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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
1722
:
初心者
:2012/06/30(土) 17:53:20 ID:TfQ0e6RA
訊け様
ここで試合ですか。まあいいでしょう。字数制限に余裕がありますからな。
ところで、救済できなければ真理ではない、とのことですが、これはどういう
ことなのでしょう。真理は人間にとって都合のよいものでなければならない。
こういうことなのでしょうか。
そもそも救済とはなんなのでしょう。救済を欲する状態から抜け出すこと。
これをわたしは救済の条件にいたしたいとおもいます。雅春先生の教えで、
この条件は達せられるでありましょうか。雅春先生の教えは、実際に救済に
つながっているといえるのでしょうか。
私が見るところでは、みなさま方は、雅春先生が書かれた文字に執着し、いつまで
たっても、その書かれた文字に救いを見いだそうとしておられるように感じられ
ます。
みなさま方は、救済を欲しないどころか、救済が欲しくて欲しくて仕方がない、と
いったような心理状態に置かれているのではないですか。訊け様が、「救済に
つながらなければ真理ではない」と考えておられるとするなら、これは、救済を
欲しておられる訊け様の心情をよくあらわした言葉でしかないようにおもわれます。
救済を欲しなくなれば、真理が救済につながっていようがいまいが、どうでもいい
ことと考えられるようになりますね。「真理は救済とつながっていなければなら
ない」と考えることじたいが、救われていないことの証拠であるということです。
真理と救済はわけたほうがよいでしょう。真理の追究は、救済を欲しなくなった
ときからはじまります。それまでは、救済を仮に真理と呼ぶのはかまいませんが、
それを真理と決めつけるようになれば、これは大問題です。
雅春先生の教えで救済を欲しなくなるということが実現できますでしょうか。
現状を見るかぎり、どうもそのようには感じられません。
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