したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

生長の家政治連合と「今の教え」を考える

1772天の使い:2012/11/11(日) 20:54:10 ID:???
石原慎太郎もまた戦後体制内のヒーローでしかない

「言志」4号巻頭言(水島総)から一部コピペ:

  俳人松尾芭蕉の弟子其角の『枯尾花』に、


旅に病(やん)で 夢は枯野を かけ廻(めぐ)る 芭蕉



 ただ壁をへだてて命運を祈る声の耳に入りけるにや、心細き夢のさめたるはとて、旅に病で夢は枯野をかけ廻る。また、枯野を廻るゆめ心、ともせばやともうされしが、是さへ妄執ながら、風雅の上に死ん身の道を切に思ふ也、と悔まれし。8日の夜の吟なり。


 と、芭蕉の臨終近き様子がつづられている。遺句となった「旅に病で」の句は、芸術に終りがないことを芭蕉自身が強く自覚しながら、それでも、妄執のように、作句を続けようとする芭蕉の凄まじく、ひたむきな姿が胸を打つ。
 石原慎太郎都知事が辞任を表明した10月25日、テレビでその記者会見を見ながら、この芭蕉最後の一句を思い出した。石原氏はすでに齢80、ほぼ日本人男性の平均寿命に達している。その男が都知事の職を放り出し、尖閣問題も放り出し、国政復帰を宣言した。芥川賞作家から政界に身を投じ、十数年前には国政に絶望したとして、都知事となって地方から国を変えることを宣言して、そして、今回は地方から国を変えることを断念し、再び国政に復帰することを宣言したのである。
 文学者としての道を捨て、政治行動に起ち上がり、挫折し、息子の自民党総裁就任への夢も断たれ、それでも政治への執念を捨てず、再度起ち上がる石原氏の姿には、胸を衝かれるものがある。「不屈の精神」に感動するといった類のものではない。石原慎太郎という政治家は、常に時代と戦いながらも、時代の求めるものとずれて、つまづき、一度たりとも的を射ることができなかったという印象がある。その無念さを抱えたまま、この齢に至っても、憂国の情や志の「再生産」を繰り返す、その凄まじき姿に、ある種の「物狂い」を感じ、胸を打たれるのである。その執念を、人は「憂国の情」と言ったり、「妄執」、あるいは「権力への執着」と言うだろう。いずれも正しく、しかし、それだけではないことも確かだ。私が思い出したのは、「ドン・キホーテ」(セルバンテス作)が、風車を敵だと思い、立ち向かって行く姿である。
 そして、今回の新党立ち上げは、戦後日本の「ドン・キホーテ」石原慎太郎の最終最後の戦いとなるだろう。しかし、それは「枯野をかけ廻る夢」だけで終わる可能性も強い。なぜならば、「枯野」というのは荒廃し切った戦後日本体制と言えるだろうが、この「枯野」に巣食うさまざまな「枯れ尾花」たちと一緒に「かけ廻る」ことで、展望などは拓けないからだ。石原氏は、もっと、「暴走老人」としてラジカルに暴走する必要がある。「枯れ尾花」たちを含め、枯野全体を焼き尽くす覚悟が必要なのである。それは自分自身をも、「枯れ尾花」の一つとして、焼き尽くす自己否定の強い覚悟が必要なのである。
 はっきり言って、石原氏がそこまでの覚悟を持って起ち上がったようには思えない。石原氏は「小異を残して大同につく」という言葉や「薩長連合は考えや方向も違っていても成立した」という言葉で、維新の会やみんなの党、たちあがれ日本などとの連合を想定しているようだ。おそらく、近い将来には、自民党の一部(息子グループ)や公明党、そして野田佳彦首相たち民主党(似非保守)グループも予定に入っているだろう。これは、読売新聞社代表取締役会長・主筆の渡邉恒雄氏の提唱した「大連立構想」とベースを同じくしている。その大連立上に、石原氏は自らが「総理」として君臨するという最後の政治的夢の実現を考えているのだろう。

(長文なので、以下省略)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板