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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

1529金木犀:2012/08/10(金) 03:27:17 ID:auusu5IE
つづきです。

興廃常なき世界の国々は常住性のない迷ひが影をあらはしたのであるから、
生滅常なきは当然である。

今の世界で實相世界の常住性を形に顕(うつ)し出してゐるのはたゞ日本の国ばかりである。
生滅常なき現実世界が変じて久遠實相世界の常住性を顕現するには、常住性ある国が
ひろがりて常住性なき国を包みて、十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界と
しなければならぬのである。

十六菊と云ふのは光が十六方位にひろがりて、十六方位の国ことごとくを中心に統一せる
ことを象徴(かたちど)つたものである。十六の数は一と六と合はせて”七つ”を意味し、
全てを意味し、七つの燈台が十六方位の中央に輝きて十六方位の国ことごとくが

一つの生長(みずほ)の家(くに)となると、そこに久遠實相の高天原が形に顕現して
常楽の国土が地上に涌出(ようしゅつ)する。
太陽はまだ昇り始めたばかりである。

生長の家を、高天原と仮名附けさせたり、生長(みずほ)の家(くに)と仮名附けさせたが、
高天原(たかあまはら)── 瑞穂の国 ── 生長の家(せいちょうのいえ)──
この三つは三位にして一体である。

『生長の家』とは『長生(ながいき)の家』、『無量寿の家』、即ち『不滅の家』であって、
實相生命の不滅の相(すがた)が家系となつて連綿と続く家である、日本に於ては
国と家とは一体である。

全世界もまた家と国とが一体である事を教へたのがイエス・キリストであつて、
そのために彼は人間同士を兄弟と呼ばせたのである。

併し兄弟ばかりで兄弟相争つては家は治まらぬのである。兄弟があり、家長があり、
其処に統一があつて始めて此の世が浄(きよ)まつて生長の家となり、
不滅の家となるのである。

家と云ふのは生命(せいめい)が中心に交叉し集まることを意味すると教へたが、
国と云ふものも交叉する意味のクミ(組<くみ>)から来た語である。

今の国々は皆形がクミ合つてゐるだけで、中心の生命(せいめい)(息<イキ>)が一つに
統一してゐぬから”国即家”の實が挙がつてゐるのである。

一つの中心にすべてが統一せられて、萬民その天分に応じて其の堵(と)に安んじ、
需給の関係でも一つの人体の血液が栄養を運ぶやうに、全体の細胞へ各々適当な資料を、
適当な分量だけ過不及なく与へるやうになったとき、”国”は即ち”家”となり
始めて本当の”国家”となるのである。

かくの如き国家にては凡てのものが瑞々しく穂(ひい)で、その国家は『瑞穂の国』である
と同時に『生長(せいちょう)の家(いへ)』であり、久遠實相の生長の家(たかあまはら)
の地上的顕現であるから、高天原と、瑞穂の国と、生長の家とは三位にして一体であると
言ふのである。

高天原の『高』とは|(たて)に無限性を示し、『原』は一(よこ)に無限性を示し、
『天(あま)』は|(たて)一(よこ)陽陰相交叉して運行する結果、至大天球と成ることを
示したのであり、一一(てんち)の間に『人(ひと)』の生まれ出でたる象(かたち)が
『天(あま)』であり顯圓(あま)である。

天地の間に生れ出でたた本当の人間はいづれも日月(かみ)の子(こ)であり顯圓(あま)で
あるから完全円満なものである。

天津日嗣の御子と言ふのはその完全円満さが何の迷ひにも隠される事なく明らかであるから
生命の實相の久遠常住性が形に其のまま顕(うつ)し出されて連綿と無窮につづいてゐるので
ある。

全世界が『生長(せいちょう)の家(いへ)』になつたら各人の家系もまた連綿につづく
やうになるのである。家が中途で絶えるのはその家が迷ひに捉はれて
『生長(せいちょう)の家(いへ)』になつてゐないからである。

                  (昭和七年五月二十七日神示)


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