[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える
1618
:
うのはな
:2012/05/27(日) 21:05:45 ID:???
国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝と為す。
故に古人の言わく、径寸十枚、是れ国宝に非ず、一隅を照らす、此れ即ち国宝なりと。
「一隅を照らす」という言葉であまりにも有名な一節である。全体の意味は、およそこうなる。
「国の宝とはなんであろうか。宝とは、道を求める心である。道を求める心のある人を、名づけて
国の宝という。だから古人は、直径一寸の宝石十個が国の宝なのではなく、世の一隅を照らす人が
国の宝だというのだ」
この一節は、最澄の書いた『山家学生式』の冒頭にある。『山家学生式』とは、
最澄の悲願だった比叡山における大乗戒壇の設立と、人材養成の目的を明らかにするために書かれた
天台法華宗の僧侶の修行規則である。最澄はこれを桓武天皇に上奏し、大乗戒壇の設立を請願した。
最澄にとって、大乗戒壇の設立は切実なものだった。それまでは、奈良の東大寺、筑紫(福岡県)の
観世音寺、下野(栃木県)の薬師寺のいわゆる日本三戒壇のいずれかで受戒しなければ正式な僧とは認められなかった。
しかし、ここで授かる戒は小乗の戒だった。前にも触れたように、最澄は「願文」によって大乗の菩薩として生きることを誓った。
だから、自利と利他をともに求める大乗菩薩のための戒壇が必要だったのだ。
そして書かれたのが『山家学生式』だが、その冒頭の六条からなる『天台法華宗年分学生式』(六条式)にあるのが先の一節である。
最澄はこの中で、金銀財宝が国の宝なのではなく、道を求める心があって、一隅を照らす人が国宝だと言っている。
一隅を照らすとは、それぞれの人が置かれた場所や立場で精一杯努力することであろう。
現代にも通じる大事な考え方だ。
最澄は「国宝」という言葉を使っている。道心のある人の人格完成を通じて、国全体に役立つことを願っているのだろう。
そんな最澄の悲願だった大乗戒壇の設立は、残念ながら生前は認められず、嵯峨天皇から許可が下りたのは死後七日目のことだったという。
『折れない心をつくる名僧の言葉』 田中治郎 著
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板