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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
729
:
ぼるぼ
:2011/12/07(水) 17:33:25 ID:M0AaoEgg
>>725
志恩さん
戦後の日本社会はアメリカ色に染まってしまった。
この大きな歴史的流れは、日本文化伝統の破壊という悪しき側面と、経済的発展と軍事的バランス形成(平和)という好ましい側面とが、絡み合っている。
国籍までアメリカ人になった日本人も多い。志恩さんの妹さんばかりではなく、僕自身も20代の若い頃アメリカに移住を試みて全米各地を職探してみたことがあります。
それがきっかけになって帰国後、練成を受け、飛田給とのいろいろな縁が出来たのでした。
僕自身、占領下の日本で生まれ、高校を出るまで日教組教育にさらされていたので、20代までは自分が日本人であるという誇りすらどこかにおいて、自分はコスモポリタンとして生きようと思ったりしていました。
生長の家との絆は、小学校5年のときに雅春先生と徳久先生のコンビが故郷の田舎町にやってきて、3000人位が講堂に集まって、講習会が開催されたとき、僕は家族と一緒に聞きに行ったことがあった位でした。
ケネディ(J.F.K)がダラスで暗殺されたときは、中学生だったけれど、その瞬間、僕は強烈な霊的衝撃を受けた記憶があります。
その衝撃は、自分が殺されたという衝撃に近く、意識が飛ぶようなものでありました。翌朝の新聞を見て、一面トップでケネディ暗殺の事実を初めて知って、自分の感受した霊的衝撃の意味を納得した。
ちなみに、僕の誕生日とJ.F.Kの誕生日は同じなのも不思議な因縁です。
前置きが長くなりましたが、今回書きたかったことは、アメリカのことではなく、ミャンマー(ビルマ)のことです。
東南アジアには、今でも沢山の大日本帝国軍人の遺骨が未回収で放置されてあります。
最近、クリントン国務長官がミャンマーにいって、アウンサン・スーチーさんと抱擁したりして、衆目の的になっている。
これまでま軍事独裁だとか、中共寄りだとかいってあまり関心を寄せなかったのが、潮目が変わった。
ミャンマーは今後の日本にとって、大切な場所であることが再認識されることとなった。
ミャンマー注目しよう:
http://www.youtube.com/user/SakuraSoTV?gl=JP&hl=ja
#p/u/35/KdLPtNW5B_A
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