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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
655
:
初心者
:2011/12/01(木) 12:28:45 ID:X1fDhvjY
訊けさま
これにて「終了」でありますか?
善とは何か。お答はまだだとおもいますが。
それと、言葉と思い、いったいどちらが先なのでありましょう。言葉がまずあって、
それによって思いがつくられ、その思いによって、抽象画ともいえる、混沌とした
現実世界の一部分が切り取られることで、わたくしたちが体験可能な具体的な
事物(山、川、樹木など)が立ちあらわれてくると、わたくしはこのように考えて
おります(言葉によって秩序があたえられる以前の世界は、混沌としたカオス的
世界であります)。
はじめに言葉ありき。そしてその言葉は、現実世界の事物については何も語っては
いないのでありますね(言葉が語るのは他の言葉との関係だけ)。にもかかわらず、
言葉によって思いがつくられ、その思いによってすべての事物が立ちあらわれてまい
ります。山、川、樹木などの体験可能な事物とは、そのすべてが言葉によって切り取
られ、架空されたフィクションである。ソシュール的にはこのようになると理解しており
ますが、雅春先生は、このようにはお説きになっておられないような気がいたします。
雅春先生がお説きになっておられる「言霊」とはどのようなものなのでありましょう。
「言霊」とは、どのような仕組みでどのような働きを持つものなのでありましょう。
言葉は事物(モノやコト)にたいしてつけられた名称であるとする「言語名称目論観」
を、雅春先生は説いておられるのでありましょうか。このあたりのことがらにつきまして
は、是非ともうかがっておかねばならないところであります。
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