したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

1905初心者:2012/07/03(火) 11:55:00 ID:TfQ0e6RA
訊け様

訊け様は、これまでも「善」という言葉を数かぎりなく使っておられるように
おもいます。数多くの機会にもちいておられながら、「善とはなにか」と問われて
即答できないというのはどういうことなのでしょう。

このあたり、ヘタをするとソシュールやデリダの領域へと入り込む可能性が
あります。以前こちらで、デリダの「差延」を紹介したことがあります。人は
意味の決定を不問にふしながらシニフィアン(意味作用)を連鎖させている。
わたしは、このような表現で「差延」を説明いたしました。

訊け様も、「善」という言葉をもちいられるときに、そのつど意味の決定を
不問にふしておられたのでしょうか。もしそうであっても、これはわたしの主張
するところでありますから、このことについてとやかく申すつもりはありません
が、訊け様がどのようにして『生命の實相』を読んでおられるのか、これは
大変に興味のあるところとなります。

ちなみに「差延」の定義、これは以前にも書きましたが、以下のようになります。

○想像上の概念や意味がシニフィアンによって繰りのべられること。
シニフィアンは、想像上の概念や意味にとって代わり、概念や意味を接近が
不可能な領域に追いやる。これがただひとつの(だがつねに非実体的な)
意味の「起源」

『生命の實相』は、いったいどのような仕方で読まれているのでしょうか。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板