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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
2015
:
トキ
:2015/09/10(木) 22:34:57 ID:aLajdHuA
>>2014
その後、アチソンは念のために本国の国務省に日本国憲法改正の方針について、確認を取っています。
本国からは天皇制を廃止した場合と維持した場合の両方の場合について、方針を回答してきました。
それに基づいて、「SWNCC228号指令」といわれるものができました。
SWNCCは、アメリカの国務省、陸軍省、海軍省の調整員会で、当時、スウィンクとかスワンクとか
呼ばれていました。(「占領史録」 第3巻 憲法制定経過 江藤淳責任編集 p14 )
長くなるので割愛しますが、基本的には大きな方針の差はありませんでした。
この回答について、マッカーサー司令部では日本側に開示しない方針をとりました。しかし、近衛文麿
元首相はこの方針も知り、これを憲法改正の作業に取り入れたのです。
少し脱線します。以下は雑感です。
憲法改正について調べていますが、なかなか奥が深い話しで、ちょっと奥が深いです。
最初は一月もあれば終わると思っていたのですが、かなり先になりそうです。
客観性を持たせるため、あえて生長の家の本以外から調べています。だから、読むのに時間がかかり
ます。
と、同時に、今日の日本の政治の問題の根源がかなりの部分、この憲法改正の経過を見るとわかる部分
があるので、興味深いです。
これも予断ですが、今日議論になっている安全保障法案についても、憲法9条の制定の経過を見る
と日本側、アメリカ側の双方の関係者のほぼ全員が、将来、問題になり得るだろう、と発言をしています。
また、GHQ内部の会議で、日本国憲法が「国会が国権の最高機関」としていることについて、比較政治学
を専攻した学者出身の将校が、「この規定では、日本の政治が混迷する。実際、戦前のフランスが同じ規定
を置いて失敗をしている」と発言をし、その内容が説得力があったために、強制的に休暇を命じられ、憲法
制定作業から外されたことがありました。これも、戦後の政治の実際を見ると、興味深いことになります。
それと、これもかなり先になりますが、憲法改正の最終の手続きで、美濃部達吉博士、佐々木惣一博士
が、堂々と公式の場で、「この憲法は占領軍の押し付けであり無効である。確かに憲法改正の必要はある
が、このような経過での改正は認めるべきではない」と発言をし、実際にそれぞれ枢密院と貴族院では
憲法改正に反対の立場で投票をしています。
言うまでもないですが、美濃部達吉博士は天皇機関説事件で、佐々木惣一博士は滝川事件で戦前、
政府と職を賭して抵抗した人物です。この二人が、帝国憲法復元と改正を唱えたことは、憲法関係者に
とってはかなり都合が悪い事実なのか、現在の憲法の学者が言いたがらないらしく、あまり知られてい
ません。これは憶測ですが、佐々木惣一博士の弟子で憲法制定の作業に関わった大石義雄先生(京都
大学名誉教授)は生長の家とは関係が深く、谷口雅春先生を賞賛される言葉も書かれています。
谷口雅春先生は、おそらく大石義雄先生から、日本国憲法制定の過程や問題点を詳細に話を聞かれ、
それがある程度の影響を与えたのではないか、と想像しています。
谷口雅春先生が言われた「帝国憲法の復元・改正」というのは、今日、知らない人が見ると、「復元」
という言葉だけから、おそるべきアナクロニズムという響きがあります。逆に、かなり過激な解釈をす
る人の中には、昭和10年から20年の頃の日本を全面肯定するような解釈の論拠にする人もいます。
まだ、調査の途中ですが、私はその双方とも違う印象はもっています。
(つづく)
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