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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

417役行者:2011/06/23(木) 06:43:44
>初心者様へ
先ほどの投げかけを、もっと膨らましてお伺いします。

>この念のレンズをパースペクティブと置き換えることは
できませんでしょうか。パースペクティブのない実相世界に
パースペクティブを効かせる。すると、自と他の違いが生じ、
物事がゆがんで見えてしまう、不完全な現象世界があらわれる。
現象世界のあらわれ方を、このように単純化して考えることが
できるのではないかと思います。

つまり、パースペクティブが現象を生んだことになります。
それでは、パースペクティブはだれが創造されたのでしょうか?

別の言い方をすれば、
>簡単に申しますなら、現象の悪はどのようにしてつくられるのか、
これを明らかにする必要があるのではないかということです。
「現象はない!」ではなく「現象がなぜあるのか」


これだと思います。現象はなぜ存在するのか?
このような内容になると、倉田百三氏との「寂光論争」で果たして補えるのか、どうか・・・
地球という三次元空間、誕生秘話、と話が進んできます。
元に話を戻しますと、まぼろしの現象世界を生んだ
パースペクティブの正体は一体何なんでしょうか?
初心者様はもちろん、雅春先生に訊けブログ管理人様ほか、
皆様。どう思われますでしょうか?


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