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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

47初心者:2011/06/07(火) 21:30:30
「総裁の言葉を書き換える」というわたしの提案を話題にしていただけるなんて信じられないです。あちらではいつも無視されてました。さっそくわたしのイメージを話させていただきます。「書き換え」とは、「個人が勝手に書き換える」というイメージなんです。たとえばわたしが勝手に書き換えて掲示板に書き込んだりすることはできるよ、ってことなのです。

「総裁先生のあの言葉は本当はこういう意味なんだ」ということを自分で勝手に思い描くなり、掲示板に書き込むなりしてみる、ということは誰にでもできますよね。真向から、総裁の考えは間違っている、正しいのはこうだ、というようなことを掲示板に書き込むと、これは議論になってしまいます。総裁や教団に反論の機会をあたえることにもなります。

ところが、「本当はこういう意味なんだ」という話になってくると、これは議論にしてはいけないんです。なにしろ、ポスト構造主義の時代では、個人が誰かの言葉を「本当はこういう意味なんだ」と書き換えることが許されている。だから「わたしはそんなことは言っていない」や「あの人はそんなことは言っていない」という反論はしちゃいけないんです。

反論があるとすれば、「偉い人の言葉を個人が勝手に書き換えてはならない」ということだけですが、現総裁の立場上、どうしてもこれを言うことはできませんよね。なにしろご自身が勝手に書き換えておられるわけですから、ひと言も反論することはできない。だから個人は、好き勝手に「総裁はあんなことを言っているが、本当はこういう意味なんだ」と書き込むことができるということなんです。

わたしが言っているのは、こうやってみんなで現総裁に真理を語らせてしまおうというたくらみなんですが、やっぱり「一時のやり過ごし」でしかないですか。溜飲を下げることくらいにしかならないですか。内情を知らないのでこんなことしか書けません。申し訳ないです。でもこういうのがトレンドになると、総裁先生もちょっとお困りになられるのではないでしょうか。


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