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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
221
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/06/12(日) 15:56:44
>現信徒さま
輝子先生のご文章に深く感銘致しました。後日ではありますが、弊ブログに
掲載することは可能でありましょうか?(
http://blog.livedoor.jp/con5151/
)
ご快諾頂きますと幸いであります。
さて、以下が本文です。
218のご文章を拝読させて頂きました。
貴殿のお怒りはごもっともなことであると、私は考えます。使命よりも「利」
を選んで行動する人間・・・これを嫌悪するのは、貴殿が気高い魂の持ち主故
のことでありましょうし、おそらく大半の方は、貴殿ご主張に賛意を示すこと
と思います。
しかし・・・以下は個人的体験談になりますが、私は御教えに触れまして、
ある心境の変化を経ることができたのであります。それはどのような変化かと
申しますと、「惻隠の情」とでも呼称すればよいものでありましょうか、その
様なものになります。簡単に書きますれば、「そんな人にも事情はおありでし
ょう」というものになりましょうか。そして「御教えに触れて、そんな人の事
情も理解できるようになってきた」と申せば、愚生主張も伝わるかもしれませ
ん。少なくとも「嫌悪」する心境にはなれない、そんな自分があるのでありま
す。
なぜ現在の私は、生活費のみに生きる人を嫌悪できぬのか?理由は以下にな
るのですが、例えばご主人が「生活費よりも使命に生きる!」と宣言したとし
ましょう。それはご本人にとってはアドネラリン全開となるような、「男ここ
に在り!」といった陶酔感を覚える選択となりましょう。しかし・・・目を家
族に向けた際、その選択はいかがなことでありましょうか。長々とは述べませ
んが、御教えに触れ五年が過ぎようとしている身には「生活費を稼ぐことも愛
念である」と、思えてくるからなのであります。
またかの明治維新は、大西郷や高杉一派のみで達成されたものでもありませ
ん。幕府の外から動いた人物に注目が集まりますが、勝海舟や小栗上野介のよ
うな「幕府に残った人々」も活躍されたわけであり、種々多様な人間なくば、
あの偉業は為しえなかったと思えて参るからなのであります。ですのでどうぞ、
貴殿に於かれましては「嫌悪を覚える」と云った心境を、超えられることをお
祈りする次第であります。そして、その嫌悪を超えた際に、真に建設的なアイ
デアも、天下ってくるように思えてならないのであります。
・・・最後に輝子先生のご文章に関してですが、おそらくですがこのご文章
ですけど、「利についた人を〝撃つ〟」という、そんな目的で書かれたもので
はないと思えるのです。推察するにこのご文章、「あんな時代にあっても使命
に生きてくださった方々・・・まことにありがとうございました」という、労
いの表現であったのではなかろうかと。
生意気な意見を開陳致しました。不適当な表現等ございましたらお詫び致し
ます。
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