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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
1486
:
金木犀
:2012/08/04(土) 18:23:02 ID:auusu5IE
青山さんは愛国者であり、命をかけて正論を訴えておられますが、
ただひとつ、憲法に対しては、改正論者であり、破棄すべきというところまで
言っておられないことが残念です。
また、常に自分の行動に関して、「主権者として」と云う枕詞をつけられるところが、
現憲法の国民主権という理念に染まっておられることを感じさせます。
国民主権というのは、民主主義の理想のようにいわれますが、これはフランス革命やアメリカの独立宣言のような
革命思想の理念であり、雅春先生が言われる、国民一人一人の部分部分が主権を持つという、バラバラのものが寄り集まって
組合的な国家を作る理念であり、日本のような生命体国家にはあわない理念です。
日本の国は、中心に全体が帰一して一つの生命体として存在する国家であり、国の理念が先にあって生まれた国です。
人間は神の子であり、各々が日子(ひこ)、日女(ひめ)であり、そうした国民の自身の神聖性の自覚が
中心者たる天皇の神聖性を要求して、天皇国日本が出来たと雅春先生が神示で示された
その君民同治の理念が、天皇を元首とする国にしたのであり、国民主権とは、肉体的存在である一人一人バラバラの国民が
意見を主張し、歴史や伝統に培われた国家のあり方を無視して多数決で、なんでも決めてしまうという理念なので、
国民の意見を大事にするかに見えて、結局は衆愚政治に陥りやすく、権力闘争に陥りやすい制度です。
唯物的肉体的な民主主義でない、真の国民を大切にする民主主義を実現する上で、最もうまくいくのは
君主制下の民主主義であり、醜い権力闘争に陥りやすい政治に、神聖性をもたらす方法として、
非常に有効なものです。
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