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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

661初心者:2011/12/01(木) 20:55:11 ID:X1fDhvjY
訊けさま

今のこの流れのなかで、「神の意思」という反証不可能な超越項を持ち出されます
のは、アリエナイザーな話となるのでありますが、かりにそれを認めるとしても、言葉
が先か、思いが先かの問題は解決されてはおりません。「神の意思」が第1である
として、では2番目は言葉であるのか、それとも人の思いであるのか、の問題が
のこります。

ここでの問いかけは、「イヌ」という言葉があって、それから「犬」と呼ばれる動物が
あらわれてきたのか、それとも、「犬」らしき動物がまず最初に存在して、それを見た
人間が「イヌ」という名称をつけたのか、という問題であります。後者であれば、それが
「言語名称目録観」となります。はたして生長の家はどちらの立場であるのか。これを
問うているのであります。

さらにいえば、善とは何か、の問題は未解決のままであります。

あまりにしつこいと嫌われますので、訊けさまとの対話は、このあたりで打ち切ること
にいたします。

ところで、以下は雑談であります。

“Englishman In New York”といって思いだされる人物のひとりが、クウェンティン・クリスプという英国人であります。クリスプは、おそらくは、ロラン・バルトがそうであった
ように、幼少のころから、女装の大好きな男の子であったようであります。

クウェンティン・クリスプの子供ころの夢は、「慢性病患者になること」で、その夢を
実現し、慢性病患者として長く生きていたようでもあります(このあたりの事情に
つきましては、日本教文社から出ております、バーニー・シーゲル著『奇跡的治癒とは
なにか』で紹介されているはずであります)。

クウェンティン・クリスプが、「健康でありたい」と願わずに「慢性病患者でありたい」と
願ったのは、なぜなのでありましょう。クリスプは、クリスプ自身の本質が「慢性病」で
あることを知っていたからなのでありましょうか。おそらく、そうではないでありましょう。

「健康でありたい」と願ったからといって、それが、人間の本質が健康にあるとの証拠
になるはずがありません。健康であるほうがより多くの欲望を実現できる。だからこそ
人は、「健康でありたい」と願うのではありませんか。クリスプが「慢性病患者でありた
い」と願ったのは、今でいう性同一性障害をかかえたクウェンティン・クリスプに
とって、そのほうが生存に有利であるとおもわれたからにちがいありません。慢性病
であることが生存に有利であれば、人は躊躇することなく慢性病患者であることを
願うはずであります。

スティングの代表曲“Englishman In New York”であります。最初にCMが入ること
がありますが、聴きごたえのある名曲であります。

http://www.youtube.com/watch?v=d27gTrPPAyk&ob=av3e

途中で登場する老婦人は、クウェンティン・クリスプなのでありましょうか?


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