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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

1264うのはな:2012/07/11(水) 20:29:01 ID:gTn97m6I
 東大阪市長と大阪市長、トップの決断力

 その後、ツイッターを通じて、東大阪市の野田義和市長から連絡が来た。
東大阪市では、短期〜長期的に支援するための態勢を整えていたのだが、岩手県庁に
支援はいりませんと断られてしまい、どうしようと頭を悩ませていたという。
そんなときに、僕のツイッターで、陸前高田市は依然として大変な状況であることを知り、
連絡をくださったのだ。「自分の市で子どもたちも含めて何万という人が亡くなる、そうした震災が
起きたらと想像しただけで、本当に大変なことだと思いますので、できることがあれば何でもさせていただきたい」と
いうありがたい申し出だった。
「ぜひ、お願いします」と言って早速、陸前高田市の高田分団長の大坂さんを経由して、陸前高田市長と直接つなぐことができた。
野田市長はその後、キーマンの一人として尽力してくれることになる。
さらに、2011年4月21日の「読売新聞」には、大阪市で物資が大量に山積みになっているという記事が掲載された。

 「市は現地の要望を地震直後に聞き取り、3月22日から物資の受け付けを新品の5品目に絞って開始。
4月7日までに毛布3593枚、タオル10万177枚、ウエットティッシュ2万7621個、紙おむつ19万9073枚、水(ペットボトル入り)8566本が集まった。
 市は岩手、宮城、福島県に必要な品目と数を問い合わせたが、要望は少なかった。
3月31日から5回に分けて発送を始めたものの、結局、毛布約2800枚、タオル9万8000枚、ウエットティッシュ1万5000個、紙おむつ17万1000枚と寄せられた物資の
ほとんどが余り、水は全てが残った」

 この記事を見た人たちから、ツイッターで僕に「どうにかなりませんか」とたくさんのツイートが
届いたのである。僕は、東大阪市の野田市長に電話して、「物資が余っているという記事が掲載された件について、僕らならマッチングできると思うので、大阪市長につないでいただけませんか」と
お願いすると「わかりました、電話します」と取り次いでくれた。
するとすぐに平松邦夫大阪市長(当時)から電話があり、僕らが必要としている避難所を紹介して送ってもらうことになり、1万本近い水はその日中に配送することができたのだ。
南三陸町では、震災後2か月経っても水道復旧率1%、3か月時点でわずか7%だったため、この時点で水もまったく足りておらず、実際にはいくらでも需要はあった。
東大阪市長に電話したのが家を出るときで、そこから大学の研究室に到着するまでの30分あまりの時間に、これらがすべて決まったのである。

トップ同士がつながったときの速さは、下から上げていく方式の何十倍、何百倍も速い。
極論すれば非常時は、秘書を一人通すだけで、速度も伝達力も何倍も落ちる。非常時は、秘書も通さず、トップの携帯電話に直接電話できるよぷにしたほうがいい。
こうして、大阪市が提供してくれた、IKEA の新品のベッド200個を含むすべての物資をマッチングして送ることができたのである。

 『人を助けるすんごい仕組み』 「ふんばろう東日本支援プロジェクト」代表
                 早稲田大学大学院(MBA)専任講師 西條剛央 著


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