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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

1785アクエリアン:2012/11/18(日) 21:11:52 ID:hIJRxoBg
理想世界誌昭和49年一月号に、田中忠雄先生 の「現憲法下の天皇 三島由紀夫はこう考えて いた」という烈々たる憂国の情溢れる文章が掲 載されました。
かつては、このような読みごたえのある論文が、理想世界誌に掲載されていたのですね。
隔世の感が、します。
11月25日が、近づき、
憲法問題を考えるために貴重な文章ですので、この掲示板にも転載させてもらいます。

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現憲法は目本及び日本民族の内部から生れたも のでなく、それとは全く無関係に外部から与え られたものである。 三島由紀夫氏によると、この憲法は作りあげ られたあとで、ゆくゆくは自発的なものだと次 の世代の人々が思い込むように、教育のカで仕 向けて行くということを前提としたものである 。つまり、教育によって自発性の擬制を作りあ げようというのだ。むろん、擬制はどこまでも 擬制で、自発的であるかのように見えて、じつ は自発的でないものであるはかはない。 ここまで三島氏は言い切っているので、氏が 現憲法を一種の偽憲法と考えていたことは明ら かである。 氏によると、明治憲法はヨーロッパ系の憲法 概念を移入したものに相違ないけれども、それ を日本及び日本民旅の伝統に調和させようと、 当時で出来るかぎりの努力を傾けて成った一種 の芸術作品であった。 氏が芸術作品と言ったのは、民族として感動 するたけの格調と気品を備えていたという意味 であろう。 しかるに現憲法は、制定のいきさつが明かに なるにつれて、い.よいよ確実に立証されたよ うに、銃剣を背景にしたおどしによってせき立 てられ、あわてて作られたもので、その文体は 本来の日本語とは似もやらぬ直訳まがいの醜悪 概まるもので、読む者をして嘔吐を催させる。 本来の日本とは何の関係もない思想を、木に竹 を継いだように移したものであるから、醜悪な 直訳まがいにならざるを得なかったのだ。文章 はどうでもよろしいといい、内容さえよけれぱ などというのは、文化的に痴呆症であり、精神 的に不感症である。

三島氏は敗戦後日本に「革命」が起ったとは 考えていない。現憲法は単に占領期間中の基本 法にすぎないものであた。それが今日まで生き ながらえているのは、国際政治のカ関係で政治 的に押しつけられ、そのカ関係が今もなおつづ いているからである。つまり、安保条約があっ ての現憲法という性格である。すなわち現憲法 と安保とは一セットになっているのだと氏はい う。わかりやすくいえば、安保がなくて何の平 和憲法ぞやという意味であろう。安保がないな ら、現憲法下の日本はやがて侵略を受けて滅亡 するのである。 この見方から当然出てくる帰結は、もしアメ リカからの解放を主張するなら、必然的に現憲 法も安保も共に否定しなくてはならない。今日 の日本の左翼諸政党が平和憲法には賛成、安保 には反対というのは、矛盾である。平和憲法に 賛成なら、安保にも賛成でなくては辻棲が合わ ない。またもし、安保に反対なら、平和憲法に も反対でなくてはならない。氏がこのように考 えたのは、諸国の好意にすがって戦争を放棄す ると憲法の前文にあるのは、具体的にはアメリ カのカに信頼してという意味よりほかに解釈の 仕様がないというのであろう。 一方、自民党は一時は憲法改正の方向へ進も うとしたが、憲法改正・安保賛成では首尾一貫 しないので、いまでは平和憲法にも賛成・安保 にも賛成という立場に安住したがっている。 こうなると、お仕着せの平和を安保で護って もらうのだから、日本の国家目的はただ一つ「 仕合せ国家」になることだけになる。三島氏自 刃以後になって、このことは一層明確になって きた。日本には、もはや福祉価値の追求よりほ かには何の目標もないかのごとくである。 但し、福祉だけを求める国家は、外国がすべ て信義を重んじ平和を愛好するという幻影の上 に成り立つ。このように考えてくると、三島氏 亡きあとの日本は、いよいよ幻影国家の度合い を深めてきたと思われる。四次防を辛うじて成 立させたのは、これまた国際的力関係に多少の ひずみが生じたからにすぎぬと見られる。日本 が福祉だけを追求する国であるかぎりは、そう 見ざるを得ないのである。

続く


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