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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
1799
:
質問者
:2012/07/01(日) 18:45:31 ID:/3nxKE2Q
初心者様
質問者へのご回答有難うございます。
>わたし自身の体験からすれば、雅春先生の教えにとどまっているかぎりは、これ
以上さきへは進めないとする壁につねにさえぎられていたという気がいたし
ます。本流の掲示板を見たことで雅春先生の教えの不十分さに気づき、教えを
手放したときに、それまで感じていた行き詰まりが解消され、新たな展望が一気に
開けてくるという体験をいたしました。<
具体的にはどんな体験だったのでしょうか?
>正直もうしますと、雅春先生の教えだけでは限界があるということを感じます。
ひとつの考え方にしばられずに、物事を自由に考えることの必要性も感じます。<
私も物事を自由に考え、従来の枠に捕らわれない発想が大切と痛感いたします。
狭い枠に捕らわれ、自由を失っていることは私自身もよくあります。
自分の問題も雅春先生の視点からならこうかなと思いつつも、不徳の致すところで前に進めないとき、
心理学的視点ならこうかなと考え、風穴のあいた経験があります。
この経験から考えると、様々な視点は極めて大切と考えます。
初心者様は、その証として雅宣総裁の新聖経 2本は干天の慈雨というところでしょうか?
>質問者様がさまざまな分野に考察を広げられますことを期待いたします。<
初心者様の期待に応えるべく、せいぜい視野を広く生きたいと思います。
よろしくご教示ください。
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