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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 2
1470
:
トキ
:2011/09/13(火) 20:51:53 ID:JGTh/CoE
>>1469
追伸です。実は、上の文章を書いていて、少し感じた事がありました。
百万運動にしろ、生長の家政治連合にしろ、今では「失敗」と評価されています。(まあ、生長の家政治連合に
については、負け戦ばかりではなくて、いくつもの功績があります。最後に失敗したのは事実ですが、それも
全面否定する理由にはならないとは思います。しかし、その評価については別のところで論じたいと思います。)
当時の活動者の多くが、結構、怒っていたのは、散々、活動に走り回っていたのに、いざ失敗となっても釈明
も説明もない、という点でした。もちろん、当時の担当者の何人かはお辞めになったり、配置転換をされました。
しかし、部内で、なぜ失敗をしたのか、未来にはどういう教訓を残すべきか、という視点での議論はなされない
ままでした。このような事態には、末端の活動者はもちろん、生長の家部内でも、組織指導を担当していた人達に
不信の目を向ける人はいたと感じます。現実にそういう声を本部の職員から聞いた事があります。
山本リンダのヒット曲ではないですが、運動の末期になると「もう、どうにも止まらない」という状況も見られた
と聞いております。「暴走」という言葉が適切か、どうかは分かりませんが、当時の組織の一部が暴走をしていた
という表現は見た事があります。
ここから先は、憶測ですが、このような事態を見て、「組織活動部は、暴走する事がある。そして、失敗をして
惨憺たる結果になっても、反省もしないでいる」という印象を持つ人が出て来たのではないかと思います。
初心者様が、「暴走」という言葉について、注意を喚起されていたのですが、組織指導部の方針に疑問を呈する事
すら許さない、という空気は確かにあったと感じます。
これが、ある種の「恐怖」「不信」として、総裁や上層部の頭脳に「刷り込まれた」のではないか、と感じております。
「靖国見真会」参加者様が、本流掲示板にこう書かれていました。
》「雅春先生の御教えが魂の底まで入っている人」が何故に「危険思想の持ち主」にされ、出講停止という処分を受けなければならないんですか?
この疑問に対する返答は、「恐怖心」「不信」というものかもしれません。
(つづく)
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