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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

795うのはな:2012/02/20(月) 20:54:50 ID:El6gIMAw
 政策ごとに分かれていない日本の政党

 今日のリベラルを、アメリカ的味つけを中心に、「反権威主義、個人単位の近代主義的性格、
それゆえの伝統から自由な社会的価値観を有する、強権的な政治手法を好まない、適切に介入する
公正な国家を重視する立場」と性格づけたとき、日本にはそうした立ち位置を持つ政治家は、
自民党にもかなり、民主党には相当数、社民党はほとんど、共産党には一部、そしてみんなの党にはごく少数、
公明党にも少なからずいることになります。
まったくもって日本の政党は何のためにあるのでしょうか。
考え方の異なる人々が同じ党に属して、かなり太いところで考え方を共有している人々が別々の政党に属し、それでいて
社会的諸価値を部分的に体現する、すなわち社会の部分をなすもの、すなわちパーティ(Parties)を複数構成しているのです。

 じつはこうなるのは無理からぬところもあります。この十年の政治の流れで言えば、ひとつの政党があまりに長い間与党であったために、
日本ではとにかく「すべては政権交代のために」のかけ声とともに人々が集い、政党を育ててきたのですから(とくに民主党)、太い政策ごとの
集団づくりというよりも、古い構造に固執する既得権益保持者とそれを打破する人々というように党派が分かれた政党で政権を競うというのが理想ですが、
現実は「利権を断つためには人を代える」というところにあったのですから、しょうがありませんし、これはこれで必要なことだったのです。

今後、日本ではどのような政界・政党再編成があるかわかりませんが、もし私たちの政治の世界をまだ「リベラル」という名で示される価値が、私たちの重要な価値を
表現できる言葉であるならば、このように最低限の整理をしたうえで使っていくべきでしょう。
誤解されると困るのは、「大人はリベラルである」などとは、一言も言っていないことです。
大人なら言葉を切り分けろと言っているのです。

 静かに「政治」の話を続けよう 岡田憲治 著


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