[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
1937
:
スターダスト
:2012/07/04(水) 09:29:23 ID:uuNh/pjs
病気などの不幸は業(ごう)が消えていく姿だという人がいました。
『世界が平和でありますように』といっていた人のようです。
確かに病気や不幸は過去の業が消えて行く姿ですが、その業がどのよう
にして積まれるかを説明していません。
業がどのようにして積まれるかは最もだいじなことです。
仏教では業は十不善業によって積まれるのです。つまり、悪い行いによ
って業は積まれるのです。
十不善業とは『殺生、偸盗、邪婬、妄語、両舌、悪ロ、綺語、貪欲、瞋
恚、邪見』です。特に貪欲・瞋恚・邪見は三毒と呼ばれています。
貪欲とは性欲、物欲、金銭欲、名誉欲、自己顕示欲などです。
瞋恚とは怒り、恨み、嫉妬、不平不満のことです。
邪見とは無知のことです。唯物論的な考え方、因果応報など法則を知ら
ない。
この十不善業を新約聖書ではイエスキリストは次のようにいっています。
**************************************
『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証し
てはならない。父と母を敬え。あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』
**************************************
これらの戒めを犯すことで『病気事故災害戦争飢餓』などの不幸が起き
ているのです。これが『因果応報』であり『業(ごう)』なのです。
人間の思考は唯物論に洗脳されているので、悪い考えや悪い行いが悪い
現象を造っていることが分からないのです。
だから、不幸の原因が分からないためいくら唯物論的に化学が発達して
も不幸をとめることはできないのです。
それで『甘露の法雨』には次のように書かれているのです。
**********************************************
『映しの世界』を浄めんと欲すれば心の原版を浄めて
迷の汚點を除かざるべからず。
**********************************************
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板