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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
411
:
山ちゃん1952
:2011/08/28(日) 09:28:20 ID:VYuJjPQo
この掲示板は生政連関連ですが、やはり経験された人は少なく維持をしていくのは大変
だと思います。
また、生政連の歴史といっても『生長の家五十年史』の絶版などそれを伝えるものは
残っていません。経験者とはいえども少なくなっています。
もはや書き残すことさえも難しいとさえ思っています。
さて、生政連活動の処置はどのようにして行われたのかご存知でしょうか?
私は聞き及ぶには『一片の通牒』にて全国の生政連支部に配布されたのは事実であります
、そうした大切な事柄を『一片の通牒』にて片付けていいのだろうか?
ある幹部の生政連活動停止に関する寂寞の思いが認められた文章を持っています。
全てはここで書くことは出来ません。
だが、各支部の委員長の思いを総括しているように思います。
『一片の通牒ですむことであろうか』
昭和58年7月 徳久理事長から5者並びに組織外の生政連委員長に一片の極めて内容の重要な
通牒が到着した。
それは今回の優生保護法改正並びに比例代表制参院選の何れもが不成功に終わった事に対する
生政連幹部の引責辞任と当分の間、生政連運動を停止せよとの将に驚くべき内容で
あった。
勿論、生政連中央部幹部が多くの純粋な信徒を鞭打ち、署名運動に相次いで前後二回も強行
せしめ、それが失敗した故の責任をとられたとは判らぬではないが、茲で冷静に事例の
経過を顧み、生長の家の今後の発展について、私なりの意見を具申したいので最後まで
お読み頂きたいとの事である。
優生保護法改正運動は前回も失敗している。その後、私が委員長に就任に就任した時、
某在県幹部の一人は、「この運動は選挙にはプラスにならぬから 本部が言って来ても適当に
聞き流す」ことだよと承ったのである。
昨年(昭和57年)再びこの運動再開が強力に要請され、信徒一同もお上の命とあればと
全力を傾注し炎熱の太陽の下、額に汗し、又寒風吹きすさぶ街頭に寒さに耐え、割当責任
を満たすべく、真に涙ぐましい努力が展開されたのである。
しかし不幸なことには鈴木善幸氏は政局担当の自信を喪失し無責任にも辞任、
折角盛上った運動も森下厚生大臣の辞任のために情勢は一変するに至った。
更に反対派の運動は燎原の火の燃ゆるが如くに広がり、自民党内部の調整つかず
遂に今日では棚上げの状態となっている。
生政連幹部としては止む得ぬことであったと私は思っている。
森下厚生大臣が今少し長く在任しておられれば、何ととか所期の目的は達成されたのでは
ではなかろうか。
(次に続く)
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