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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

1142うのはな:2012/06/19(火) 16:47:39 ID:gTn97m6I
「愛国」という言葉が独り歩きしている

 日本の戦後の総決算ということもあって、われわれの大きな課題として憲法改正問題と
教育基本法の改正問題が、近年とくに盛んに議論されるようになってきた。
 日本国の最高法規であり、また改正にも各議員の総議員の三分の二以上の賛成が必要なうえ、
国民の投票による承認が必要な憲法と比べて、通常の法律として改正が可能な教育基本法(内容が悪ければ
改悪となる可能性は否定しないが)は、何らかの形で近々行われることだろう。

 私自身も義務教育のあり方や、大学教授を含めての教員の過度な身分保障について疑問を感じているので、
加藤寛先生や渡部昇一先生他、諸先生とともに「新・教育基本法私案」を以前に発表したことがあるし(『教育は
何を目指すべきか』PHP研究所)、現在も民間教育臨調(「日本の教育改革」有識者懇談会)に委員として参加している。

 さて、これらの会議でもマスメディアでの論戦においても、今回の教育基本法改正の骨子は、愛国心なり愛国教育をどう
盛り込むかということであろう。私自身は、日本人はもっと国益を考えるべきだし、もっと国を愛する気持ちを持つべきだと
考えるが、現在の愛国論議が旧左翼(いまはほとんど無力化しているが)の無意味と言っていいようなアレルギー反応と、国益
より国の体面、誇り、あるいは君主への愛のようなものばかりを重視するマッチョ的愛国観の台頭のために、当たり前に国を愛する
ということの意味があまり論じられることなく、「愛国」という言葉が独り歩きしている印象が拭えない。
これはあくまでも私の個人的な見解であるが、「愛国」というのは、ただ国を愛せばそれで事足りるものではなく、結果がともなうべきだろう。
つまり、国を愛している人であっても、結果的に国益を損なう言動があれば、「愛国者」と呼ぶことはためらわれる。

 東西冷戦が終結し、イデオロギーのみで愛国が語られなくなった現在、さらにさまざまな形で国際情勢の地図が変わっていくであろう今後を
見据えたうえで、どのような形での愛国教育が望ましいのか、私なりの見解を述べさせていただきたい。

『私の愛国教育論』 和田秀樹 著


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