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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
1418
:
志恩
:2012/07/30(月) 08:54:43 ID:.QY5jUA6
1415:天の使い様
>>真理は、神との直接対話で得られるのであり、、、
雅春先生は神想観という行法を示され、すべての人の真理が天下るべく神との直接対話方法を示されました。
実際神想観を正しく実修すると、雅春先生が話す前に、その話しの内容が全て予想でき、実際聞いてみると、その通りの
話であるということが体験されます。<<
天の使い様は、膨大な情報の玉石の中から1%の本物の情報を見分けられますし、雅春先生がご講話されるまえに、予想する
こともお出来になったそうで、やはり神想観して神の波長と一体になりますと、精神が研ぎすまされてくるのでしょうね。
私は、そのようなふうには、なれませんけれど、いつも なにがあっても 護られているという大安心の気持ちでいられるのは
生長の家の神様のおかげだと思っております。
私は、昔、輝子奥様に お山に伺った時、お座敷で 直に質問したことがあるのです。
【朝、雅春先生は、おうちのどこで神想観をされてるのですか?】と、すると輝子奥様は、こう言われました。
【お風呂のね、浴槽のふたの上に、座布団をおいて、そこで正座して されてるのですよ】と。(昔のふたは、木製のしっかりした素材でした)
私が【どうして、そこで されてるのですか?】と、おどろいて質問しますと、
奥様は【朝は、各部屋から廊下から、一斉に掃除をしますからね、風呂場が、一番静かな場所だし、それにね、じゃまに
ならない場所なんですよ、毎朝、欠かさず されてますよ】とのことでした。
これを、人によって、どう、とられるかですが、私は,それをうかがった時は、涙がでるほど感動したのです。この話を、不謹慎だと捉える人は、
よほど、形だけにとらわれる 心が貧しい人です。
当時のお山のお家は、(大家さんは、宮さんという方でした。お山は、後になって、そこを買われたようですが、)借家だったのです。
ふつうでしたら、金襴豪華な祈りの間とか作って、そこで祈られて当然ですのに、
雅春先生は、とても質素に、それでも とても にこやかにあたたかくカリスマ性のある高貴な雰囲気を漂わせて、爽やかに生きておられたんですよ。
で、私はなにが言いたいのかといえば、神想観は、トイレは、別ですが、他なら、どこでも出来るということを、教えていただたということです。
私は、あのとき戴いた、心に ほっこり灯りがともったような聖なる感動を、いまでも忘れられません。
雅春先生も、お若いときから、実生活を楚々としてお暮らしでしたが、イエスも、公生活にはいられる30歳になるまで、ナザレトで大工をして暮らしていたと
伝えられています。日々は、われわれ同様に些事の連続で、なにひとつ目覚ましい出来事もない、ごく平凡な、隠れた生活だったのです。
イエス、マリア、ヨゼフは、村人とともに、祈り、働き、つつましやかに、毎日を生きていた。
このように、雅春先生もイエスも聖家族の生活をされていたのです。それぞれの生活の場で、祈り、いたわりあいながら、小さなことに忠実に生きること。
そんな心を倣って、生きたいと思っています。
さまざまな思いや考えを、日々の出来事を、雅春先生ご夫妻に倣って、トキ様 井戸端会議場でもいいし、トキ様 集会所でも いいし、
みなさまから、いろいろなお話を うかがえて、しあわせに思っています。
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