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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 2
1737
:
傍流高校吹奏楽部
:2011/10/11(火) 12:20:07 ID:UodBcqiE
校長登場の曲
http://www.youtube.com/watch?v=oYCdKG5xg68
1730 名前:初心者 投稿日: 2011/10/11(火) 11:07:12 ID:4IaAZAME
>>1716
役行者様
自然との共生、というテーマで、対話を前提に、思うことをつらつらと書かせていただくことにいたします。
前口上もそこそこに、何事もなかったかのように登場いたしました初心者でございます。ここでなぜか思い起こしますのが、かねてよりこちらの掲示板で述べております、自然状態から文化的状態への移行の問題ということであります。
ジジェクによれば、文化的状態への移行は、自然状態からのひきこもり、と定義されているようでもありますが、こうしたひきこもりは、それがいつごろ、どのようにして始まったのかは定かではないにしろ、デカルトのコギトによって、その実現が、とうとう本格的にはじめられることになった、ということになるのであります。ここでデカルトのコギトを、曲解を承知でひと言で申しますなら、それは、物質はない、肉体はない、心もない、という否定性によって提示される主体ということであります。雅春先生が説かれた「現象なし」の教えとは、デカルト的コギトの追認であったともいえる気がいたします。
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