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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

1387役行者:2012/07/27(金) 18:02:25 ID:HCZdapEs
 
 以前、うなはな様が投稿してくれた文章を初心者様が見つけ教えてくれたので、
「家制度」の話題も挙がったところで、その文章の要約を投稿します。

◆ カミ・コメ・ツチ・ヒト、その有り様  北川恵子 著より要約し掲載させていただきます。


  ●人間至上主義
   一体、何故このようなことになってしまったのか?
   この件の一因として、日本人の「群れ」として帰属すべき「場」の崩壊と「場」を
 中心とする「社会」の凋落が挙げられる。

 ここで、日本の「場」「カミ」「社会」などについて大まかに触れてみたい。
古来、日本人は「カミ」を怖れ、敬い、奉って来た。
 宗教という名を当てはめるには、あまりにも原始的なそれは、しかしカミの「心」の支えであり、規範であり糧でもあったのだ。
 当時の人々の奉る「カミ」は、大自然の威力であり、穀物の収穫の多寡を決定する者であったのだ。
(多くのアニミズムのカミがそうであるように・・・)
 基本的に農耕民族であったので、集落的な作業を伴うことが多く、自然に規律も自己と他者との協同生活に於けるノウハウという意味での規律であった。

今のようにマスメディアの発達もなく、知識や知恵の伝達者は「長く生きた者」として「長老」連中が当たって来た。
従って、夫婦単位に分裂した小さな単位の家庭ではなく、かなり大きな単位の家庭が営まれてきた。
 良きにつけ悪しきにつけ、人々はモノを考える時にいつも『自分と社会』を意識してきたのだ。
 この当時の「社会」は「ムラ」であった。
 人々が「群れ」を成して生活する「場」を「ムラ」と呼ぶのは至極自然だ。
大多数の人々は「ムラ」の相互扶助システムの恩恵に浴する。しかも「ムラ」は「カミ」を奉る、「カミ」を頂点とした組織であった。

●明治維新より
 この「ムラ」のシステムの中に、不合理・不条理・非能率的な部分がある、と
人々が最初に気付いたのは、明治維新の頃だった。
 しかし、当時は未だ「カミ」の威信が強かったので、相互扶助システムの外で生きてゆく自信と覚悟と力を持つ者は少なかった。そして、これは大切なことだが、「ムラ」のシステムは人々を規律で縛る反面、その恩恵を分け与える面を忘れてはいなかったのだ。

 大自然の力「カミ」も、その後の科学の発展で人間に制御出来ると思われ始めた。
 明治以降、欧米の人間のやり方を学んで来た日本人は、科学力による工業・商業発展の足を引っ張ると、日本の「ムラ」の不合理・不条理・非能率的な側面を嘆いた。(大量生産、大量消費、効率化、便利化、豊かさ)

旧システムである「ムラ」を出ることは、「カミ」を頂点とする相互扶助システムからはみ出ることであっても、「カミ」に代わる「科学」があるではないか、と人々は話し始めた。

「カミ」は科学の力の前には、結局、無力なんじゃないか、と人々は思い始めた。
天皇は「カミ」の代弁者であり、「カミ」の力の権威そのものだ、と人々は教えられたし、その通りであった事実もたくさんある。
しかし、「カミ」の威信が薄れると同時に天皇の威信も少しずつ薄れて行った。
特に第二次世界大戦後、天皇は「アラヒトカミ」からただの「ヒト」におとしめられた。
同時に、人々は「カミ」を捨てた。

 日本人は、こぞって「科学という名の神」を奉り始めた。
 何しろ「科学という名の神」を奉った国に戦争で負けてしまったのだから・・・と人々は暗に感じてもいた。
                        つづく


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