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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
50
:
山ちゃん1952
:2011/06/26(日) 01:14:06
トキ様
私は1番気にしているのは憶測でものを言うことです。
生政連をどうして「谷口雅春先生」が発起されたかということです。
戦後間もない頃にも自ら衆議院に参戦されようと京都で進められました。
だが時期尚早ということで断念されたと「五十年史」に記載されています。
しかし、執筆追放から思いを秘められておられました。だが昭和27年頃から
我思いの根底を揺らぐような気持ちで政治に言葉を発せられます。
だが、理事の反対にも遇いなかなか思いも伝わらなかったように感じます。
沸沸たる思いを持続させ生政連発足に漕ぎ付けられます。
だからとはいえ、雅春先生の迷いは相当です。
この最初にトキ様が指摘した
教団の過度な政治への接近は、信仰への軽視を生み出す場合もあり、次第に
部内からも批判があがるようになりました。
だが、ご存知のとおり明窓浄机の昭和50年頃には「共産党とも手を組むことも」
考えなければならない。と記載しています。だからとはいえそこだけ読むと解釈を間違えます。
当時の自民党が「生命尊重」をしない政党にウンザリしていたからです。
だから「日本再建」をしたいが、遅々として進まず「本流復活掲示板」に記載した遺言のような
遺文「耿耿の言」です。
谷口雅春先生が昭和58年5月号に寄稿された文章を掲載させていただきます。寄稿されたのは
『動向』であります。
寄稿としての文章はこれが最後の文であります。遺稿の御著書は『碧巌録解釈』がありますが、
お亡くなる二年前に書かれ、政治に対して、私たち信徒に対しての遺稿の文章だといえます。
私はこの雅春先生がどうして「耿耿」としてお書きになられたのか?何か涙が出るのです。
「耿耿」は”気にかかることがあって、心が安らかでない様。
最後まで”安らかでない気持ち”とはいかなるものか
私は「生政連」の活動停止は「雅春先生」は許可をしていないように考えます。
それは連続して「明窓浄机」を読んだ感想です。
また『動向』に寄稿された文章を読んでです。
活動停止にどのような印象があるかですが
停止しても良いが
筋道を通した行動ではなかった。議論を重ねて行うのが筋であろうと思います。
当時の大阪生政連委員長は「本部」に抗議文を提出されていました。
それは本当にまともな文面でした。
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