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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

46初心者:2011/06/07(火) 21:14:17
トキ様、さっそくのご返信ありがとうございます。トキ様もあの「ニフティーサーブ」の時代を体験しておられたのですね。なつかしゅうございます。パソコン通信は、インターネットとちがい、ホストコンピュータで運用されてましたから、教団がニフティーの承諾を得てホストコンピューターを監視し、信徒の通信を傍受しているという噂がまことしやかに語られていましたよね。あの当時からすでに、信徒と教団の関係はギクシャクしていたようです。

このとき、わたしはすでに青年会の活動をやめていましたが、知人から副総裁先生のメールアドレスを教えていただいたので、さっそくメールを差しあげることにしました。副総裁先生からはすぐに丁寧なご返信をいただきました。どこの誰ともわからぬような相手に、副総裁先生はやさしい言葉で、本当に親しげに長々と語りかけてくださり、一白鳩会員様も書いておられましたが、「いい人だ」という印象でした。

このとき、副総裁先生には、先生ご自身が「物議をかもしている」とおっしゃられた問題が持ち上がっていて、そのことでわたしに意見を求められました。礼儀上は副総裁先生の立場を支持する返事をしたためるべきでしたが、あまりに「いい人だ」という印象が強かったものですから、ついつい批判的な文面を差しあげてしまいました。

思わず知らず反対意見を書いてしまうほどに、副総裁先生は「いい人」でした。おそらく現総裁も「いい人」であるはずです。それでも、個人的に大きな問題をかかえてらっしゃいます。わたしとのやり取りのなかでも、この問題が頭をもたげてしまわれたようです。この問題をかかえてらっしゃるかぎり、組織のトップとしては不適格ということなるのだろうと思います。

現総裁が教団のトップとして不適格であることをもっともよくご存じなのは総裁ご自身だろうと思います。現総裁が、三代目として大きなプレッシャーを感じておられるのはたしかでしょう。現総裁は、宗教家としての資質がほとんどないにもかかわらず、宗教組織のトップに立たされてしまわれたのですね。

現総裁にとって、「いい人」である自分と、現実の自分との落差はそれほど大きなものではないはずですが、生長の家の総裁としての自分と、現実の自分との落差はあまりに大きなものであるはずです。「どうして自分は生長の家の総裁でなければならないのか」と、この問題で苦悩しておられることだろうと思います。

総裁としての自分と現実の自分との落差を埋めるために頼みとされたのが「知性」であったはずです。知性によって落差を埋めているかぎり、生長の家の総裁としての自分と現実の自分を一致させているような気になることができるのです。ひとたび知性を否定されれば、落差があらわとなります。あらわとなった落差を打ち消すために、知性を否定する人々を拒絶してしまわれるのです。

こうして多くの有能な方々が教団から追放されてしまわれました。「いい人」でいることは、現総裁にとってとても簡単なことであるはずです。ですが、生長の家の総裁でいることは、それほど簡単なことではないということなのです。

現総裁はわたしたちに尋ねてらっしゃるはずです。「あなた方はわたしのなかの何をもってわたしを総裁と呼ぶのか」と。現総裁を「いい人」と呼ぶのは簡単なことなのです。もし現総裁が、「あなた方はわたしのなかの何をもってわたしを『いい人』と呼ぶのか」と尋ねられたなら、その答えはいくらでも用意できます。しかし、「何をもって総裁と呼ぶのか」と尋ねられたとき、わたしたちはいったいどんな言葉を用意できるというのでしょう。


追伸:トキといえば、「北斗の拳」ですね。トキはまるでキリストのごとく描かれていました。救世主をそのまま体現しているようでもありました。トキはたとえ「救世主」と呼ばれたとしても、それほど苦悩することはなかったと思います。トキ様のお手をわずらわしたくはありませんので、わたくしの投稿にたいするご返信は気が向かれたときだけになさってくださいませ。


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