合掌、拝。


役行者様、一つだけ、蛇足なお話します。


安谷老師の弟子には、ラサール親父始め、たくさんの、カトリック神父様も、参禅されてました。これは、原田祖岳老師の基にも同じです。


安谷老師は、生長の家の『万教帰一』の標語を、お知りただった事でしょう。

教祖自ら、“虚”を捨てる事ができるか、禅で言うところの『百尺干頭、一歩飛ぶべし〜』、『死に斬って来い』
と言うのを、心から、待ち望まれたやも知れません。


確かに、これは、私の『想像の域』を出ないのかもしれません。


清超先生も、雅宣先生も、大変、目に見えない御苦労は、されてるのかなと?

これも、また、私個人の想像です。

そういう、意味では、上手く、融合させよとしてる感じは

これも、禅の解釈とは多少異なるようだが、『万教帰一』大変重い、言葉と、思ってます。


ありがとうございました。

本日は、寒いですから、暖かくして、お出かけください。感謝敬白、合掌、拝。

1037神の子さん:2012/02/08(水) 11:30:02 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

重いと軽いは物の目方ではない

幼い子供には十キログラムの物では重くて持てませんが、
力士(すもうとり)には十キログラムの物では軽すぎます。
これでも分かりますとおり、重いと軽いとは物の目方ではないのです。
力の強い人には軽いし、力の弱い人には重いのです。

苦しいというのでも同じことです。
力の弱い人には苦しくても、力の強い人には楽しいのです。
「こんなに苦しい目に自分をあわせて」と人を恨む前に、
まず自分の弱いことを恥じねばなりません。
「こんなに苦しい仕事をさせて」と他(ひと)に腹を立てる前に、
まず自分の力の足りないことを残念に思わねばなりません。
そして苦しくても、難しくても、自分は「神の子」だからできないはずがないと、
「神の子の値打」を出すつもりで、その苦しいなかを通り抜けて行くのは楽しいことです。

将棋を差しても、碁を打っても、あまり弱い相手では面白くありません。
強い相手に負けないようにすることが楽しみなのです。
そして自分の力がつくのです。

(つづく)



みなさま こんにちは

a hope はこれから、ママ友とランチです!
今日は、昨日と打って変って、すばらしく良いお天気です。
おしゃべりにも花が咲くことでしょう...

それではわたしの大切な「生長の家」のみなさま、今日も素敵な一日でありますように!

1038役行者:2012/02/08(水) 12:58:38 ID:5gBsfbHY

 ももんがさま

>(安谷老師は)教祖自ら、“虚”を捨てる事ができるか、禅で言うところの『百尺干頭、一歩
飛ぶべし〜』、『死に斬って来い』
と言うのを、心から、待ち望まれたやも知れません。<

 ・・・私の立場からは何も申し上げられません。

 戦後日本に対して、第一線で愛国運動を定着させ得るくらいの実力者であり、
万教帰一という、全ての宗教の根本は、一つの真理から発している!と喝破され、
それはそれは、雅春先生は並々ならぬ方かと存じております。
 ですから、身近におられた特に、清超先生の目に見えないご苦労は言語に絶することと想像しております。
 もちろん、この高度経済成長も終焉を迎えた時期に先を読み、三代目として、
新たな時代の牽制役として、時代をリードしていかれようとされ、しかも、あら
ゆる物事に対して、またビジョンに対して、なるべく直感や思いつきに頼らず、
一歩、一歩、裏付けを取られながら進まれておられる、そのご努力だけでも、
想像を絶します。
 しかも宗教的にも万が一、二代目、三代目共に、参禅されておられたとしたら、
驚愕です!!
 もちろんこれらはすべて、私の妄想の域の話でございます。
 

 また、
 真実において一つになるという、万教帰一の教えは確かに深いです。
 すべてを生かし合い、共存共栄してゆく道は、一番難しい道なのかも知れませ
ん。
 きっと、すべてを凌駕してゆく道が、生長の家であるのでしょう!
           合掌

1039SAKURA:2012/02/08(水) 20:06:51 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
皆様 へ
【幸福を招く365章】 
■物質の運動は心の運動の影である

 分子も、原子も、電子も、互いに密着しているものは一つもないのである。
 だから、どの一つでも、互いにつづいていて動かされるものとてはない。
 分子も、原子も、電子も、「無」なるエーテルの中に泳いでいるのである。
 「無」を媒介として分子も原子も、電子も動くのである。
 この「無」は神秘不可思議なるものであって、
一切を動かす原動力となるものである。
 形にあらわれている分子、原子は、
その背後にある「非物質」なる「無」の運動の 影にすぎない。
「無」の中に一切があり、一切の運動がある。
形あるもの及びその運動は、其の投影であるのである。
吾々の手足の筋肉や、内臓や、脳髄裁縫の運動は、悉く、
この「無」の中のエネルギ―が、
その指示する方向に左右されて行われているのである。
その「無」とは心にほかならない。
                       谷口雅春著
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

どんな状況でも“心…”でどうにでもなると云う事でしょうか…?
物質はない!・・・心はある!・・・全て心で決まるのです〜〜ネ!
宇宙の神秘!不可思議なものも・・・心・・・心・・・と!
断固“心が決定”するわけで、そこの“訓練が大事”でしょうか?

亡き母の御霊様を見た瞬間から、人間は“霊”で成り立ってると分かり…
でもこの「現象世界」での“不平等な立場”は、やはり(原因追究しますと)…
“心”から“物質”に行く事と、ようやく分かりつつ、
今の私は「一心に祈り」に徹しています…。

「マザ−テレサ」並みでしょうか…?
必ずや【実現】!!

“心”つまり“心の運動”を、モット訓練しま〜〜す。    再合掌
PS;現状【新たなる問題】が発生しており…今“神からの啓示?”としまして、
“心の運動”!自由自在に操れるよう〜〜に ♫
それが“結果”として、此の現象世界に必ず現れる…。

今其の舞台設定を頂いているものと…思いつつ
ネガティブになりそうな時には?ポジティブにコントロールできます様に、
“ミュ−ジック 〜♫〜”聞きながら… スイッチ・モ−ド切り替えていますが…?

>トキ様は…どのような解釈・対処法されますでしょうか…?

1040トキ:2012/02/08(水) 21:25:20 ID:72AWazeo
SAKURA 様

 講師試験の試験官みたいですね。(笑)いや、なかなか立派な心構えですね。
マザーテレサですか。そのうち、SAKURA様の聖人になられる日が近いと思い
ます。

 私は、少し変わった解釈をしておりまして、心の持ち方は大事で、同時に
自分なりに心に振り回されないという観点も大事かと思っています。

 私という人間が、この世界に存在しているのは、両親をはじめ、多くの方々
のおかげで存在しているし、食物連鎖の頂点に立っているのは、何か使命があ
って存在しているとも思っています。

 そうすると、自分が存在するのは、何かの使命があるかれだと解釈しており
まして、何か役に立ちたい、他人様のお手伝いをしたい、と勝手に思っており
ます。それは、自分が出来る範囲で良いと思っています。

 気負う事なく、自然に動けたらいいなあ、と思っています。

 どうも、答えになってなくて、ごめんなさい。

1041SAKURA:2012/02/08(水) 22:17:40 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
こんばんは…

>講師試験の試験官みたいですね。(笑)いや、なかなか立派な心構えですね。
マザーテレサですか。そのうち、SAKURA様の聖人になられる日が近いと思い
ます<

先程の“解釈論”ありがとうございました…。(微笑)
唯今…此の「現象界」にて、”私=凡人”ですので… ><

これでは…イケナ〜〜〜〜イ!!
「聖人」の前に…此の「現象界の鉄の壁??」今!体当たりしながら??
”脱皮…”致しますのに…もがいて 〜♫〜
「独りよがり…」でしたでしょかしら〜〜〜ン?? 「内なる神」に問いかけ?

>自分が存在するのは、何かの使命があるかれだと解釈しており
まして、何か役に立ちたい、他人様のお手伝いをしたい、と勝手に思っており
ます。それは、自分が出来る範囲で良いと思っています<

当に!!そのとおりです〜〜ネ!!
”行動”の前に…上記の事を考えながら…「自分の使命感」考えて…

ありがとうございます…。 「素敵なアドバイス…」    再合掌

1042トキ:2012/02/08(水) 22:48:05 ID:72AWazeo
>>1032

ももんが様

 いやー、なかなか難しいテーマを頂戴して、考え込んでいました。

 ただ、ももんが様のご文章を拝読して思い出したのが、大井篤さんという海軍の高級将校だった
人が書いた、「海上護衛戦」という本の一節です。(大井さんは、輸送船の護衛を担当する部署の
副責任者だったみたいです。)

 戦争直前、海軍の指導部が会合を開き話し合いをいていたら、話題が日米戦争の勝算になりました。
 出席者は、海軍の将官が多く、実情を知っているので口々に
「日本とアメリカが戦争をしたら、勝てない。だから、戦争をすべきではない」という発言をした
のですが、最後に発言をした出席者の中で最も末席だった大井さんは
 「アメリカが経済封鎖をして物資が入って来ないから戦争をするというが、アメリカと戦争をしたら
輸送船が撃沈されて、かえって日本に入る物資が減る。だとしたら、そもそも戦争をする意味がない」
と返答をした、という話です。

 つまり、論点で言えば、大井さんの発言はずれています。しかし、結論に至る論理は正しいです。

 あと、思い出したのが、団藤重光さんという東大名誉教授のお話です。彼は、刑法と刑事訴訟法の大家で
東宮様の養育係もした方です。刑法には、共謀共同正犯という考え方があるみたいですが、彼は、その考え方
には強く反対しておりました。が、東大教授から最高裁の判事になると、一転して共謀共同正犯を認める判断
を下しました。彼は、それを著書の中で説明をしておりまして、要するに、学者としての良心と実務家として
の良心の違いを縷々説明をしております。(これは、法律に詳しい友人の受け売りです)

 と、全然、関係のない話を書きまして、どうもすみませんです。

では、おやすみなさい。

1043神の子さん:2012/02/09(木) 00:18:53 ID:/hI2dTKs

皇恩に感謝し、父母を拝み夫婦仲良く、兄弟仲良くしょう。

↑ こんな簡単な事なのに、本部よ!!どうした?? 大丈夫か???





簡単な事だと思うよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

自分を キングオブキング king of king と自覚できるなら簡単な事だ!!

1044神の子さん:2012/02/09(木) 00:19:26 ID:/hI2dTKs

皇恩に感謝し、父母を拝み夫婦仲良く、兄弟仲良くしょう。

↑ こんな簡単な事なのに、本部よ!!どうした?? 大丈夫か???





簡単な事だと思うよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

自分を キングオブキング king of king と自覚できるなら簡単な事だ!!

1045元職員:2012/02/09(木) 00:35:18 ID:???
トキ管理人様
ID:/hI2dTKsで書き込んでいる、白カモ会ならびに無名(神の子)は

あきらかな「あらし」だと思います(以前の大論争掲示板にも同じ人間がいました)

このような書き込みを放置したり擁護すると掲示板は「荒れ」て機能不全になります。

早く対処して戴くことを希望します。

(おそらく新大論争掲示板に出入りしている他宗教のカラカイ常習者であると思います。)

1046白龍:2012/02/09(木) 00:42:40 ID:/hI2dTKs
「いつか」ではない!「今」やるんだ

「不可能」ではない!「可能」にするんだ!「誰か」ではない!「自分」がやるんだ!

良い言葉だよねー!


また明日!




アラシのつもりないよ!!

内容の中でのご意見をお聞かせください。

1047白龍(白カモ会):2012/02/09(木) 00:50:04 ID:/hI2dTKs
>元職員さん

どの文章が

アラシに該当しますか??
ここは本流と違う。  文章番号と該当する文章のどこの箇所がアラシに該当すると
明確に返答をしてほしい。

まぁ、トキさんが今信徒一人一人が声を上げなくてはいけない、と言う
文面を見落としているのでは???

1048白龍(白カモ会):2012/02/09(木) 01:22:43 ID:/hI2dTKs
>元職員


??『管理人さ〜〜〜ん』とは?・・・・・?おっと! なんだ?親を呼びにいく子供のように・・・

私の文章に不審点があるなら自分の力で言いに来い!

しかし、この場所では迷惑だから、場所変更を希望する。

一言言わせて戴くが、私は2代目聖使命会員だ。(今回の事で休眠しているが)

貴殿の書き込みを読めば容易に
貴殿様を想像できる。・・・・・が言わない。 

私は君と仲良しの人物だ、応援している、大丈夫、安心しろ。



 管理人さん、ここのみ、元職員から依頼があれば、削除おっケイです。

1049白龍(白カモ会):2012/02/09(木) 01:26:54 ID:/hI2dTKs
すいません、元職員さんです。

1050白龍(白カモ会):2012/02/09(木) 01:33:34 ID:/hI2dTKs
2代よりもっと前かも知れない、取扱者だ。なんなら黄色い取扱者用の領収書も束になって自宅倉庫にあるぞ。
山のように・・・

1051白龍(白カモ会):2012/02/09(木) 05:11:38 ID:/hI2dTKs
さて、早朝行事を家族でするぞ!

元職員氏、今日の神想観は何? こっちは大日本だぞーーー!

1052トキ:2012/02/09(木) 10:13:03 ID:aqqb9bQw
白龍(白カモ会)様

 ご投稿、ありがとうございます。なかなか力が入っていますね。
愛国掲示版や大論争掲示版にも書かれていたので、情熱家だと思いました。
 ただ、短文をあちらこちらへ書かれるのは、誤解されると思います。

 どうでしょうか、短文もいいですが、現在のご自分のご心境とか教団へ
のメッセージなどをじっくりと書かれたほうが教団に方々にも参考になると
思います。

 期待しております。宜しくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1053a hope:2012/02/09(木) 11:17:19 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

できることなら馬鹿でもする


或る人が、仕事をやり損ねたときに弁解して、「私はできるだけのことをやったのです。
もうこれ以上はしかたありません」と申しました。
するとその主人が叱りつけて「できるだけのことなら、馬鹿でもする。
できるだけ以上のことをする者だけが偉くなるのだ」と申しました。

元帝展彫刻部の審査員の山根八春(やつはる)先生は、
ずいぶんすばらしい彫刻がおできになるのに、
「その作品を見せてください」とお願いすれば、
「今までのものは皆つまらないものです。
私の勉強はこれからです」とお答えになるのが常です。
私はそれには感心しました。

「もう私はできるだけした」と言って、自分の責任をのがれてしまったようにすませているものは、
その時よりは偉くなれないのです。
常に「できるだけ以上」をしようと志し、
常に「これからだ」と自分のうちにどれだけでも「出せば出る力」があると知って、
なおいっそう、その「自分の内の力」を出すようにする人が偉くなって出世するのです。

(つづく)


わたしは、時々「偉くなるって、何だろう?」って考えてしまいます。
スポーツで有名になったり、芸術的才能があったり、良い大学に入ったり、企業の重役に着いたりすば、
確かに肩書は、偉い人なのかも知れません。
でも、そういう夢をかなえたあと、いい気になって威張ってばかりいる人は、わたしは少しも尊敬できません。
夢を手にした後でも、常に謙虚で、威張らないで、いつまでも向上心を忘れないで、
努力し続ける人、そんな人が本当に偉い人っていうのではないのかなって思いました。

わたしも、いつまでも、自分を磨く向上心、忘れたくないです。

それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま 今日も元気にお過ごしください!

1054ももんが:2012/02/09(木) 12:27:32 ID:XXCuaQns
皆様、こんにちは。本日は、暖かいですね。『仏の四無量心』祈り毎日やっております。あれ、『正法眼蔵』良く似てるなて、思うようになった、単純型の私ですが、皆様も、今日も、一日、心も体もポカポカで、笑顔笑顔で、家庭に、職場に、神の子満開ですごしましょう!ありがとうございます!感謝、合掌、拝。

〜正法眼蔵・仏性〜


第十二祖馬鳴尊者、十三祖のために仏性海をとくいはく、『山河大地皆依建立、三昧六通由茲発現《山河大地皆依つて建立し、三昧六通茲に由つて発現す》』。
しかあれば、この山河大地、みな仏性海なり。『皆依建立』といふは、建立せる正当恁麼時、これ山河大地なり。すでに『皆依建立』といふ、しるべし、仏性海のかたちはかくのごとし。さらに内外中間にかかはるべきにあらず。恁麼ならば、山河をみるは仏性をみるなり、仏性をみるは驢腮馬觜をみるなり。『皆依』は全依なり、依全なりと会取し、不会取するなり。

〜以下つづく


今日は、大変感銘を受ける箇所でしたが、非常に難しいかったです。

《心に残った箇所》
《《しかあれば、この山河大地、みな仏性海なり。『皆依建立』といふは、建立せる正当恁麼時、これ山河大地なり。すでに『皆依建立』といふ、しるべし、仏性海のかたちはかくのごとし。さらに内外中間にかかはるべきにあらず。恁麼ならば、山河をみるは仏性をみるなり、仏性をみるは驢腮馬觜をみるなり。『皆依』は全依なり、依全なりと会取し、不会取するなり。

《私的意訳》

《されども、この大地も山河も、『自己の仏性』の現れである。『皆依建立』というのは、『完全円満な仏性』が現れた姿が、山河や大地と成って現れているのである。
既に『皆依建立』ということは、仏性の海は、形と成つて、かくのごとく現れているのである。さらに、それは、自己の内、外に関係なく関わることが出来るのである。もし、そうの様な観方が、出来るなら、山河を観るは、自己の仏性《佛》を観ること、何気ない、日用品や小物でも仏性が宿っている、自己の仏性の現れでもあるのである。》


大変、皆様に伝えらるのが、難しいかったです。間違えてるかもしれません。体験的には、こう感じました。

今日は、ポカポカして、暖かいですね。皆様の、御仕事、御家庭が、完全円満でありますように、ありがとう、ありがとうで、がんばりましょ!ありがとう、ございます。合掌、拝

1055黒カモ:2012/02/09(木) 16:16:23 ID:a/RcVAnY
「白カモ」は正義だ。

「ここは生長の家に関する投稿は批判・悪口でも受け付ける。削除しない。」
と、管理人様が言った。

実際に下を見ろ。
「生長の家は哲学者ラカン以下だ。実相などなくて良い。」という発言に対して、
管理人様は、「どんな内容もどの投稿者も自由に討論ができる、という目的の達成に初心者様は大きな貢献をされた。
心から、感謝と敬意を表します。合掌。」と言ってるぜ。

白カモは正しい。何を言っても、生長の家に関する内容だから正義だ。


白カモ。遠慮するな。
俺も生長の家に関する不満を言わせてもらうぜ。 



「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

485 :初心者:2011/09/22(木) 17:49:58 ID:4IaAZAME
木綿豆腐様
実相は、あってもいいけど、なくてもいい。どっちでもいいです。

504 :初心者:2011/09/24(土) 10:34:23 ID:4IaAZAME
なんでもかんでも実相で説明することしかできない生長の家は、ラカン
の前では、あまりにも無力な存在に映るのであります。

519 :トキ:2011/09/25(日) 19:03:05 ID:BlE9Vn1Q
初心者様
 この掲示板の
当初の目的は、どんな内容もどの投稿者も自由に討論ができる、という場の
設立でしたが、初心者様は、その目的の達成に大きな貢献をされたと感じます。心から、感謝と敬意を表します。
合掌 ありがとうございます

1056黒カモ:2012/02/09(木) 16:16:58 ID:a/RcVAnY
「白カモ」は正義だ。

「ここは生長の家に関する投稿は批判・悪口でも受け付ける。削除しない。」
と、管理人様が言った。

実際に下を見ろ。
「生長の家は哲学者ラカン以下だ。実相などなくて良い。」という発言に対して、
管理人様は、「どんな内容もどの投稿者も自由に討論ができる、という目的の達成に初心者様は大きな貢献をされた。
心から、感謝と敬意を表します。合掌。」と言ってるぜ。

白カモは正しい。何を言っても、生長の家に関する内容だから正義だ。


白カモ。遠慮するな。
俺も生長の家に関する不満を言わせてもらうぜ。 



「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

485 :初心者:2011/09/22(木) 17:49:58 ID:4IaAZAME
木綿豆腐様
実相は、あってもいいけど、なくてもいい。どっちでもいいです。

504 :初心者:2011/09/24(土) 10:34:23 ID:4IaAZAME
なんでもかんでも実相で説明することしかできない生長の家は、ラカン
の前では、あまりにも無力な存在に映るのであります。

519 :トキ:2011/09/25(日) 19:03:05 ID:BlE9Vn1Q
初心者様
 この掲示板の
当初の目的は、どんな内容もどの投稿者も自由に討論ができる、という場の
設立でしたが、初心者様は、その目的の達成に大きな貢献をされたと感じます。心から、感謝と敬意を表します。
合掌 ありがとうございます

1057トキ:2012/02/09(木) 16:37:01 ID:aqqb9bQw
黒カモ 様

 原則として検閲はしませんが、その代わりに投稿者様にはそれなりの自制を
お願いしております。その点はご理解下さい。

特に同一の内容の投稿を複数の板へ書き込むのはご遠慮下さい。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1058SAKURA:2012/02/09(木) 20:53:12 ID:FEa/NNlc
トキ様へ
皆様へ
こんばんは……
【幸福を招く365章】
■他の人の不幸を来す物を求めるな

あなたが神にお祈りになるときに、
「此の問題は神が欲したまうものでないかも知れぬ」と思ってはなりません。
そう云う考えがありますと、自分の心で自分の獲得を
制限することになるのであります。
神は無限のものを持ち給うのでありまして、
神の子たる吾らに無限に善きものを与えたまうと云うのが神意なのであります。
ただ吾々は自分だけ利益を得て、他の人は損になる云うことや、
自分のみが快楽を得て、他の人の苦痛や不快を得るようなことを
望んではならないのであります。
神はすべての人類を「吾が児」としてうみ給うたのでありますから、
他の犠牲において自己のみが幸福を得るようなことに賛成なさらないのであります。
その他のことなら幾ら豊富に求めても求め過ぎるという事はないのであります。

                         谷口雅春著

「今日の言葉」から世の中の全ては…【宇宙の法則】により成り立っているのでは?
思わずには居られません。
“過去の私”は、独りよがりが…??全面的に出ておりました様ですが、

「生命の実相」…読んで行く内に“心”の変化(心境)が出て来ているのです〜ネ!
相手に不幸を与える様な“モノ”は、当然【宇宙の法則】に従っていませんから、
何らかの形として現われて来ますから…
「神に求める事」は…
【与えよ…さらば与えられんの法則】に従いますと…無限に広がるのでしょう。

■今回の裁判は…

信者優先…??と申しますよりは??
正直申しまして…「幹部クラス・職員クラス」…優先の様に捉えられるのでは??
「幹部クラス…特に参議・理事会?の方々…」
高裁に臨まれました時の態度をお聞きしますと、そう取られても致し方ありません。

ですから…裁判官の判定として…【敗訴…】今回の裁判官は選んだでしょうか?
今回この様に、正直!思いました次第です。
これを、“好転”させますには【信者優先…行動力】
今からの日々の状態を必ずや?観ている人が、いますでしょう…その様に思えます。

昨日「トキ様からの言葉」より…判断いたしましたが?
「今日の言葉」から益々今の私は「雑魚石」ですが…必ず【ダイヤモンドに……】!!

この様に「現原宿教団…必ずや!ダイヤモンドの輝きを…」
その様に「お祈り」致します…。「最高裁…上告決意…」如何なものでしょうか?
                          再合掌

>トキ様へ
昨日は…此方も夜空から〜〜“雪の精〜♫〜”
天からの“メッセ−ジ!!”何かを…伝えたくって??「和解…大調和」
失礼ですが…「今日の言葉」から、どの様に解釈されましたでしょうか…??
「アドバイス」して頂きますと…幸いです…。

1059ハマナス:2012/02/09(木) 22:45:54 ID:u5mC.eb2

神の子の皆さま、ありがとうございます。

   “真に純粋な宗教 ”  『新版生活の智慧365章』P.52より

 この宗教でなければ人間の魂が救われないなどという宗教は、一種の
党派の党派的根性を有する利己的集団としての性格をもっているのである。
その××教でなければ救われないのだったら、その宗教が出現するまでの
人類の魂は永遠に救われないことになるのである。神様はそのような
杜漏(ずろう)な、頼りない、抜け目だらけな方であるはずはないのである。

 人間の魂が救われるのは、宗教の名称や、徒党的集団や本尊として形式的に
祀ってある物資の掛け軸によるのではなく、「真理」のよるのである。
真理は“××教“と称するような宗教、集団、教団などの出現した其の以前から、
始めなき太初め(はじめ)から、久遠に存在するのであるから、人類は、どんな
宗教の発生する以前からも救われていたのである。その「真理」を純粋に説くのが
生長の家である。生長の家くらい純粋に真理を説く宗教は他にないのである。

 創価学会が生長の家の悪口(あっこう)を言う材料に常に使っているのは、
「生長の家は色々の宗教の良い所をとってミックスしたのであって、純粋でない。
創価学会は日蓮上人だけの教えを純粋に説くのだから純粋だ。そんな色々の宗教
の寄せ集めとは違うのだ」という言い方である。

併し、日蓮は末法に相応(ふさわ)しい教えを説いたのであって、あらゆる
時間に通ずる純粋な真理ではないのであって、「末法」という「時」の要素が
混入しているのである。それだけ時代迎合であって純粋ではないのである。
本当に純粋なる真理は時間空間を超えて何時でも何処でも何人をも救う真理が
純粋なのである。生長の家こそ本当に純粋の真理を説く宗教なのである。

1060a hope:2012/02/10(金) 08:36:26 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

「出せば出る力」とは何


この自分の内に在るところの「出せば出る力」を「神様」言い、「仏様」と言うのです。
あなたの中に神様の力が入っていて、自分で呼吸(いき)をしようと思わないでも、
寝ている間にでも、ちゃんと呼吸させていてくださるのは、この神様の力が皆さんの中にいて、
呼吸をさせていてくださっているのです。

自分で生まれようと思わないでも生まれて来、お母様のお腹に入ろうと思わないでも、
いつの間にかお母様のお腹にいて、何も自分で大きくなろうと考えないでも大きくなって、
この世にオギャアと生れて来たのも、目に見えない神さまの力なのです。

まったく吾々はこの神様の力で生まれて来、この神様の力で育てられて来、
この神様の力で養われてきたのです。

(つづく)




みなさま、おはようございます。
今日もとても良いお天気ですね。
わが家のリビングには、東側に大きな窓があって朝日が入ります。
わたしは、まだ暗いうちから、朝日が昇る方にまっすぐ向いて神想観をします。
他の時間、他の場所でするよりも、ずーと集中できます。
太陽のエネルギーが自分に入ってくるようで、体がじわじわとしてとても気持ちがいいです。

子どもたちも皆、元気に学校に行ってくれたので、これからウォーキングに行ってきますね。
昨日、日当たりのいいお宅のお庭の梅の花が、ひとつだけ咲いていました!
今日は、いくつ咲いているでしょうか...楽しみです。

それでは、わたしの愛する「生長の家」のみなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしください!

1061ももんが:2012/02/10(金) 13:16:34 ID:XXCuaQns
皆様、こんにちは。本日は、陽気も良く、ポカポカして、暖かいですね。本日も、嬉しく、楽しく、笑顔で、明るく、楽しく、すごしましょう!ありがとうございます!合掌、拝。


〜正法眼蔵・仏性〜

『三昧六通由茲発現』。しるべし、諸三昧の発現未現、おなじく皆依仏性なり。全六通の由茲不由茲、ともに皆依仏性なり。六神通はただ阿笈摩教にいう六神通にあらず。六といふは、前三々後三々を六神通ハラ密といふ。しかあれば、六神通は明々百草頭、明々仏祖意なりと参究することなかれ。六神通に滯累せしむといへども、仏性海の朝宗に罫礙するものなり。


〜以下つづく

今日の御文章は、特には、ここの、部分が、印象に残りました。

<<六神通に滯累せしむといへども、仏性海の朝宗に罫礙するものなり。>>

《私的意訳》

『仏の神通力を備えていたといえども、全ては、仏性海の中に元からあったということである。』

今日も、大変難しかったです。

今日は、ポカポカして、気持ちが、いいです。春を感じなが、嬉しく、楽しく、がんばりましょ!ありがとうございます。

感謝、合掌、拝。

1062トキ:2012/02/10(金) 14:34:40 ID:0a6rzE8o
>>1061

ももんが様

 昨日は山ちゃん1952様の返事を書いていて、お返事ができなくてごめんなさい。

 いい言葉ですね。よく噛み締めます。

1063「訊け」管理人:2012/02/10(金) 21:11:00 ID:???

 忘れぬうちに「掲載しとこ」な話を一件。

 本日も教化部へ行きまして早朝神想観に参加して参りました。そこでKさんというお姉さま(60歳代)に関する、仰天の体験談がありましたのでご紹介します。
 Kさんですが先日、卓球をしておりました模様。そうしましたら急に「ガクッ!」てな感じでその場に崩れ落ちたんだそうです。ああなんか、背中が痛むなあ・・・でも私は大丈夫、だって神の子なんですもの、オホホホホ・・・(中略)・・・まあそんな感じでいたそうです。
 ・・・しかし背中が痛みます。あらら、雅宣総裁も来られるのに講習会、行けるのかしら。まあいいわ、行きましょう、だって私は神の子ですもの、オホホホホ・・・(中略)・・・そんな感じで先日は講習会、参加された様です。聖歌隊にも参加され、熱唱されるお姉さまのご様子も確認した私です。間違いなくあの場に、おられました。

 ・・・・で、長い話をはしょって話ますが、このKお姉さま、ナント、 背 骨 が 折 れ て い た そうです(笑)もう笑っちゃいけないんですが、なーんで背骨、折れててあんなことしてんのよ(笑)ていうか、出来んのよ(笑)もー尋常じゃない神の子じゃないですか、Kお姉さま(笑)
 今度見舞いに行こうかと思ってますが、医者曰く「・・・あんた、何者?」だったそうで(笑)いやーそれにしても光明思想って、すごいですね(笑)「雅春先生―雅春先生―!!」てな感じで名前を唱えていたそうですが、いやそれでも、背骨折れてて講習会(しかも聖歌隊)デ キ ル の か 普 通 ?(笑)

1064志恩:2012/02/10(金) 22:24:02 ID:.QY5jUA6
背骨折れてても、痛いながらも、そんなに、あれこれ、できるものなんですね。
おどろきです。
デキルお姉様、すばらしいというべきか、にぶいというべきか。
それにしても、神の子お姉様、無事で、よかったこと。

1065ももんが:2012/02/10(金) 22:34:40 ID:XXCuaQns
>>1062

トキ様

トキ様、御返事、大変遅くなって、すいません。私の投稿文に、丁寧なコメントありがとうございます。感謝感激、合掌、拝。


私の通ってた、参禅会に、生長の家の女性講師の方が、きましてね。見性して、心の問題を解決した人が、いましたよ。

私も、大変仲良くさせてもらいました。


トキ様、本流派の人は、まだ、安谷老師の件で、騒いでるね。でも、安谷老師と内の先代老師は、同門だから、基本的に内容は同じです。

文章だけ読んで、知った気に成ってる本流派の特徴が出てる。そして、何をしたいのかも、良くわかってきました。
眼蔵も、確かに、専門の眼蔵家の見解を聞けば、それなりだろが、自分の心の目を持って、読み込むからそ、心の底に響くと言うものである。


心とは、打てば響く鐘の声です。宗教とは体験です。


トキ様、いつも、色々と、ご面倒おかけします。でも、真面目な、教団の人々たくさん来て良かったですね。私も嬉しく感じてます。感謝敬白、合掌、拝。

1066SAKURA:2012/02/10(金) 22:37:38 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
皆様 へ

【幸福を招く生活365章…】
■先ず「内」なる宝を発見せよ

 吾々は自己が神の子として、自己の内に与えられている力を自覚
 することを先ず目標としなければならない。
 外の宝を求めるよりも、先ず自分の内にある「宝」を
発見することを先に しなければならない。
外の力に頼るな。先ず自分を発見せよ。
自分の内の力を発見したら先ずその力を働かせることが必要である。
祈っただけで何もしないでいることは、
電気の存在を知っただけで、発電装置を作らず、
スイッチを入れないのとおなじである。
それでは、電気は存在すれども何の効果もあらわさないのと同じように、
神は存在すれども何の効果(おかげ)もあらわれないのである。
                           谷口雅春著
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【内なる神】を先ず!観ること…【他人の芝生】ばかり見て、行きますと…
何か見失う事も有ります〜〜〜〜ヨネ!
内なる【宝…】とは、“自信過剰”ではないものと思います。
今の私の「目標…」をしっかり把握する事でしょうか…??
それには【自信=心の世界】では……と思います。
「外からではなく内から研く事」も…

今!思えば…全て!「心がスイッチを握っている」事なのでしょうか……??
私も“宝”は…現在!!前に〜前に〜♫〜進む事なのでしょうか〜〜しらん???
【無限に成長する魂の心】を、自覚する!!
更に、“自信”になり…それが“拡張”しながら〜〜〜♫
【無限に広がる夢】が…【実現する事】が…

■ 【私の目標=宝……自信力!!】
スイッチオン…スタ−ト・ミ−・アップ!!で〜〜〜〜す☆
【目標=行動…】〜♫〜広がる世界に挑戦中〜♫〜です…?
                         再合掌

1068トキ:2012/02/10(金) 22:40:07 ID:0a6rzE8o
>>1066


 いつも素晴らしいご投稿、ありがとうございます。
感謝しております。楽しみに拝読しております。

1069トキ:2012/02/10(金) 22:52:26 ID:0a6rzE8o
ももんが様

 ご投稿、ありがとうございました。

真面目な投稿者様が増えた事は感謝しております。管理人はふざけているのですのに(笑)
これも、多くの投稿者様、閲覧者様のおかげと感謝しております。

 では、これからも宜しくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1070ハマナス:2012/02/11(土) 00:01:01 ID:6pGOA1yk

神の子の皆さま、ありがとうございます。

“諸教の純粋性のみを抽出する” 『新版生活の智慧365章』P.53より

 生長の家の聖典に、釈尊はこう宣われた。親鸞はこのように説いた。天理教祖は
斯う云った。イエス斯うして病気を癒したなどと色々の事例を引用してあるから、
それは色々混ぜ合わせのミックス教だと誤解たり、殊更に誹謗(ひぼう)したりする
人があるけれども、教説を色々の宗教の教祖の言葉からもって来るのは、それら世を
照らす燈台たるべき宗教が、各々の教祖の教えから脱線して、恰(あたか)も燈が
消え、又は消えかかった状態になっていて救済力が無くなっているから、それに燈を
点ずるためであって、決してそれらを混合(ミックス)して合成するためではない
のである。雨後の筍のように生じては消えるものは別として、数百年も続いて信仰
の消えない宗教には、どの宗教にも立派な人間救済の真理が宿っているのであるけれ
ども、発祥の時代の風俗・習慣・常識等の混合物が夾雑(きょうざつ)しており、
その混合物は純粋でないから、時代の移り変わりにつれて錆びて来て光を発しなく
なっているのである。それで時代的な夾雑物をとり去り、教祖の教えのうち純粋なる
部分のみを抽出することに成功したのが生長の家なのである。

 さて各宗の人間救済の真理の純分を抽出してみると、どの宗教も、同一の「真理」に
帰一することが判ったのである。”万教帰一同一真理“とはこの事であって、その
純粋なる真理のみを純粋に生長の家は説くのである。各宗の真理の寄せ集めのように
見えるのは、佐渡の金山からも、足尾の銅山からも、北海道の鴻之舞の金鉱からも
その鉱石を取り寄せて、それから金の純分を抽出するようなものである。
そしてどの鉱山から採掘した鉱石にも同一の金の純分があるのを抽出し、その純粋の
”黄金の真理“を人々に与えて人々を現世的にも幸福にし、その霊魂を救うのである。
素材として鉱石を諸方から取り寄せたからとて、それはミックスするのではなく真理
の純分を抽出するためであって、生長の家くらい純粋に真理を説く宗教はないのである。
而(しか)も祖先伝来の他の宗教そのままでいて真理の純分が得られるようにして
あげるので、少しも我利的党派根性のない純粋無我の宗教が生長の家なのである。


 万教帰一について、わかりやすくお書きになられておられます。
 明日は、建国記念日です。地元の行事に参加したいと思っています。
 皆さま、おやすみなさい。

1071ももんが:2012/02/11(土) 07:26:44 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日も、素晴らしい、朝が、やって参りました!元気に、明るく、笑顔で、楽しく、がんばりましょ!合掌、拝。

『ありがとう』は、素晴らしい!

これが、1日何回出来るか!実験中です!

良いこと、たくさん、有るといいなー!

では、皆様にも『ありがとう』の太陽があると、よいですね。今日も、嬉しく、楽しく、明るくなるように、がんばりましょう!ありがとうございます。合掌、拝。(今日は、神想観すばらしかったです)

1072a hope:2012/02/11(土) 08:32:05 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

人間はみな神の子


だから、あなたは今までお父さまとお母さまの子だと思っていたでしょうが、
その元は神様の子だったのです。あなたが神様の子ならば、お隣の次郎さんも、
そのまたお隣の花子さんもみな神の子なのです。
だから本当はみんなとても偉いのです。神様の子である皆さんも偉ければ、
神様の子を生んだお父さまやお母さまも偉いのです。

皆さんは今まで、自分をそんなに偉いと思っていなかったでしょう。
自分が神様の子だなんて、こんなうれしいことはないではありませんか。
そうすると、その神様の子であるあなたを生んだお父さまやお母さまは素晴らしい方じゃありませんか。
皆さん、お父さまやお母さまに感謝しましょうね。

蟇口(がまぐち)の中にお金がたくさん入っていても、蟇口がカラッポだと思っている間は、
おもちゃ屋の前を通っても、お菓子屋に大好きなお菓子がならんでいても買うことができないで、
お金があればあのお菓子が買えるのになあ、と考えながら通り過ぎてしまうよりしかたがありますまい。
それと同じように、人間はみんな神様の子だから、神様のように何でもどんどんできるはずだのに、

あなたが、「自分は学問のできない子なのだ、算数は七、八十点よりとれないのだ」
などと考えているのは、おかしな話なのです。
神様の子供が、国語や算数に七、八十点とったり五、六十点をつけられたりするなんて、
考えてもおかしい話じゃありませか。
皆なそれは自分の中にある「神の子の値打」を、あるのに「無い」と思っているから出ないのですよ。
自分の中に「神の子の値打」があるのだ、いつでもこの本当の事を思い出してください。
毎日毎日この本当のことを思い出すようにしていたら、「神の子の値打」が出、
「神の子の力」が出て来るのです。

力が出ないのは力が無いからではなく、力があることを忘れているからなのです。
蟇口にはお金がたくさん入っていても、それを知らなかったら何も買えないと同じように、
自分は神様の子だから神様と同じ力があるのだ、また、いつでも神様がついていてくれて、
入用な時はどんどん力を出してくださるのだということを知らなかったら、
算数で七、八十点とったり国語ができなくて困ったりお仕事を仕損じたりするのです。
ですから、勉強している時でも、遊んでいる時でも、お仕事をしている時でも、
自分は神様の子だから神様がついていて下さるから、なんでもできるのだということを忘れてはなりません。

(つづき)


みなさま おはようございます。
今日もまた、素晴らしく良いお天気ですね。
朝焼けが、とてもきれいでした。

わが家はこれから、お出かけです。
エンジェルはお留守番でちょっとかわいそうですが...

それでは、わたしの大切な「生長の家」のみなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしください!

1073SAKURA:2012/02/11(土) 23:03:27 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
皆様 へ

本日は「建国記念日…」やはり日本国民と致しましては?
【日本国のかたち???】これからの行く末…真剣に考えてしまいますが…
更に「生長の家…」現状を踏まえまして…
未来の??【「生長の家」のあり方…如何に?と…自問自答してしまいます…。

【生命の実相 35巻…】

生長お家ではまず内在せる神というものを
「われわれの内にやどっているところの無限の善さ」と定義いたします。
無限の善さ、無限の愛、無限の深切さ無限の美しさ―――
そんな尊いものが、われわれ人間の中には宿っているのであります。
その無限の善さが、少しでも余計出れば、われわれは歓びを感ずる。
喜ばずにはおれない。そしてさらにその善さをいっそう余計にあらわしたい、
そして遂に無限にまで到達したく、希うところの、無限に対する要求というものが、
わがうちにやどっているのです。
解りやすい例お引けばわれわれが金を儲ける、
百円儲ける、百円欲しいナと思っている時に百円与えられましても、
それで満足できずに、今度は百円ではつまらない、
二百円欲しい。二百円儲けると、また千円欲しい。
千円儲けるとまた千円ではつまらない。
一万円欲しい。一万円儲けるとまた一万円つまらない、百万円欲しい。
また今度は千万円欲しい、さらに一億円欲しいというように、
さらにさらに…無限にまで、その欲望または憧憬(どうけい)が到達するのです。
そういうように、われわれのうちには無限に対する憧れが宿っている。
無限を発揮するまでは、それを憧れ求めずにはおられない。
それは何故であるか?それは「無限なるもの」自分のうちにすでに宿っているからです。
そして、その無限なるもの―――無限の善さ、無限の美しさが、
われわれの念のレンズをとおして、意識なり、観念を指導すべく、
ある標準を示した場合、これを、理想と言います。
ですから理想というものは、形には見えないけれども、
われわれの内部に 宿っているのであります。
芸術家が絵を描くにしても、彫刻をするにしても、
まだ十分自分に内在する「美」が開発されていない時分には、
先生の彫刻や絵画を見まして「先生のように、あんなに巧く描けたらいい」
と思いますが、だいぶ描けるようになると、まだまだこれでは足りないというように、
理想がもう一歩前進する。
そして、より完全なものを欲するということになるのです。
かくして、現象の上の理想の殻が一枚一枚破れて、常により高い理想が
内部から掲げられることになります。
つまり、理想はそのまた奥にあるところの理念によって動かされ、
進化されているのであって、われわれに、たえず、理想をもたせ、
標準を持たせ、規範をもたせている、その「奥にあるところの理念」が、
すなわち神であります。
この内在の神性――すなわち理念――は無限に完全なものですから、
現象界でこれだけ到達したら、
もうその理念が完全に表現され終わったということはないのです。
かくのごとくして、現象の上で、内部から現われた理想が飽和されると、
自分の奥の奥にある理念と比較して、まだまだ不完全だということになり、
今の状態、現れている状態に不満が感ぜられるのであります。
そして、こういう思考のprocess(過程)は理念によって現象を照らし、
さらに現象の立場から理念を眺めた場合に導き出されてくる反照作用でありまして、
その微妙な反照作用を考慮に入れて、実相、すなわち理念の自性を考察するとき
自己内在の神性がわかるのです。    
                         (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

人間の欲望ははかり知れないものを……
先生は描写的に、書いておられます〜ョネ!
確かに【希望が叶う】と…無限に「夢」が広がります〜〜モノ〜〜☆
無限に広がる……!!!!
              <つづく>           No.1

1074SAKURA:2012/02/11(土) 23:05:07 ID:FEa/NNlc
<つづく>           No.2

先生の言われますのは…??【内在=神=心】なのでしょうか…??
【心で世界を作るとの事】・・・【無限=理想=理念=意識…】?
これがわかりますと…全てが“心”ですから【心=神】なんです〜〜ネ!

此処が“ポイント”なのでしょう!!
ある所にて、「スポ−ツ」をしたとします…。
最初?なれない時は“痛み”が顔に出てしまう事もありますよ〜〜ネ?
そうしますと…【イタイ!!】が先ですから…“悲痛な顔”に!
いつの間にか〜〜??“顔も形成されていく”…つまり“悲痛な顔”に!
当の本人は、痛みをこらえて“格闘”していますが…

結果的には、それが表情として残ってしまいます〜〜〜ョネ!
結局その様に【姿・形…】に出てきます。
そのような時は。【心でイメ−ジを変える!!】
“イタイ”と想念するのではな〜〜〜く?“笑った姿”を想像…強く想念〜〜〜?
【イメ−ジ!!】化に……
気がつきますと!“涼しい顔で表情がよく人相まで”…グ−!!グ−!!(微笑)
此処まの到達イメ−ジ…

これを思いますと
【運動をする欲――>理想――>理念(心)―――>意識(笑顔)実相】

この様に…潜在意識で…【現教団側上告…??敗訴?】
更に【弁護士…要望する人材が?いない】
正直頭ごなしに、【否定】されています様に思いますが……?

今の私は…「総裁・副総裁…白鳩会長・副会長」私なりの判断で「イメ−ジ化」…
元々…根底が「兄弟紛争の内輪モメ…」と判断いたしておりますから…

【大調和の神示】これを【実相…】として描きまして…
あくまでも……
■信者による…信者の為の…「生長の家」それが…【人類光明化運動】

この様に考えてしまうのですが……??
                             再合掌
PS:
トキ様…「今日の投稿文章」から…どのように解釈されますでしょうか?
アドバイスを頂きますと…幸いですが??

1075ももんが:2012/02/11(土) 23:52:02 ID:XXCuaQns
皆様、こんばわ。今日は、建国記念日でしたね。私は、氏神である『鹿島神社』に朝、御参りしてから、本日は用事がありましたので、出掛けました。


〜正法眼蔵髄聞記第三〜

示して云く、学道の人、身心を放下して一向に仏法に入るべし。古人云く、百尺竿頭如何進歩(ひゃくしゃくかんとういかんがほをすすめん)と。然あれば百尺の竿頭にのぼりて、足をはなたば死ぬべしと思うて、つよく取りつく心のあるなり。其れを一歩進めよと云ふは、よもあしからじと思ひ切りて、身命を放下するやうに、渡世の業よりはじめて一身の活計に到るまで、思ひすつべきなり。其れを捨てざらんほどはいかに頭燃を払ふて学道するやうなりとも、道を得ることはかなふべからざるなり。ただ思い切りて身心とも放下すべきなり。


《私的意訳》

ついでに言われた、坐禅修行をする人は、身も心も捨てるようにして仏法(坐禅)に取り組まなくてはいけない。
昔の修行者の言われるには、百尺竿頭いかでか歩を進めよと。然あれば、百尺の竿頭にのぼり、足を離せば死ぬべしと思う、強い取りつく心がある。其れを勇気を持って一歩進めよと云うは、進んでも悪いことはおこるまいと思いきって身命を放棄するよに、世の人々を教化する行為から以下、自分の一身の生活設計に到るまでを思い捨てることである。もしそれを捨て得ないほどならば、頭に火が付いてる燃えてるのを払いのける様に、一刻の余裕もしに、坐禅修行するようであっても、仏道を体得する事はかなうことがないのである。ただ、思いきって、身心を放下するやうに修行していかなくてはならないと。

今日は、建国記念日でした。髄聞記で、いつも、心にのこる部分を書いてみました。

では、では、おやすみなさい。合掌、拝。

1076ももんが:2012/02/12(日) 06:58:06 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日も、素晴らしい、朝が、やって参りました!嬉しく、楽しく、明るく、感謝、感謝でまいりましょう!ありがとうございます。合掌、拝。


〜幸福の秘訣より〜
《この世では誰でも『幸福になりたい』と思ってる。では幸福になると、どんな心持ちにだろか。》〜
谷口清超著・『ありがとう』はすばらしいより。


さあ?皆様、誰も『幸福になりたい』のだろ?

だが、その根本の幸福とは、一帯なんであろう?
皆様、其々、お答えになられるでありましょう。
今日の私の心に残る一節でした。

それでは、今日も一日、嬉しく、楽しく、明るく、素晴らしい日をお過ごしください。ありがとうございます。合掌、拝。

1077a hope:2012/02/12(日) 12:30:18 ID:kcv2QXTk

人生読本 

人間にも品物にも挨拶せよ

道でお友だちにあって、「今日(こんにちは)は......」と挨拶するのも、
今までは何の気なしにしていましたが、本当は神様の子が神様の子に挨拶していたのです。
人間は、大人でも児童でもみんな神様の子だったのです。
今までは、鉛筆でも紙でも雑記帳でも気にもとめずに使っていましたが、
本当は「人間」という神様の子が、神様の子の為につくってくださったのです。
ありがとうございます、と挨拶しなければ使えないような気がいたしましょう。

私達はお食事をいただくことを忘れても、自分が神様の子であるということを忘れてはなりません。
このことを忘れてくると、いろいろな嫌なことがでてくるのです。
病気になったり、学問ができなくなったりするのです。
また神の子が豚の子の行いをしないように気をつけることです。
いくら自分が神様の子供だと解っても、豚の子のような行いをしていたらなんにもなりません。
神様の子が人の悪口を言ったり、弱い物をいじめたり、
人を陥れて自分ばかりよい子になろうとするのもとても変ではありませんか。
だいいち、自分が神様の子だということが解ったら、そんなことはできません。

では皆さん、今日から自分が神様の子であるということを忘れずに、
神様の子らしい行いをすることにしましょう。
そうすれば、だいいち心がうれしくなって顔がにこにこしてきます。
毎日にこにこ笑って暮らすのが神様の子の本当の姿なのです。
あなた達でも、にこにこしている人の側にゆくと、
心がのびのびしてきて言葉ひとつもかけてみたくなるでしょう。
いつもにこにこ、人に親切にしている人は多くの人達に可愛がられ、
思いがけないところからお褒めの言葉をいただいたり、成績がよくなったり、
あてにもしないところから御褒美を送られたりして、善いことばかりがやってくるようになるのです。
世の中は、みんな自分の心しだいなのです。成績がよくなるのも悪くなるのも、
みんな自分の心しだいなのです。
毎日この本を読んで、人間は神の子、無限に立派な者だということを思い出し、
心の中から、人間の中味から、偉い人になりましょう。

(つづく)




みなさま こんにちは


わたしの好きな「詩」を紹介します。

ひとりの憂いを癒し得ば
ひとりの涙をぬぐい得ば
弱りし一羽の小鳥をば
救けてその巣に戻し得ば
わは生涯はむだならず

エミリー・ディキンソン


日本を救うとか、世界を救うとか、自然を守るとか、
何もそんなに大きなことをしようとしなくてもいいんじゃないですか...?
喧嘩している家族と仲直りすること、
まわりの人を幸せな気分にしてあげること、
そんなこともできない人にいったい何ができるというのでしょうか...?


今日も素晴らしい日曜日です。
わたしの愛する「生長の家」のみなさま、ご家族を大切にしてくださいね!

1078a hope:2012/02/12(日) 12:41:59 ID:kcv2QXTk

訂正
エミリー・ディキンソンの詩の最後の一行

わは生涯はむだならず → わが生涯はむだならず

1079復興G:2012/02/12(日) 13:31:47 ID:ojEbkDH2

 私は今、「法燈継承」ということについて、考えています。
 「法燈継承」は、過去のことではない。
 「法燈継承」は、「今」のことである。
 「法燈継承」は、外のことではない。「法燈継承」は、他者のことではない。それは、自分のことである。
 「法燈継承」は、総裁お一人のことと考えるべきではなく、生長の家信徒一人一人が皆、各自の内に「法燈継承」をすべきなのではないか──と。

 「法燈」とは、何でしょうか。
 谷口雅春先生が神啓を受けて悟られた「真理の火」である。
 それは──
 「肉体なし」「現象本来なし」と過去の自分を否定し、「あるものは唯神のみなり」「我神なり」「すべては我が心の展開なり」と自覚する。
 そしてすべての人を神の子として礼拝し、「今起て!」と真理の火をすべての人に点じて行く。
 ──その真理の火が、「法燈」である。
 その「法燈継承」の時は、「今」なのである。
 それが、「今、起て!」ということなのである。──と。

 真理への道はただ一つ、「人間は神の子だ」ということである。
 和解への道はただ一つ、「人間は神の子だ」という「法燈継承」を、全信徒が行うことである。
 それなくして、相手を責めてばかりいては「和解」はできず、「和解」ができなければ生長の家はつぶれてしまう。生長の家が潰れれば、「万教帰一」がなくなり、人類の恒久平和はあり得なくなるのである。
 もはや、絶体絶命の時が来たのである。

 さあ、「今」全信徒が「法燈」を継承すべく、起ち上がろうではありませんか。

1080志恩:2012/02/12(日) 14:29:29 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

敬礼。
閣下、お久しぶりです。
きけく〜ん、げんきですか?あなたの敬愛する閣下が、やっとお越しになられましたよ〜〜!
訊け君、もう、なんでも好きな様にしていいですから、元気で出て来て下さい。
だいじょうぶ、あなたの味方は、何人もいますから。へたれにならないでください。
私、訊け君を、見切ることは、ないですから。だいじょうぶです。今朝の発言は、撤回します。

ところで、閣下、
「法燈」は、過去の事でなく、今のことなのですね。
互いに責めてる場合じゃない、ということで。自分自身が、自分の肉体、現象、過去、すべて否定し、、、。
ほんとは、
復興Gさまが、総裁先生に会われて、「我を捨てて、今、起たれよ」と、説得してくださると、一番いいのですけれどね。
そう,思ってしまいますが
そうではなく、
生長の家の信徒一人一人、各々が、各自の内に「法燈継承」をするべきとき、それが、いまである。ですか?
はずかしいことに、私は、すごい我が出ていました。
先祖が、あれだけ奉納してきたのに、裁判になんかに使ってさ、みたいな。愚痴が出て。

我が家のことは、すべて水に流しました。
いまから、閣下が教えて下さったように、自分自身を見つめ直します。
ありがとうございます。

1081鳩と葉っぱ:2012/02/12(日) 14:29:33 ID:nBoNxzMc
潰れないよ・・・そもそも生長の家は無いんだよ。この世には。

1082復興G:2012/02/12(日) 15:24:00 ID:ojEbkDH2

>>1081 :鳩と葉っぱ 様。

そうでしたね。
己を無にして、空っぽになって、喜んで、この世にはない生長の家を、この世にあらわして行きましょう。

1083志恩:2012/02/12(日) 15:24:57 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

今、しばらく瞑目合掌して、閣下のおっしゃる通りを、腹のそこから念じておりました。
それで、自分が自覚して、祈る以外の言動としては、やはり、ここへ気持ちを表現することは、
佳くなるためには、必要だと思いました。

例えば、訊け君は、訊け君の思いを言い、叩かれたらそれは、それで意見交換できたのですから、
良しと、受け取ればよく。.反論の反論があれば、また自由に言えばいいと思います。

あとは、ここをご覧の皆様が、ご自分の考えと照らし合わせて、行動に移される方も、
多くおられると存じます。

本部だって、いろいろ言われているので、本気で見直す機会が与えられたのでは、ないでしょうか。
黙っていましたら、何も気がつかれませんよ。

1084SAKURA:2012/02/12(日) 18:51:44 ID:egiWtXGk
トキ様 へ
こんばんは…

今日は…朝から…晴天です。小春日和??と思われるぐらいルン〜ルン〜気分?
“陽だまり”の中に…もうそこまで…“春の足音”
そして…先日「トキ様…」がおっしゃいました「最高裁への上告」決定か?否か?
信者と致しましても…関心がどうしてもそちらに向いてしまします…。

■昨日…【生命の実相】拝読いたしました時…今の私の“心境”にフィットします、
項目内容でした…。
いつものように〜〜投稿者皆様の【情熱的・かつ価値ある投稿が…】多く
奥の間〜〜〜に入りました様で…再度【投稿…】させていただきます。
ご意見を、いただきますと幸いに存じます…。

1073:SAKURA:2012/02/11(土) 23:03:27 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
皆様 へ

本日は「建国記念日…」やはり日本国民と致しましては?
【日本国のかたち???】これからの行く末…真剣に考えてしまいますが…
更に「生長の家…」現状を踏まえまして…
未来の??【「生長の家」のあり方…如何に?と…自問自答してしまいます…。

【生命の実相 35巻…】

生長お家ではまず内在せる神というものを
「われわれの内にやどっているところの無限の善さ」と定義いたします。
無限の善さ、無限の愛、無限の深切さ無限の美しさ―――
そんな尊いものが、われわれ人間の中には宿っているのであります。
その無限の善さが、少しでも余計出れば、われわれは歓びを感ずる。
喜ばずにはおれない。そしてさらにその善さをいっそう余計にあらわしたい、
そして遂に無限にまで到達したく、希うところの、無限に対する要求というものが、
わがうちにやどっているのです。
解りやすい例お引けばわれわれが金を儲ける、
百円儲ける、百円欲しいナと思っている時に百円与えられましても、
それで満足できずに、今度は百円ではつまらない、
二百円欲しい。二百円儲けると、また千円欲しい。
千円儲けるとまた千円ではつまらない。
一万円欲しい。一万円儲けるとまた一万円つまらない、百万円欲しい。
また今度は千万円欲しい、さらに一億円欲しいというように、
さらにさらに…無限にまで、その欲望または憧憬(どうけい)が到達するのです。
そういうように、われわれのうちには無限に対する憧れが宿っている。
無限を発揮するまでは、それを憧れ求めずにはおられない。
それは何故であるか?それは「無限なるもの」自分のうちにすでに宿っているからです。
そして、その無限なるもの―――無限の善さ、無限の美しさが、
われわれの念のレンズをとおして、意識なり、観念を指導すべく、
ある標準を示した場合、これを、理想と言います。
ですから理想というものは、形には見えないけれども、
われわれの内部に 宿っているのであります。
芸術家が絵を描くにしても、彫刻をするにしても、
まだ十分自分に内在する「美」が開発されていない時分には、
先生の彫刻や絵画を見まして「先生のように、あんなに巧く描けたらいい」
と思いますが、だいぶ描けるようになると、まだまだこれでは足りないというように、
理想がもう一歩前進する。
そして、より完全なものを欲するということになるのです。
かくして、現象の上の理想の殻が一枚一枚破れて、常により高い理想が
内部から掲げられることになります。
つまり、理想はそのまた奥にあるところの理念によって動かされ、
進化されているのであって、われわれに、たえず、理想をもたせ、
標準を持たせ、規範をもたせている、その「奥にあるところの理念」が、
すなわち神であります。
この内在の神性――すなわち理念――は無限に完全なものですから、
現象界でこれだけ到達したら、
もうその理念が完全に表現され終わったということはないのです。
かくのごとくして、現象の上で、内部から現われた理想が飽和されると、
自分の奥の奥にある理念と比較して、まだまだ不完全だということになり、
今の状態、現れている状態に不満が感ぜられるのであります。
そして、こういう思考のprocess(過程)は理念によって現象を照らし、
さらに現象の立場から理念を眺めた場合に導き出されてくる反照作用でありまして、
その微妙な反照作用を考慮に入れて、実相、すなわち理念の自性を考察するとき
自己内在の神性がわかるのです。    
                         (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

人間の欲望ははかり知れないものを……
先生は描写的に、書いておられます〜ョネ!
確かに【希望が叶う】と…無限に「夢」が広がります〜〜モノ〜〜☆
無限に広がる……!!!!
              <つづく>           No.1

1085SAKURA:2012/02/12(日) 18:53:00 ID:egiWtXGk
1074 :SAKURA:2012/02/11(土) 23:05:07 ID:FEa/NNlc
<つづく>           No.2

先生の言われますのは…??【内在=神=心】なのでしょうか…??
【心で世界を作るとの事】・・・【無限=理想=理念=意識…】?
これがわかりますと…全てが“心”ですから【心=神】なんです〜〜ネ!

此処が“ポイント”なのでしょう!!
ある所にて、「スポ−ツ」をしたとします…。
最初?なれない時は“痛み”が顔に出てしまう事もありますよ〜〜ネ?
そうしますと…【イタイ!!】が先ですから…“悲痛な顔”に!
いつの間にか〜〜??“顔も形成されていく”…つまり“悲痛な顔”に!
当の本人は、痛みをこらえて“格闘”していますが…

結果的には、それが表情として残ってしまいます〜〜〜ョネ!
結局その様に【姿・形…】に出てきます。
そのような時は。【心でイメ−ジを変える!!】
“イタイ”と想念するのではな〜〜〜く?“笑った姿”を想像…強く想念〜〜〜?
【イメ−ジ!!】化に……
気がつきますと!“涼しい顔で表情がよく人相まで”…グ−!!グ−!!(微笑)
此処まの到達イメ−ジ…

これを思いますと
【運動をする欲――>理想――>理念(心)―――>意識(笑顔)実相】

この様に…潜在意識で…【現教団側上告…??敗訴?】
更に【弁護士…要望する人材が?いない】
正直頭ごなしに、【否定】されています様に思いますが……?

今の私は…「総裁・副総裁…白鳩会長・副会長」私なりの判断で「イメ−ジ化」…
元々…根底が「兄弟紛争の内輪モメ…」と判断いたしておりますから…

【大調和の神示】これを【実相…】として描きまして…
あくまでも……
■信者による…信者の為の…「生長の家」それが…【人類光明化運動】

この様に考えてしまうのですが……??
                             再合掌
PS:
トキ様…「今日の投稿文章」から…どのように解釈されますでしょうか?
アドバイスを頂きますと…幸いですが??

1086ももんが:2012/02/12(日) 20:22:23 ID:XXCuaQns
毎日、日時計日記をつけてる。
悪口を、言わない、誹謗抽象を口にしない、此だけでも、大変な修行である。

”汝徹せり“と、汝の敵を愛せよ”
をどれだけ出来るであろか?
では、では、おやすみやさい。

1087神の子さん:2012/02/12(日) 21:38:17 ID:Aesn1SPs
>名前:鳩と葉っぱ 投稿日: 2012/02/12(日) 14:29:33 ID:nBoNxzMc
潰れないよ・・・そもそも生長の家は無いんだよ。この世には。




あるよ!!!!   ボケ!!!

愛と平和と秩序と中心帰一の真理が満々ているところが『生 長 の 家』であります。

しかも、聖典 『生命の実相』はすでに崩落現場を離れ 生まれ変わったのだ。

各家々が生長の家である。 

皇室に感謝し、父母を拝み、夫婦仲良く、兄弟仲良く、清潔に、正直に

生きる家々が『生長の家』である。

1088生長の家とは:2012/02/12(日) 21:43:01 ID:Aesn1SPs

愛と平和と秩序と中心帰一の真理が満々ているところが『生 長 の 家』であります。

しかも、聖典 『生命の実相』はすでに崩落現場を離れ 生まれ変わったのだ。

各家々が生長の家である。 聖典 『生命の実相』の輪読会をしよう。

皇室に感謝し、父母を拝み、夫婦仲良く、兄弟仲良く、清潔に、正直に

生きる家々が『生長の家』である。

ブータンの国王さまがほめてくれた人種こそ、本来の日本人であり、

生長の家人 である。 と思うのであります。

1089生長の家とは:2012/02/12(日) 21:44:49 ID:Aesn1SPs
これくらいは

本部の人間には胸を張って言ってもらいたいね。

1090生長の家とは:2012/02/12(日) 21:57:37 ID:Aesn1SPs

一人、一人が 自分の職場、学校、家庭、各々持ち場で、さらに力強く『大大 光 明』を輝かせ、

次々と一般世間にある、暗黒で邪悪を ブチ破り、光明へ善導するのが

我らの使命であります。

1091SAKURA:2012/02/12(日) 22:57:06 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
皆様 へ

トキ様>今日は、ご帰宅が遅かったようです…ネ!
お返事頂きました事に“感謝”申し上げます。(別のボードで)

【幸福を招く365章…】
■不調和に対処するには

何か不調が起って来ても、貴方は決して周章狼狽することはしないのである。
本来不調和と云うものは存在しないことを知っているからである。
不調和は自分の心の風が激しく吹いている時だけに現れている波のようなものである。
自分の心の風が荒れなくなって来たならば、
波がおのずから静まって来るように、
事件も平静に帰って来ると云うことになるのである。
自分の心を自分の力で平静に出来ない時には、
その事件を神にまかせれば好いのである。
すべての調和と平和と光との源は神にあるのである。
自力で立騒ぐことをやめよ。
「神の智慧、流れ入りてこの問題を解決し給う」と念じて
神の導きの来るままに事を運ぶが好い。
                            谷口雅春著
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

本日は…「祈り」に徹していますと…
この「言葉が…」神よりの啓示として頂きました…。

モモンガ様…の投稿を拝読しながら…
>悪口を、言わない、誹謗抽象を口にしない、此だけでも、大変な修行である。<
賛同致しなが…「神に祈ること…」撤していらっしゃいますのかと…!
ついつい…「人間修行…」の私ですので…

生きていく内に…いやな事が“不協和音”は……
なるべく無い方が… >< いいですよ〜〜〜ネ!
全く!!異なる人種(考えの相違)に、関わりますと、
やはり!“プレッシャ−”が…起きます…。
なるべく、関わりたくないと“行動”に出ますが…
現在の私の“環境”は、大変〜〜〜〜180°環境の変化!!

■何故その様になるのでしょうか?

ある所の行きつけの店の人が…近頃!人通りがオカシ〜〜〜〜イ??変!!
どの様に聞きますと…変!!
もう〜〜何年もいるのに、場違いな人が増えてきていますし……

「どの様に…なの〜〜〜?」聞きますと…
「町全体が、くら〜〜〜い?汚くなった〜〜〜感じ?その様な人〜〜〜が?」
此処まで聞いて、私も同感なんですが…
“環境の変化”は、明らかに感じてしまいます私自身も…!!すごいと“一言”

■やはり、何故この様に急激に変わるのでしょうか…?

彼らは、そこに住む以上!!「ル−ル」を守ってない事にもなるのでは?
自分中心になり、周りの“イメ−ジ”が…
更に「悪口が…」かなりあるようです…。
その様な人達に、関わられると…“大変”です〜〜ネ!

今日「モモンガ様」が…【聖者の言葉】
【聖者の行進】に…何かおっしゃっておられましたが
私は、悪口は殆ど言わないと決めていますし…
更に!“妬み・嫉み…”も私の潜在意識の中には〜〜存在しませんが…
その前に「行動…神の御心に会う行動!!」

今日は…素晴らしい「神からの啓示の言葉」頂きました…。      再合掌

PS:おかえりが…遅いようでしたが…
トキ様は「今日の言葉」どのように解釈されますでしょうか…・

1092ももんが:2012/02/13(月) 07:14:38 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日も、寒いですが、素晴らしい、朝が、やって参りました!さあ、今日も『ありがとう!』と感謝、感謝の生活を楽しみましょ!ありがとうございます合掌、拝


いま、毎朝清超先生の“『ありがとう』はすばらしい”を少しづつ読んでいる。朝読むには、快適に成る一冊だ。

いま、自分の毎日の目標は、たくさんのその日出逢えた人々に『ありがとう』をプレゼントする事であります。

何時も、数十人方に『ありがとう』(おはようございます。も含む)しているが、昨日は、思ってた程ではなかった。

今日は、たくさん、『ありがとう』プレゼント出来るといいなと、願う次第であります。

それから、昨晩遅くに、トキ様、SAKURA様、忙しい中、御返事やコメント頂きまして、ありがとうございました。感謝いたしております。本日も、たくさんの、人々の為に、幸せの御仕事、活躍くださいませ。

それでは、皆様、本日も寒いですが、元気に幸せの活躍をされますよう!不祥の私ですが、願っておりますいってらしゃいませ!ありがとうございます!合掌、拝。

1093a hope:2012/02/13(月) 09:28:30 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

神様と仏様は御一体

私は「神」といっても「仏」といっても同じですと前々章で申しました。
けれども、今まではそれがほんとうに解っている人は少なかったのです。
そして神様とは神棚にのみおられるもの、仏様とは仏壇にのみおられるもので、
別々のものだと思っていた方が多かったのですから、
あなたもきっと神も仏も同じだときいて「変だなあ」とお思いになったかもしれません。

ではこんどは、「神様」と「仏様」は同じだということを説明しましょう。

日本には「仏教」だの「キリスト教」だの「天理教」だの、
そのほかいろいろにわかれた「宗教」というものがあります。
こうして、その「神様」や「仏様」を拝んでいる人々の中には、
自分の拝んでいる「神様」「仏様」の教えをひろめたい心から、
互いにほかの教えを悪く言う人があったのでした。

けれども、それは神様にとっても仏様にとってもほんとうに悲しいことだったのです。
なぜなら、それはちょうど、一つお家(うち)の中にいる兄弟が喧嘩をしているようなものです。
喩えてみれば、ここに三人の兄弟があります。
一番上の子は外国人の校長さんのいる学校へ行っているものですから、
お母さんのことを「ママ」と言います。
次の子は校長さんは日本人ですけれども、
少しお上品なお家の子供ばかり集まっている学校へ行っていますので、
この子はお母さんのことを「お母様」と呼びます。
三番目の子はまだ学校へ行きませんので、
むかしからみんなで呼ばれた「お母さん」という呼び方をします。
この子達のお母さんは「ママ」と呼んでも、「お母様」と呼んでも、
「お母さん」と呼んでも、いつも優しく「はい」とお返事をなさいます。

どんな呼び方をしたって、「お母さま」に違いはないでしょう。
それだのにこの三人の子供達が、「私達を生んでくださったのはママよ」
「いや、そうじゃない、私達を生んで下さったのはお母様だわ」
「違うよ。僕たちを生んでくださったのはお母さんだ」なんて、いつも喧嘩をしているとしたら、
いったいこの子達は何を言い争っているのでしょう。
そんなばからしい喧嘩をしている人なんてありはしない、と誰でもそう思うでしょう。

ところが、「世の中は神様がおつくりになったのだ。だから神様でなければ頼りにならぬ」
「いや世の中には神様なんてないのだ。頼りになるのは仏様だ。仏様だけが救ってくださるお力をもっていらっしゃるのだ」
とお互いに、人の拝んでいる「神様」や「仏様」の悪口を言い合っているのは、
前の三人の子供達が喧嘩をしているのと同じことなのです。
世の中には、同じ家にいてさえそんな人があります。

(つづく)

1094a hope:2012/02/13(月) 09:34:08 ID:kcv2QXTk

(つづき)

お祖母様が「仏様」へお花やお線香を上げて一生懸命拝んでいらっしゃると、
お嫁さんは心の中で「世の中をおつくりになった神様は、
人のこしらえたお仏壇の中になどいらっしゃりはしないのに、
お母さんはそれがおわかりにならないのだ。
私はどんなことがあったって、『仏様』なんておかしくって拝む気になれはしない」なんて思っています。

そうして、そんなふうにお嫁さんの思っていることは、言葉に出して言わなくとも、
すぐ、お母さんの心に感ずるのです。
それは世の中のすべてのものが、「神様」の御心でできているので、「神様」の御心の中では、
お嫁さんもお母さんも一緒だからなのです。

ですからお母さんはお母さんで、「家(うち)の嫁はキリスト教でしてね。
お先祖様へ掌(て)も合わせないんですよ。
私達はお先祖様のおかげでこうしていられるじゃありませんか。
ほんとうに今時の若い人は年寄りの言うことなんて、てんで耳に入れないんですからね」なんて、
親しい方がいらっしゃると、つい愚痴小言が出るのです。
こうして一年中お互いに面白くなく暮らしています。

そんなお家で育つ子供は可哀そうです。
「神様」と言っても、「仏様」と言っても同じ方(かた)ですのに、
そんなお家の子供は「どっちがほんとうなのか知ら」などと迷わねばならなくなります。
そうしてこんな「にらみ合い」ばかりしているお家にいては、
どんなに考えても「神様」も「仏様」もわかりっこはないのです。

(つづく)

1095a hope:2012/02/13(月) 10:06:12 ID:kcv2QXTk

みなさま おはようございます。

>>1079の復興Gさまのご教示、とても心に響いたので、もう一度貼り付けさせていただきます。


>>1079:復興G2012/02/12(日) 13:31:47 ID:ojEbkDH2

 私は今、「法燈継承」ということについて、考えています。
 「法燈継承」は、過去のことではない。
 「法燈継承」は、「今」のことである。
 「法燈継承」は、外のことではない。「法燈継承」は、他者のことではない。それは、自分のことである。
 「法燈継承」は、総裁お一人のことと考えるべきではなく、生長の家信徒一人一人が皆、各自の内に「法燈継承」をすべきなのではないか──と。

 「法燈」とは、何でしょうか。
 谷口雅春先生が神啓を受けて悟られた「真理の火」である。
 それは──
 「肉体なし」「現象本来なし」と過去の自分を否定し、「あるものは唯神のみなり」「我神なり」「すべては我が心の展開なり」と自覚する。
 そしてすべての人を神の子として礼拝し、「今起て!」と真理の火をすべての人に点じて行く。
 ──その真理の火が、「法燈」である。
 その「法燈継承」の時は、「今」なのである。
 それが、「今、起て!」ということなのである。──と。

 真理への道はただ一つ、「人間は神の子だ」ということである。
 和解への道はただ一つ、「人間は神の子だ」という「法燈継承」を、全信徒が行うことである。
 それなくして、相手を責めてばかりいては「和解」はできず、「和解」ができなければ生長の家はつぶれてしまう。生長の家が潰れれば、「万教帰一」がなくなり、人類の恒久平和はあり得なくなるのである。
 もはや、絶体絶命の時が来たのである。

 さあ、「今」全信徒が「法燈」を継承すべく、起ち上がろうではありませんか。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

復興Gさま

「法燈継承」の「法燈」の意味、よくわかりました。

わたしは、信徒ではありませんが、「生長の家」を愛する神の子です。
「生長の家の教え」では、神の子が神の子を愛するのは当たり前のことですよね!

わたしは、雅宣総裁先生のことも、純子先生のことも、本流復活でがんばっていらっしゃる先輩方のことも、
心から愛しています。

だって、みんな「生長の家」の家族ですものね!
家族であっても、個性がありますから、意見がぶつかる時もありますよね。
でも、わたしたちの神さまは、たったお一人なのですから、このようにいつまでも和解せず、
争いを続けている様子をご覧になり、「生長の家の神さま」は、さぞ悲しまれていることでしょうね。

「法燈継承」とは、「生長の家の真理の火」を継承することですから、
わたしたちひとりひとりが「生長の家の神さま」の御心にあった生き方をしていくことが、大切なのですね!


それではわたしの愛する「生長の家」のすべてのみなさま、今日も素晴らしい一日をお過ごしください。

1096SAKURA:2012/02/13(月) 21:00:45 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
1084>1085>・・・投稿のつづき

【生命の実相 35巻より】
1084・1085の続編
(三)

現象界の今の状態、すなわち現われている状態は常に動いているのです。
そしてこの常に動いているところの、固定しないで変化極まりなき無情になるものが、
それが一つの完全な理念に対して、だんだん近づいて行こうとしているのが
われわれの努力であり、精進であります。すべての人間は、
たとい悪人のごとく見える人でも皆それを目指して進んでいるのです。
泥棒となり、殺人をし、人を譎るという行為も、今よりはもっといい生活状態に
なりたいと思う心の現われです。したがって、その底にはより完全へと
指導する理念が宿っているのであって、ただ単に、頭脳意識、
肉体意識で描いたところのものではないのです。もっとも、
泥棒や殺人行為が場合是認されるわけでない、それがある理念がひどく歪んで、
偏った心のレンズをとおして形にあらわれたのであって、
わたしは、その奥の根本に宿っているところのものは
完全なものであると言えるということを差すのです。
われわれは日常生活において、善き行為をしたならば、
自分の宿っている一つの標準、一つの理念というものが誉めてくれる。
だからなんとなしに楽しいのです。
この楽しい嬉しいという感情はどこから起こってくるかと言えば、
自分に宿っているところの完全な実相が、言葉を換えて言えば理念が、
その標準によく適うように現われた場合に、ある種の満足を感ずるのであります。
そして、その満足感は、つまり、神から誉められたということに
なるのであって、その現われとする標準が高く、
また現われが完全であればあろほど、歓びが純粋であるわけであります。
                         (谷口雅春著)

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前回の続きですが…

“悪人も理念”が…あるが??此の理念が…歪んで形した“モノ”
そうして見ますと・…面白いですヨ〜〜ネ!
自身の“欲望”が限りなく!あくことなく!広がって行く事も有りますでしょうが…
果たして?本当の満足度は、何処でしょうか……?

今!私は「正しい理念」を持って、“目標”に向けて進むことは…
結果的には「いい結果…」が出ます…歓びに変わる…更に!自信が出来る…訳です〜ネ!

悪い方達は…根底のポイントが?ずれているのだといま思いましたが…
【彼らは…欲――>理念――>結果】のみなのでしょうか…?
しかし?潜在意識の奥底には…
「自分自身の間違った理念」を多少は認識しているはずです…。
それが、行動に…!!! 「アルコ−ル・煙草・魔薬…etc何らかの形として?」

私達は…正しい理念で?
【欲(夢)――>理想――>理念(心)―――>意識(笑顔)実相】
この様に改めて思いましたが???

如何でしょうかしら〜〜ン?

>トキ様へ
本日の解釈は??如何でしょうか??「アドバイス」頂きますと幸いです…。

                                再合掌

1097トキ:2012/02/13(月) 22:48:54 ID:Tydet.8s
>>1092

ももんが様

 寒い日がつづきますが、ご高齢と拝察するももんが様が元気なのは驚きます。
私も見習って、元気にがんばります。

 では、おやすみなさい。

合掌 ありがとうございます

1098トキ:2012/02/13(月) 22:50:03 ID:Tydet.8s
SAKURA 様

 すばらしいご投稿、ありがとうございました。

 深い内容ですから、少し考えてから書きます。
感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

1099うのはな:2012/02/13(月) 22:57:50 ID:El6gIMAw
 真空妙有の宗教  『幸福の原理』谷口雅春 先生著より

 ここで申し上げたいのは、生長の家は佛教家から時々、「あれは正当の佛教でない。
あれは外道だ」というような批評を聞くことが往々あります。併し外道が悪いということではないのです。
外道というと、外の道と書いてあるのですが、お化けのことでも鬼のことでもない。外道というのはお釈迦さんの
説いた佛教ではないというだけのことです。キリスト教などもお釈迦さんが説いたのではないから外道であります。
佛教よりも立派な道が外道にあるかもしれないのであります。

 橋本徹馬氏の『紫雲荘百話』という本の中に、生長の家の批評を書いてあるところがあります。
氏はヘッケルの『生命の謎』という書物を引用して、物質は無・ただ生命のみ實在するというと、結論に導いているのですが、
その書の一節に、ある佛教の大家が生長の家は佛教の本物でない。
こういう批評をしているけれども、佛教の本物で挙げているような功績よりも、まだまだ實際に色々の奇蹟を現わし、神秘を現わして、
人間を一層本当の人間たらしめ、死生を超越せしめ、世の中を實際に救っているような点から言ったならば、佛教の本物かうそ物か、
そんなことはどうでもいいではないか と言って批評を書いていらっしゃるのであります。
橋田邦彦氏の本にも「あんなに佛教が何派にも岐れておって、みんな自分が正しい正しいと被仰っている。
これを思ったならば、佛教の本物なんてどれか判らないじゃないか」と書いてありました。

 印度渡来の本物であろうが、舶来でなかろうが、日本で出来たものであろうが、出所が何所かということよりも、
その教えが真理であって、もっと立派に役に立ったらその方が却って好いのであります。

1100うのはな:2012/02/13(月) 23:12:55 ID:El6gIMAw
 
 佛教と生長の家とは、無我全托(帰命無量寿如来)の精神に於いて、素直に「ハイ」と
随順する精神に於いて、非常によく似ているけれども、最後に重大なところが異うのであります。
それが異うと解る人は偉いのであります。
好い加減に見て、原始佛教も生長の家も同じだ位に思っている人もあるけれども、あれは一寸異う。
日本大乗佛教になったり、法華経の如来寿量品のところなどは生長の家と同じであります。
けれども、小乗佛教、原始佛教とは一寸異うところがある。

何も日本の佛教が印度そのままの佛教、印度や唐宋に現われた正統の佛教でなければならぬことはない。
例えば印度の棉よりも日本の絹の方が上等であれば、何も印度から来た棉ばかりに頼る必要はない。
日本の絹に頼っても好いように、日本的な佛教が出来てもよい。
また出来なければならぬと思うのであります。

『幸福の原理』P67 谷口雅春 先生著

1101復興G:2012/02/14(火) 06:16:49 ID:ojEbkDH2

志恩さま
a hope さま

 私の >>1079 の書き込みにコメントをくださって、ありがとうございます。

 志恩さまは、すぐさま打てば響くような反応をくださいました。
 a hope さまには、再度貼り付けまで、して頂きました。
 うれしくありがたく、感謝しています。
 私の反応が 遅くて、失礼しました。ごめんなさい。

 今まで、生長の家における「法燈継承」と言えば、それは即「総裁の法燈継承」いうことでした。(平成15年度生長の家教修会の記録『歴史から何を学ぶか』の研究発表でも、そうなっている)
 しかし、私はここで「信徒の内なる法燈継承」ということが大切と、考えました。考えたというよりは、「ひらめいた」というべきでしょうか。

「法燈継承」は、他人事(ひとごと)ではないのだ。信徒一人一人の中に信仰の火を燃やすという「法燈継承」が行われてはじめて、総裁の法燈継承ということに真実の意味をもたらし、本当の光が、よろこびがわき上がってくるのではないか。──という思いが、湧き上がってきたのです。

 『生命の實相』第6巻第1章の冒頭に、
<「生長の家」が人類に告げんとするところは、人間の実相のなかにすでにすべてのものが備わっている、外に求むるよりも内に求めよということであります。>
 とあります。

 また『叡智の断片』49頁以下には、『臨済録』のご解釈として、
<悟りというものは、一切を外的原因だとして、責任を外に負わしていた者が、一転一切の責任は自己にありと、脚下照顧、自己に反照して、一切万事吾より出でて吾に還ると知ることである。外に神を求め、社殿に廟宮に寺院に教会に跪(ひざまづ)いて、此処に神仏があり自分を不幸にも幸福にもする力ありと思っていた迷信から一転して、汝の祖師、釈迦仏もキリストも汝の内にあり、功徳の本源は自己の内にありと自覚する事が真の宗教であるのである。引用せる臨済録の「馳求(ちぐ)の心」とは外に求める心であって、「外に求めていた心を歇(や)めてしまったら、汝は、すなわち、今直ぐ仏と同体だ。汝、仏が何処にあるか知りたいと思うか。では教えてやろう。此の眼の前で仏法を聴いているそいつ(汝)が仏そのものじゃ」と一喝したのである。>
とご教示いただいています。

 無門関には、“内外打成一片(ないげだじょういっぺん)”という言葉が出てきます。
<無門禅師は、倶胝(ぐてい)の“悟り”も、若い侍者の“悟り”も、指の上にはないといいます。では、何処にあるのか...
 それは、自己を“無”にした時に見えてきます。
 眼前するリアリティーの世界を観じる時、世界という自己が、世界という自己自身を見つめている関係になります。私は目の前の風景であり、雲であり山であり川であり...その私が、風景そのものを見ています。雲が、山が、川が、それ自体を見つめています。この時、自己が“無”なっています。二元的自己を超越し、“内外打成一片”が実現しています...>
──ということだそうです。これだ! と思いました。

 これです。「法燈」も外にあるのではなく、わが内に、すでにある。すでに与えられている。それを本当に自覚したとき、外なる総裁の法燈継承と“ピタリ”と一つになり、「内外打成一片」となって、実を結ぶのだと思います。総裁が法燈を継承されても、信徒がただ奴隷のようにそれに従うことで、神の国が実現するというのが生長の家の教えではないはずです。

「人類光明化運動指針 第9条」に、「生長の家大神──総裁・副総裁──御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である」とありますが、「光明化運動に於いては人は中心ではない。神意が中心である」とも書いてあって、「神意が中心」なのであります。「肆意(しい)が中心」ではないのであります。神意は、己を無にしてすべてを礼拝する心になったときにあらわれるものだと思います。

<つづく>

1102復興G:2012/02/14(火) 06:17:59 ID:ojEbkDH2

<つづき 2>
 谷口雅春先生が晩年に、『動向』という雑誌に《耿耿(こうこう)の言》としてしばらく連載で投稿されたご文章があります。「耿耿」の「耿」には、<耳がひらいてあきらか。目がさえて眠れない>という意味があり、「耿耿」は、<心が安らかでない。気にかかって寝付かれない>という意味です。引用させて頂きます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

『動向』誌所載
  《耿耿の言》
              谷口 雅春

   暴力から合掌へ ─ 学内暴力の一掃策 ─

 毎朝わたしは神前に坐して『甘露の法雨』又は『天使の言葉』の如き生長の家の聖経を朗読することにしているのである。その聖経の中に「一つの物体(光源)の周囲に百万の鏡を按きて相対せしむれば百万の光を発せん。人は神より発せる光であって甲乙丙丁互いに相分れて別々の存在と見ゆれどもすべて“神”なる一つの光源の反映であって、本来一つの光であって、すべて一体であるからその実相を自覚すれば互いに愛と讃嘆の念湧き起らん」という意味の事が書かれているのである。それを読みながら近頃、頻々として起っていることが報ぜられている教師と生徒との間に於ける反感や暴力沙汰は、この真理を互いに自覚すれば、教師と生徒との間に起る反感や暴力沙汰は自然に消えてしまうのに!! と思いながら、日本の文部大臣にこれ位のことがどうして出来ないのかと歎息の溜息を吐いたのであった。
 教師と生徒とが一つの大生命(神)より発した光であり、互いに兄弟姉妹であり、互いに愛と讃嘆の念が起るならば、教師と生徒との間に起る暴力の原因が消えてしまうのである。こんな簡単明瞭な真理がどうして現代の教師にも生徒にも解らないのだろう。すべて教師と生徒との両者に生長の家の説く真理を会得さしてしまえば、それで万事はOKである筈である。それが出来ないのは皆な唯物論者であって、互いの神性を拝むということを知らないからだ。
 そう思ったとき、私はもう数十年も前の事であるがこんな記憶があるのを思い出した。大阪の難波の駅から急行電車に乗って和歌山へ私は行くことになっていた。その時信徒の人たちが多勢私を見送りに来て、皆々私の方を向いて合掌していた。私も見送りの人たちに向って、列車の窓に両肘を突き窓から半身を乗り出すようにして合掌していた。肉体の形が合掌しているのではない。互いの魂が相互に合掌して礼し敬しているのである。
 その時、ひとりの男の人が私のいる列車の窓口ヘつっと近づいて来て、私を合掌して拝んだ。そして云った。
「私は今日、刑務所から出て来た者であります。娑婆へ出て来たけれども、どうして今後生活すれば好いか見当が付かないのでした。しかし私は先生の合掌していられるそのお姿を拝しました。そして私は今後どのようにして生活すればよいかを知らして頂きました。」
 私は列車の窓から腕を突き出して、その男の人の手を握った。「兄弟よ、あなたは“神の子”である。如来である」と私は心で念じた。
 今、日本の諸方の学校で起っている校内暴力はどうして起るのであるか、総理大臣も文部大臣も唯、拱手傍観していて、「暴力者は悪い奴である」と念ずるばかりで為すべきすべを知らないらしいのである。そして此の暴力沙汰を引き起す原因については何ら御存知ないらしいのである。本当の暴力の起る原因は教師の「心」の中にあるのだ。
  (註)その暴力者を「悪い人である」と念ずる教師自身の「心」の中にあるのだ。

<つづく>

1103復興G:2012/02/14(火) 06:18:51 ID:ojEbkDH2

<つづき 3>
 谷口雅春先生が晩年に、『動向』という雑誌に《耿耿(こうこう)の言》としてしばらく連載で投稿されたご文章の続きです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『動向』誌所載《耿耿(こうこう)の言》より
  谷口雅春先生 (承前)

 現在、学校で教職についている先生方は自分の知りている知識を生徒に授けるのが教職者の仕事であるとのみ思っているらしい。“授ける”“受ける”の立場に立って、先生と生徒との関係は、上位と下属との関係であると漠然と思っている先生が多いのではあるまいか。なまけていて進歩の少い生徒は劣等の人間であると、先生はその生徒を軽蔑する。生徒は教師の自分に対する軽蔑を先生の表情又は雰囲気で直感する。生徒はこんなとき先生よりも霊感的であり、先生の軽蔑心をすぐ直感的に身を以って体感する──“何クソ”と生徒は先生に反感を起すのだ──もうこうなったら“正しい教育”は成り立たないのである。生徒は先生に対して敵意をもつ。生徒の教師に対する校内暴力は此の敵意のあらわれであるのだ。
 私は老齢既に卒寿を越えて脚腰の動作が不便であり、坐位でも椅子でも直立でも、相当時間一定の姿勢をつづけて講義することは勿論、執筆すらも長くつづけることができない。併しもう少し若かった頃公会堂その他の大会場で、皆に話すために演壇に立った時、いつでも聴衆に向って私は低身合掌して「皆さん、ありがとうございます」と先ず礼拝の言葉を演べた。私は講演するとき、相手を見くだして教える心で立ったことはない。
 皆なを拝む心で演題に立てば、皆なが話者を拝んでくれるのである。演者は別にその効果を期待して、聴衆を合掌して拝んでいるのではない。真理の講話を話しに来る者、またそれを聴講に来る者、倶に深い因縁のあることである。
 学校暴力とか校内暴力とか云う乱暴な出来事が起るのは、教師も生徒もその深い因縁に気付かないで教師が、“生徒を拝む心”で講壇に立つのではなく「万一の事が起った時には護身のために必要だから」と理窟づけして、教師の方がポケットに護身用ナイフを忍ばせて演壇に立つからである。即ち、相手を傷つける想念は隠し持ったる護身用具に随伴する。想念は造る力であるから、自分の予想するものが形の世界にあらわれて来て、自分を傷つけ又、相対する相手を傷つけることになるのである。
 私は中学時代大阪市岡中学で学んだのであるが、教師は演壇に立ったとき、生徒総代又は級長が号令をかけて「先生に礼拝……直れ」などと音頭をとって「形式的に敬礼」させるのでは軍隊式で、形式が先に立って「先生に礼拝する」ごとき魂で恩愛を感じて自然にお辞儀が出来てくるのとは違って、強制される礼儀形式ばかりが先に立つ。生徒の中にはそんな形式的な命令に従ってお辞儀をさせられる事は、「自由を縛る束縛だ」と反感を懐きながらお辞儀をしている者もあっただろうと思うが、私もそれ等生徒の一人であった。尤もその時代の中学生と先生とは、弟子と師と云うような階級的な次元に於いて対立感情で向かい合っているのではなかった。儒教的な「三尺さがって師の影を踏まず」という「礼」の秩序性が表現されたものであって、先生と生徒とは互いに共学の研心の同朋であった。相互は、学校の授業時間だけに於いて共学研心の同朋であるだけでなく、学校の授業時間を了えて校外に出ても、先生と生徒とは何らかの意味に於いて研心の同朋であった。あの時代の中学教師と中学生との精神関係を喚び戻すことが出来れば楽しいと思う。私は数学の時間に幾何や代数の問題で先生に屁理窟を云うと、先生は「もう谷口君にかかったら負けだ」と笑いながら云った。尤も、それは同様な性格をもつ先生と生徒とである場合に於いては一層、この事実は研心の同朋たる人間関係を明らかに実現していたように今でも思う。今でも先生と生徒との関係が愛情によって結ばれていたことをなつかしく思う。
 茲で云う教師と生徒とが互いに懐かしく愛情を以て結びついていると云う表現によって、私は決して性的又は同性愛的に結びつくことを指すのではない。教師が本当に生徒たちに皆一視同仁的に各々の生徒を愛の心を以って立ち向うならば、教師の表情が愛に満たされた様子で、常にどの生徒に対しても同様に立ち向うことになる。その時には黒住教祖の宗忠尊師が
  立ち向う人の心は鏡なり
    おのが姿を映してや見ん
と、いみじくも詠われた状態が現れて、生徒はその教師に対して親愛の感情を感ずるのである。これは空想ではない、現実に成り得る問題だ。

<つづく>

1104復興G:2012/02/14(火) 06:19:40 ID:ojEbkDH2

<つづき 4>
 谷口雅春先生が晩年に、『動向』という雑誌に《耿耿(こうこう)の言》としてしばらく連載で投稿されたご文章の続きです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『動向』誌所載《耿耿(こうこう)の言》より
  谷口雅春先生 (承前)

 しかし教師が生徒に対して、各自の勉強能力や熱意がどうあろうとも、一様に親愛の感情を以て臨むということは、余程人格の練れた教師でないと難かしいであろう。何でも自分(教師)の演壇に立って言うことに対して目を輝かして聴き入っている生徒は、自分(教師)を愛している(又は“好き”である)と教師は感ずる──その感じは忽ち教師自身が、その生徒を特に可愛く感ずる感情を喚び起す。ある一人又は数名の理解の優れた生徒に対して教師が起した愛情は、常に各学科の成績が悪く点数が少い生徒に対して起した愛情とは全く同じものでないことは已むを得ない。けれども本当の愛は、拙い性格をもった子供ほど親からみたら不憫であって可愛くて仕方がないほどに愛しなければならないのだ。しかし、私は教師たる者に対して云いたい。学業優秀なる生徒をより一層愛する差別の愛は、神の愛ではない。人間の好悪の感情によって遮られたる月蝕の如き愛である。教師たるものは本当は「真理の人格化」でなければならないのだ。イエスは「神は善人にも悪人にも同様に光を与え給う太陽の如き愛である」と教えて居給うのである。また神の愛は雨の霑いを善人にも悪人にも与え給うが如き、平等の愛であるとも教えられているのである。
 けれども、“神の子”たる人間はその平等の愛を受けながら、渇いて病む人もあれば、洪水に流されて財を失い、家を失い、自分の体も被害を受けて病死する人もある。神の愛は「平等」でありながら「受ける側」から視ると、その祝福を受けながら被害者となり、祝福の重荷に立ちあがることが出来ない人間もある。
 生長の家の箴言には、いつも天気に対してお礼を云う気持で“神様、好いお天気を与えて下さいまして有りがとうございます”と念ずる習慣のある人は、天気に祝福されて、その人が旅立つときには好天気が常につき添うて下さるのである。
 もう十数年も前のことであるが、私たち夫婦は各国を身を以て知るために世界旅行に出掛けたことがある。ドイツを廻った時の季節は、朝晴れているかと思うと数時間もすると雨が降る「秋しぐれ」の季節であった。ドイツで私たち夫婦を道案内して下さった方は、日独交換教授として、ドイツに駐在中の日本の早稲田大学の独逸語教授の山田先生であった。山田先生は「ドイツのこの季節にはいつ時雨るかも知れませんから雨具を用意してまいりましょう」と時々云われたが、わたしは、「常に天気に対して私たちはお礼を云っていますから私が観光に出掛けている時間には雨は降らないでしょう」と答えたものである。そして“雨降る”予報の天候は、私の言った通りに私たちが宿舎に帰ってから降り始めるのであった。私たちの案内役をつとめて下さった山田先生も、天候が私の云う通りに適当に変化するので偶然としてはあまりに不思議だと感心していられた。
 近頃、日本の国では人間界だけではなく、天候があまりにも傷ましいほどに大自然の暴力を揮うのである。古への為政者はこのような時、自分たちの政治のあり方に、天意に背く間違ったやり方を行なっている点があるのを御気付けして下さるのではなかろうかと反省して、行政の姿勢を正したものである。今は民主主義の時代であって、何事も人民主宰の世界であるから、為政者にして、
「罪あらば我をとがめよ天つ神、民はわが身の生みし子なれば」
 とお詠みになった歴代の天皇の大御心を自分の政治の上に復唱する者は、既に為政者の中心にないのである。現下の日本に必要なものは、何よりも為政者の心の姿勢を反省することである。今こそ私は「教育勅語」の復活を中曽根総理大臣に宣言して頂いて、為政者自身の心を浄めることを「第一の事」として、先ず何事も第一の事を第一に為し、国民総じて実践する道を行く扉を開かれんことを希望するのである。今、日本の為政者が教育勅語の実践的復活をみづから提唱し、みづからが率先して実践せられるならば、想像もつかない教育界の大なる浄化作用が滔々として起ることを期待して、その実現を私は待ち祈るのである。

  ※ 耿耿(こうこう):耿=耳がひらいてあきらか。目がさえて眠れない。耿耿=心が安らかでない。気にかかって寝付かれない。

1105ももんが:2012/02/14(火) 07:28:55 ID:XXCuaQns
皆様、トキ様、おはようございます。今日も、素晴らしい朝が、やって来ました!さあ、元気に、明るく、ありがとう!と、頑張っていきましょう!感謝敬白、合掌、拝。


いや、朝から、志恩様に悪言を吐かされて、しまいまして、志恩様、どうもすいません。

まだ、まだ、簡単に、ありがとうの雰囲気をだせないですね。

でも、頑張って、本日も、ありがとうをたくさん、言いますよ!


それでは、トキ様、皆様、社会にありがとうを、振り撒きましょう!ありがとうございます!合掌、拝

1106役行者:2012/02/14(火) 08:17:46 ID:XZ18itA6

 合掌

 復興Gさま、お待ちしておりまた。


> 近頃、日本の国では人間界だけではなく、天候が あまりにも傷ましいほどに大自然の暴力を揮うので ある。
 古への為政者はこのような時、自分たちの政 治のあり方に、天意に背く間違ったやり方を行なっ ている点があるのを御気付けして下さるのではなか ろうかと反省して、行政の姿勢を正したものであ る。

 今は民主主義の時代であって、何事も人民主宰 の世界であるから、為政者にして

  罪あらば我をとがめよ天つ神、民はわが身の生み し子なれば

 とお詠みになった歴代の天皇の大御心を自分の政 治の上に復唱する者は、既に為政者の中心にないの である。

 現下の日本に必要なものは、何よりも為政 者の心の姿勢を反省することである。<

 

 ありがとうございます。
 雅春先生が現代民主主義に批判的だったのは、生長の家の用語を使えば、【一切者の自覚】つまり、責任、また、「このような状況になってしまったのは自分の為政に問題があったためだ!」と自省され己を進化向上させていった、消えゆく古き良き時代の日本人を偲んでのことだったのでしょう。
 己の我を通そうとする人民主催の民主主義では、確かにトラブルの連続でやがては滅んで行くのでしょう。そこには徳がないからです。
 また、我と我のぶつかり合いになるからです。
 「このような状況になったのはすべて私の心の姿勢の現れである」との自覚から、反省が生まれ、自他共々、まわりの状況も好転してゆくのでしょう。


 すでに一切者の自覚をお持ちになられた天皇陛下をはじめ、為政者ならびわれわれ民に至るまで、このような心の姿勢にて生活をすれば日本の国はますます良くなって行くのでしょう。生長の家もまたしかり!

 復興Gさま、ありがとうございました。

1107a hope:2012/02/14(火) 08:50:25 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

憎み合う心の中には神様は無い


なぜならば、「神様」も「仏様」も憎み合う心や、争う心の中では、
そのほんとうの善いお姿をお現しにならないのですから。

「神様」のお姿はみな美しいものばかり、善いものばかりになって、
この世に現れておいでになるのです。
すべてこの世の善いものは、「神様」のお光なのです。
ですから、「争う心」「憎む心」というような、
「よくないもの」が現れているということは、
「神様のお光」の見えない真暗闇(まっくらやみ)ということなのです。

あなたは、真暗闇の中で美しいものや善いものを見たことはないでしょう。
憎み合いの世界は地獄で、そこには人間の顔をした鬼がいるばかりです。
心の中で憎み合い争い合いをしながら、「神様」や「仏様」を知ろうと思うのは、
ちょうど、この真暗闇の中で美しいものを見ようと思うのと同じことです。

ですから、皆さんがほんとうに神様のおつくりになった、
しあわせな世の中を知りたいとお思いになったら、
まず、「自分は神の子、仏の子である。神の子、仏の子は、
このままで誰とも仲よしになれる素直なよい心をもっているのだ」
ということを考えなければならないのです。

自分は「神の子」である、「仏の子」である、この事がよくわかると、
人間はちっとも無理をしないで、「神の子」「仏の子」らしくなって、運がよくなって来るのです。
みんなひとつの神様仏様から生まれた子供達ですから、その本当のことを知ったら、
みんな神の子、仏の子らしくなって、仲よく運がよくなるのは、なんの不思議もないわけです。

(第三章、終了。 次回、第四章「智慧の生かし方」へ)




みなさま おはようございます。


「立ち向う人の心は鏡なり
    おのが姿を映してや見ん」

これが、できるようになると、すべて上手くいきそうですね!

今朝は、この板の、復興Gさまからのボリュームある書き込みはじめ、その他の板にもうのはなさまなどの、
真理の言葉の書き込みがたくさんありました。本当にうれしいですね!
後で、もう一度、ゆっくり拝見するのを楽しみに、a hope はこれからお出かけの支度をします。

今日は、わたしも、ももんがさまを見習って、「ありがとう」できるだけたくさん言って、
「ありがとう」の雰囲気を出せるようにがんばってみたいです。

わたし、この掲示板大好きです!
「訊け」管理人さまも、早く戻ってきてくださいね!


それでは、わたしの大好きな「生長の家」のみなさま、今日も元気にお過ごしくださいね!

1108トキ:2012/02/14(火) 10:56:40 ID:Jc32ftMk
>>1105

ももんが様

>>それでは、トキ様、皆様、社会にありがとうを、振り撒きましょう!

素敵な言葉のプレゼント、ありがとうございます。

1109トキ:2012/02/14(火) 10:57:51 ID:Jc32ftMk
復興G様

 始めて拝見する御文章です。感激しました。ご紹介、ありがとうございます。

1110ハマナス:2012/02/14(火) 11:21:17 ID:u5mC.eb2

神の子の皆さま、ありがとうございます。

皆さまの素晴らしい投稿を拝見し勉強させて頂いております。
復興G様が引用下さいました、谷口雅春先生の『動向』に連載された《耿耿(こうこう)の言》の
貴重なご文章、ありがとうございます。


      「敵 は な い」    『生活の智慧365章』P,57より謹写

 すべての人間は皆、神の子であり、同じように神性・仏性が宿っているのであるから、
本心の於いて悪い人などは決して無いのである。決して本心に於いてあなたを害する人は
ないのである。決して本心に於いてあなたに敵意をもっている人はないのである。
各々の立場に於いて各人は互いに自己を主張していて、時としてその主張が衝突し、互いに
昂奮して傷つけ合うことがあるように見えることがあるにしても、実相に於いては、
一体の生命であるから、昂奮して悪しざまに言い合う事を止め、静かに座して相手の実相が
自分と共に”神の子“であり、互いに調和していることを念ずるならば、やがて、本来
一体なる実相の生命があらわれ、現実世界に於いても調和し得るようになるのである。

 「汝の敵のために祈れ」とイエスは教えたが、その本当の意味は汝の敵のように見えて
いる者も、本当は敵でないから、その敵でないところの「実相」を念じてやれという
意味である。これが本当に「愛する」という意味である。

感謝合掌

1111ももんが:2012/02/14(火) 18:26:09 ID:XXCuaQns
>>1110
ハマナス様


ハマナス様、投稿文を拝読して、実に、感激を受けております。感謝合掌、拝


《《 「汝の敵のために祈れ」とイエスは教えたが、その本当の意味は汝の敵のように見えて
いる者も、本当は敵でないから、その敵でないところの「実相」を念じてやれという
意味である。これが本当に「愛する」という意味である。》》


本当にそうですね。ハマナス様。これを、どう、『実戦』するかだと、何時も、思うしだいです。


ハマナス様には、何時も、勉強させらる、私です。


前回、『碧眼録』のことを、私が、お話した時も、ハマナス様だけは、“平和の雰囲気”を忘れないで、私と、お話しようとして下さいましたね?

私は、その事が、大変、嬉しい、気持ちにさせていただくことが、できました。

あのとき、私のあり方は、ハマナス様に対しては、良いあり方ではありませんでしたね。その事だけは、不作法だなと反省しております。

本当に、ハマナス様ありがとうございましす。

例え、どんな時でも、相手を批判したりしない事は、出来るようで、出来がたい、行為ですね。


まずもって、相手を祈る事からする。

ハマナス様、良き御言葉、ありがとうございました!また、よろしく、お願いします。
感謝敬白、合掌、拝。

1112SAKURA:2012/02/14(火) 21:28:04 ID:FEa/NNlc
トキ様へ
皆 様へ

【幸福を招く365章】
■汝自身を幸福な神の子と観ぜよ

病気も不幸も何人にも属するものでないのである。
それは群衆の潜在意識の放送を、
個人の潜在意識が受信し易い状態になったときにあらわれた
スピーカーの声みたいなものである。
本人がその声を出していないのであるから、
本人は不幸でも病気でもないのである。
それを自分の本当の姿だと思って苦しんだり悩んだりするところに錯覚があり、
その錯覚を断ち切らないところに、錯覚は錯覚を招んで苦しみを
増大することになるのである。
汝自身を病人だと観る限りに於いて、
汝自身は病人の姿をあらわし、
汝自身を不幸だと思う限りに於て、汝自身は不幸の姿をあらわすのである。
すべからく汝は現象を超越して実相に超入せざるべからず。

                        (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

“潜在意識”が、受信されやすい状態になった時は…「実相世界」です。
その様に、解釈しますが…?

病気もない不幸もない…と、わかっても〜〜今の現状は?と…… ><
思いますが…其処をモット!奥深く〜〜〜〜見ていく内に、
必ず!良くなる…!益々!良くなる…!と、繰り返していますが……?
どうかしますと、時折むなしくなる事もありました。
が…その様な時は…
【目を閉じて、一番!楽しかった“思い出”を、思い出しながら…それを、
“一つのドラマ”の様に “スクリ−ン”に映し出して【瞑想…】していきます。

勿論!!“主人公・・・私”なのです〜〜ョ!
だん!だん!深か〜〜〜く!深か〜〜〜く!入っていきまして…
「心がボジティブ感」になり、私は「必ず幸せになれる…!」との確信!
その後…「神想観」しますと…【実相世界…】に突入!!
必ず!!必ず!!「この現象界に現れる…」との確信でしょうかしら〜〜〜ン!

今!!新たに【神様へのアンテナ…】を向けて…“受信”できます様に…
ひたすら〜ひたすら〜♫ “内なる願い”を“神様”へ…「お祈り」しております…。

                   再合掌

>トキ様は、どのように“解釈”されますでしょうか?
“アドバイス”頂きますと幸いです…。

1113ももんが:2012/02/15(水) 00:02:02 ID:XXCuaQns
>>1108

トキ様

トキ様、皆様、こんばわ。
合掌、拝。


本日は、嬉しいく、楽しい、1日でありましたでしょうか?

私は、それなりに、明るく過ごす事ができました。


掲示板では、朝、喧嘩をしたりしましたが、職場では、『おはようございます』にはじまり、『お疲れ様でした』で終わりました。勿論、仕事ですから、仲間同士で、揉める様にはなりますが、不思議に自然と、仲良くなれてます。

お客さんや、知り合いにも、『ありがとう』『こんにちは』とたくさん、挨拶できて、気持ち良く、生きられました。


清超先生著書:『ありがとう』はすばらしい、より。

《《この世の中は、コトバで言うことが実現するであって、それ以外の何ものない。だから毎日『ありがとう』『ごくろさん』『サンキュー』メルシー』と言っている人たちには、ありがたいことが次々に出て来るのだ。》》

と、清超先生は、言われているようです。


私も、これは、これからも、実戦して、社会の光明化に尽くして行きたいと思います。

トキ様、管理人として、職員として、大変ですよね。辛いでしょが、耐えがたき耐え、忍び難きを、良く忍ぶ事が、心の肥やしになるはずですよ。もう一人の尊敬者、玄峰老師のテープ聴くと、その実感と勇気を着けてくれます。
生長の家のテープじゃなくて申し訳ありませんが、本当に、聴いて欲しい、テープの一つです。トキ様に特に勧めちゃいます。

では、おやすみなさ。感謝敬白、合掌、拝。

1114ハマナス:2012/02/15(水) 00:28:17 ID:u5mC.eb2

ももんが様へ

ご丁寧にお返事をありがとうございました。
仕事で帰りが遅くなりこんな時間に失礼いたします。

>本当にそうですね。これを、どう、『実戦』するかだと、何時も、思うしだいです

同感です。生活の中で“実践”する事は、難しいです。
私も、身近な家族の実相を観れなくなり、悩むこともあります。
でも、清超先生がご本の中で、「ピアノと同じように、訓練をすれば上手になる。」と
お書きになられていますので、私も日々、『魂の訓練』をして行きたいと思っております。

あまり、争いや口論が好きではないので、この掲示板だけでなく、他の掲示板でも、
数人の方が喧嘩ごしに悪口を書いたり、お互いに傷つけあうことばを見ますと、
心が痛みます。
ましてや、インターネットで不特定多数の方が見ているとなると、なおさらです。

『甘露の法雨』の中の「懺悔の神示」の中の次のことばを思い出しました。

「懺悔は密室にて行うか、手紙に書きて教えの先達に送りても宜し。
 されど暗(やみ)の前に、いたずらに悪評する民衆の前に、罪を暴露しても
何の効なし。暗に暗を照らさしむるとも何の甲斐(かい)かあらん。」

ももんが様いつも、素晴らしいご文章をありがとうございます。
「正法眼蔵」のお話しも毎回楽しみにしております。

どうそよろしくお願い申し上げます。

感謝合掌

1115志恩:2012/02/15(水) 02:18:06 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

1101,1102,1103,1104と、
たくさん書き写してくださいまして、ありがとうございます。
早速プリントアウトして、しみじみ学ばさせて頂きました。

私も,雅春先生が晩年に『動向』という雑誌に書かれた《耿耿の言》のご文章は、初めて拝読しました。

今の生長の家とわれわれ自身に対しての適格な真理のお言葉だと感じました.
われわれ一人一人の、脚下照顧は、たいせつ。
また、
「光明化運動に於いては”人は中心ではない。””神意が中心”なのである」も、その通りだと思いました.
 
耿耿の言似ついての、コメントは、
1106:
役行者さまが、これについての感想を述べておられますが、私も同感の想いです。

しかし、閣下は、すごいですよね。私より、ずっと年上の、お兄さんでいらっしゃるのに、
パソコンをこれだけ駆使されて、生長の家関係の山ほど持っているといわれる蔵書のなかから、選ばれて
ここへ載せておられるのですものね。さすが、頭脳明晰、東大卒。

話変わり、昔のことですが、雅春先生は、ご普段は、とてもお優しいお方でしたが、虚説に対しては、激しく叱咤されるお方でしたよ。
実相は完全だからと言って、いつも、なんにでも、間違ったことにも、にこにこされてたわけではないのです。

復興Gさまもご記憶かもしれませんが、雅春先生が、東京の渋谷区隠田(お山)にお住まいで、原宿本部へ
お通いになられていた時代、

あの頃、本部では、毎月第1・第3金曜日の、午後1時~3時。
3階の『白鳩の間』で、
雅春先生ご夫妻が、ご臨席されて、直接,信徒と質疑応答してくださる「白鳩会」が、開かれておりました。(たまに、清超先生ご夫妻も、共にご臨席)

参加費は、タダで、毎回、参加者は、300人くらい、廊下の方まで、入り切れないほどの人々で溢れていました。
挙手した人に、マイクを渡し、雅春総裁先生に質問します。すると、雅春先生が、直接それに答えてくださるという大変贅沢な時代でした。

あるとき、ある政治家の奥さんが、いらしてて、マイクを手に話されたのですが、どうも、生長の家を利用されようとしたのかどうか、私は、はっきりは、
わからないのですが、それに答えられる雅春先生は、激しく、その方に怒りましたので、虚説に対しては、こんなに怒られるのだ、と強い印象として残って
おります。
 (私は、そのときは、マイクを渡す係をしていました)

1116ももんが:2012/02/15(水) 07:15:03 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日は、雨天ですが、素晴らしい、朝がやって来ました。さあ、元気に、明るい心で、嬉しく、楽しく、1日、楽しく生活していきましょう!ありがとうございます。合掌、拝。



《《人から何かをしてもらった時、『ありがとう』とお礼を言うのは当たり前だろ。ところが、そうしないで黙っていたり、無視したりすると相手の人は何となくいやな気分になる。『ありがとう』が欠落するからである。〜
谷口清超先生著書・『ありがとう』はすばらしいの、はしがきの書き始めより〜


全く、そのとおうりだと、思います。
しかし、実生活では、『ありがとう』一つでも、すんなりとは、行かない場面は、皆様もあるのでは、ないでしょうか?

1日、1日、瞬間、瞬間に、その時に、その人に合わせた、ドラマが、待っているようです。

それでも、『ありがとう』の様な、明るいコトバ、プラスになるコトバを、自分の口から、吐き出すように、頑張って、行きたいと、思います!


皆様、それでは、御寒いですから、暖かくして、お過ごしください。御拝読ありがとうございます!感謝合掌、拝。

1117a hope:2012/02/15(水) 10:20:41 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

第四章 智慧の生かし方

智慧なき味方


或る時、カーシー国の片田舎に親子の大工が住んでいました。
親の大工は頭のてっぺんが禿げて、その周囲にだけ白髪が残っているのでした。
親の大工が木を切っておりますと、一匹の藪蚊(やぶか)来て、その鋭い嘴(くちばし)で、
禿げている頭の真中を針で刺すように蠚(さ)しました。
大工の禿げた頭には、それがまるでナイフで刺されたかのようにハッキリわかりました。
ズンズン蚊の嘴から頭の血が吸い上げられて、自分の血が減ってゆくように感じて、
親の大工は気が気ではありません。そこで側で仕事をしている自分の息子に、
「この蚊の野郎、俺の頭に止まって、まるでスポイトのように血を吸いやがるから、早く敵をとってくれ」と言いました。

息子は父の頭を見ますと、大きな藪蚊が見る見るうちに血でふくれ上がり、
ホオズキのように真赤になっていきます。
それを見ると、息子はその蚊をだだ逃がすのはおしいような気がしました。

「この野郎!そこを動くな。今に敵をとってやるから。」

息子はこういうと、たちまちソッと起ち上がって、道具箱の上にあった大きな手斧をとり出して、
一撃のもとに斃(くたば)れ!とその蚊を目がけて打ちおろしました。

蚊はその瞬間逃げてしまいましたが、大工の親の頭は、二つに割った西瓜のように割れていました。
そしてとうとう、その息子は親殺しで重い重い刑罰に処せられました。


・・・・智慧のない味方は、智慧のある敵よりもかえって味方に仇(あだ)をする。
智慧のある敵は、相手に刃向かうことが損だとわかるので、かえって害をしないものである。

(つづく)



すごく、考えさせられる、お話ですね。
息子は父親のことを愛していたにもかかわらず、父を失い、自分も罰せられたのですから...

たった、一匹の藪蚊のために...

1118「訊け」管理人:2012/02/15(水) 12:03:52 ID:???


>復興G閣下

 激務のため、手短な返答をお許しください。ご掲載文章でありますが、感
動いたしました。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
>>1079真理への道はただ一つ、「人間は神の子だ」ということである。
 和解への道はただ一つ、「人間は神の子だ」という「法燈継承」を、全信徒が行うことである。
 それなくして、相手を責めてばかりいては「和解」はできず、「和解」ができなければ生長の家はつぶれてしまう。生
長の家が潰れれば、「万教帰一」がなくなり、人類の恒久平和はあり得なくなるのである。
 もはや、絶体絶命の時が来たのである。

 さあ、「今」全信徒が「法燈」を継承すべく、起ち上がろうではありませんか。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 チ  ェ  ス  ト  !!!

 ・・・信徒はもう、「カスタマー(消費者)意識」、これを払拭せねばなります
まい。そしてそれに代えて「当事者意識」、これを持たねばならぬ、そう考え
ます。仮に総裁が継承しておらねばその法燈、我々が継げばよいのです。
 そしてその、継承すべき「法燈」とは何なのか?・・・・・『生命の實相』に語
り尽くされているわけであります。もう我々は聖典の拝読に一心注力ではな
いでしょうか。
 また敬愛する榎本恵吾先生は、以下のように語られておられます。我々
が法燈継承するにあたり、重要な視点になろうかと考えております。(行数
の関係で二例のみ掲載)

『試論・波状光明化への道』342項より謹写
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『唯神實相論』は実在そのものであり、高天原であり、生長の家そのものなのである。それ
故、唯神實相論だけではいかぬ、現象も現象としてはある、と云うのは、生長の家の外と言
わなければならないのである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

同書347項より謹写
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今此処に『生長の家』人類光明化運動を論ずるに当って、先づ、その運動が伝道としての
ものであろうと学究の運動であろうと、その二つに分ける前に、その運動が『實相独在論』
『唯神實相光明一元論』のそのままの展開として、自己と世界との分裂なき運動として如
何に可能であるかの間題を解決しておかなければならない。解決すると言っても、既にこ
の道は尊師によって説き明かされているのであるから、<<これを再自覚>>すると云う
ことである。・・・(中略)・・・如何にすれば各人一人一人が一瞬一瞬に於いて、全宇宙との
関係において必要且つ充分なる歩を運び得るかの問題である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<耿耿(こうこう)の言に関し>

 有名なお話をひとつ。あるクラスが新学年を迎える季節、新担任が生徒
のIQ記録を引き継いだらしいのですが、その記録が「間違っていた」という
話です。
 簡単に書きますが、IQの高い子が「低い」と報告されそして、低い子が「
高い」として新担任に引き継がれました。一年後の結果は・・・「IQ低い」と
報告された優秀児ですが、その知能は悪化しておりました。反対に天才
児と報告されたIQ低生徒は、優秀になっていたとか。まあ、「相手をどう見
るのか」がどれだけ重要なことかという、そんなお話でありました(おそらく
閣下はご存知だと思いますが)。教師に於ける生徒を「見る目」ですけれど
も、これだけ大切なのですよね。
 さて、大半の信徒が「悪い」と見る指導者ですが、どんな現れがこの三次
元世界に、展開されましょうか。

追伸

 同耿耿(こうこう)の言ですがたしか以前、山ちゃん1952様ブログにも
掲載されておりました。久しぶりに拝読しまして感動です。ありがとうござい
ました。

1119「訊け」管理人:2012/02/15(水) 12:04:38 ID:???

補足


『生命の實相』38巻122項より謹写――

―――――――――――――――――――――――――――――

なんじの愛の乏しきを嘆け。
なんじの心に審判の満ちたるを嘆け。
なんじの心に虚偽の満ちたるを嘆け。
働きを惜しむ心を嘆け。
真理がなんじの心のうちに未だ顕われざるを嘆け。
本物を覆い隠す泥棒のみ
主人公の顔をしてなんじのうちに幅を利かせてい
ることを嘆け。
なんじの物質精神を嘆け。
「本当の汝」はいずこにいるぞ。

それでもなんじは「真理」を悟ったというか。

『生命の實相』を読んだというか。

いな、いな、いな、断じて。

――――――――――――――――――――――――――――――

1120ハマナス:2012/02/15(水) 14:16:13 ID:u5mC.eb2
神の子の皆さま、ありがとうございます。
今日も素晴らしい一日でありますように。

   二月一五日 卑怯を捨てる日 (『光明道中記』P.57より謹写)
  
自己弁解したい心は卑怯なる潜在意識の作用(はたらき)であって、
  多くの人を病気にしている。 (『生命の實相』第四巻)
 
同情を求めたい心は病気を招き、不幸を招(よ)び寄せる。
 みずからを弁護したい心は弱者の心である。それは既に弱き心であるが故に
肉体も傷き、病気に罹(かか)る。それは既に病気の心であるが故に、そんな
心の持ち主が病気に罹り易いのは当然である。すべてを受けると云う心の中には、
全てに対抗するだけの強い自覚がある。すべてを受ける心になったとき病気が治り
易いは、すべてを受ける心は既に強い心であるからである。

 「お前がこんなことをしたからこんな結果になった」とは、家庭でも会社でも
よくあり勝ちな争いの原因である。そんな罪を押し附けられたら、進んで罪を
自分に引き受けようと思っていてすらも反抗的に「私にそんな責任はありません」
と言いたくなる。

彼が「失敗(しま)った」と思っている時、なお追及するのは武士の情けを知らぬ
ものである。彼が「失敗った」と思って悔恨の情にかられているとき、「君が悪い
のでは無い、私が悪いのだ」と他から言われたならば、その人は何ぼう感激して
善に復帰するだろう。

1121八百比丘尼:2012/02/15(水) 14:56:32 ID:j8iOdie.
あっ、「訊け」さまが戻ってらしたわ。良かった。
昨日の彼のブログには、義春さんやかぴばらさま始め、沢山の
ファンからの暖かいメッセージがあって、とてもうれしく
拝見しました。
愛とチョコレートの海で溺れる夢を見ましたか?

何があっても、めげない強い子、良い子。
鉄は叩かれ鍛えられて、名刀になるのです。



     ーー鈴夜 居眠り狂四郎(田村正和よりGACKT似)ーー

《 福山キケハル殿、おぬしに恨みはござらぬが、
  世の中のモテぬ男たちからの依頼にて、斬らせてもらう。

  フッ、フッ、フッ、今宵も妖刀、無想正宗が血を求めておるわ。
  円月殺法、受けてみよ!

  キケハル「居眠り狂四郎、円月殺法破れたり!」

  なに!? ああ、そ、それは・・・・・・・・。
  奥義『浄円月観』

「天地一切の創造主にましまして、吾が生みの御親にまします神よ、あなたの無限の愛を吾に流れ入らしめ給いて、吾に於いて愛の霊光燦然と輝き給いて、すべての人々の罪を赦し、すべての人々を愛したまえ。

神の無限の愛吾に流れ入りたまいて吾に於いて愛の霊光燦然と輝きたまう。
吾れに浄円月の雰囲気ただよう。吾に浄円月ただよう。
吾れに於いて愛の霊光燦然と輝きたまう。
吾が雰囲気は、やわらかく、あたたかく、清く、うるわし。すべての人々に平和と喜びとを与え、すべての人々の罪を赦し、すべての人々を愛するのである。」

 む、無念じゃ。
 愛とチョコレートの海に負けた・・・・・・・。

 あたた、居眠りしながら刀振り回したら、 大事なヒゲ切っちゃった。 》

1122「訊け」管理人:2012/02/15(水) 15:35:33 ID:???
>ニャンコ先生

 せ、先輩・・・・


        r────────────、
       ./ |__ .-::~ ̄~^γ'^~ ̄~ヽ、___/|
       / γ::::::::.. _ ..:::::::::::::::::::::::::ヽ  / .l
      ./ /( /  / ./ ヽ/ /三  )i  / ./
     / / ト..: ̄.:. ̄..:::::::::::::::::::::/,.ノ ./ ./
     / /  ヾ、..::::::::::::::::::::::::_;::/./ / ./
    ./ /   ヾ、::__;;;::.-::'^ ,./   / ./
   / /     ヾl_;;;::.- '^~    ./ ./
   i ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~i ./
   |_____________,l/

 しょーがねーなー。もらっといてやるか。


 ・・・てなセリフを来世で吐きたい、「訊け」管理人です。「シャッチョ
ー!チョコあげる!!」という女子はたくさんいるんですが、なぜか(キャ
バ嬢)営業メールばかりです。モテモテ男はツライですが、こういうモテか
たは微妙ですね。それに、義理チョコもらうために一時間¥5,000の店に
は行けません。なにせ現内閣は、あの「どじょう」であります。で、今年は
●個という、過去最低記録。しかも「嫁さん」「お義母さん」含むでの●個
という・・・(中略)・・・でも、娘がくれたから、いいの(笑)

 ・・・・で、過去の栄光話など。
 いやー、たしかに学生時代はモテました。しかしモテたと云ってもこれ、
チョコ数で云えば、16個というモテ方であります。ええ、非常に 微 妙 
な 数 です。まあそれでもこの私、学内はおろか、年上のOLお姉さまなんか
からもチョコを頂戴しまして、まあ「 東 京 最 高 」な青春時代であり
ました。
 しかし私の場合、努力して「これ」です。世の中にはハナッカラ、チョコの
数など数えない、とんでもレベルのモテ男なんてのもおりまして、そんな奴は
「はあ?」てなもんです。私のように「16個もらったー!!!イエーイ!!
!」てな騒ぎ方をしている奴は・・・(中略)・・・ちなみに、フェリス女学
院の彼女からは、チョコ、届きませんでした(笑)・・・・・あっ!トラウマ
で今、吐きそうになった(笑)

追伸

 義春の件です。チョコと縁遠いかの非イケメンですが・・・・さっそく弊ブ
ログ内で女子大生をナンパしております。しかも私への挨拶なしで、「リサさ
ーん」てな感じのアプローチです(笑)ああ、非イケメン全開ではないですか
。もう、とんでもない奴ですので女子の皆さんはご注意を。

>義春

 女子大生リサちゃんが、オレのブログに来なくなったらオマエのセイ(笑)

1123志恩:2012/02/15(水) 15:37:04 ID:.QY5jUA6
訊け君

久しぶりですね。
訊け君のおっしゃりたい気持ちは、わかりましたよ。
閣下は、昔から、「実相独在」を貫いて、いきてこられましたお方です。法燈継承の件も、おっしゃりたいことは、わかっております。
ahopeさまも、ハマナスさまも、真理のコトバを書き込まれて、閣下と訊け君に、同意の意見を示されたことは、理解しました。

本来の生長の家の『教え』は、個人として考える場合は、その通りですが、
公である、現総裁のことも、実相を観て、見守り続けましょう、というメッセージですよね。

私は、この掲示板では、最初から、極少数派の存在でしたから、仕方ありません。
ほんとのこと言えば、むしろ、私の方が、間違っていたなぁ、、で、終わりたいです。

総裁が、潔く裁判での負けを、くやしいでしょうけれど、認めて、兄弟と和解し、新編生命に実相も、こころを大きく開いて、組織として使うことにしたり、
などなどの、話し合いに応じ、本流と和解してくださるのが、一番望ましい事です。そうすれば、森のオフィスの件も、応援が得られる気がしています。

あとは、いつも言うように、ここをご覧の皆様のご判断に、委ねます。

訊け君、
いまさっき、山ちゃん1952さまの、ブログを拝見しましたら、
「耿耿の言」のこと、山ちゃんが、私宛のコメントを、ブログに書いてくださっていました。
 
生長の家本流”青年”掲示板のほうへ、昨年の6/11に、この「耿耿の言」という題の記事を、山ちゃん1952さまが、書き込みされてたということなので、
今、そちらへ行って、見て来ましたよ、たしかに載っていました。
私は、不覚にも”青年”掲示板のほうは、見てなくて、知りませんでした。山ちゃん1952さま、失礼しました。

青い三角定規が,昔、歌ってヒットした「君の祖国(くに)を」は、覚えています。
昔の曲は、ゆったりしてて、セピア色の佳き時代や、郷愁を感じるいい曲が、多いですね。

1124うのはな:2012/02/15(水) 15:43:48 ID:El6gIMAw
生命の實相本の広域流布だといっては周囲を騒がせ、次は右肩あがりの世代と
ちがって、いまどきの人はこの値段は高いだとか、いったいこの人はなんだろうかと
おもいました。

 色々事情があるのは仕方がないことですが、たぶん1600円が高いという人は
1000円になっても買わないと思います。

1125志恩:2012/02/15(水) 15:46:00 ID:.QY5jUA6
あらら、

ママも鈴夜ちゃんも、愛とチョコレートの海に、よわいからねぇ。また、溺れちゃったの?
昔から、愛と、おいしいものに、ふたりとも(一人+一匹)目がないから、
そうやって、すぐに、溺れちまうのよ。

1126うのはな:2012/02/15(水) 15:48:13 ID:El6gIMAw

 ハラスメントが入ったようなのでここは失礼します。

1127志恩:2012/02/15(水) 15:55:27 ID:.QY5jUA6
うのはなさん

ご意見に、同意します。
ちなみに、ケチ付ける人は、800円に値下げしても買わないかもね。
私は1600円でも、今後も買います。

そのお値段の、数千倍以上の価値、ありま〜す。
とにかく読み易いですから、ここをご覧のみなさま、どうぞ、
買ってくださいね。

「新編 生命の實相」のことです。
本屋さん、光明思想社、アマゾンコムでも、買えます。

1128SAKURA:2012/02/15(水) 16:13:17 ID:b5yt5Rk.
皆様へ…
昨日の「バレンタインデ−」続編でしょうか・・・?
此処の【お部屋】…話題豊富のようで〜〜〜すネ?
楽しく〜〜ルン〜〜ルン〜〜♫ 「拝読」

「眠れる森…??」から目覚めまして…本日の「神様からの啓示」…
投稿させていただきます〜〜〜〜〜ネ??
                      再合掌

1129SAKURA:2012/02/15(水) 16:14:25 ID:b5yt5Rk.
トキ様 へ
皆さま へ

【栄える生活365章】
      ■自己のうちに一切がある

現象的には時間の流れに於て、そして空間的ひろがりに於て、一切のものは現れ、
行われるのであるけれども、実在の世界に於ては時間空間を超越して其処に既に
「完全なるもの」があるのである。
実在の世界は、空間を超越しているから、縦横厚みの広がりを超越して
「無空間」とも謂い得るが、「無限次元」とも謂い得るのであって、
縦横厚みの三次元に見える空間は、無限の次元のうちから、感覚器官が、
ただ縦横厚みだけを捉え得ただけであって、残る「無限の次元」は
感覚器官が捉え得なかっただけだとも謂い得る。
その無空間又は無限次元の世界に於ては、自己の内に「無」があり、
同時に自己の内に「無限次元」があるのであるから、
自己の想うことは同時に「無限次元」が想うことであるのである。
まことに「われ祈れば天地応え、われ動けば宇宙動く」である。
自己が悟ることは全人類が悟ることである。
地上に戦争が絶えないのは皆自分がわるいのである。
                           (谷口雅春著)
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今日は【三次元の世界…!時間空間…縦横の厚み…】>三界唯心所現…

今の「生長の家」は、まさのにその様にも思えます…。
「実相…」では起きない“問題点”其処に“ゆがみ・歪”が出てくる…何故?
“信者・職員・幹部達…の考え方”が?それは“ゆがみ・歪”に見えてくるのカモ

以前、私はいつも想うのですが…何故?
今は亡き2代目総裁先生清澄先生がご生存中“本部の補修工事”を
しなかったのですか?更に!
【第1期のかなりの優秀な信者】が離散……?

私が高校の頃は、私の周辺部は「生長の家の信者」が多かったのです…。
更に!熱心な信者が当時【市が合併する前迄は○○区…】でした…
区の中心の駅に…道場!!しかも当時と致しましては
“コンクリート建ての2階建て”!立派な“モノ”でしたが……!!!!
その頃は、小学校??4〜6年位??でしたでしょうか…?
「中学の夏休み」に、なりますと…必ず!「早朝行事…」がありまして参加!!
このように、熱心に【信仰=真理=哲学】学んでおりましたが…?(理解度は個々?)
その頃の信者…“私達の世代”は、今は何をしているのでしょうか…??
「雅春先生」が亡くなってから、その後の私達の仲間は離れていましたが…??
その頃の「熱心な信者」は何処へ〜〜〜何処へ〜〜〜♫
私の近所のお兄さんは、今現在!世界中のひのき舞台で活躍中です…。

                 <続く>         No.1


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