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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
341
:
初心者
:2011/06/15(水) 12:08:19
ブログ「雅春先生に訊け」管理人様へ
「現世利益」のわたくしの記事は、野放図に書き進めるとそうとうな長文になりそうでしたので、思いきって要点だけを述べることにしたものです。そのために、わくたしの真意が伝わるかどうかと危惧しておりましたが、ブログ管理人様にはすべて完全な形で理解していただけましたこと、感謝いたします。
わたくしごとを申しますなら、とても自分が経済の最前線に立って活躍しているとはいえそうもなく、できることなら、閑人の閑問答ではなく、日夜、前線で切磋琢磨しておられる方々の、実感としての現世利益問題をお聞きしたいと思っておりました。
ブログ管理人様がおっしゃっておられますように、この問題は、宗教人として避けては通れない問題だと考えます。マルクスは、世の中をよくするには経済のシステムを変えるしかないと、このように考えたにちがいありません。宗教に経済のシステムを変える力はない、とも考えたはずです。こうしてマルクスは、宗教にたいする優越感を抱くようになったと考えられます。
宗教は、経済のシステムには手も足も出せないのか。これが論点のひとつであると思います。世の中をよくするには、心や霊の世界だけでなく、現実世界を実質的に動かしている経済システムそれ自体に肉迫する必要があるのではないか。これも論点だと思います。
これらの論点は、今現在、教団内で起きている問題とも無関係ではなさそうです。あちらの掲示板で、ジジェクの言葉として「最近の宗教的原理主義の潮流は、ひねくれたリビドー経済の優勢に支えられている」といったようなことを書きましたが、この意味では、現総裁の問題は経済システムの問題であるともいえそうな気がいたします。
わたくしは、経済にかんしてもまったくの門外漢でしかありませんが、みなさまとの対話をとおして、できるかぎりのことを学びたいと思っております。この際、見栄や体裁を取っ払って、本音で語り合えますことを願っております。
『維摩教解釈』はわたくしの愛読書でありますよ。といっても、こういってはなんですが、あまりに長たらしくて、「菩薩の病は大悲より生ず。一切衆生病むがゆえにこれをもってわれも病む」といったような、気に入った箇所だけを読むようにしています。ただ、今のところ『維摩教解釈』は手元にはなく、手にできるのはしばらく先になりそうです。
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