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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
243
:
初心者
:2011/06/13(月) 12:10:23
役行者様へ
昨日はパソコンを開くこともできないほどバタバタしておりましので、ご返事が遅れてしまいました。
じつは、「和解」という表現は、弁証法を念頭に書いたものです。命題と反命題があって、このふたつを和解させることでより高い真理に到達しようとするのが弁証法のはずです。ところがジジェクの場合は、命題と反命題の矛盾を認めるのが真の弁証法だと、このように主張しているようなのです。
「矛盾を認める」ということを、ジジェクは、「矛盾はあらゆる同一性の内的条件だ」と、こういう難解な言葉で表現しています。言葉の意味は、人それぞれの解釈次第だと思いますが、わたしが理解したところでは、かぴばら様が、「今はこのような問題が持ち上がったことで、いい加減だった自分の信仰が、もっと真剣に学ぶきっかけになったことを感謝します」と、本掲示板で書いておられるように、現総裁という矛盾が生じたために、「生長の家とは何か」ということを真剣に考える人があらわれてきたり、これまで以上に本気で雅春先生の教えを学ぼうという人があらわれてくる、ということだろうと考えています。
簡単に申しますなら、「生長の家とは何か」ということについての、多くの信徒の方々の共通認識を現総裁がこしらえてしまった、ということなのです。現総裁が出現しなければわからなかったことや気づけなかったことが、その出現によって明らかとなった、ということです。
教団の内情については、現総裁を支持し、現教団にたいする前向きな姿勢を表明する方々のブログを拝見する機会が多かったものですから、それがどれほど深刻なものであるのか、なかなか実感できずにおります。ただ「和解」ということでいえば、ジジェク流には、「それは真の弁証法ではない」ということになるようです。対立を認め、対立を温存させるのが弁証法だということになってしまいます。
ジジェクの言葉を信ずるのであれば、現総裁を受け入れ、現総裁の「反生長の家」的言説をあえて温存するというのが、生長の家にさらなる輝きをあたえる方法だということになるのかもしれません。かぴばら様のコメントは、こうした方法の可能性を示しておられるようにわたしは感じました。
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