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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
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:
原発推進「ぼるぼ」トリウム溶融塩炉を実用化せよ
:2012/06/04(月) 18:48:07 ID:???
静岡新聞から、
トリウム炉世界で注目 2012.3.23掲載(2012/3/24 08:00)
「人類にとって核エネルギーの利用は大きなテーマ。原発と言うと軽水炉の悪いイメージしかないが、真面目にやろうとしたら別の世界もある」
2010年3月10日。トリウム原発研究の第一人者古川和男元東海大教授は神奈川県内の自宅で、「ウラン―プルトニウム系列」を使った軽水炉路線の行き詰まりを指摘した。それから1年後に起きた東京電力福島第1原発事故に胸を痛めたまま、11年12月にこの世を去った。84歳だった。
元日本原子力研究所員の古川元教授が生涯をかけて提唱したトリウム原発は「トリウム―ウラン系列」の核反応を利用する。兵器転用可能なプルトニウムはほとんど出ない。逆に消費できる。液体燃料を使うため、原理的に炉心溶融(メルトダウン)も起きない。
軽水炉よりもはるかに平和利用に向いていた。米国オークリッジ研究所は1965〜69年の間、実験炉の無事故運転に成功した。古川元教授は実物を見て、単純な仕組みで静かに燃え続ける原子炉に驚いた。ところが、冷戦下の米国は副産物としてプルトニウムを生み出す軽水炉を選び、日本も追随した。
「トリウムの名は暗黙のうちに教科書から消え去った」(古川元教授)。その後、日本は軽水炉を地方に集中立地し、生成したプルトニウムを高速増殖炉で利用する「夢」にとらわれてきた。古川元教授が提唱するトリウム原発「FUJI(不二)」が、日の目を見ることはなかった。
東芝の元技術者で、NPO法人「トリウム溶融塩国際フォーラム(ITMSF)」の代表を引き継いだ吉岡律夫理事長(66)は今、古川元教授の言葉を思い起こす。「先生は世界を見ていた。『日本は発展途上国も幸せにできないといかんのだ』が口癖だった」
世界のプルトニウム保有量は2050年には7千トンに達するという予測もある。原発保有国の一部は、軽水炉路線を歩み続ける傍ら、将来を見据えてトリウム原発に注目している。
ITMSFによると、米国は02年、第4世代原子炉6候補の一つにトリウム原発を選定した。トリウム保有量90万トンは世界一。トリウム原発が実用化すれば電気出力100万キロワットの発電所千基を千年間運転できるという。中国は10年、トリウム原発の推進を政府決定した。15年までに実験炉の初臨界、30年までに出力10万キロワットの実証炉の臨界など4基の建設計画がある。
脱軽水炉後のグローバルスタンダードをめぐる競争は既に始まっている。吉岡理事長は「トリウム原発に必要な技術は日本がリードできる分野ばかり」と説き、「古川先生の遺志を継ぎ、真の平和利用とは何かを訴えたい」と言葉を結んだ。
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