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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 2
1969
:
トキ
:2011/11/09(水) 19:41:53 ID:LVf.XwNI
>>1965
初心者様
初心者様の文章を拝見していない段階で上記の文章を書いたので、ちぐはぐな問答になり、申し訳ありません。
全然、関係ない話ですが、青年会時代に居酒屋で飲んでいたら、となりに超一流大学(旧 帝国大学)の哲学の教授が
おられて、議論になった事があるのです。
その時、私が、自分が生長の家をしている、と話したら、そんな意味のない事を何故、しているのか、といろいろな
歴史上の話を出して、質問をしてきたのです。で、私は、そんな難しい理屈は分からないから、
「いや、好きだから、やっているのです。」と答えたのです。まあ、当時から今もそうですが、やはり好きだから
続けてきたのでしょうね。「先生、女が好きな人は女に大金を費やすし、野球ファンなどは自分の贔屓のチームの応援
に仕事を休んででも行くでしょう? 宗教だって、好きだからやっているだけですよ。世界を救うとか、悟りを得るな
んて、大それた事を言ってはいけません。先ずは、自分のためですよ。」と話したら、教授は妙な事にこの説明に納得した
ので、不思議な事です。
で、その教授がその後に話をしたのが、面白かったです。中世時代の欧州ではカソリックが腐敗して、僧侶の堕落とか
宗教の儀式化、形骸化があり、それに義憤を感じてマルチン・ルターが蹶起して、プロテスタントを作ったのです。が、
プロテスタントの連中は、カソリックの指導者を捕まえると、片端から処刑したり、拷問をしたりしたみたいです。する
と、教授に言わせたら、カソリックがいくら腐敗したとは言っても、ここまで沢山人を殺さなかった、そう考えると、
純粋だからと言って宗教者を手放しに賞賛して良いのか、という話をしたのです。これは、確かにそうですから、覚えて
います。まあ、思い上がってはいけない、という事なんでしょう。宗教をしている人の中には、自分が神様の代理人で、
それ以外の人間は迷える愚か者だ、という人は多いです。まあ、私に関しては、迷える愚か者であるのは確かですが(笑)
生長の家をしていても、上から目線で発言をし、「オマエ、何様だ?」と感じる人はいましたが、そういう人
なんかは初心者様が言うような人なんでしょうね。
以前、申し上げた内村鑑三が、アメリカに行って、基督教の嫌な面をいっぱい見て、それで日本に帰ってから
「信じる事は何事も自由です」と言ったらしいのですが、何かそれに通じる話だと思います。
それで、私が青年会時代は、まだ、谷口雅春先生の直弟子の方はある程度の数、ご存命だったのですが、かえって
谷口雅春先生をあがめ奉るような言動には批判的でした。もちろん、生長の家の信仰には疑いは持っていないし、
谷口雅春先生は尊敬し愛しているが、ドグマチックに服従はしていない、というのは感じられました。逆に
その後の世代の人達は、谷口雅春先生の名前を勝手に振り回して、好き勝手をしている雰囲気でしたね。
すると、後の世代の軍隊の内務班のような窮屈な雰囲気こそが、実は生長の家ではない、ともかんじております。
で、真理の探求で行くべきか、救済で行くべきか、という問題ですが、それは個人個人が決めたら良い話で、教団が
指図する必要はないかと思います。つまり、谷口雅春先生の教えが好きで集まった集団ですから、それは大事にしな
ければならないけど、自分の解釈を他人に押し付けるのは良くないし、他人の自由を尊重する態度を保持する事
が大事だと思っています。組織体として最低限、決めるべき事は決めますが、個人の自由はかなり広い範囲で認め
るべきかとおも感じております。
どうも、まとまりのない話ですみません。
まあ、こんな事を書くから、本流掲示板からクソミソに書かれるのでしょうねえ。
合掌 ありがとうございます
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