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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

1787アクエリアン:2012/11/18(日) 21:22:41 ID:wB.eNS/M
氏が檄文のなかで「生命尊重以上の価値」と いい、この価値の所在を、今こそ見せてやるの だと叫んだのは、畢竟してこの天皇の歴代だつ たのである。それが歴史の骨髄であり、伝統の 中心である。これを骨抜きにしてしま憲法に体 をぶつけて死ぬというのだ。 氏において、いのちにかえて護るべき最も重 大なものは、天皇なるものであつた。憲法は天 皇を中心とするわが国体を護るべきものである 。国体あっての憲法であるべきで、憲法あって の国体であるべきではない。それゆえに、三島 氏は憲法以前の国体の究明に全力を傾け、それ が作品にも論文に表現れている。従って憲法自 体に関する論策のまとまつたものは著作のほか にない。わずかに楯の会のなかに憲法研究のグ ループを作り、そのグループに.与えた、「憲 法に関する間題提起」と題する論文が未公開の ままに残っただけである。

いま筆者は、これに基いて三島氏の現憲法の 批判を解説し、その真意にふれようと試みてい るのであるが、原文を引用しての試論は、雑誌 『浪曼』の昨年十二月号に発表したので、あれ を併せて参照されることを切望する。 わがいのちに貫流する日本なるもの、その中 心である天皇なるもの、それが三島氏における 憲法論の中心であったことは、もはや疑う余地 がない。 この意味における天皇の歴代と、いのちを積み かさねて天皇を護りいまだ一度も断絶させなか った我らの父祖の志とが、現憲法によって抹殺 されたことは、天を仰ぎ地に伏して慟哭せざる を得ない民族の一大悲惨事である。しかし、天 皇の存在そのものは、征夷大将軍のカを以てし ても否定できなかったように、占領軍司令官の 力を以てしても完全に抹殺することはできなか ったのだ。 力を以て奪ったものは、力によって奪われる 。天皇の存在が権カの圏外にあるため、いかな る権カもこれを全面的に抹殺することはできな かったのだ。憲法の第一章がおぼろげながら日 本の伝統を残しているのはそのためである。三 島氏はこの第一章の性格を的確に認めていた。 然るに、第二章には日本は全く存在しない。 存在するのば国籍不明の未来志向的な理想主義 だけである。それは煎じ詰めると人命尊重のヒ ューマニズムだけになる。

一章と二章とは、一条と二条が融け合わない ように、永久に調和しない。一方におぼろげな 国の伝統があり、他方に国籍不明の妖しいヒュ ーマニズムがあるのだ。国民はいずれに忠誠の 焦点を置くべきであるか。現憲法では、国家意 志の所在が不明であるから、この二つは永久に 闘わねばならない。 『文化防衛論』、『行動学入門』、『若きサ ムライのために』、『尚武のこころ』、谷口雅 春先生著『占領憲法下の日本』に寄せた序文等 には、この永久の不統一を仕組んだ日本の再起 不能の陰険なたくらみに対する歯噛が随処に見 られる。 歯噛みする氏の純粋な魂は、おおよそ文章を 解するほどの人には疑う余地がない。さればこ そ、あの市ヶ谷の事件直後から、国籍不明のヒ ューマニストたちが、寄ってたがって三島の動 機を不純にしようと徒労な努力をしてきたので ある。

続く


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