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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
1933
:
初心者
:2012/07/04(水) 09:00:39 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
ヘーゲルが考えていた純粋思考は宇宙の思考である、というのは、おそらく
そういうことであったとおもいます。あの時代の哲学はドイツ観念論と呼ばれて
いるようですが、同時代の哲学者である、フィヒテやシェリングもまた、思考する
宇宙について思いをめぐらせていたものと考えられます(勉強不足で詳しい
ことはわかりません)。
フィヒテは、「自我は自分自身を定立する」といったようなことを語っていたよう
ですが、これは、宇宙自我は人間の自我をとおして自分自身を表現しようとして
いる、ということを言っているとわたしは解釈しています。もちろんここでいう
「宇宙」とは、「見せかけの宇宙」ではなく本物の宇宙であるとしか考えられ
ません。
身体性が宇宙を、あるいは宇宙との一体化を表現するというのは、禅宗の只管
打坐の考え方でもあるのかもしれませんね。座禅を組むときのあの姿勢は、仏の
姿をあらわしているという話を聞いたことがあります。身体性による表現という
ことでいえば、動的な合気道も、静的な只管打坐も、ともに身体性によってしか
表現できないものを表現しようとしているものと考えます。
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