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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

660「訊け」管理人:2011/12/01(木) 18:49:21 ID:UodBcqiE

>校長殿(つづき)

『叡智の断片』より――

魂の切なる願いは、かならずかなえられる。
というよりも、
既にそのことがかなえられているが故に、
それが切実な欲求となって
あらわれるのであるとも言える。



『真理』第4巻青年編 52項より――

 神は決して神の子なる人間を苦しみの世界に、悩みの世界に、窮乏の世界に放置して喜んで居られるような方ではないのであります。吾々の願いは必ず成就するようになっている。何故なら吾々の魂の奥底なる願いは、神が植え付けた天命でありますから、神が「汝、これを為せ」と至上命令として、使命として、そこへ植え付けたものだからであります。吾々が神の植え付けた天命の通りその使命を遂行するとき、成就しないと云うことはないのであります。光明思想の最も中心となっているところの真理は、

「吾々が心の奥底から欲するところのものは、既にそれが成就している」
と云うことであります。

 いつも私は喩えを以て申しますが、もし読者のうち煙草を吸いたいと云う人があったなら、その人は既に煙草を喫み済みの人であると云うことであります。煙草喫み済みの人以外の人が、煙草を吸いたいと云う事はないのであります。吾々に、もし無限の富を追求する心が起るなら、その人は既に無限の富を持ち済みの人であります。吾々は誰でも肉体が死ぬにしても、永遠の生命を欲する ー ところが此の論理で行きますと、永遠の生命を魂の底から欲するのは既にその人が永遠の生命を持ち済みの人だと云うことになるのであります。吾々が「救われたい」と心の底から切実に思うのは、既に「救われている」からだと云う事になるのであります。
「噂をすれば、影とやら」と云う諺があります。ある人の噂をしていたらそこに偶々その人がやって来ると云う事実がよくあるのであります。これは、その人の噂をすると云うことは、その人が此方の人に会いたいと思って途中まで肉体は来ている頃には其の人の心の方は先着している。既にその人の心の波が到着して此方の人の頭脳に或る感応を与えているから、其の人のことを感じて思い出して噂を始めるのであります。即ち、まだ形にあらわれていないでも、思い出すのは既に心の方では「成就している」からであります。
 吾々が「仏になりたい」と思うのは、既に仏の生命が宿って「はじめから仏である」から仏になりたいと思うのであります。また吾々が健康になりたいと思うのは、初めから人間の生命は完全健康であるから、健康になりたいと思うのであります。もし病気が人間本来の相(すがた)ならば、健康になりたいなどとは思わないに違いありません。セッチン虫はウンコの中を泳いでいるのが本来の相であるから、決して屋敷の中へ這入りたいと思わないのであります。
 既に吾々は与えられているからこそ其れを欲しいと思うのです。すなわち吾々が求める健康も富も無限の生命も、既にあなたの内に、此処に在ると云うことなのです。これが生命の實相(ほんとのすがた)なのであります。既にあるのに外に求めるのでかえって希望が達せられないのであります。人間は既に健康であるのに、それを求めて久しく奔走している、そして疲れてかえって病気となっているのです。(中略)吾等の多くは既に無限の富を持っているのに未だその富を持てる事を知らず、徒に奔命に疲れているのであります。


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