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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

53山ちゃん1952:2011/06/27(月) 12:15:39
トキ様
京都教化部が戦後間もない頃は西日本教化部としてGHQの関係もあり分けていました。
二三年の間だけだと思っています。その為に昭和50年頃にも京都教化部の地下倉庫に戦前の本が山積みされていました。

京都には『甘露の法雨』を最初に発行した経緯もあります。戦災に遭わなかったために組織がまだ
しっかりしていた部分もあったのでしょう。

私も一時期戦後の生長の家の歴史を調べたことがあります。主に大阪中心です。ただ船越縫次郎先生(立教当時からの信者)の
伝道はすこぶるわかりやすく面白かったですね。
船越先生はカバン職人です。地方に行ってそこで商売と伝道するのですが、長崎県がどうして南と北に分かれているのだと
いうと、当初の船越先生の真理の宣布の方法でそうなったと聞いています。
仕事の関係だけではすぐに帰阪できるのですが、それよりも生長の家を熱心に取り組まれておられ
数日間の地方滞在のほとんどが真理の宣布です。
そうした諸先輩のお陰で生長の家が発展していったのですね。
また吉田清吉先生にもお会いして昔の話を聞いたことがあります。昔はそうした
伝道の姿勢が今と違います。

昨日も昔の資料を見ていたのですが、やはりそうした資料を今は見せないのです。
組織として駄目ですね。歴史があってこその生長の家ですから…


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