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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

427初心者:2011/06/23(木) 20:22:13
役行者様へ

>これはあくまでも物語であると知っていながら突っ込みますが、ここが短絡的すぎます。
神一元であるのに、排出はできません。

やはり突っ込まれましたか。突っ込まないようにと、いちおうクギを刺してはおいたんですけど。

この部分なんですよ、問題は。排出であれ、流出であれ、神一元の世界においては、これは不可能なんです(ここまで追い込まれるとは、まったく予想もしておりませんでした)。

ですけども、何が問題かというと、神が神ご自身の姿を知るためには、どうしても神ご自身を外在化する必要があるということです。これはたしかなのですね。外在化できなければ、神は神自身の姿を見ることができないのです。

しかもこの問題を、何が何でも、二元論ではなく、神の一元論で解決しなければならない。こういう厳しい制約があるわけですね(だんだんと追い込まれてゆく自分を感じております)。

つまりですね、問題は、自分で自分の姿を見るということなのです。どうやれば、自分で自分の姿を見ることができるのか。この問題を解決すればよいということなのです。

ここでの大問題は、神は神ご自身の姿をご存じではない、ということなのです。神にとって外部は存在しないわけですから、外から自分の姿を見るわけにはゆかない。したがって神は、神ご自身の姿をいちども見たことがないということになりますので、神はご自分の姿をご存じではないということになるのです。

こういう厳しい条件のなかで、神は神ご自身の、いちども見たことのない姿を、あるはずのない外部に外在化しなければならないのです。これができなければ、神は永遠に、神ご自身の姿を見ることができなくなってしまわれるのです。

そこで神は特別な装置をお作りになりました。その装置とは、なんでもかんでも映し出せる装置でした。とにかくデタラメに、意味のありそうなものもなさそうなものも、ありとあらゆるものを映し出す装置です。

この装置には、じつは重大な仕掛けがほどこされていて、映し出したものとおなじものが神のなかにあれば、たがいに共鳴して、ピンポーンとランプが灯る仕掛けになっていたのです。ランプが灯ったのを確認した神は、映し出されている映像をハードディスクに記録します。こうやって記録の量を増やしてゆけば、神にかんする大量の情報がハードティスクに記録されてゆくことになるのです。

そうしてこの情報をもとに、映像をこしらえます。この映像こそが現象世界なのです。ハードディスクには、神にかんする情報がランダムに記録されていますから、映し出された映像は、一見すると不完全に見えます。しかしそこには、神にかんする十分な情報が映し出されているということになるのです。

ここから神の体験がはじまります。不完全な映像のなかに、神は、神ご自身の姿を見いださねばならないのです。これこそがまさに、自分で自分の姿を見るという困難な作業なのであります。この作業を遂行するために、神は、ありとあらゆる断片に、神はご自分の姿を見なければならないのです。

リンゴは神の一部なのです。イヌやサルもまた神の一部なのです。山も川も神の一部です。そのひとつひとつを体験しながら、神は神ご自身の全体像をこしらえなくてはならないという、そういう困難な作業を、この現象世界でおこなっておられるのです。

これがパースペクティブとどういう関係があるんや?いえいえ、ここまで追い込まれますと、パースペクティブがどうのこうのとは言っておれませぬ。なりふりかまわずデタラメな情報を書きまくって、混沌のなかにひそんでいるであろう有用な情報を、役行者様に拾い集めていただくことにいたします。こうした作業こそが、この現象世界で神がおこなっておられる作業なのですから(ほとんどやけになっております)。

人が困りはてているときにビールでござりまするか。情報の拾い集めは、役行者様にすべておまかせいたしまするぞよ。


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