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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

727初心者:2011/07/17(日) 19:33:53
義春殿は、なぜそこまで赤裸々に書くことができなさるのか。
60歳にしてすでに達観なさっておられるのでしょうか。
オレにはちょっとできんことだ。なぜオレにできぬことが
義春殿にはできてしまうのだろうか。

オレももとは広島の人間だ。正体がバレるかもしれんが言っておこう。
オレも若いころに「危篤」といわれたことがあるらしい。
「らしい」というのは、オレにはそんな実感はなかったということだ。

「死ぬ」とは思っていたが、「危篤」だとは思わなかった。
救急車で病院にかつぎこまれ、あとで聞いた話では、「危篤」と
いわれていたらしい。

そのとき親父は、「腹が減った」といって、どこかに出かけたらしい。
その言葉を聞いた病棟の婦長さん(当時は婦長といわれていた)が、
親父の行状にあきれていたという話だ。

まあ、父親というのはこんなものだろう。息子のほうもまた、
エディプスコンプレックスか何かは知らんが、父親のことをあまり
よくは思ってないのがふつうであるから、お互いさまといったところ
だろう。

そのときの病状は、義春殿に近かったのかもしれんな。正体不明の
下血が続いて、赤血球が3分の1ほどに減っていると聞かされた。
立ち上がることもできずに、死を待つばかりといったところだった。

だが死の恐怖はなかった。なかったというよりも、感じることが
できないくらいに追い込まれていた。オレは真理を悟っていると
思っていた。だが、いざ死にそうだとなったときに、ぜんぜん悟って
いなかったことに気づいたのだ。

まあ、あせったねえ。このまま死にたくはないと思ったよ。
この気持ち、体験した者にしかわからんよ。
それで、病状はどうなったかというと、これがおかしな話なのだが、
けっきょく原因がわかって、そこはさすがに真理を悟っていると
思い込んでいただけのことはあって、念力ですぐに治せるもので
あったから、「エイッ」と念力をかけたら、1時間後には治っとったよ。

それからオレは、病床にあってあせりまくった体験があまりに耐えがたい
ものであったから、すべてを捨てて真理の勉強に打ち込むことにしたのだ。
今はもうぜんぶわかっとるつもりだ。たとえ死にそうになってもあせることは
ないだろう。

死にそうになる体験は人生を変える。それはたしかなことだ。
オレの人生もまったく変わってしまったが、それがよかったのか、
よくなかったのか、それはまだわからずにいる。


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