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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

574名無しさん:2011/07/07(木) 12:45:13
ブログ管理人様

いくらなんでも、仕事はつづけておられると思いますが、手があいたとき
にでもお相手ねがえれば、それで十分でございますよ。

>絵画の喩えを以って愚生意見を述べるならば、絵画作品上に茶色いシミが
付いていたと致しましょう。そしてその茶色いシミは、その作品の評価を著
しく低下せしめている、そんな想定を致しますが、そのシミに対して貴殿ご
主張を当てはめれば、これは「このシミも神が創造し給うた」ということに
なります。そしてそのシミの出所でありますが、それは「(モデルとなった)
実在世界にシミが付いていたため」であり、また「人間が抵抗したため」のも
のである、そうなるのではないかと思っている現在です。

上記の一文には事実誤認があります。絵画作品は、神の手になる作品であります。
神が「すべてよし」と判断されて、しかるのちに描かれた作品であります。
シミがつくということは考えられません。
実在宇宙は、神がご覧になるための風景を映し出しているのでございます。
神が「すべてよし」と判断なさるまで、風景を映し続けるのでございます。
もしも風景にシミがついていたとすれば、神はこれを「よし」とはなさいません。

結論から申しますと、倉田百三氏の「寂光」と実在宇宙は、
まったく異なるものであります。
実在宇宙には、「神がご覧になるのにふさわしい風景を映し出す」と
いう意志があります。この点がちがいます。

倉田百三氏は以下のように主張しておられます。

>宇宙の太源に帰一することが、治病、開運、幸福、繁栄を必ず結果する
とは信じられないのです。

実在宇宙は「神がご覧になるのにふさわしい風景」を映しだそうと意志しています。
実在宇宙に帰一すれば、「神がご覧になるのにふさわしい風景」を、
ともに体験することが可能であります。
倉田百三氏の主張とは、かなりちがった結果になる可能性が高いかと、
このように考えます。

実在宇宙は、最低でも4回の転生を経て、こんにちにいたっているはずです。
すでに十分に「神がご覧になるのにふさわしい風景」を映し出せるまでの
進化を遂げたものと考えられます。
したがって、かぎりなく(5)に近いところまでの上昇を遂げたと考えます。

実在宇宙がもしも治病を意志していなければ、たとえ帰一したとしても
病気が治るとはかぎりません。
人間の欲望と、宇宙の意志とは、かならずしも一致しないということであります。

欲望はかなわぬまでも、それが「神の栄光をあらわさんがため」であるのなら、
それもまたよいではありませぬか。


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