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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

496ぼるぼ:2011/09/25(日) 22:05:00 ID:rcrkCapE
失礼。495は、不注意による誤作動なので、トキさん、お手数ですが削除してください。

書き込むのをためらっていたんですが、この際続けます。

光が進めば闇は消える。

さくらさんと初心者さんが掲示板に書き込む意欲を喪失したという事実について、少し考えてみた。

初心者さんの場合は、自ら葛藤を愛し、變化する科学的仮説を愛し、無常と戯れることを楽しんでいた。

僕は、そういう自由もあるけれども、それは苦しみでしかなく、結果は絶望に終わることを知っていた。

僕自身も、かつて人間知である科学を万能のように愛していたからである。

しかし、科学とか、人間知の限界は、それを極め尽くした人でないと感得し得ないものである。

最先端に立った時、初めてそこから先にレールがないことを知るのである。

そのとき、百尺竿頭より、無謀にも飛ぶか、引き返して別のルートを探すか。何としてでも1センチでも前進するか。神に祈るしかない。

すると、そこに神の啓示が現れて、思いもかけない妙案が浮かぶという経験をする。

人間は、神の救いを体験する。

初心者さんも、限界までいってもらうしかない、のである。彼の自由を奪わないのは、愛である。これは放つ愛である。

葛藤を愛するなら、とことん極限まで愛してみたらいいだろう。

それと、さくらさんの場合。

生長の家のカルト対策というような、俗論を振ってこられました。

生長の家は神の指導にのみ従うのであるから、運動自体を人間知で論ずるのは間違っており、論は2の次で、先ずは信を第一にしなければならない。

論(理論、理屈)は後から付いてくるものであります。

神の運動を論じる、という転倒妄想を砕破しなければなりません。


お自由


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