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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
1126
:
金木犀
:2012/06/19(火) 05:50:06 ID:vaQBf3X6
今年4月2日の産経新聞の記事から
石原都知事「天皇陛下の勇気」より
先月の十一日、一年前の東日本大震災の犠牲者を追悼する式典が天皇、皇后両陛下の御来臨のもと東京の国立劇場で行われた。それからわずか二十二日前、陛下は心臓の大手術を東大病院で受けられており御来臨は危ぶまれていたが、陛下のたっての御意志で実現されたのだった。
術後間もないこととて当初の予定は半分に短縮されたが、それでも陛下は確かな足取りで登壇されて弔辞を述べられた後に退席された。陛下が舞台の上手から現れた時、実は私は固唾を呑(の)む思いで身を凝らしそのお姿を見守っていた。それは満場の出席者の誰とも違った、私一人の後ろめたさの故だった。
その訳はあの大震災の十九日後陛下が東京都足立区の東京武道館に避難してきている福島県民を見舞われた時のことによる。私は密(ひそ)かにある筋を通じて、東京武道館にいる被災者たちは他の被災者たちと違って比較的東京に近いいわき市近辺から放射線の危険を避けるべく、原発の危険がまだ定かならぬ時点での勧告で避難してきた人々が主で、あの大津波で着の身着のまま、命からがら、家族を失いながら離ればなれに退避している被災者に比べれば、めぼしい財産をかき集めた上自家用車で逃れてきた人たちで避難生活にも比較的余裕があり、陛下がお見舞いに来られる時間帯にはかなりの人たちが他出しているだろうことを伝えていた。
しかしなお陛下はそれでも来臨されて被災者たちを一人一人声をかけてねぎらわれたものだった。
しかしやはり被災者の多くは他出していて陛下のお見舞いは予定より早く終わってしまい、警護の都合もあって予定の出発時まで控え室で過ごされることになってその間私は同席し、発災後間もなくヘリで飛んで視察に赴いた福島、宮城、岩手の各都市の惨状を報告し、すでにかつて他の病での手術を受けておられる陛下にはとても無理としても、若く元気なご子息の両殿下を名代として出来るだけ早く現地の見舞いに差し向けられてはいかがと僭越(せんえつ)にも建言させていただいた。
その間皇后陛下は一々頷いて私の言葉を聞いておられたが、陛下はなぜかただ黙ったまま表情も見せずに聞いておられた。
やがて時が来てお立ちとなり、先行して部屋を出てお見送りのために玄関口に立っていた私の所へ何故か突然陛下がつかつかと歩み寄られ、小声で、しかしはっきりと、「東北へは私が自分でいきます」といわれたものだった。
私は唖然(あぜん)たる思いでそれを聞き取り、立ち去られる陛下を見送っていた。(つづく)
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