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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

363ブログ「雅春先生に訊け」管理人:2011/06/17(金) 06:41:04
>商人さま

 いやー・・・「先生」というのはお止めください。私なぞは、キャバ嬢か
らしか誉めてもらえない悲しいオッサンですんで(「お客さん、親思いなん
ですね」)しかも、そのキャバ嬢すらも、控え室では「今日、キモイお客さ
んいたよ(笑)自分の親、ケータイ待受にしてんの(笑)」なんて言われて
いるでしょうから、とてもとても先生などと呼ばれるわけがない・・・


>初心者さま

 ご返信をありがとうございます。

――――――――――――――――――――――――――――――

「資本主義の暴力性を神として拝む」というお言葉は、難しい表現
ですが、「資本主義の暴力性という矛盾を条件とした神の同一性の
証明」という弁証法的解決をお示しになったと、わたしは理解いた
したのです。

――――――――――――――――――――――――――――――

 そうですね。これは、弁証法的文脈から論争をしてくる相手には、良い対
機説法でしょうね。そんな相手には有効機能する言葉なのかもしれません。
 しかし、貴殿には云わずもがなとは申せ、「雅春先生が説かれた真理とは
違う」ものですよね。

 雅春先生の凄味は、たとえば貴殿のお言葉を借りるならば、「資本主義の
暴力性という矛盾を条件と〝しない〟」点になろうかと。
 現象語では「暴力性」と称される事象であれ、その背後では、神が躍動し
ているのであると。そしてそれは、五官認知不能とは申せ、「確実に在る」
のであると。五官がいくら「それは悪の兆候」と言おうとも間違いであると。
「その悪らしき姿は、善が表に出てこようとする衝動」であると。

 ――そしてそもそも、その現象すら「ない!」のであると・・・こう申さ
れておられるのが雅春先生です。

 まあ少なくともこんなご主張、「私は読んだことがない」わけでありまし
て、それ故「千古の英哲とは、雅春先生のことである」と、申している次第
なのですよね。

 いやー雅春先生ですけど・・・この面倒なこと大嫌いな男が、毎日毎日
(でもないが)ブログの更新を、し た く な っ ち ゃ う か ら 
不思議です(笑)私本来、あんなブログ更新ができるほど、マメな男じゃな
いんですけどね(笑)そんな男すら魅了してしまった雅春先生・・・ちなみ
に本日は、六月十七日でありますね。


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