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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
1535
:
金木犀
:2012/08/10(金) 16:28:23 ID:auusu5IE
(つづき)
今現在、私は先祖供養をかなり重要視して、いま聖経読誦に励んでおりますので、
先祖の供養に顕浄土成仏経が功徳があるということに、心が惹きつけられて、皆様にも紹介したいと
思ったのですが、書かれている聴覚障害者を指す言葉は、近年いろいろな言葉が、人権団体によって
使用禁止とされましたが、本来は差別用語ではなく、どんなコトバも使う人間の心のなかに差別はあるのであり、
言葉自体に差別があるのではないと思っていたので、人権団体が差別用語と決めた時から、その言葉を使う人間が
差別の心を持つとレッテルを張られるようになったという意識がありました。
それで、今回は、コトバの問題には思い至らなかったのですが、そのような意識が潜在意識にあったために
コトバに無頓着だったのだと思います。
しかし、ここ数年、こうした差別用語という言葉が、すでに定着して、このような言葉が差別を意味するという意識が
広がったために、この言葉を聞いただけで、差別されたと感じるように条件反射的にマスコミなどを通じて洗脳されて
しまっていると思います。だから、たしかに考慮すべきだあったと思います。
私は差別するつもりなど全く無く、人間は霊的実在であり、物質ではなく肉体ではなく、無限に完全円満な存在であると
思っていますから、すべての人は神の子で平等に尊いと思います。
また、イエスも第一の戒めは心を尽くして神を愛することであり、神我一体を自覚すること、
さらに第二の戒めは、己を愛する如く他を愛することであり、自他一体を自覚することだと言っています。
だから、本来SAKURA様と私は個々離れて存在するように見えても、霊的にはつながっているのであり、
神の現れの一つ一つであり、手の指が先端はバラバラのように見えて、根本は皆つながっているようなものなのです。
だから、きっとSAKURA様からの御指摘は、私の心のなかに何らかの間違いがあったことが観世音菩薩として指摘されたのだと思って、
反省し、直したいと思います。外界は全て内界の影であり、掲示板上の出来事が、自分の思わぬ展開になるように見えても
これは心のなかにないものが自分の周りに出てくることはありえないのですから、深く反省させて頂きます。
どんな運命も自分が許容しないものは現われてこないと、雅春先生はおっしゃいました。
それは時には、その人にとって過酷なものであることもありますが、全て良くなるための過程であるともおっしゃっています。
特に身体障害者と言われる人は、自ら魂の急速な向上のために進んでその運命を選んで生れるとも言われています。
先天的、後天的にかかわらず、魂の向上をその魂自身が望んでいるからであるのは確かであり、
またこれは身体的なものにかぎらず、いろいろな運命は、その人自身が許容したものだと思います。
だから、私は、SAKURA様の魂にも敬意を表したいと思います。
そして、神の子の完全円満の実相をSAKURA様が神想観によって実現される日を信じます。
見る世界は、すべて自分の心の中にあるのですから、
自分が変わらない限り、見る世界を変えることはできません。
私は、最近になってようやく家族にいくら『生命の實相』を読ませようと思っても
自分の心境が変ることでしか、家族にいくら何かを要求しても無駄であることに気づいたところです。
SAKURA様、以前あなたと、神想観で何か功徳があったら、お互いに報告しようと約束しましたよね。
私はまだ、はっきりそのような功徳はないですが、尤も日常的になんとなくくらいはありますが、ご報告するほどの
功徳はありません。でもいつかご報告できるようにと、頑張るつもりでおります。
SAKURA様の良いお知らせが聞ける日を楽しみにしております。
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