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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

724神の子さん:2011/12/06(火) 21:52:46 ID:???
ご参考にしてください。


 凡そ形あるものは、内在の『形なき形』 ― 理念的存在の具象化せるものである。日本が皇統連綿二千六百余年の光栄ある歴史を存続せしめ得たのは、唯偶然の所産ではないのであって、日本民族に内在する民族理念が、終始一貫『中心』をもとめ、
その『中心』に帰趨し還帰し復元しそこより再び出発して其処に復るところの生命の中心本体を礼拝帰一せずにはおられないところの其の本然性の然らしむるところであるのである。

 斯く、中心者をもとめ、それに礼拝帰一せんとの本然性を、単なる封建性であると考えることは間違いである。事物にはすべて中心がある。中心者の前には容易にひれ伏す素直な心情こそ、日本人に与えられる純情なる幼な児の如き、『神への帰一の心』
 ― 宗教心の発露であって、日本人の忠誠心は此の心の現われの一つであるのである。そしてその生命の必然的礼拝の対象者として吾々の心の中に内在する理念的実在が『天皇なるもの』であらせられるのである。

 歴代の天皇はその理念の表現として具体的天皇であらせられた。そしてその具体的天皇は常に必ずしも理想的天皇の状態をあらわし給うとは限らないのであって、その時代の国民の精神状態が反映して理念の完全なる天皇にも色々の影が反映したのである。

 かくて古事記にも必ずしも完璧なる天皇の御状態みが書いてあるのではない。武烈天皇の如き天皇も歴代のうちには描かれているのである。具体的現象の天皇が如何に不完全であらせられようとも、天皇に就いて日本民族は失望したことはないのである。
現象の状態が如何にあろうとも本当の天皇は理念の世界に理念的完全の天皇として日本民族の心の中にあるのである。

 永遠に完全でまします天皇 ― 吾々の心の中には斯くの如き理念が存在して、それにすべての細胞的存在なる臣民の理念が奉仕しているのである ― 斯くの如き、有機的生命的世界観 ― 日本民族に於ける中心への還帰帰一の心、
忠誠心があるのが欠点なのではない。この心を利用して自己の幕府的存在の野心を満足せしめようとした重臣的、又は軍閥的、将軍的存在が理念の完璧なる天皇の真象の顕現を隠覆して、その聖明を蒙まし奉ったのである。

 それは日蝕に於ける表面の暗黒的存在が、太陽そのものにあるのではなくして、地球みずからの影であるが如くである。かくて、日蝕について太陽それ自体を犯罪者として非難する如きは愚かなることであって、
地球みずからが懺悔し反省しなければならないと同じように、国家の重臣、軍閥、将軍家的存在が、天皇の『久遠神聖の理念』の顕現を曇らし奉ったことについて真に深き懺悔を必要とするのである。


  『大和の国 日本』 89〜90頁


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