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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
1584
:
うのはな
:2012/08/20(月) 12:21:09 ID:x2Rfd9Ns
上昇史観と下降史観 先祖を軽蔑させる教育
ところが歴史というものは、そういうものじゃありません。個々の人でも社会でも
民族国家でも、常に断崖絶壁を歩いているのです。間違ったら堕落して滅亡します。
そういう断崖のところに身をおいて歩いている。やり損ったら終りになります。
自然科学のように、何度もやり直して実験してみるということは絶対にできない。
およそ生命というものは、一度やったことを全く同じように繰り返すことはできません。
一度失ったものは、取りかえし得ない。教育も生命の本質にかかわるものであるから、教師が
勝手に教壇を離れて教育を放棄したら、もう再びその時間は帰ってきません。
補習をやるから取り戻せるというが、補習はじつは新しい勉強であって、もとの時間が帰ってくるのではない。
例えば、現下の日中問題でもですよ、やり損ったら日本は子供や孫の時代まで永く苦しまなければなりません。
いい加減に妥協して日中友好をやっておいて、結果がよくなければ、やり直すなどというふざけた問題ではないのです。
田中さんも大平さんも、おしゃべりばかりしていないで、「世の行くすえをつくづくと」考えていただきたい。
(拍手)われわれの子供や孫の末に至るまで苦しみ抜かなければならない。
その断壁を歩いている。それを知るや知らずや田中内閣は、ああいうふうに楽観的にフラフラして、一たん結んだ条約さえ場合によっては
破棄してでも、ただもう中共ペースで友好を急ごうとする。その根底には進歩思想があります。
つまり中共との友好は世界史の必然なんだという考えです。
だから何の準備もせず、国家機密の保持すら考えず「スパイ天国」のままで、強烈な赤化意欲を持つ中共と友好するという態度になるのです。
上昇的歴史観、進歩的歴史観には、いのちがけの危機感はあり得ません。
上昇ということは事実にも反するし、皮相で浅薄極まりない楽観論になってしまいます。
危機の意識を持ち得ない。そこで進歩的歴史観を修正して、歴史は単に直線的にズーッと上昇しているのではなくて、
ジグザグ・コースを辿って上昇するという考えが出てきました。これが「弁証法的発展」というやつで、ヘーゲルやマルクスがこの考えで、
歴史は正・反・合という具合に『展開』するものだいうのです。
進歩(プログレス)ではなくて、展開(ディペロップ)なんだというわけです。しかし、これもやはり上昇していくものであって、本質的には進歩的歴史観と
同じなのです。
そうすると私どもが歴史を学ぶとはどういうことなのか。上昇史観では、過去は悪い時代で現在はよい時代、未来は一層よい時代であるから、歴史を学ぶのは昔
の人間が何とまあ馬鹿なことをしていたことよ、ということを学ぶ、それが歴史を学ぶ目的だということにならざるを得ません。
昔は封建時代で、赤鬼や青鬼がうようよいて、搾取したり人権を蹂躙しておったが、今はそれが無くなって民主主義社会になりました。
もことに結構な世の中になりました。しかし、将来はもう一つ良くなって、社会主義、共産主義という結構な世の中になるでしょうということですからね。
だから進歩的文化人どもが歴史を学ぶというのは、「昔の人は何とまあ馬鹿げたことをしておったことよ、それを学ぶのが歴史の目的であります」ということになります。
『父母と教師に訴える 日本教育改造論 』 田中忠雄 著
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