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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

310初心者:2011/06/14(火) 17:55:29
#280の「企業経営者は現世利益に立脚した信仰をする」というブログ管理人様のご意見に、またしてもツッコミを入れようとしている、愚かな初心者でございます。といっても、ブログ管理人様を狙い打ちにしているわけでもなければ、批判をしようという意図もございません(うっかり批判しようものなら、逆に返り討ちにあいかねませんもの)。

みなさまがお気づきかどうかはわかりませんが、ブログ管理人様は、信仰ということにかんしてきわめて重要なことを言っておられます。ブログ管理人様が言っておられることを共産趣味風な発想に置き換えますなら、信仰活動という上部構造は、経済活動という下部構造によって制約される、ということになるのであります。

これが意味することは重大です。いかにあがこうとも、生長の家の信仰活動は経済活動の制約を受ける、ということでもあるのです。現世利益についていっておられるブログ管理人様を批判したところで、その批判者もまた、経済活動という下部構造によって制約を受けているという事実に変わりはない、ということでもあるのです。

トキ様が、現総裁にまつわる「都市伝説」に言及しておられましたが、同様の「都市伝説」は、わたしが知るところでは、フランス革命が始まりであったようです。いずれにも共通するのは、「都市伝説」の背後には巨大金融資本がうごめいているということなのです。わたしたちがこうして、現総裁を批判しながらあれやこれやと言いあっていられるのも、もしかしたら、巨大金融資本がこれを許容しているあいだだけなのかもしれません。

信仰は経済活動の制約を受ける。こうした共産趣味風な公式を批判したのがマックス・ウェーバーという社会学者でした。ウェーバーは、「資本主義はプロテスタンティズムによってつくられたではないか」といって、マルクス主義を批判しました(宗教が経済活動を制約したという意味です)。

これに反論したのが、マルクス主義者のジェイムソンだといわれています。「プロテスタンティズムは、資本主義の発展とともに衰退したではないか。プロテスタンティズムは、資本主義出現までの単なる橋渡しにすぎなかったのだ」と、このように反論したようです。

1980年代に、自由主義のアンチテーゼとして登場したのが新自由主義と呼ばれる経済政策であったようです。自由主義と新自由主義の対立をアウフヘーベンしようとして、英国のトニー・ブレア政権が採用したのが、アンソニー・ギデンズの提唱した「第3の道」と呼ばれる経済政策でした。残念なことに、というか予想どおりというか、「第3の道」は開始早々に頓挫してしまいました。

経済活動への国家の介入を極力ひかえるという新自由主義政策の出現によって、資本主義経済は、以前とは比較にならないほどの暴力的な力を振るうようになりました。ヘッジファンドの横行やリーマン・ショックはそのあらわれであったのかもしれません。

人類は、いまだ資本主義の暴力性を制御できる「第3の道」を見いだせずにおります。はたして生長の家は、国家になり代わって「第3の道」を提示できるのでしょうか。真理の光は、資本主義経済の暴力性に打ち勝てるのでしょうか。ブログ管理人様がおっしゃっておられる現世利益とは、資本主義経済の暴力性にただ耐えてゆくということだけなのでありましょうか。


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