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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
1380
:
金木犀
:2012/07/27(金) 11:52:03 ID:auusu5IE
役行者様
私はあくまでも、憲法改正は、雅春先生の仰られた大日本帝国憲法復元でなくてはいけないと思っています。
法治主義の観点からも、日本国憲法は大日本帝国憲法に対して違憲であり、
本来は成立はしていないと思います。だから南出弁護士の講和条約説が正しいと感じます。
また若し仮に日本国憲法を認めて、それを改正するならば、改正案は日本国憲法に違反すると感じます。
日本国憲法は、前文に「この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」
という文面があり、この、かかる原理に基づくものという意味が、戦争放棄のみを指すのか、あるいは他の事柄も含むのかは曖昧ですが、拡大解釈すれば、
この憲法を改正して、自主憲法の制定は不可能ということではないかと思います。そうした意図を持って
書かれた一文であり、厳密には、大きな改正は不能とみなすのが正しい法治主義精神だと思います。
根本的な法治主義で行くなら、日本国憲法を破棄することが正しいのであり、それを曖昧にして、
日本国憲法を認めた上で、法治主義の立場を取るなら、この憲法を改正するのはやはり間違っていると思います。
私はやはり国としての、正しい筋を通すべきであり、それゆえに雅春先生のご意志を信徒は
継ぐのがもっとも正しいと思います。敗戦の異常な状況で、明らかに日本民族の弱体化のために
押付けられた憲法を破棄せずして、それを正統なものと認めて改正するのは絶対に間違っていると
思います。多くの英霊の為にも、多くのこの憲法を破棄しよう努力された方々の御霊のためにも
絶対にこの憲法を破棄したいと思います。
この憲法に体をぶつけてなくなられたのは三島氏だけではなく
影山正治氏も、清水澄博士も皆どんな思いで亡くなられたかを思う時、この憲法を破棄せずに安易に
改正は出来ない気がします。戦後左翼思想ばかり優遇されて、憲法に関しての出版すらも出来ずに
ガリ版刷りで出版された井上孚麿氏の思いを考えたら、そうした多くの愛国の人々の気持ちを今生きている
吾々が簡単に自主憲法制定で済ますのはけっして良くない気がします。何より私たちは雅春先生のご意志を
理解し継承すべきだと感じます。
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